E-Bookベンチャー(1):序

中国やインドを含む多くの国で、E-Bookに関するベンチャーが起業しつつある。また多くのWebサービスが、E-Bookベンチャーを容易にしている。製作と流通における敷居が圧倒的に低いE-Bookビジネスは、“TBTF”(大きすぎて潰せない)ではなく“TSTF”(小さすぎて失敗しようがない)ということが、このビジネスを魅力的なものにしている。規模の大小に関係なく、コンテンツの価値を最大化する方法を見つけさえすればいいのだ。それはたんに自主出版についてだけ言えるわけではない。ここでは可能性の一端をシリーズでご紹介していくことにしたい。まずはイントロから。

20世紀とともに「大企業」全盛時代は終わった

かつて「大きな仕事」をするためには大きな会社にいなければならなかった。意思決定やコミュニケーションの煩雑さなどを割り引いても、メリットは大きかったし、そもそも小さな会社では何もできなかった。大陸を馳せる自動車、大海を渡る巨船、愛用されるラジカセ、信頼されるカメラ…あるいは一流の作家やデザイナーと組んでの仕事、数百万人が読む新聞。だから「優秀な人材」は自然と大企業のもとに集まった。大企業も実質的な「社内ベンチャー」を育み、人材を無駄にすることが少なかった。だからこそ世界第2の経済大国にまでなったということだろう。

バブル崩壊後の最初の「失われた」10年。人々は何かが変わったと感じたが、いつかは元に戻ると信じていた。何よりも大企業は安定しており、中小零細企業が苦しんでいる時も給料の心配はなかった。人々は「大きな仕事」をするためというよりは、雇用の不安なく働くために大企業に集まった。10年が過ぎ、金融市場が活発化し、ITやWebが閉塞を打破することが期待された。しかし「IT企業」が線香花火のように上場した以外、ほとんど何も起きなかった。大企業は、既存のビジネスモデルの範囲内でしかITを使わなかった。日本の大企業の多くは入れ子状に肥大化しきった複合企業であり、21世紀現実に適応するには変えなければならないものが多すぎた。米国式「利益重視」や、戦略なき「選択と集中」、「成果主義」によって「大きな仕事」はさらに減っていった。

21世紀に入り、大企業は「大きな仕事」を開拓するどころか、ますます「小さな仕事」を中小企業から奪っている。下請け仕事も回さなくなった。市場が縮小しあるいは海外で勝てなくなったためである。大企業を頂点とするピラミッド型の生態系はしだいに崩れ、大企業と中小企業が同じ土俵で競争しなければならなくなった。重要なことは、弱肉強食の関係が大企業内部でも進行したことである。親会社が子会社を、子会社が系列を、「上」が「下」を、「正規」が「非正規」を切り捨てる恐怖のゲームが始まってしまった。周知のように、企業社会の「強者」とは、能力のある者ではなく職階的上位者を意味する。

リーダーシップよりボトムアップを有効に機能させてきた日本型組織は。いま最悪の逆スパイラルを描いて崩壊への道を歩んでいる。小を食って大が生き残る関係、大きな企業が「大きな仕事」を放棄する関係は(「リスクをとらないことが最大のリスク」とドラッカーが言う通り)もちろん長く続かない。現在は最後の局面だろう。第2次大戦末期の「特攻」「玉砕」は、勝つためではなく、兵隊や国民を殺して職階上の上位者が「生き残る」ために苦し紛れに考えられた「内向き」のものだった。「大きな仕事」が幻であることがばれてしまえば、組織の紐帯は急速に風化する。

戦後の日本人は「自立」「独立」の重要性を身体で学び、「大きな仕事」を開拓していった。ソニーやホンダはその見本だが、この30年間、われわれはソフトバンクをほぼ例外として「大きな仕事」をなしとげた小企業の例を知らない。これは日本がますます窮屈な国になり、可能性を閉ざしてきたことを示している。そればかりではなく、現在では大きな会社にいても「大きな仕事」ができなくなっている。高度成長以後の数々の失敗体験を経て、会社はリスクを怖れる集団と化しており、あらゆるリスクの芽(つまりアイデア)を摘もうとする。大企業が優秀な社員の創造性を潰し、自らの未来を食い潰しているのを見るのは辛い。

電子出版がビジネスを変え、社会を変える

ではこのまま原爆投下のように「行くところまで行く」しかないのだろうか。筆者はそう考えない。伝統的大企業が優位に立つことができず、社内外の創造性を動員することなしに生きられない電子出版ビジネスこそ、社会の閉塞を打破することができるとさえ考えている。コミュニケーションが変わる時、社会そのものも変わる。グーテンベルク革命のように、出版が社会を変える原動力となるはずである。それは2つの意味においてである。

崩壊しつつある「大企業モデル」に対するオルターナティブ

恐竜が大型化したのと同じように、大企業が巨大化したのには理由があった。脅威に晒されることが減り、環境の変化を巨大な慣性で吸収できるからだ。巨大組織はそれじたいがネットワークであり、機動性を欠き、多くの重複部分を抱えながらも、高度成長的環境や景気循環には有効に適応した。サービス部門であれば、大企業は高い価格で受注し、下請けに外注することで自動的に高い利益を保証された。製造業でも系列に設備や在庫の調整機能を負わせることで、持続可能性は維持されてきた。

しかし、とくに21世紀に入って以降、企業が持つ企画開発力、生産設備、営業組織、事務部門などをその規模に見合った形で発揮することは困難になってきた。垂直統合型の組織を機動的に運用するのは柔軟で機敏な戦略が必要だが、低成長時代にはそのぶんリスクも大きくなる。戦後的企業の代表とも言える富士通の悲劇は、大企業を変えることがどれだけ難しいかを示している。重要な経営的決定は、すべて(血で血を洗う)政治的問題になりかねない。こうして大企業は進化に遅れたことにより、逆走を始めるのだ。短期間に現代経営学の古典となったマイケル・ポーターのバリューチェーン理論の優れた点は、市場の側からみた企業の競争力についての分析的、システム的理解を可能とした点にあるのだが、これは日本の大企業に導入するには困難なものだった。日本のように盲目的に肥大化した複合型の大企業がグローバル化した市場で競争優位の戦略をとりうる可能性は、それこそラクダが針の穴をくぐるより難しい。

電子出版は大企業を必要としない。バリューチェーンにおける主活動/支援活動の多く(場合によってはすべて)をアウトソースし、「ユーザーにとってのコンテンツ(読書体験)の価値を最大化する」ことに集中することができる。製造設備はおろか経験もないアマゾンがKindleで初めてハードウェアに進出したように、バリューチェーンの構成はいくらでも大胆に描ける。零細出版社の立場で考えれば、Web上のSaaS/クラウド・コンピューティングを(従量制で)利用して、先端的な顧客管理、マーケティング、決済システムなどを(創業時には)無視しうるコストで「構築」できるわけだ。中途半端に自社のシステムなど持っていればこうはいかない。E-Book関連のビジネスは、小規模の企業に向いている。「大きな仕事」がローリスクでできるのだ。

新しいビジネスと社会活動の前提となるコミュニケーションを普及

電子出版は、出版を通じてビジネス、教育、研究開発などの実用的なコミュニケーションで読者に直接的価値をもたらす点に(今日最大の)意義がある。有閑身分でない限り、本を読むことの原点は、人生や仕事に役立ち、知識や技能を高めて雇用を増やし給料を上げることであり、具体的成果を実感することで本への需要は高まる。この20年間、日本で縮小を続けたのは本や雑誌の市場だけではなく、自動車も、衣料品も(通信料以外)のほぼすべての市場に共通している。単純に日本人が(相対的にも絶対的にも)貧しくなったのであって、この構造的貧困化の事実を認めない限り、経済の回復はない。出版は経済を先導できるのにしていないのだ。それだけ日本全体が「大企業病」に罹っているということだろう。

電子出版とそれを中心としたビジネスは、最低のコストで(事業者にもユーザーにも)最高の効果をもたらしうる。とくに経済活動、社会活動の前提となるスキルとチームコミュニケーションを高めるのだが、それは商業出版だけでなく、企業出版や教育ビジネスも含めて考えることで実現するだろう。米国の工学系名門大学では、優秀な学生ほど大企業に入らない。「大きな仕事」がしたいからである。大企業も起業経験者を採用する。「大きな仕事」を知っているからである。日本の場合、そうした動きはまず出版の周辺から始まる可能性がある。これから冗談ではないことを示したいと思う。(鎌田、06/28/2010)

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