E-Book再考(7):自主出版の意味とは?

自主出版という側面から出版社不要論を紹介した前回の記事には、予想通り様々なコメントをいただいたが、とくに「編集」と「読者」について指摘したものがあった。有難い。これらについては次回以降に考えさせていただくとして、まず自主出版への誤解と偏見を解いておきたい。自主出版者は、出版社を咎めてはいない。ただ出版社に期待するのは止めようと考えているだけだ。なぜそうなのかも知っている。既存の流通の仕組みが本を出版したい者に著しく不利になっているのがその理由だ。

自主出版は何を問うているか:自由と冒険

自主出版は、もちろん出版社不要論とは直結しない。出版社は(たぶん)永遠だ。ただ、それによって既存出版社のすべてが、厳しく鼎の軽重を問われていることは確かで、これまではリスクテイカーであったため自明とされていた役割、機能、能力のすべてが検証されるということだ。なぜか?―出版は出版社(だけ)に任せておくには大きすぎ、重要すぎ、複雑(単純)すぎる、そしてことによると(アマゾンがそう考えているように)もったいないように思われるからだ。

出版社を経由しない自主出版は、読者を無視・軽視するものではない。著者は著者なりにバーチャルな「読者」を想定しつつ書く。その使命感と志操が出版社より高いか低いかは問えないが、それこそが言論・出版の自由というものだ。かつて「自由」は出版・流通手段にアクセスできる者だけに開かれていた。「自費=自家出版」者にはつねに重い請求書の山が残ったものだった。それが、デジタルによって民主化が実現したのである。「アラブの春」があるなら、自主出版の春があってもいいだろう。筆者は市場も民主主義も高くは評価しないが、新参者を門前払いしない点は、他のシステムよりはましである。デジタル・デモクラシーも同じ。

自主出版は、編集不要論でも、マーケティング不要論でも、デザイン不要論でもない。著者は読書層なので、多くはプロの神経の行き届いた、まともな本の素晴らしさを熟知している。出版社がパートナーになってくれないのなら、あるいは取り分に見合った仕事をしないのなら、著者自身が自分の出版をプロデュースしたほうがいい、というだけの話。“DIYパブリッシング”といわれる所以だ。ものを書く人間は、とにかく本を出したい。たんなる虚栄かもしれないし、彫心鏤骨の仕事を世に問いたいかも知れないし、画期的なアイデアを発表して世間を瞠目させたいのかも知れない。ただ、もっと地味に、特定の読者がいま必要とするものを出したい、という場合のほうが多いだろう。出版の動機を持った著者は山ほどいるはず(筆者もその一人)だ。社会とコミュニケーションを取る動機とテーマ、内容を持っている人々にとって、出版不況は関係ない。

しかし、出版社、出版界にはいろいろ事情があって火の車だ。とても「売れなさそうな」本を出して赤字を積み上げたくない。冒険はご法度。彼らが規範としている、<定価×印刷部数×実売率>が編集・制作・印刷・製本コストを上回ることが保証されるような企画など、予め分かるわけがない。冒険が出来ないと大きな編集者は育たない。小さな(つまり臆病な)編集者、出版社の気持ちはすぐに読者に伝わる。万人向けだったはずの本を誰もが考えると、大半が万人に相手にされなくなる。出版社は自分で自分の首を絞め、出版をつまらなくしているのだ。そして「活字離れ」を嘆く。「世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り」(韓愈・雑説)という箴言を噛み締めるばかり。

デジタル・ファーストが出版・流通のハードルを低くする

出版は儲からない。儲かるのはマンガと雑誌だけ…と言われて久しいが、それらもほとんど儲からなくなった。15年連続で衰退を続け、新刊は文庫と新書ばかりが目立つようになってガラパゴス化が進む。「失われた15年によって、出版社、取次、書店のいずれもが疲弊し、危機へと追いやられ、それが臨界点に達している」という警鐘(小田光雄『出版状況クロニクル』)は、取次制度を神聖化する人々によって無視され、出版社による再構築への取組みには結びついていない。そして出版の縮小、消費者の「本離れ」がさらに進む。出版社は不特定多数のための一般書・入門書を優先し、専門書(つまりプロフェッショナルであれば必ず読むべきもの)やそれに近いものは隅に追いやられている。本を必要としている人の本は、出版されず、また出されてもふつうの本屋には置いていない。

これは出版を志す、あるいはいろんな本をたくさん読みたい消費者にとって困った状況だ。読書家ほど、1990年代、1980年代、あるいはそれ以前に比べ出版の質と量が貧弱になっていることを感じている。本好きは嘆き、諦めて古書店に向かう。そこには普通の本屋にないものがある。入門書などは知識の階梯を登るのを助けるためにある。梯子ばかりで上には何もないでは、何の役にも立たないクズだ(実際に4割近くがクズとして棄てられてもいる)。出版社はこれ以上クズが増えては、と考えている。

自主出版が問題にしているのは、出版社ではなく、本を置けない、売れない、買えない出版流通の仕組みだ。だからこそ、米国ではE-Bookと最も強く結びついていて、燎原の火のごとく広がったのだ。アマゾンは、自主出版者と読者の支持を得ることに成功した。自主出版の最大の障害は、制作コストもさることながら、流通であった。本を配布し、販売し、回収するということがいかに大変か。印刷会社までつくった19世紀の自主出版者、バルザックやスコットは、そのために破産の憂き目を見たり、過労死したりしたほどだ。アマゾンやSmashwordsなどが提供している新しい自主出版の仕組みは、デジタル・ファーストを前提に、E-Bookとオンデマンド印刷(POD)、通販までを含んだ総合的サービスだ。著者=出版者に経済的負担、リスクが生じないシステム。デバイスを選ばずに読める環境があり、ペーパーバックは出版社ではなく消費者の選択で提供される。

出版社が米国の自主出版から学べることは、ざっと以下のようなものだろう。

  1. 出版のリスクはデジタル化によってコンロトール可能になった
  2. つまり、紙を唯一の前提としなければ低リスクで、うまくいけば儲かる
  3. それにはデジタル・ファーストにすることが前提となる
  4. 自主出版は新しいエコシステムの重要な部分を占める
  5. 出版がビジネスになるのは流通においてであり、出版が儲からないのは流通に問題があった

流通のことを部外者が語るとアツくなる業界人が多い。しかし、市場経済の消費者には流通を語る権利がある。業界人にはその妥当性を説明する責任がある。次回は、あえて火中の栗を拾ってみよう。(鎌田、2012-02-12)

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