NY Times Online 12月15日付、ストーン、リッチ両記者の記事(「ベストセラー著者がE-Bookの版権をAmazon.comに移行」)は、2009年という年が出版界の転換点であることを、あらためて思い出させるものだった。記事は、スティーブン・コヴィー (Stephen R. Covey)という、過去20年間の経営書で最も成功した著者が、電子版を原著を発行したサイモン&シュスター社 (S&S)ではなく小出版社を通してアマゾンKindleで販売することを決めたことの意味を解説している。
予測不可能な時代の予測可能な結果
コヴィー氏の本はS&Sのドル箱だった。とくに1989年に初版が出た “The Seven Habits of Highly Effective People” は、20年を経た今年もなお13万6,000部を売っている。同社にとっては電子版を出す動機も高くはない。それがこともあろうに、RosettaBooksという、ヴァージニア・ウルフやカート・ヴォネガット Jr. の古典的作品の出版で知られる小規模な文学系電子書籍出版社に奪われてしまったのである。真の当事者はこの出版社でなく、著者とアマゾンであると見るのが妥当だろう。電子版に関する取り決めはなかったが、S&Sは過去の契約が電子版に及ぶと主張し、アマゾンとの間に非難が応酬された。異例なことに、アマゾンのスポークスマンがS&Sのキャロライン・レイディ (Carolyn Reidy) CEOを名指しで批判するまでになった(現在は両者とも鎮静化を図っている)。
RosettaBooksのアーサー・クレバノフ (Arthur Klebanoff) CEOによれば、コヴィー氏はアマゾンから得た正味手取り金の半分以上を受取ることになるが、これは通常の電子版取引での25%の倍以上。「スーパースターにはそれなりの待遇がある」ということ。アマゾンは、コヴィー本の販売にとくに力を入れるとしている。これはどちらにも、確実に儲かるクリーム・スキミングだ。
S&Sにとってのショックはこれにとどまらない。コヴィー氏は2人の息子に教育・コンサルティング事業(フランクリン・コヴィー社)をやらせているが、彼らは父親の新著について独自の出版計画を持っており、出版社を飛ばして直接(RosettaBooks経由で)アマゾンに独占販売させるという。新著の名は “Predictable Results in Unpredictable Times”(『予測不可能な時代の予測可能な結果』)。S&Sが切歯扼腕したのも無理もない。電子版について権利を主張しようにも、過去20年間、儲けさせてもらっている著者とその息子たち(小癪にも「これからも良好な関係を保っていきたい」と述べている最高の仕入先)を相手に喧嘩するわけにはいかない。
電子本の価格決定権はアマゾンが握るので、出版社は事実上価格決定権を奪われる。売れ筋は9.99ドルで売られるのだ。電子版を選ぶ読者も多くなるだろう。今後出版社がますます電子版に慎重になるほど、著者たちは新著の電子化権については別契約を要求するだろう。法廷でも市場でも、アマゾンがいる限り、出版社に勝ち目は薄い。
S&Sやランダムハウス(RH)社など、大手出版社は既刊本の電子化権に対する排他的権利を主張している。しかし、既刊本の電子化の権利を誰が持つのか、という問題は、米国において2001-2年にRandom House vs. RosettaBooks で高裁までの司法判断が下されて、いちおうの決着はついている。紙の書籍の版権が電子版に自動的に遡及されることはないことが定着し、著者およびその権利相続者が電子出版社と自由に契約することが認められた。これにより、契約書に「機械可読形式を含む」かどうかが当事者に意識されるようになったわけである。
電子書籍が「Web+PCで読める本」という物理的限界にとどまっている限り、2002年当時からみて、近い将来に市場で大きな存在となることはなく、大手出版社としても勝ち目のない訴訟を続けて世間の耳目を集める愚を避けたのだろう。この訴訟 は、日本でも「洋書業界」を中心に注目されたが、逆に判決以降は、対応を考えるどころか蓋をされたかのように話題に上らなくなった。PCのハードウェアとブロードバンドが低価格化し、ネット世界が10年もたたないうちに国境を越えてくるとは思わなかった(考えたくなかった)のだろう。
時限爆弾のスイッチが入った
しかし、結局その時は来た。著作権切れ(その定義は国により一定していない)となった書籍はGoogleその他が電子化し、著者の死後90年を超えたものについては、すでに電子書籍として様々な媒体に提供されている。90年以内の絶版+著作権者不明本の「公正利用」が法廷で争われているが、それが公正・公平な仕方で電子的利用に供されるべきである、ということは社会的に合意されている。そして新刊本の電子化権については、著者が簡単に渡さなくなった。著者やその相続人たちは、(出版社の安定収入源である多くのロングセラーを含む)契約に明記されていない既刊本について、アマゾンやその他の「電子出版社」と直接契約を結び始めた。出版社は力関係に応じて著者に譲歩し、再契約しなければ(少なくとも)電子版の権利を失う。
出版社は重大な決断を迫られている。アマゾンはもはや電子書店ではなく、取次を経て、いまや事実上の主役(メタパブリッシャー)となったのである。Googleは少なくとも電子図書館として控え、独占できるかどうかはともかく、膨大な絶版本の出版に乗り出そうとしている。出版社は確実に領土を失っているのだ。もともと市場が読みにくい出版は効率の悪いビジネスであり、(1)有名著者の売れ筋新刊、(2)定番タイトルの重版に支えられている。有名著者は好条件を提示する電子出版社・書店になびきやすい。他社による電子版は、(2)にとって直接的な打撃となる。村上春樹クラスの作家が編集者やデザイナーを使い、「出版者」として独立したら、結果は明らかだろう。つまり最終的に(1)にまで浸透すれば、一般的な出版社の息の根は止まる! すでに時限装置はセットされた。
日本の民放が事実上新聞社に支配され、ほとんどの出版社は独立しているのと対照的に、欧米の大手出版社の多くは、ほとんどが放送を含む国際的メディアグループの傘下にあるか、あるいは医療・学術・教育など専門出版グループの傘下にある。グループ間の売買は活発だが、経営基盤は安定している。そして独自の制作システムによるデジタル化とコンテンツの管理はかなり以前に完成している(多くは20年以上前から商業データベースで優越的地位を築いてきた)。置かれた状況を見れば、日本の出版社は欧米と比較にならないほど弱い。取次システムだけが防波堤になって黒船を防いできたのだが、電子版について機能しない。時限装置は日本のほうが早く最後の時を刻むことになるだろう。
もちろん、日本の有名著者やその遺族がアマゾンその他に簡単に電子版権を売ることはないかもしれない。しかし、著者の「取り分」という生々しい問題を措くとしても、彼らは作品が世に出て、図書館と古書店以外に、いつでも読みたい人の手に渡ることを希望する。出版社が本も電子版も出さないのは、権利と情義の上にあぐらをかいていると思う人もいる。それならアマゾンでもいいと考えるかもしれない。他方で、電子版を出せば紙の本の再版の可能性が低くなる、と出版社は考える。いままで「売れそうな本」の電子化を躊躇してきた最大の理由がそれだが、出版社は電子版についてのポリシーを早急に決める必要があるだろう。
電子出版における著者と出版社の微妙な関係
著者と出版社の関係は一様ではない。多くの出版物は、企画、材料集めなど前段階から、執筆、校正・編集、索引…まで、様々なやり取り(や催促)があってはじめて進行するものだし、ものによっては編集者が著者以上の知力と労力を提供しているものもある。しかし日本では「伝統」的に著者へのロイヤルティを「印税」と称し、「定価×印刷部数(もしくは実売部数)×一定割合」を(一定の時期に)著者に支払う。割合は10%を基本とし、力関係によってはこれに前後する。1,000円の本を5,000部刷って(あるいは売って)、著者には50万円しか入らない。5万部で500万円となるが、実際には5,000部を超える確率は1割以下と思われる。売れなくてもいいと思って出す出版社はいないのに、多くは元が取れない。一般的にページあたりの労力が大きいマンガでは、割に合わないのを通り越して悲惨ですらある。
出版社は、社員の給料や一般管理費、販促費などのほか、(1) 印刷・製本コスト(ほぼ20~30%か)と(2) 流通コスト(30+%)、(3) 在庫コスト、を負担する。(3)は倉庫代のほか課税もあるので、どんどん短縮される(つまり廃棄される傾向にある)。1点あたりの粗利益は非常に少なく、売上の3分の1は流通(取次、書店)で消える。厳しいビジネスで、よほどの情熱がないと存続し得ない。
さて、電子化することにより、出版社には次の変化がある。
(1) 印刷・製本が不要となる(代わりにフォーマッティングは必要)
(2) 流通方法を選択できる(直販/電子書店)
(1)は分かりやすいが、(2)はそうでもない。アマゾンは版元に定価×販売部数の35%を提示する。なんと、出版社の取り分は紙とほとんど変わらない。そのかわり、DRMは安全で、在庫、返本、廃棄を気にせず、24時間、半永久的に書店に品物を置ける(システム/通信コストはアマゾンが負担する)。売上の回収と支払いは迅速・確実だ。この35:65という数字は絶妙で、出版社がこれを(苦々しく思いながら)ばかばかしいと考えなかった証拠に、多くの出版社がアマゾンを利用している。アマゾンは出版社にとって、何より売上を確実に回収してくれる取次であり、しかも購買者のリストを持つ書店でもあるということだ。
アマゾンに対抗する電子書店は、出版者側に40~70%という有利な数字を提示する。しかし、彼らの有するリストは少ないし、過去のデータもなく、インテリジェントな「お薦め」機能もなく、したがって販売能力は小さい。増刷・在庫のコストが要らない電子書籍では、単純に何点売れていくら現金が入ったかだけが重要なのだ。アマゾンはKindleビジネスに10年をかけているという。出版者と流通の取り分を逆転させるこの計算は、じつに周到と言わねばならない。Kindleというハードウェアは、ゲーム機のようにコンテンツを売る手段にすぎない。
欧米の(世界の)大手出版社や書店(Barnes & Noble、Borders)がいまアマゾンに仕掛けているのは、非Kindle的な流通チャネルを確立することによって、35%身分からの脱出、あるいは生き残りを図ろうとする自然な動きと言える。例えば、B&Nに次ぐ書店チェーンのBorders Groupは15日、カナダのIndigo Books & MusicのE-Book企業であるKoboとの間で新たにE-Readerおよびデバイスに依存しない電子書店事業を共同開発する提携を発表した(参考記事)。Kobobooks.comは2Q10にBorders.comに統合される。B&Nに続き、Bordersまでが<ハード+電子書店>という(あまり成算のあるとも思えない)事業に乗り出したのは、それだけKindleが強力であることを意味している。アマゾンは困らせられても、自分自身がより大きな混乱の中に落ち込むのだが、イノベーションの時代とはそうしたものだ。
「青空キンドル」を見てもわかるように、すでに日本語は欧米企業が日本に進出する障害ではない。日本の出版界が電子書籍の流通モデルについて独自性を持てる余地は、あと1年でほとんどなくなることも覚悟すべきだろう。Googleを後門の虎とすれば、アマゾンは前門の狼ということになる。(12/16/2009)
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