デジタルの神はもう待てない
2010年 2月 12日
技術的な話題をもっと取り上げたいのだが、E-Bookについては、出版界の「それ以前」の話(タブー)が多すぎて、これを無視すると必ず足を取られるから、当分は嫌われることを承知で「公論」や「輿論」を起こしていくしかないと覚悟している。岸教授のアマゾン黒船論にはショックを受けてしまったが、ブロガーの小飼 弾氏の最近の問題提起は、とても重要な視点を含んでいる。続けてお読みいただければ幸い(鎌田)。
小飼氏の弾言:2010年、神の怒りが出版社に下る?
小飼氏のブログ記事「電子書籍の最終勝利者」は、デジタル化の先に「読者=顧客=神」の勝利を考える、コロンブスの卵的な正論だ。ネットの世界を「無法地帯」が有料化してようやく「市場」になってきた状態とみる岸教授に対して、“ネット・ネイティブ”の小飼 弾氏は、当然ながらネットにこそノーマルな世界をみている。お年もそう離れていないのに、同じものがどうしてこう正反対に見えるのだろう。経済官僚出身の岸氏が、反射的に「日本」を先に意識するのに対して、デジタルの世界に生きてきた小飼氏にはそれがないためだろうか。
小飼氏は、日本語の電子書籍市場はまだほとんど存在していないが、「市場がなければ、闇市場が自然発生するだけ」と述べている。電子書籍の最大のメリットをスペースを取らないこと、と即物的に考えるのは「1時間に10冊」の小飼氏らしい。ブックスキャナより高速な小飼氏なら、本に埋もれる心配をするのも現実的だろう。“愛本家”の筆者はむしろ本に埋もれて死にたいくらいだが。
「お客様は神様」である以上、神様が望む電子書籍は、出版社が嫌がっても海賊版や私家版の形で浸透していく、と小飼氏は言う。本の電子化が遅れていることに神は怒っており、「それがいよいよ爆発しそうなのが、今年2010年なのです」。だから神に対して勝ち目のない戦いを挑むのではなく、愛されることを考えなさいと諭す。出版も含めて、メディア業界の人は「顧客」としての「読者」を意識することは少ない。自分たちこそ「紙=神」に仕えているという、古代エジプトの書記の自負があるためだろう。信者をケータイやネットに取られ、そのネットからは「紙は死んだ」と言われ、神殿に立て籠もっている?
地図には存在しない日本の電子書籍。不可視の1000億円市場!?
いや、そんなことはない。出版社もビジネスだ。小飼氏は誤解しているが、日本にはその視野の外に500億円近い電子書籍市場がある。どこに? ケータイとPC。どんな電子書籍? マンガとアダルト。ケータイ小説。少しだが普通の本もある。無料なら「青空文庫」も。それだけ? いや電子辞書を忘れてはいけない。「辞書専用電子書籍端末」という、世界で最もコンテンツ数の少ないE-Readerが、年間300万台も出荷され500億円市場を形成してきた。しめて1,000億円。規模からいえば世界に冠たるものかもしれない。「コンテンツがないからE-Bookは商売にならない」なんて誰が言ったの? ただ、この市場は出版市場の縮図ではない。普通の人が普通に読みたい本が潤沢にない以上、存在しないに等しいかもしれない。もちろん「活字文化」の香りもあまり感じられない。
重要なことは、わずかののコンテンツ、つまらぬコンテンツでも、ケータイや電子辞書のように、流通(課金システム)さえ確立されていれば商売になるということだ。磯崎哲也氏は「ネットのコンテンツ販売で鍵になるのは、販売の『プラットフォーム』を構築するということだ。」とブログで述べている(「iPad対Kindle、勝負あり。そして出版の未来」)。磯崎氏の「未来図」に筆者は同意しないが、この指摘はまったく正しい。そして日本の出版界がデジタルの世界を、地図に描かれないヒンターランド、あるいは隠し子のようなマージナルなものとして扱ってきたのは、出版界にとっての「国体」に等しい、印刷本のプラットフォーム(取次・再販)に影響を与えないようにするためだ。
「国体」護持が至上の目的と化したために、敢えて現実に目を塞ぎ、消費者を無視し、利益機会を放棄することさえ厭わなかったというのが真相だろう。思いつめれば玉砕しかねない。世界に先駆けてE-Bookを手がけながら、大手版元(といっても大企業はいない)のコンセンサスを優先したために挫折を繰り返してきたのである。「国体」を主宰する取次会社は、縮小する印刷本市場に固執するか、デジタルコンテンツの販売プラットフォームに参入し、アマゾンやアップルと、競争的協調の関係に入るかの岐路に立っている。関係者の強迫観念や一時的視野狭窄を取り除けば、後者は前者ほど困難ではないように思われる。非現実的という方がいれば、ご教示いただきたい。 (鎌田、02/12/2010)







