基調講演に続いて、招待講演のトップは、日立製作所でソフトウェア製品のドキュメンテーションに20年以上携わってこられた池田麗子氏による「グローバルマーケットで通用する企業向けドキュメンテーション事例」。池田氏は海外顧客向けの英文ドキュメントのUXを最適化するために、積極的にIAの手法を導入し、(1) 顧客ペルソナの定義、(2) 製品のユースケース分析とタスクフローの明確化、(3) 実際に製品を使用しながらのライティングといったことを実践してこられた。
受身ではない、UX最適化を目指したドキュメンテーション
“Documentation can be better than software.”(「マニュアルはソフトウェアよりも雄弁にできる」といった意味か)というモットーで継続的に改善に取組まれており、とかく「受身」になりがちなマニュアル制作において、ソフトウェアと競うような発想を持ち込んだことは、筆者には新鮮だった。人間中心設計やUXはもちろんソフトウェアが目指すものでもあるが、マニュアルがソフトウェアを追いかけるだけではソフトウェアのUI/UXも向上しない、ということだと思われる。
顧客ペルソナの定義:まず対象ユーザーを定義し、彼らが抱えている問題を把握。課題解決にどのように製品を使うかを分析・把握する。
ユースケース分析:製品をめぐるユースケースを分析しタスクフローに分解。ユーザータスクにフォーカスして、アクション指向で(タスク実行に必要な情報だけを)書く。
製品を使ってのライティング:機能仕様書やヒアリングではなく、プロトタイプを使用してユーザビリティテストを行いフィードバックする。機能説明の羅列ではなく、どう使うかを書くことが重要。さらにマニュアルのユーザビリティテストを行う。
こうした方法は、テクニカルライター(TW)が製品開発、とくにユーザビリティ向上のプロセスに参加するもので、相当に先進的なものだろう。ユーザーがある程度分かっている(つもりの)国内製品についてもこの方法が採用されているかどうか、どの程度の工数を要するものか、聞きそびれたが、普遍化すべきものだと思われる。
制作方式のシフト:アジャイル、DITA
池田氏は続いて、マニュアルの開発方式の「ウォーターフォール」から「アジャイル」への移行について述べられた。またもソフトウェア工学手法の援用だ。そのうち「プロダクトライン」なども登場するかもしれない。ソフトウェアのように、開発期間を通じて最後まで仕様変更が多いものについては、オーソドックスなウォーターフォールでは、ロスが大きくなる可能性が高いので、アジャイル手法が普及しつつある。マニュアルもそれに対応し、一つのイテレーション(反復)の中で逐次作り込む方法をとるもの。ただし、アジャイルは万能ではなく、開発チームの熟練度が成否を左右する。TWもこれに合わせるのは簡単ではないと思われる。
日立はUXセンターを設置し、製品とマニュアルを通じてのUX最適化を推進しているが、その中でドキュメントの構造化とCMSを重視しており、アジャイルの導入と並行し、従来のXMLを一歩進めてDITA化を図っている。ソフトウェア・ドキュメントでは、DITAのメリットは大きいが、敷居も高い。池田氏は、データスキーマやDTDの変更では不十分で、業務プロセス、組織、開発インフラの開発が必要であると強調された。非常に重要な点であり、製品(ソフトウェア)開発全体のプロセスに効果的に組み込む必要がある。開発環境、ツール、プロセスを通じて何度も試行することになると思われる。グループコミュニケーション環境も、独自に開発する必要があるかもしれない。
グローバリゼーションとライティング
最後に「翻訳の壁を乗り越えるために」として、誤訳を防ぐための和文執筆時の留意点、そして最初から英文で書き起こす方法について話された。英語をオリジナルにすることも考えられるが、翻訳調にしないためには熟練した和文翻訳者が必要になるので、現在は別々に書き起こす方法をとっているということだった。テクニカルライティングの基本は英文も和文も同じで、欧米では大学で教えていたりもするので、レベルは平均以上が期待できる。技術者のコミュニケーション能力も高い。日本はその逆なので、さぞご苦労されていると思われる。個別企業だけでなく、日本全体としてライティングのレベルを上げていく必要がある。
ソフトウェアドキュメンテーションのグローバルな実践を通して、UXを追求する日立の姿勢と革新的な手法の事例が語られたわけだが、「グローバリゼーション」とペルソナ/ユースケースに関して会場から質問が出た。言語/文化環境として誰を想定した「ペルソナ」なのか、ということである。消費者向け商品などではそれは大きな問題になる。しかしソフトウェアはもともと英語との親和性が高く、技術者に限って言えば、それでかなり足りてしまうだろう。池田氏は、日本人と欧米人とでは同じでないところがある、と答えられていた。その差は、分野によって違うものと思われる。
数万ページに及ぶ基盤ソフトウェアの英文マニュアルを制作されている富士通の方からは、オーストラリアのSEから「厚すぎ、注意書きが多すぎる」との指摘があったことが紹介された。マニュアルに載っていない知識がノウハウになるので、詳細・懇切・丁寧という日本的配慮は好まれないということか。それが一般化できるとすれば、日本語版と欧米版(?)は違う編集ポリシーとスタイルが必要になるのかもしれない。英文をオリジナルとして日本語読者のための情報を加えるようなやり方も考えられる。
いずれにせよ、UXを重視していけば、次々と様々なバージョンが生まれていくことは避けられない。IA+CMSを効果的に使わないと対応できない。
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