過去の失敗から何を学ぶか:電子書籍実験
2010年 1月 23日
科学ジャーナリストの松浦晋也氏が、「電子書籍についての考察」という連載を始めた。第1回に、KindleやGoogleではなく、10年前の日本での電子書籍/端末サービス実験について取り上げているのはさすがと感じた。これからが期待される。何事も、他人の成功ではなく、コストを支払ったから学べる自分自身の失敗を原点として出発するのがいいと思うからだ。
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「電子書籍についての考察(その1)10年前の電子書籍コンソーシアム実験を振り返る」 by 松浦晋也、PC Online、1/18/2010
「社会実験」として行われた電子出版の顛末
「10年前の実験」とは「電子書籍コンソーシアム」のことだ。大手出版社とハードメーカーが参加し、当時の通産省が補助金を出して、1999年11月から2001年1月までの3ヵ月間、専用ブックリーダを使う500名とPC上のビューワを使う1500名に対して行われた。当時すでに筆者はこの世界とは離れていたので、プロジェクトの内と外にいた親しい友人から話を聞くだけだったが、「何が悲しくてそんなもの使う気になるか」と簡単に斬って捨てていた。大人げないことだ。批判するなら前向きな提案するべきだったろう。ともあれ「この実験はさんざんな悪評と共に終了した。」「ネットの各所に実験参加者が書き残した不満と怒りが、今も残っている」と松浦氏は書いている。
実情は、当時ジャストシステムに在籍し、コンソーシアムの事務局・技術責任者を務められていた小林龍生氏が当時書かれていたものから知ることができる。筆者も「コンソーシアム」には随分と苦労した経験があるが、各社から人を出して進められるプロジェクトは、認識・志向のレベルとベクトルを合わせるのに時間を費やし、思ったことの半分も出来ればベストだ。プロジェクト・リーダーが調整役をやらされていては何も出来ない。
筆者が当時感じたのは、(1) ページの電子化したイメージを壊れやすい800gの専用携帯端末で「読む」ことの無意味、(2) むやみに厳密なDRM、(3) 専用端末を備えた店舗に出かけて行って衛星送信されたコンテンツを受取る煩雑さだったが、松浦氏は、今日に尾を曳く根本的な問題は (2)で、これが「実験」の意味を失わせたと指摘している。(1)と(3)は自然にITが進化することで放っておいても解消する問題なのに対し、(2)は当事者が頭を切り替えないと全く変わらない問題だからだ。それはイノベーションを阻む最大の要因で、技術があっても資金があってもどうにもならない。多くの人は過去の延長上にしか明日を考えらない。
DRMについては徹底した実験が必要
当時の関係者は「社会実験」ということの意味を理解していなかった(あるいは工学的厳密さを求めない「空気」があったのかもしれない)。実験はDRM付のコンテンツとフリーのコンテンツを用意したり、複数の被験者のグループを設定したりして条件を変えて行い、厳密に検証される必要がある。もちろん、評価するための方法論や手法・指標も考えておく必要がある。でないと「実験」として世に問うわけにもいかない。しかし、役所や企業の「実験」の通例だが、そうした工学専門家の参加を得ずに行われてしまった。まず「補助金」ありきであったのも、そして「専用端末」にそれを使いたがっていたハードメーカーが必然的に大きな役割を果たしたことも問題だった。要するに、実験しても何も得られなかったという最悪の結果だ。今日からみると<何のデータも得られないかもしれない実験をやってしまった>ことを最大の教訓としなければならない。
既存コンテンツからDRMを外したくないのなら、実験用のフリーコンテンツを用意することも可能だったが、そんな発想はそもそもなかったのだろう。DRMが、どれだけ厳密に護れるかの実験だったのかもしれない。しかしこれは侵害を誘発するような実験でなければ意味がない。わざわざ外して他に配布するには、それなりの動機がなくてはならない。“草食系”の実験はなんともユルい。出版社は確たる動機を持たず、利用者にも持たせず、ただ「補助金」と「端末」だけが明確だった。
これから出版社は本物の実験をビジネスを通して行っていかねばならない。もう時間はないし、補助金もないだろう。ただ、読者は強い関心を持ち、動機を持って見守っている。 (鎌田、01/23/2010)





