どうも日本の勘違いの最たるものはiPad狂想曲に集約されているようだ。幻惑されるのも無理はないが、やはりまず普通の本を読むためのものをさっさと出すべきだった。安ければ、コンテンツなど青空文庫で十分で、あとはPDFやePUBの自主出版物、自炊物が増えるだけでも文化的・社会的なイベントになったと思われる。それもこれも、読書家や書店、プロの編集者など出版市場の主役たちを無視してコトを運んだバチが当たったのだと言えないこともない。2011年からは出版社以外のチャレンジが始まるだろう。創造的な競争を期待したい。
道具は使いようで使えない
勘違いその4:道徳主義で出版社を泣かせたiPad
日本の元年を一身に背負ったiPadでしたが、何度も強調しているように、これはメディア・タブレットで「読書端末」ではありません。この勘違いは、かなり市場へのダメージが大きかったと思います。通常の読書には過剰、アプリ型のコンテンツはまだ過少、というわけで、これも不発に終わりました。なんでKindleのように読書家になじみやすい「王道」をいかなかったか。おそらくすぐに対応できてケータイでの実績もあるコンテンツ(マンガとアダルト)を優先したためと思われます。出版社の経営者はどうも「活字文化」など本気で信じてはいないようです。
それに対して、アップルの道徳主義は日本の出版社の想像を超えるものでした。出版社が売りたい本を拒否されるという事態は、アップルとiPadを理解していたら避けられたと思いますが、iPadはコンテンツ市場を峻別する特別なメディア・タブレットであり、日本の得意とする「マンガとアダルト」には向かないのです。おそらくそうしたコンテンツは「リベラル」で安価なAndroid系タブレットやスマートフォンに多く見られるようになるでしょう。しかし、ケータイの様な成功が期待できるかどうかは疑問です。「アップル禁制コンテンツ」が売りになれば別ですが。
勘違いその5:「羹に懲り」たメーカーのカラー至上
パナソニックとソニーは、それぞれ4年前にE-Readerを出しましたが、配信プラットフォームまでは考えが及ばず、また出版社の積極的協力も得られずに頓挫しました。明らかに戦略・戦術の問題ですが、日本では経営の失敗を認めることがないので、かえって問題が複雑化します。モノづくり神話の強いメーカーでは、これを製品としての魅力に欠けたと総括し、「カラーでなければダメ」としてしまいました。これだと辛うじて開発を継続できるからそうしたのでしょうが、白黒電子ペーパー製品がいくら安くなろうが、世界でいくら売れようが、現実に目をつぶって、普通の人が普通の本を普通に読むのに一番自然なデバイスの供給をボイコットし続けたわけで、経済合理性を無視していました。ようやく年末にソニーから登場しましたが、Wi-Fiも3Gもない「PC周辺機器」では「ブックフレーム」にしかなりません。
E-Bookビジネスは、消費者までの合理的なバリューチェーンを描けないと成立しません。Kindleのような(膨大な顧客情報を前提とした)シンプルな製品でないとすれば、さらにその上にユーザーと開発者の支持を得る必要があります。製品としての魅力ももちろん必要ですが、市場に最適なサービスを設計できなければ、よい製品をつくっても浮かばれないのです。理想的なカラー電子ペーパーでも、デュアルモードでも、それは変わりません。まあ市場よりイデオロギーを重視する大メーカーにとって、これは価値観の問題かもしれません。ならばもっと身軽な企業が、ハードを捨ててデザインとアイデアで勝負したらどうでしょう。米国のKnoやウクライナのPocketBook、フランスのBookeenのように。出版社や書店でも、自社ブランドで特別仕様(ブラウザとフォント)のデバイスを出すことが出来ます。
デジタル出版はメディア産業の戦略的要衝
勘違いその6:出版市場ゼロサム論
2010年に米国出版界は、E-Bookが出版市場に対して与える影響がマイナス(せいぜいゼロ)と考えるのは錯覚で、むしろデジタルが出版市場の拡大を牽引する、というコンセンサスを得ました。日本ではまだ信じられていません。日本の書籍市場は1兆円を割って減り続けていますがこれは比較的なだらかで、米国と同じ。雑誌(広告)とマンガ、写真に依存してきた部分は、Webの影響を受けて加速度的に縮小しています。Webの強さは、すべてのメディアを吸収する力ですが、その中で「本」は、不思議なほどにその吸収力を免れています。たぶん情報の構造体としての堅固さのためでしょう。別途検討が必要ですが、本にはインターネットに対する免疫力があり、それを使うことができる強さがある、と筆者は考えています。あと5年もすれば、2兆円市場の半分強を占める雑誌とマンガが3分の1ほどになり、その機能は大部分、Webメディアが代替するようになるでしょう。出版社は本でやっていく以外にありません。そしてデジタルな本の潜在力に賭けるしかないと思います。
本の市場は、消費者の知識欲、好奇心、向上心、探究心といった(内的世界の拡張という意味で)外向きな心情に比例して拡大します。それは「刺激」に依存します。出版社は、カタログやサンプル、著者や出版物のページを使って、きわめて安価に需要を喚起することができます。また、NPOや公的機関が、著作権切れ、パブリックドメインのコンテンツを無料で提供することも大いに刺激になるでしょう。米国のE-Book市場は、膨大な無料コンテンツによって支えられている面が大きいと思います。とくに活字文化の基本となる古典は、知識のネットワークにおけるノードであり、それを共有することで多くの書籍に広がるからです。また、本がデジタルであるということは、他のあらゆるメディアコンテンツと強い繋がりを持ち、それらを吸収できることを意味しています。E-Bookはコンテンツにおいてもビジネスモデルにおいても最も可能性に富んだメディアです。
勘違いその7:出版社は永遠と考えるめでたさよ
作家の村上 龍と瀬戸内寂聴氏による出版社の立上げは、重大な意味を持っていると考えますが、多くの出版関係者は、ことさら過小評価したがっているようです。どうも、出版社のビジネスというものが将来ともに変わりっこないと確信し、今年何も起きなかったことをその例証とみているふしがあります。しかし村上氏は、まずE-Bookの製作において出版社がプロデュース能力、製作能力を欠いていることを問題にしています。看板ではなく中身(サービス)が問われているわけです。
それに、例外的存在である有名作家がやったことを例外と見ることは簡単ですが、むしろ有名作家でさえ…と考えることもできます。有名作家にとって、出版社の看板はさして重要ではありません。高度なデジタル編集能力とマーケティング能力、読者との間の仲介能力がないならば、少なくともE-Bookについて既存の出版社を頼る(使う)必要はないでしょう。無名の著者はさらに分かりやすい。彼らは「有名」にならない限り、出版社が振り向いてくれる可能性が低いことを知っています。印刷書籍の場合には、それでも出版社の看板は重要だし、編集者のレベルも重要でした。しかしデジタルでは出版社より有力な作家やブロガーの推薦のほうが重たいかもしれない。
おそらく自著を世に出したい人は、自主出版であれデジタル出版社であれ、まずE-Bookで試してみようと考えるでしょう。書店に並ぶ本にはなお魅力があります。でも中身を腐らせておくよりは、E-Bookで内容を世に問う(うまくいけばいくらかの収入を得る)ほうがいいと考える人は増えてくるでしょう。すると、新鮮なものはE-Bookで流れ、出版社は売れることが実証されたものだけ扱う、ということが成立つでしょうか。すでに出版社の社会的機能は終わったと考えるのではないでしょうか。社会が存在する限り、出版は永遠であり「出版者」も永遠でしょう。でも個々の「出版社」は永遠ではありません。著者や読者、社会に対して提供できる価値が減れば、その「地位」を保証するものはないでしょう。デジタルに真剣に取組み、編集とマーケティングのスキルを高め、結果を出せないと生き残れないのです。そうした意味で、黒船の「日本迂回」で安心するようでは、死に至る勘違いというしかない。
以上、幻の「元年」における勘違いの諸相を振り返ってきましたが、多くの人がすでに欧米の先進的企業と問題意識を共有するようになったことが、2010年の最大の収穫であったと思います。すでにフォーマットについてはePUBを基軸とする方向に、流れは変わってきました。様々な「プラットフォーム」が乱立しましたが、とにかくスタートを切りさえすれば、勘違いを改めて合理的な方向を志向していけると思います。本フォーラムが少しでもお役にたてることを願っています。 ◆ (鎌田、01/04/2010)
- デジタル出版革命仮説:(1)出版とは何か
- デジタル出版革命仮説:(2)フルデジタルの意味
- デジタル出版革命仮説:(3)幻の元年
- デジタル出版革命仮説:(4)7つの勘違い(本記事)
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