デジタル教科書推進に必要な視点

E-Bookの最大のアプリケーションとして期待される教育分野において、小中学校向け電子教科書推進の動きが出てきた。教育と医療は公的機関の関与する巨大な市場だけにエコシステムが複雑でとくにアプローチは難しくなるが、波及効果も大きく公共性は高い。中国は電子教科書を国策として推進しており、人材と産業、市場の国際競争力も関係してくるだろう。あらゆるレベルの問題を避けて通るわけにはいかない。そこでまず視点を確認しておきたい。

最大の市場の難しさ

小中学校向け電子教材の普及を推進する「デジタル教科書教材協議会」(DiTT)準備会が5月27日、開催された。普及に向けての課題整理、実証実験、普及啓発、政策提言等を行うとしており、7月27日に設立を予定している(設立趣意書参照)。教育系、通信系、メディア系、デバイス系の企業が参加しており、マイクロソフトやクアルコムなど外資系企業も参加していることから、いわゆる「日の丸」コンソーシアムではない(5月25日時点で、30社が同協議会への入会を表明している)。

教育と医療は巨大市場であるが最も難しい分野でもある。それは膨大な政府予算、提供側と利用側のステークホルダーの数と種類、関連する法律、規則、慣例の複雑さ、などがこれらを特異なものとしているからだ。したがって、必ず複数の省庁、複数の業界団体、複数の専門家団体が絡み、そして複数の「推進協議会」「懇談会」から社団、財団までが生まれる。もちろん、政党・政治家、メディア関係者、よくわからない「有識者」が加わってくることは言うまでもない。一言でいえば「政治」である。人が政治を嫌がるのも無理はないが。嫌がるほど政治は陽のあたらない場所で行われることになり、世間から嫌がられるタイプの人が関与する度合も多くなる。

関係者の数は市場規模と比例するが、これだけの関係者が個別の利害を調整するプロセスというのは、日本人があまり得意とするところではない。業界が違えば世界が違うようなもので、それぞれが世界を別の角度から見ているから、コミュニケーションが困難である。疑心暗鬼が生まれ、その結果ベクトルが合わず、膨大な時間とコスト(主に飲食費)がかかる。関係者の格によってコストが変わってくるのはもちろんだ。では優雅かというと、それがとんでもない。途中で政権が変わったり、市場の環境が変わったりすると、すべてリセットされる。もちろん、それに対するヘッジは何もない。だから大きなプロジェクトほど瓦解(あるいは雲散霧消)する。こういうことを担当する方は、万事心得ていないと、深入りしてキャリアに傷がつくような事態になる。まじめな人ほど自己防衛はしていないので、死屍累々にもなりかねない。

ようするに、公共的使命が大きいほど本来の目的から逸脱し、失敗に終わる可能性が多い。どの国でも「改革」というものは難しいが、当為としての「公共」観念が薄く世間が重たい日本では、よほどの人物と偶然が重ならないと成功しない。だからこそ目的を見失わずに苦労されている方を支援すべきだろう。教育は最も「政治」化しやすく、専門家の問題意識や創造性が無視されやすい分野だけに注意して見ていきたい。

「デジタル教科書」推進の前提

以下、DiTTをはじめ関係者に一考いただきたいことを羅列してみた。

テーマと活動に関する情報の共有環境

関係者が多いということは情報共有だけで一大プロジェクトとなるが、これまでの多くの「協議会」は、参加した関係者の間での情報共有と歩調合わせ(「抜け駆けはやめようね」)というだけのものが多く、しかも屋上屋を重ねるていので、挨拶回りするだけでも半年や一年はかかってしまう。しかしこれを省略してブロードキャストで済まそうとすると猛烈な反発を呼ぶリスクがある(「誰に断って」)。情報の共有・公開のルール、他の関係者とのインタフェースを決めておく必要があるだろう。

パソコン導入以来の教育IT関係プロジェクトの総括

教育ITについては、過去20年間にかなりの予算が使われて、多くのプロジェクトや実証実験が行われた。それらの理念・目的・目標、方法・結果等を整理し、継承すべき成果と学ぶべき教訓を客観的に確認しておいた方がいい。電子教科書に取組む時には「教科書」とは何か、何であるべきか、という基本の議論を避けられない。避ければ目標そのものがフェードアウトしてしまって、「電子政府」のように、後には発注書と請求書だけが残ることとなるからだ。議論が空転しないためには、これまでの総括を避けて通れない。

電子教科書の要件定義のためのパブリックコメント

電子教科書の課題を短期、中長期のシステムへの「要求」として集約するための工学的プロセスを明確にしておく必要がある。これは要求の可視化と管理を基盤とするシステムエンジニアリングのプロジェクトであり、日本が世界に誇る新幹線プロジェクトのように徹底したものである必要がある。そのためには、パブリックコメントを本気で集め、要求を構造化し、関連づけ、トレードオフを分析評価する必要がある。キーワードは「可視化」だ。これは簡単なことではない。複雑なシステムの構造とプロセス、ルールを可視化する方法論はまだ完全に確立していないし、可視化の意味はつねに曖昧だ。

オープン性、相互運用性、国際性

タテマエとしては、これらに真っ向から反対する人は少ないだろうが、公共予算に関係することでは「わが国独自の」とか「国内産業強化」といった要求は無視できない。これは価値観の問題で、創造的な解決法を見いだせるかどうかが問われることになる。その際でも、価値観と実現手段を整理して議論しないと容易に感情的な問題にも発展し、質の悪い政治が介入することにもなる。標準化→生産性独自性→創造性の調整は技術に関わるプロジェクトでは避けて通れない。対立するプラットフォームベンダーが強力な影響力を発揮する領域で原則と現実を整合させる解が見つかるようにしないと困るのだ。

技術的課題:ラーニング・アーキテクチャ

大きなシステムを扱うにはアーキテクチャが必要となる。構造、機能、可用性を実現するシステムの寿命と有効性を決定するのはアーキテクチャの出来に依存する。電子教科書にアーキテクチャが必要だろうか。PDFやEPUB形式のドキュメントを出版するのに、そんな面倒なものは必要ないと思われる方も多いだろう。単発の教科書を出すだけなら必要はない。しかしそれではシステムにならない(他と連携できない)。現に電子教科書(教育コンテンツ)に関する国際標準はいくつも存在する。それでも不十分だということで活動は続いている。それらは、コンテンツ、コンテクスト、ユーザー(個人/コミュニティ)を管理する上でのものが中心だが、それらを連携させるためのインタフェースも必要だ。フォーマットやインタフェースに関する仕様を整合させるアーキテクチャは必要で、関係者がその理解を共有するための普及啓蒙活動も必要ということになる。

学習体験を最大化する開かれたデジタルラーニングへ

DiTTは小中学校向け教科書を対象としている。これは「文部科学省」の世界だ。しかし小中学校の上には高等教育や職業教育があり、研究開発やビジネスに必要な社会人のための人材・能力開発の世界が広がる。公教育と私教育、学校と塾等々、教科書出版と商業出版等々、隣接する領域が存在して生態系が成り立っている。一つの島の中で完結させることは不可能であり、それ自体が有効性を損なう。だからデジタル教科書は内容的、機能的にオープンなものでなければならない。教科書は、学校図書館、学習参考書、辞書、副読本などと繋がっている、教科書だけを孤島とするわけにはいかないのだ。

重要なことは、PDFやEPUBはデータ形式にすぎず、内容に関するフォーマットではないことである。意味的な一貫性がなければコンテンツの連携は不可能に近い。電子カルテから決算書まで、今日のシステムが直面するフォーマットの問題の多くは、意味的相互運用性の問題であって、それが無駄なコストを発生させ政府や企業、納税者や消費者に負担となっていることを忘れてはならない。10年前は問題にもならなかったことが壁となっており、10年前は最大の課題だったものが、1円もかけずに解決することができることは少なくない。

教育に関して今日の世界で問われていることは、たとえば (1) 学習のパーソナル化、(2) コラボレーション、(3) 課題に対する論理的思考と表現力の育成、といったことだが、それはユーザーエクスペリエンスとしての「学習体験」に帰着する。WebとE-Bookが多くの答えを与えることは間違いないし、すでに欧米では多くの取組みがなされている。デジタル教科書はこうした方向性に貢献するものでなければならないと思う。(鎌田、05/28/2010)

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「電子教科書」普及で連携 ソフトバンクやマイクロソフト協議会設立 政策提言へ」 日経新聞、05/27/2010

「『デジタル教科書教材協議会』が7月27日の設立に向けて準備会を開催」、by 羽野 三千世=ITpro、05/27/2010

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