iPadやKindleのメガストアに「コンテンツ」を提供することが電子出版はではない。電子データとなったコンテンツを可能な限り個性化・個別化することによって、読者にとっての価値を最大化することこそ、電子化の意味がある。デバイスの価格が、数10冊の印刷本ではなく、たかだか数冊の印刷本の価格になれば、質的な変化が生まれる。本の生産・流通・小売のそれぞれにおいて、アップルでもアマゾンでもない道が拓けてくる。
iPad対Kindleの虚妄
著者エージェントが「デジタル出版者」となって著者の本をアマゾンKindleに独占供給するというニュースは、市場におけるアマゾン (Kindle Books)の相変わらずの強さとともに、欧米の出版界に重苦しい衝撃を与えた。それは、iPadの(少なくともガジェットビジネスとしての)圧倒的成功によって、メディアや投資業界の関心がiPadに傾斜したことで、この巨人の影が一時的に薄れていたたことによる。
アマゾンという会社は、利益よりシェアを目ざすことで一貫しているので、投資アナリストの評価(投資判断)はどうしても実体以上に低くなる。それに、同じように<クラウド=デバイス>をプラットフォームとしていても、アップルとアマゾンは本質的に異なる。デバイスを前面に出したアップルに対して、自社デバイスも売るアマゾンというふうに、アプローチが違うのだ。アップルにとってはデバイスの成功がビジネスモデルの前提であるのに対し、Kindleリーダがアマゾンにとって持つ意味は、製販一体であることによる市場のコントロールと情報管理ということである。アマゾンはiPadもSony Readerも売っている。非Kindle購買層のプロファイルも把握している。アップルとアマゾンが競合するのは10%以下といったところだろう。
メディアが「iPad対Kindle」を喧伝した結果、iPadは出版業界にとって特別なイメージを持つようになった。アマゾンの圧迫、Webの無料情報の氾濫から書籍・雑誌・新聞業界を救う“白馬の騎士”としてのイメージである。アップルがこの有利状況を利用しないはずはなく、ジョブズ氏は解放軍の司令官、あるいは凱旋将軍のように迎えられた。iPadは空前のヒットとなり、その勢いはiPhone 4が「アンテナゲート」で躓くまで続いた。いくら売れたからといって、汎用のガジェットがE-Readerの主役になるかどうかはまったく別の問題であるにもかかわらず、メディアとウォール街は躊躇なくアマゾンの評価を引き下げた。両方のデバイスを試した多くの読書家が、「30分以上本を読むならKindle」「本を買うのはアマゾン」と回答しているにもかかわらず、である。
少し頭を冷やしてみれば、iPadは馬鹿売れしたものの、出版業界の期待に反し、300万ユーザーのうち、本や本のアプリを買ったのはさほど多くなかった。ダウンロードの多くは無料のものだった。そしてKindle Storeで買ったユーザーも少なくなかった。「iPad対Kindle」という騒ぎで、アップルは大いに儲けたが、アマゾンにも(株価は別として)影響はなかった。そして出版業界はもはや後戻りのできないところまでデジタル化していた。今年の初めに、米国のブログ界ではiPadが「トロイの木馬」だという見方が広がったが、まさしくその通りで、城門は開け放たれたわけである。必ずしも悪い話ではないが、iPad騒動で見せた出版業界のあまりのナイーブさは、今後も尾を曳くものと思われる。
第3の道:E-Bookをモノ(個体)に回帰させる
E-Readerとして、軽量・低価格の6インチE-InkデバイスはカラーLCDより優る。本を読む人は本が読みたいのであって、ガジェットを眺めて楽しみたいのではない。これは両立困難ともいえる。このスタンダードなE-Inkデバイスは年内にも100ドルを切り、それによってこれがタブレットとは異なる、紙の本と同じく持ち運びに適した「読書専用電子ペーパー」であることを明確にするだろう。
これはアマゾンやB&Nのような巨大オンライン書店の最終的勝利を意味するだろうか。それはまったくないと考える。アマゾンはどの道、負けることはない。薄利多売のロングテイル・マーケティングのための史上最強の<ソフトウェア・プラットフォーム>を構築した。ジャガーノートのように前進あるのみだ。iBookStoreが脅威となるにはまだ数年はかかるだろうし、それにアップルはこのeコマースの怪物を相手とするよりも広告ビジネスを重視し、メディアを系列下に置く戦略をとるだろう。「白馬の騎士」がメディアビジネスにとっての「蒼白き馬の騎士」になるとすれば、皮肉というしかない。
日本ではKindleがまだ見えないが、いずれ日本語コンテンツを持って登場するだろう。しかし、米国と同じモデルで成功するには余計な時間がかかる可能性が強い。大手出版社は独自フォーマット(XMDF)の「パブリ」で対抗しようとしているが、開発者であるシャープ以外の誰も手をあげないのが気になる。最大手のKindleにとってさえ、AZWがDRMとしての意味しか持っていないように、フォーマットには何の神秘的な力もない。業界にとっての重荷となるだけだろう。
出版社はハードウェア/ソフトウェア・プラットフォームについて独自の考え方を持つことができるし、またすべきだろう。フォントやコンテンツに合った文字組み、メタデータやナビゲーションなど、読書にとって本質的な技術の開発に、それぞれが取組む必要がある。それには大きな意味がある。
Kindleタイプの6インチリーダは、年内に100ドルを切る(原価は50ドル程度だろう)。それによって別のビジネスモデルが発展する。例えば日本の「電子辞書」のように、特定コンテンツと組合せ、文庫/新書リーダーや出版社のシリーズ専用リーダとして販売しやすくなる。これは現実的な話だ。「夏目漱石全集」を“専用”リーダとセットで企画するのは、文庫版や豪華版で企画するよりははるかにリスクが少ない。もちろん、リーダは特別仕様で、専用のデザイン、文字フォントや組版もベストの組合せとし、朗読や挿画、資料など付録的なものを含めて「決定版」と謳うこともできる。旅行会社/出版社はガイドブックや地図、会話帳を組込んで、LCDのポケット版ガイドを出すだろう。
もちろん、メーカーはユーザーが自由にカスタマイズできるデバイスを開発・提供することができる。ユーザーは読むコンテンツの種類やシチュエーションに応じて、数種類のデバイスから気に入ったものを選んで使う。重要なことは、コンテンツがデバイスを売るために相乗りさせてもらうのではなく、印刷製本され、モノとして完成された本のように、コンテンツを読む「専用のデバイス」を開発・提供するということだ。コミュニケーションの手段として、出版には付加価値の開発余地が無限に存在する。iPadやKindleしか見えないのではプロとはいえない。(鎌田、07/24/2010)
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