「再販」なしのE-Bookは出版社に何をもたらすか

amazonsthumbKindleが再販制度に守られてきた(とされる)日本の出版流通に及ぼすであろう影響を、村瀬拓男氏が分析。電子書籍が独禁法の適用対象となることで価格決定権が小売に移行するとし、「売りたい本を売りたい値段で市場に投入する自由を謳歌し」てきた出版社にとっては、電子書籍の位置づけと価格政策を独自に判断することが重要となると説く。(リンク+解説)

記事

「キンドルが日本に上陸する日」 by 村瀬拓男、DIAMONDonline、12/03/2009

村瀬氏の解説は、正面から議論されることが少なかった電子書籍の流通=価格問題を論じたことに意義があるが、誤解を招きそうな部分も散見される。たとえば、

  • Kindkeの本がすべて9.99ドルで販売されているかのような印象を与えるが、安売りは「目玉」書籍だけで、これは紙の書籍で従来から行われており、メーカーの「自由」より自由な市場を重視する米国では普通だ。消費者にとっては本屋に行く最大の楽しみの一つでもある。村瀬氏はこの方式が電子書籍を通じて日本に持ち込まれることを懸念しておられるわけだが、安売りされたくない出版社は電子版を制作しない自由があるし、Kindleではなく、価格厳守のサイトに限定して販売することも出来る。
  • 9.99ドルはあくまで客寄せで、ウォルマートでもシアーズでもやっている。「ジャガイモ1kg=100円」と同じで、販促費用としては安いものだろう。サラ・ペイリンの本($28.99→8.99)を買いそうな顧客に、どんな本命商品を売ろうか、という戦術も立てやすい。このくらいのキャンペーンは「自由を謳歌」している出版社自身がやってもいいくらいのものだ。
  • 数十万冊というと、欲しい本がほとんどカバーされている印象があるが、Kindleのサイトで最近のベストセラーを探してみても、欠けているものはじつに多く、期待しているとがっかりする。価格も古本のほうが安い。読者にとってKindleで間違いなくいいのは、カタログにあるものを、その場でダウンロードできるという「体験」のほうで、「価格」のみを見て読者を見ない出版社は頑迷固陋というしかない。

プロクルステスの寝台と化した日本の出版流通

procrustes07出版社ははたして「自由を謳歌」してきたのだろうか。寡占状態にある取次会社に出資している大手・老舗出版社には、そう考えている人もいるかもしれない。しかし、外から見るとむしろ「プロクルステスの寝台」を連想させる。定価と在庫の寝台に合わず、哀れ断裁機にかけられる返本の山が、生産の半分にも達するというのに、あるいは優秀な編集者と貴重な書籍の版権を有しながら、次々倒産リストに入りする中小出版社が増えることに胸を痛ませない人はいないと思いたい。

電子書籍は、印刷しない本であり、著者や版元の交渉で自由に価格や取引条件を決め、在庫なしでいつまでも売れる本である。無駄に木を切ることもない。エネルギーを浪費することも少ない。電子書籍を選択肢として持つことで、出版社は絶版本をいつまでもカタログに置いておくこともできる。刷り部数の読めない本を、市場に出してから「適正な」価格を探ることもできる。流通はもちろん自由に選べるから、直売から共同販売、独占販売などどんな形態を組合せることもできる。電子書籍により、普通の出版社、あるいは著者も「自由を謳歌」できる、と考えても悪くないのではないか。アマゾンはタフだ。しかし「寝台」に合わせて切り刻んだりはしない。逃げることもできる。

teseo_procuste出版業の成立以来、流通は出版社にとってつねに最大の問題だった。書店から売上を回収し、版元の手に渡るまで、というのは一見するほど簡単ではないのである。日本的取次システムと再販制度は、そうした意味で非常に精巧に出来たものであり、汚名を着せられた「談合」とともに、日本的商秩序とエコシステムの中心であったと思う。しかしそれが出版社を、そして出版文化を守ってきた時代はすでに終わった。「プロクルステスの寝台」を守ることで出版を殺すことはばかげている。(12/03/2009)

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