E-Bookの価格問題 (1) 価格戦略の基本

E-Bookは紙の本と無関係に売れている。紙よりも潜在市場が大きいことは、すでにアマゾンが証明した。ならばその価格は、絶対に「紙に影響を与えない」レベルといった超消極的、退嬰的姿勢ではなく、コンテンツの価値を最大化するという戦略的観点から決定すべき時期に来ている。

はじめに

市場で取引される商品に、価格の「適正」水準を云々するのはおかしな話だが、ここでは出版ビジネスを持続可能なものとする最適水準という意味で使うことにする。E-Bookの価格問題が表面化したのは、ハードカバー/ベストセラー本についてのアマゾンの価格設定(多くは$9.99)に対して、マクミランなどの大手出版社が異を唱えたのが最初だろう。もともと米国では、卸価格(小売価格の半額)で引き取った印刷本の小売価格の設定は書店に任されている。しかし「買取り」が意味をなさないE-Bookでは、小売価格の設定に出版社が「自主権」を持つことは可能であり、アップルが「エージェンシーモデル」を提唱したことが契機となって、それが一種の業界標準となった。

大手出版社の多くはアマゾンの抵抗を押し切って、$9.99ではなく、$12.99を中心的価格として採用した。しかしこれに対する批判は根強い。出版が「知識の普及」という公共的役割を果たしていることから、安いほうがいいという考えもあるだろう。しかし出版社は「儲けすぎ」ているわけではないので、ここは純粋に、消費者が欲しくなり、購入し、満足することによって、出版ビジネスの持続性が保証されるレベルを問題としたい。つまり、10ドルと13ドルは、出版事業にとってそれぞれどういう意味があるのかということだ。10ドルの設定でも、13ドルの場合に比べて3割以上多く売れるならば、出版社にとっても著者にとっても(もちろん小売にとっても)多くの収益が得られる。多くの読者を獲得したことで、将来につながるということもある。

E-Book以前はどうだったのか:硬直した価格が市場の機能を制約

商業出版社にとっての「適正価格」とは、最大の利益を確保できるレベルということになるだろうが、モデルを使ったシミュレーションを行っているという話はあまり聞かない。「利益」といっても簡単に定義できるものではなく、

  • 期間(短期/中期/長期)の設定
  • 顧客(読者ベース)との関係
  • 著者との関係
  • ライバル(市場シェア)との関係

などの予測困難な要因を組合せて判断するしかない。これはブランド戦略を含む経営判断の問題にもなるから簡単な公式などあるわけはない。印刷本の時代にはほとんど「勘定」よりは「勘」、一般的には「慣例」で決められてきた。しかし、価格の意味は、日本と米国で大きく異なる。米国では書店がまず卸値(通常半額)で買取り、彼らが設定した店頭価格で消費者が購入の可否を選択する。出版社は書店というプロのバイヤーに買い取ってもらうために、事前のマーケティングを行う。当然のことながら、情報が少なければ仕入れてくれないからだ。

日本では「返本」というシステムがあるので、逆に出版社にとっては短期間の「一発勝負」が強いられる。本の事前マーケティングは、他の商品と比べると圧倒的に少ない。書店側は乏しい情報から売れそうもないと判断すると、すぐに返品してしまう。わずか数日で返本されることもめずらしくない。多くの本が消費者の目に触れることもなく、廃棄されていく。コンビニの売れ残り弁当のようなものだが、ここで批判をするつもりもない。E-Bookでは気にしなくてもよくなる「返本」というシステムが出版社の価格決定を硬直させてきたことを指摘しておきたいだけだ。

わが出版業界には、マーケティングや価格決定に詳しい人はまずいない。もっとも出版業界に限ったことではなく、大学教育でも、企業でもさほど重視されていないので、米国とでは情報量に圧倒的な差がある。右の図は、オーソドックスな価格決定モデルを示したものだが、内部経済と消費者の振舞い、競争環境の3つの要素が織りなすダイナミックな関係として価格が決まることを表現している。Web/E-Bookでの価格がおもしろいのは、すぐに結果をウォッチでき、リカバリーを含めたマーケティングによって出版社のコントロールが可能なことだと思う。

E-Book以後どうなるか:データへの機敏な反応が成否を分ける

E-Bookは一般的に以下のような特徴を持っている。

  1. 在庫/流通コストを気にすることなく長期間の販売が可能
  2. 重版、改訂新版のコストが最小化できる
  3. 価格の改訂はオンラインで可能となる
  4. プレミアやバルクディスカウントの設定が自由に行える
  5. 販売に関われば購買者のフォローアップがリアルタイムで可能となる

日本の場合は、価格の持つ意味は米国以上に大きい。印刷本の場合には取次会社の金融機能の中で重要な意味を持っているからだ。しかし、E-Bookに関して、たとえ「定価」が厳守されたとしても、印刷本と同様の扱いがされることはないだろう。売上の精算に数ヵ月を要することはないし、出版社は仮払いではなく、実際の売上金額のみを受け取ることになるからだ。つまり「価格×販売数量」の数字を可能な限り高い頻度でフォローすることが意味を持つようになる。

印刷版の存在を意識せず、純粋にE-Bookのみを考えるならば、出版社はデザイン・編集とオーサリングに要する実コストと一般管理費をカバーした上で売上利益を最大化すると思われる価格設定を自由に行うことができる。また、単発ではなく、テーマやカテゴリー、あるいは著者を中心にしたシリーズとして考えて、初回を無料/割引価格で提供したり、1冊買えば別の1冊を無料で買える、といったプレミアムを設定することもできる。アプリケーションの世界では一般的な「試用」や「乗換」も広がるだろう。出版社は、毎日販売データを眺めながらマーケティングを考える専門職を置く必要がある。

しかし、価格に関する戦略・戦術を柔軟に行えるようにするためには、出版社が販売データにアクセスすることが必須の条件となる。オンライン書店からの売上精算の頻度よりも、ブログやTwitterを含むWeb上での本の情報と販売データ(分析可能な顧客のプロファイル)との相関から得られるインテリジェンスに迅速に対応できるかどうかが、出版社にとっての売上 and/or 利益を最大化する機会利益を左右するからである。それができるかどうかは、出版社の持続可能性を決定するだろう。マーケティングに利用可能な顧客情報を制する者が出版を制することになる。

印刷本/E-Book共存時代の価格設定

アマゾンは7月、今年前半のE-Bookの販売点数がハードカバー本を上回ったと発表した。言うまでもなく、世界最大の書店でデジタルが印刷本を圧倒したという事実は、iPadで数百万の(大部分無料の)E-Bookがダウンロードされたということよりはるかに重い。アマゾンに関する限り、E-Bookの低価格は、市場開拓という観点からだけではなく、全体としての売上・利益からみてプラスであり、ハードカバーの売上が伸びていることから見ても、カニバリズム(共食い)は起きていないか、検知できないレベルであるといえる。アマゾンはKindleの値下げ($259→189)以降、デバイスの販売が3倍に急増したとしている。iPadの影響で直近の水準が落ちていた可能性もあるが、デバイスの増加がコンテンツ販売の増加に貢献していることは間違いない。将来的にはジレットの安全剃刀のようなモデルとなるのだろう。

では、出版社にとっての10ドルと13ドルという価格はどう考えたらよいのだろう。出版社が気にしているのは、E-Bookよりも印刷本への影響だ。アマゾンは、以下のような理由から、E-Bookは印刷本より安くしないとメリットが少ないとみている。

  • 所有権ではなく利用権を特定個人に対して販売したものであること
  • 印刷本のような物理的実体としての価値をもたず、利用も制限されること
  • ユーザーが購入したデバイスによって初めて読めるものであること
  • 提供者側のコスト負担が、印刷本に比べて基本的に少ないこと

筆者も同感であり、これを覆すには印刷本の販売に負の影響を与え、トータルでの売上・利益にも貢献しないという証明が必要であると考えている。E-Bookは印刷本のような価値を持たないが故に、安くて当然なのだ。

13ドルで10,000コピーの販売は、10ドルで13,000コピーの販売に相当する。10万人の潜在市場があったとして、3ドルの価格差に敏感な層が80%ならば2万で頭を打ち、10ドルで26,000コピー以上販売したほうが出版社にもメリットになる。印刷本のほうはもともと(上述した事情で販売側が3ドルを負担して)10ドルで売られているので、影響があるとは考えられない。仮に印刷本が13ドルでも、3ドル安い電子版が13ドルの印刷本より得だと考える消費者は、E-Readerを保有する層(多くの本を保有し、読む層)に限られるだろう。もともとベストセラー本は、あまり本を読まない人でも購入するが故にベストセラーなのであり、よほどE-Readerが一般化しないと影響などあるはずもないからだ。

ではベストセラー本以外はどうか。こちらははるかに難しい。公的補助を減らされた専門書の価格はかなり高く、それはE-Bookでもあまり変わらない。刷り部数が少ない専門書の場合は、

  1. 印刷/デジタル共存版
  2. E-Book版
  3. E-Book/オンデマンド印刷版

の3つについて価格が設定されることになるだろう。専門書は長く読まれる可能性が高い。必要とする専門家(一般的に高収入で経費が使える)は価格が高くても購入するが、初学者は敬遠するから、後者を無視すればしだいに市場は荒廃し、砂漠化が進む。これは筆者がITの世界で目にしている現実だ。日本の「専門家」は、読む本が少なく、知識が少なく、能力も低い、ということにもなる。これは日本の国際競争力にもすでに影響を与えている。専門出版社に任せておいていいこととも思われないが、出版社としても出来ることはあるだろう。プロフェッショナルのライフサイクルと付き合い、彼らの知識とスキル、パフォーマンスを高めるための支援を提供することだ。スポンサーを募って「奨学プログラム」を単独あるいは共同でやるのもいいだろう。学生時代に本を読む習慣をつけさせておかないと、その後のライフサイクル市場は貧しいものとなるからだ。IT専門書のオライリーなどは、そうした市場開拓を積極的に行っている。

E-Bookは、価格という面でも出版社に多くの可能性を与える。3ドルの価格差が、時に大きな意味を持つだろう。それは、たとえば新人作家のデビュー作で問題になる。次回は、米国での最近の事例と議論をご紹介してみたい。(07/22/2010)

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