日本の職人文化は世界から賞賛されてきたものだが、それはアートがあるからだ。それこそテクノロジーの進化の源泉でもある。だが残念ながら職人は仕事でしか語ってくれず、それが分かる繊細さを持った人しか聞くことができない。昔の編集者は、現場で職人と「対話」しつつ出版のアートの理解を深めることが出来た。今日「活字文化」が言われる割には、活版時代の活字と組版を省みる人は多くない。真似をするための技術であるデジタルがそこにあるというのに。(編集子解題)
電子出版史談:(8) 『数理科学』とOld Black Joe
サイエンス社の『数理科学』昭和62年5月号の編集後記。小学館を退社した前後、小学館時代にお仕事をお願いしていた編集プロダクションの編集者が、数理科学の編集にも関わっていた機縁で、この編集後記を紹介してくれた。バックナンバーを一冊いただいたのだが、いつのまにか手元に見当たらなくなってしまった。しかし、この一文は、忘れたくても忘れられない印象をぼくの中に残した。このブログを書き始めて、どうしても紹介したくなり、東京電機大学出版局の浦山さんに頼み込んで、図書館の書庫に潜り込んで探し出してきた。サイエンス社からもご本人からも許可を頂戴していないが、きっとお許しいただけると確信している。ご本人か関係者が目にされたら、ぜひコメント、ご連絡をいただきたい。
末尾の村松さんは、そのころの編集人だった村松武司氏。
編集後記
前号「量子力学と先端技術」の最終の校正刷をみて, 印刷所の校正室を出ようとした. 印刷会社の課長のN さんが椅子から立ちあがってこう言った.
「とうとうこれが最後の活版印刷になりましたね」.不意の言葉だったが,胸にこたえるものを感じる.ながいあいだ,金属で作られた文字である活字の本を読み, それを使って出版し, おかげで食べてきた活版印刷が,前号で終った.
感傷も多少あるが. 思いだせばキリがない. 印刷所の事務室のまんなかに, 大きな机を据えつけ, 活字母型を虫メガネでながめ, いかに美しい書体に改良してゆくか工夫をこらしていた印刷所の親父さん. また兜のような新聞紙の折紙で作った帽子をかぶって, 老眼鏡を鼻の先に下げて,並んで活字箱を突ついていた,まるで鶏舎のニワトリのような文撰工,そして植字工.だいたいが声が大きく,気性が激しく, 真黒に汚れていたが, ひと風呂浴びるとイナセな男衆たちに一変した. 休日にたまたま急ぎの校下があって着流しのまま角帯を巻いて印刷所に立ち寄ったとき,手を叩いて喜んでくれ,正しい角帯の締め方を教えてくれたのは,築地界隈の工場の労働者であった.はにかみやで, 物識りで, 理論家ぞろいの彼ら. ほんとうは, わたしは, 工場の現場の奥まで立ち入るのが怖かった. 印刷と出版のノウハウがそこにあり, わたしたち若かった編集者のそれは, 頭とロ先のものだったのがわかったからだ. わたしたちは印刷をそこで教育された. そして出版とは,印刷そのものであった.
このような職場から作り出された出版物であったが, いま出版・印刷の企業合理化によって, 活版が消え去ろうとしている.なくなることはないであろうが,激減しつつある. このことは, かつての感傷風景が消えるだけではすまないものがあるかもしれぬ, するどい, カミソリが削いだような楷書スタイルをもった金属の活字が, まさに刻印し, 強制してきた文字の意味内容も, 抵抗感も薄らいでゆく. あるいは古い慣れはやがて新しい慣れに変わるという単純なことかもしれない.
いずれにしても変化し, 新しい印刷に移ってゆこうとするとき, かつての懐しい仲問たちにお礼を言わなければならない.ありがとう!Old Black Joe.
(村松)
この編集後記を紹介してくれた編集者から聞いた話を思い出した。
この編集者は、文芸誌の編集にも関わっていた。若いころ、目次を担当した折のこと。文芸誌の目次は、観音開きと言って、折り込みを左右に開いて、都合4ページで構成するのが常道だ。たいていの号は、記事の本数も決まっており、前号通りのパターンで入稿すればそう難しいことはない。ところが、ある号で、記事の本数が増えた。さまざまに組指定を工夫して入稿するのだが、何度入稿しても、「この指定では組めない」と言って突っ返されてくる。編集者は、最後はほとんど泣きそうになりながら「お願いですから何とか納めてください」と書いて、ラフな指定で入稿した。校正刷りは、見事なほどぴったりと従来通りの版面に納まっていた。
そう、このエピソードを聞いたときに、そう言えば、といった感じで、この編集後記を見せてもらったのだった。多分、ぼくはジャストシステムに移っていた。大地の販促に使う組見本が欲しくて、旧知のこの編集者を訪ねたのではなかったか。記憶は定かではない。しかし、この編集後記は、今に至るまで、印刷出版に関わることを考える際に、《現場の知》を忘れないための、貴重な拠り所となっている。
そう言えば、大地のころは、リョービイマジクスの澤田善彦さんにもずいぶんお世話になったし、教えてもいただいたなあ。澤田さんのことは、回を改めてまた。
小林龍生(こばやし たつお)
951 年生まれ。東京大学教養学部科学史科哲学分科卒。 Unicode Consortiumディレクター、IDPF理事、W3C日本語レイアウトTF議長、情報処理学会情報規格調査会SC2専門委員会委員、日本電子出版協会 フェローなどとして、ITと言語文化の接点にあって国際標準化の現場で活躍。小学館では学年誌の編集、ジャストシステムでは製品・技術開発に携わったほ か、初期の電子書籍プロジェクト(電子書籍コンソーシアム)も経験している。主著『ユニコード戦記』(東京電機大学出版局、2011)
English
日本語
951 年生まれ。東京大学教養学部科学史科哲学分科卒。 Unicode Consortiumディレクター、IDPF理事、W3C日本語レイアウトTF議長、情報処理学会情報規格調査会SC2専門委員会委員、日本電子出版協会 フェローなどとして、ITと言語文化の接点にあって国際標準化の現場で活躍。小学館では学年誌の編集、ジャストシステムでは製品・技術開発に携わったほ か、初期の電子書籍プロジェクト(電子書籍コンソーシアム)も経験している。主著『ユニコード戦記』(東京電機大学出版局、2011)








