社会システムとしての出版のリエンジニアリング

出版は一産業である以上に社会システムの一部であり、近代社会が生まれて以来、知識コミュニケーションの要となってきた。産業的・技術的基盤の歴史的移行に伴う大混乱の中で貴重な価値を失わないためには、社会システムとしての出版を意識的・能動的に設計する工学的アプローチが必要だと思われる。出版と本を知識コミュニケーションのシステムとして可視化することを通じて、いまなすべきことを考えてみたい。

古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。ありとしある人は皆浮雲の思ひをなせり。もとよりこの所にをるものは、地を失ひて愁ふ。(方丈記

出版の機能と価値を継承・発展させること

本フォーラムの構想に着手したのは去年の夏だったので、E-Bookというテーマについて、体系的な検討を始めてから1年あまりになります。当初は本を書くことを考えていたのですが、技術も市場もダイナミックに動く中では、本という構造と形式が最適とは思えず、まずはこの(グーテンベルク以来となるコミュニケーションの革命という)巨大な問題を観測するための複数の視座を設定し、議論を興すことに力を入れようと考えたわけです。あらゆるトピックに注目していますが、それ以上に「なぜいま出版か?」「デジタル時代の出版とは何か?」ということについて地に足をつけた議論を始めようという、とりあえずの目論見は予想以上に成功したと考えています。

これらの問いに答えるためには、次のようなトピックについて検討し、総合する必要があるでしょう。たとえば、この20年ほどの出版にとって最大の問題であると考えられる、以下のようなマクロな問題です。

  • 出版の社会的機能とは何で、いかにして継承・発展できるか?
  • アプリケーションとしてのE-Bookの可能性と価値はどのようなものか?
  • 出版とインターネットはどのように協調(融合)すべきか?
  • 次世代の出版エコシステムは、どのようにデザインすべきか?

これらはどこにも答が書かれていないどころか、「電子書籍ブーム」の中でもあまり話題にされることはないわけですが、われわれは(勝ち馬は誰かという意味での)プラットフォームやガジェットなどの話題よりはるかに重要だと考えています。なぜかといえば、出版の再構築こそ、一つ(あるいは複数)の産業(とそこに関係している組織や個人)の運命を超え、最悪のタイミングでこの歴史的転換期を迎えた日本の運命とも不可分であると思われるからです。出版はたんなる産業というよりは「近代」社会の生みの親であり、出版を中心とした知識情報のコミュニケーションの機能と品質は、社会的な問題を解決し前進させていく上で決定的な役割を果たします。

消費者にとって、E-Bookとはさしあたって「読書体験」における選択肢の拡大であり、価格や利便性という価値の増大があればよいわけですから、あとはどんな製品やサービスが出てビジネスが展開されるのかが注目でしょう。しかし、ニュースが多い割には、いまだに新刊書や既刊書、絶版本が2万円未満の専用リーダで読めるという、ごく当たり前なことも実現していません。問題は頑迷固陋で既得権益と特権意識に凝り固まった出版業界ではないか、という考え方もあります。衰退産業は市場から退場すべし、という勇ましい人もいそうですが、根本的な変化に対して不安を持つのはどの業界も同じです。見通しもない状態で抜本的な業務システムの抜本的な変革など出来るわけもありません。

旧い日本的エコシステムは、タテマエと実体の乖離が著しいのですが、つまるところ多くの「公然の秘密」や「公認された嘘」があり、これらの扱いが新しい制度設計を難しくしているばかりか、議論を忌避してきた悪しき慣習のために、必要なコンセンサスの形成のための(冷静な)議論が行われない状態が続いています。デジタル化の影響は根本的なものなので、出版と新聞・放送・音楽・映像・広告・通信・ITなどメディア関連産業との境界も相対化されているにもかかわらず、最も深刻な影響を受ける「マスメディア」企業が過去の「虚構」から自由でないために、情報統制さえ続いています。『週刊ダイヤモンド』出版特集中止事件は、最近のこの国の特徴となった「思考停止」の反映でしかありません。ジャーナリズムのタテマエと業界の団結…。

こうしたものを悪と断じて、改革のために戦いを挑みたい衝動に駆られることもありますが、残念ながら、新旧交替、破邪顕正といった単純な発想で「解決」できる問題ではないと思います。歴史を経た慣行には両面があり、一見不合理なものでも一定の合理性や価値を持っています。それは談合でも再販制でも同じです。

グーテンベルクの可動活字は、たしかに知識を解放しましたが、宗教戦争に油を注ぎドイツは文化的にも経済的にも疲弊してしまいました。多くの人が印刷は免罪符で十分だったと考えたかもしれません。19世紀には膨大な印刷物が溢れましたが、ゴミのような情報をコントロールする方法を市民社会が学ぶには数世代が必要でした。インターネットはさらに経済性という壁を壊し、巨大な混沌とある程度の希望をもたらしましたが、社会のために制御する方法はまだつかめていません。例えば、米国における新聞の品質は、一見無関係な地域求人広告の独占という財源によって支えられていました。後者が崩壊したことで「ジャーナリズム」という社会的価値は危機に瀕していますが、この複雑微妙なシステムを再構築できる可能性は、心細いことにまだ見つかっていないのです。

問題は、日本の文化を再生産してきた産業的エコシステム、正負の性質を併存させながら続いてきた旧システムが根こそぎ崩壊の危機に瀕していることで、出版を例とすれば、「2兆円産業」が1兆円を切れば深刻な危機となります。出版社や印刷会社、書店で多くの雇用が失われ、それとともに出版のバリューチェーンにおける「品質」を支えてきたプロフェッショナリズム(職業倫理と技能、経験)が少なからず失われることになるでしょう。出版産業を志望する若者は激減します。すでに多くの伝統ある雑誌が「休刊」し、特定テーマに関する視点や価値を共有するためのコミュニケーションのノードの継承性が失われています。由緒ある寺社を支える人々の縁が失われ、荒廃していくさまをみているようです。それらは“市場メカニズム”や“ネット民主主義”などで自動的に代替されるものでは絶対にありません。

社会システムとしての出版を意識的・能動的に設計する

多くの人が、出版の意義を(空気のように)過小評価しています。出版の意義は(言及されることの多い)文化だけではありません。教育や研究開発、企業活動、政策、法律など、およそ知識情報を扱うあらゆる(国内的・国際的)社会活動を結びつける出版は、知識情報の連関におけるハブであるということにおいて重要なのです。あらゆる分野の旧の知識は、出版というメカニズムによって発見され、共有され、評価され、継承されています。出版はそのためのバーチャルなシステムとともに存在しており、しかもそれは高価な紙と印刷・製本による出版を前提としてきました。多くの関係者が懸念するように、情報の複製・伝達における価格崩壊と氾濫は、とりあえず知識の貧困化デフレと結びつく(つまりミネルヴァの梟は黄昏まで出てこない)というのが歴史の示すところです。

出版は社会という複雑なシステムの中で重要な役割を果たしており、それはますます「ソフト化」が進む世界においては、国際競争力の重要な部分をなすものです。われわれは日本の出版の再建なくして日本の産業的・社会的再生はない、とさえ考えています。複雑なシステムにはシステム工学的アプローチが有効であり必要です。航空輸送というものが、航空機だけでなく、空港や整備・補給、航空管制、要員教育、航空機産業など、関連するシステム(の協調)によって成立しているように、E-Bookは出版という複雑なシステムの中で意識的・能動的に構想・設計すべきものです。「コンテンツ」や「プラットフォーム」に矮小化すれば、当面のビジネスには有効であったとしても、たいていの場合は「中抜き」されてしまうのがオチだと思います。参入は容易だが守りにくいインターネットでは、中途半端なビジネスモデルは浮雲のようにはかないのです。

筆者は、最近まで複雑なシステムの工学(デザインと実証、構築、運用の最適化)にソフトウェア・モデルを適用するシステム工学手法に関心を持っていました。これをビジネスにする見通しがつかなかったので現在は事実上休止していますが、E-Bookを約1年考えてみて、これこそシステム工学手法を使うべきテーマではないかと痛感しています。つまり、知識情報の交通システムとして、デジタル時代の出版をリデザインする必要があるということです。交通は道路や鉄道、航空、船舶にまたがり、監督官庁や各種利権・利害調整も複雑多岐にわたっていて、どんな技術やサービスも政治に埋没するところが出版とよく似ていますが、金額も関係者もあまりに多い交通に比べれば、出版はデジタル化の影響が避けがたく根本的である分、まだしも容易であるように思えます。

本フォーラムとしては、

  • 知識情報のハブとしての(広義の)出版をデジタル時代に対応する形でリデザイン(つまり要求の体系化と機能設計、実証)し、社会的合意を形成する。
  • 出版の社会的機能とその技術的前提を再定義し、それが発展的に機能するエコシステムを設計・構築・運用する方法を提案する。

ことを目ざしていきたいと思います。具体的には、

  • 短期的に2兆円の規模を維持し、長期的には飛躍させること
  • 出版を通じたコミュニケーションの量と質を飛躍的に高めること
  • ユーザーにとっての出版物の価値を最大化すること
  • 過去の出版資産をE-Bookによって活性化させること
  • 新しい出版のプロフェッショナリズムを定義し普及すること

などがこの超「システム」への要件となるでしょう。エコシステムは、一定の規模と多様性がないと維持困難になり、崩壊してしまいます。一度失われたもの(多様性を再生産してきた均衡)は再生できず、完全に消滅することすらあります。高度な古代文明が今日、遺跡とともに残している「謎」は、失われた知識情報の複雑・精妙さと継承の難しさを物語っています。われわれはイノベーションに期待し、実現に努力もしますが、それは価値あるものを守り、継承・発展させるものでなくてはならず、工学的に設計、実証、構築、運用されない限り、実現することはありません。

出版(コンテンツとメディア)の電子化により、出版を構成してきた三者のバランスは崩壊し、制作・流通・販売は機能的に統合することが「可能」になりました。著者と読者を除いたすべてが「中抜き」の脅威に晒されているなかで、コスト構造と知的権威の安定性に支えられた旧秩序は命数が尽きました。恐竜の支配は終わるでしょう。だからといって隕石の衝突を祝福するのは馬鹿げています。勝者がすべてを取るようなこれまでのインターネット的秩序を「革命」と呼んで欣喜雀躍するには、筆者は年を取りすぎました。価値あるものを守りながら知的コミュニケーションを進化させるという歴史的課題をすべてに優先させたいと考えています。

さて、長くなりましたが、本稿のポイントは、出版は知識コミュニケーションのシステムの要であり、社会という超システムのなかで存在してきたこと。デジタル化はその再構築を不可避にしているが、社会にとって価値ある役割を維持・発展させるには、超システムの一部としての出版の機能を可視化し、設計、実証、構築、運用する工学的な作業が必要であるということです。その場合の「価値」と、それに対応する「役割」はどのようなものかについて、これから明らかにしていきたいと思います。なるべく多くの方に発言いただけますよう願っております。(鎌田、09/01/2010)

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