「E-BookはWebとどう違うの?」という質問を受けた。筆者にとっては基本的に同じである。但し書きを付ければ、ダイナミックでインテリジェント、 ソーシャルなメディアとして想定するE-Book 2.0は、Web以外で存在することはない、という意味で。Webが社会的メディアとして登場して15年あまりだが、内容的な成長・成熟もかなり早い。も ちろんまだ「××の落書き」程度にしか考え(たく)ない人たちがいるし、最も敷居が低いメディアだから、そうした面は相変わらずだが、たしかに進化は感じられる。
Q002:Webメディアは知性・文化の社会的なメディアに進化するか
大野氏は、永井道雄の『歴史と国家』(1975、中央公論社)における「新聞発展の4段階」を援用して、Webも同じような進化を追っていると述べた。これは19世紀英国で生まれた新聞業が社会的メディアとして成熟していく過程を4段階に分け、「大衆娯楽」を提供することで商業的に成立した新聞が、広告事業、報道事業を経て「言論メディア」として確立するに至った経緯を説明したものだ。Webも、アダルト系→広告系→SNS/RTWと進化した後は、知的メディアとしてのE-Bookを実現するはずだというストーリーである。「人類社会は、新しいコミュニケーション媒体に対して類似な反応を生じる!」という仮説に要約しているが、とても魅力的ではある。
エゴイストであると同時に社会的存在でもあるという2面性を持った人間は、メディアの利用において<食と性→衣食住→経済活動→知性・文化>へと進化(深化)させていくという大野氏の仮説を信じたいが、19世紀は「市場」と「社会」とのバランスが比較的よくとれていた(つまり緊張関係にあった)のに対して、現代は市場が社会をほとんど呑み込んでしまっているので、経済価値から独立した<知性・文化>を深めていけるかどうかは確信が持てない。社会という仮想的存在は、コミュニケーションによって成立しており、それがどのように機能するかはメディアに依存する。市場に任せていては社会的メディア=コミュニケーションは生まれないだろう。
19世紀の新聞は、模索の末に社会的価値としての「言論の自由」を確立した。ただしこれは制度ではなくプロセスであって、日常的に疑問を立てては解いていく行為である「考える」こと(つまり、読む→聴く→議論する→観察する→…繰り返し)で成り立っている、かなり微妙なものだ。20世紀の新聞は、ビッグビジネスとなることにより、経済的価値に「言論の自由」を従属させた。その結果、社会的な「考える」プロセスの一部としての「言論」機能は退化し、次いで「報道」も退化し、「広告」価値に情報を従属させるまでに退行しているように思われる。英国新聞業の発展は、したいに進化したモデルが登場した、ということに意味があって、原始的なものが知的なものに取って替わられたわけではないことに注意したい。
Webが短期間でソーシャルネットワークまで生み出し、集合知 (wisdom of crowds) を実現させたことは大野氏の仮説を例証しているように思われるが、逆に新聞さえも退行してしまったように、「社会」という一種の“仮想協同空間”を形骸化させないためにはかなりの意識的努力が必要になると思われる。鎌田は、プロセスとしての知識コミュニケーションをサポートするE-Bookに注目し、期待している。1980年代に大いに議論されたハイパーテキスト論(代表がエドワード・バレットのText→ ConText→ HyperText)が参考になりそうなので、これを参考にして<知性・文化>のメディアの可能性を考えていきたい。これは新聞がどうなるか、という問題とも関係が深い。(鎌田、3/17/2010)
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- EBook 2.0ノート (2):味方にするために 3/15/2010
- EBook 2.0ノート (3):「考えるメディア」 3/17/2010
- E-Book 2.0ノート (4):メディア進化仮説 3/17/2010(本稿)
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