無償コンテンツ論 (2):どんなものが、なぜ

われわれは人類史上初めて、膨大な知識をタダで利用できる時代に入った。有償か無償かというのは、著作権=印税の有無だけの話ではない。もともとそれは1割にすぎなかった。それよりも、情報の複製と配布/保存、閲覧に要するコストが限りなくゼロに近くなったが故に、価値と価格の関係が根本的に変化したということが問題なのだ。すでにWebで経験済みのことではあるが、多くの価値ある情報が電子版のみ無償で提供され、読者にとっての選択肢は日々増えている。

よいことばかりではない。出版への意思さえあれば、事実上誰でも出版できるので、価値不明、意図不明の「出版物」が氾濫するからだ。鄧小平氏はかつて「開放は必要だ。だが窓を開ければ蠅も入ってくる。」と喝破した。何が蠅かを見極め、それをどうするかは、個々人が判断する眼を養う必要がある。ともかく、非商業的出版物は、認知や価値評価とは無関係に増えていく。そうした時代には、無償であることは、たんに値札がないという以上の意味を持たなくなるだろう。カオスが生まれるが、好むと好まざるとに関わらず、これが知識情報流通の基本的な形となる。

無償コンテンツにはどんなものがあるか

著作権との関係で言えば、無償コンテンツ(ここではデジタルなものを指す)には次の3つの種類がある(権利に関する詳細には触れない)。

  1. 著作権切れ:古典もあればごみもある20世紀半ばまでの著作物の大半(年々増加)
  2. 著作権あり:欲もあれば善意もある現代の著作物 (copy-right/left)
  3. 著作権なし:権利が発生していないもの(米国政府の著作物の多く。但し日本ではあり)

著作権の有無にかからわず、物理的な本の形にして出版するには必ず一定のコストを要し、それは本の価格の大部分を占めていた。むしろ話は逆で、著作権(copy-right=複製権)は物理的な出版における版の制作者(つまり版元)のリスクに関連して生まれたものである。E-Bookは物理的実体を取り去ることで、本来は「印刷複製」権と同義であった「著作」権を裸に晒した。

もちろん、著作権がこれほどまでに技術的前提と離れてしまった以上、今後10年余りで大きな改革を迫られることになるだろう。それは別の問題だ。われわれはまず事実として、無償の知識が社会の共有基盤となる時代を受け止めなくてはならない。これは一般の読者だけでなく、出版ビジネスの関係者が目を逸らしてはならないことだ。無償があって有償があるのであって、その逆ではもはやない。すでにアマゾンなどの有償のE-Bookのカタログの数倍の無償コンテンツが存在する。幸か不幸か、われわれはこうした時代に向き合わねばならないのである。むしろ有償コンテンツは無償それの海の中にあり、沈まないものだけが出版者の財産になる、というのが現実だ。(→次のページに続く)

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