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	<title>EBook2.0 Forum&#187; Concept Sheet</title>
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		<title>E-Book再考(6)：出版社は何のためにあるのか</title>
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		<pubDate>Fri, 03 Feb 2012 10:45:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[××は何のためにあるか、などという懐疑は、余裕のある時でもないと考えない。まして自分の仕事に直接関係する場合には、忘れていたいテーマだ。多くの人がそうしているし、他人に言われたら怒り出しても不思議ではない。しかしいま、「 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #339966;"><img class="alignleft size-full wp-image-7978" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="authors" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/authors.jpg" alt="" width="98" height="130" />××は何のためにあるか</span>、などという懐疑は、余裕のある時でもないと考えない。まして自分の仕事に直接関係する場合には、忘れていたいテーマだ。多くの人がそうしているし、他人に言われたら怒り出しても不思議ではない。しかしいま、「出版社」は何のためにあるのかという議論は、E-Bookが市場の2割を越えた国ではますます活発になっている。もちろん余裕があるわけではない。自主出版こそ出版の本来の姿であるとすれば、出版社は出版にどう関わればいいのか。<span id="more-7963"></span></p>
<h3>タイタニックからインターネットの海へ</h3>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7971" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="edo_publisher" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/edo_publisher.jpg" alt="" width="107" height="151" />歴史的にみても、出版はそれに関わる人々にとってつねに一大プロジェクトだった。出版社が本屋だった江戸時代の出版活動を描いた『江戸の本屋と本づくり』（橋口候之介著、平凡社）を読むと、現代の物価に換算して、やはり数百万円ものコストがかかるプロジェクトを支えるサプライ・チェーンをめぐる知恵と苦労がよくわかる。リスクを誰が取るか、どうやってバランスさせるかが最大の問題であることは今も同じだ。いやもう過去形かもしれない。リスクという、ビジネスで最も単純で厳粛な要素が、急に流動化を始めているからだ。その結果、著者と読者以外のすべての仕事が存在意義を問われることになった。</p>
<p>日本ではまだ紙が主流なので、出版は全体として装置産業に近く、リスクの重みは変わっていない。この「装置」が老朽化して非効率になり、もはや利益を上げられるシステムではなくなって久しい。リスク回避の機構を組込んだ巨大システム自体がリスクとなるタイタニック状態だ。出版はますます難しくなる。リスクを軽くできる救命ボートであるE-Bookには、しかし手を出したくない。ボートはまだ甲板上にある。誰もが見ているが、こんなものでインターネットの大洋に浮かび、外国の救助船を待つ惨めさは味わいたくない。徐々に傾いてはいても、快適な一等船室からは動きたくないのである。しかし、船はもともと移動(出版)をするためにあったはずで、沈むかどうかに関係なく、機能が果たせなくなることが問題なのだ。不動産などで沈没を免れても、陸に上がった船は船ではない。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7974" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="Titanic2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Titanic2.jpg" alt="" width="284" height="177" />インターネットの海は、出版者か消費者である個人にはリスクではない。タイタニックに付き合う必要もない。ここが21世紀の出版活動の主要な舞台となることは必然だろう。既存メディアが無視しようと、なんと言おうと、インターネットはそのように育ってきた。一等船客にはなれないが、タイタニックの三等船客として閉めこまれるよりは気分がいい。運がよければヨットを買えるチャンスもある。（<span style="color: #ff9900;">→<a href="http://www.ebook2forum.com/2012/02/rethinking-ebook-business-6-whats-the-publishers-are-for/2/">次ページ</a></span>に続く）</p>
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		<title>E-Book再考(5)：本はコモディティか？</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 07:59:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「本はコモディティ(commodity)か？」、あるいは「アマゾン(Kindle)は本をコモディティに変えのたか？」という議論が、米国で活発だ1。要するに、需要に対して代替可能な商品を、最適な価格で提供するアマゾン流マー [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7891" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="books_stack2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/books_stack2.jpg" alt="" width="135" height="135" />「本は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E5%8C%96" target="_blank">コモディティ</a>(commodity)か？」、あるいは「アマゾン(Kindle)は本をコモディティに変えのたか？」という議論が、米国で活発だ<span style="color: #ff0000;"><sup>1</sup><span style="color: #333333;">。</span></span>要するに、需要に対して代替可能な商品を、最適な価格で提供するアマゾン流マーケティングが、出版ビジネスを(完全に)変えてしまったのではないか、という問題提起である。本は一冊一冊違う顔(個性)を持った商品であり、置換え不可能だというのが業界の常識（あるいは信念）だったので、これを認めることは、出版人にとってはショックかもしれない。しかし、われわれは事実の上に出版を再構築しなければならない。<span id="more-7876"></span></p>
<h3>物神性を持たないデジタルコンテンツが本の本質を明らかにした</h3>
<p>問題を提起したのは、ベテラン編集者のリチャード・エイディン氏が<a href="http://americaneditor.wordpress.com/2012/01/09/ebooks-has-amazon-turned-ebooks-into-commodities/" target="_blank">American Editor (01/09)</a>ブログに書いた一文だ。彼も多くの出版人と同様、本は日用品とは違うと長年信じてきた。ディーン・クーンツとスティーブン・キングは、（コークとペプシとは違って）置き換え不可能だと。しかしいまや「E-Bookとエージェンシー価格制、アマゾン独占」によって潮目は一変した、と自らの読書体験をもとに彼は言う。少なくともフィクションに関しては、本と著者は置換え可能な品物となってしまった。ミステリやSFなどのジャンルと著者では、明らかに著者ではなく、ジャンルが優先する。このことは数字が証明している。</p>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7893" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="coke" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/coke.jpg" alt="" width="144" height="110" />E-Bookの定価制の導入で、トム・クランシーの新作E-Bookは一律$14.99で販売されるようになったが、これは自由価格制のハードカバーより高い。しかし、大手以外の出版社や自主出版者との間で、アマゾンは価格破壊（つまり自由競争）を様々な形で進めた。多くのタイトルは$2.99にすることで、消費者が買いやすくし、Prime Lendingという会員無料の貸出サービスも提供している。それによって、廉価コンテンツ、貸出コンテンツの「消費」は大きく伸びた。「コーヒー１杯分のリスク」なので買いやすい。廉価のものを衝動買い、あるいは中毒買いで続けて買う消費者が出版社の上客であることは間違いない。E-Bookでは、数を売ったほうが確実に儲かる。そしてより多くの読者、より多くの収入を求め、多くの有名作家、ノンフィクション・ライターが廉価本に価値を見出すようになった。そしてこれまで出版社に嫌われることを怖れて黙っていた人々も、旧態依然とした出版形態の不合理、大手出版社の「無知、無能」を嘲笑するようになっている。</p>
<p>エイディン氏は、このコモディティ化が良い面と悪い面を持つと考えている。前者は市場を拡大し、無名の著者に機会を与えること、後者は廉価コンテンツの氾濫によるメディアとしてのデフレだ。しかし、これまでのところプラスのほうが多いことを認める。同じく編集者のジャック・ライアン氏も、一部の古典的名作を除いて、本がコモディティであることは認めざるを得ない、と述べている。編集者としては、自分の関わる本を唯一無二の作品としたいとしても、市場にあっては（好みはあるとしても）置換え可能な商品であるということだ。アマゾンのベストセラー・リストの大半は10ドル以下のタイトルで占められ、15ドルのE-Bookは（アイザックソンのジョブズ伝などメガヒットを例外として）減っている。もちろん大手出版社は、電子版の販売機会を減らし、ハードカバーの売上最大化を考えているのだが、こうした「部分最適化」によって、デジタル・リーディングに慣れた消費者は、15ドルの本を1冊買うよりも、10ドル以下の数冊に食指が動くわけである。経済のデフレ、大手電子本のインフレが、消費者行動のデフレを促進している。</p>
<h3>コモディティの意味(価値)は、消費者の行為において生まれる</h3>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7892" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="janre" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/janre.jpg" alt="" width="300" height="168" />本（の大部分）はコモディティである、というのは、機械式印刷・製本によって、18-9世紀に本が大衆のものとなって以来の真実だ<sup><span style="color: #ff0000;">2</span></sup>。それはペーパーバックの登場と書店のチェーン化、ハーレクインに代表される「ジャンル・フィクション」、日本の「マンガ」などによって再三にわたって実証されてきた。しかし（たぶん出版の主宰者としての、社会の中での「知的道徳的ヘゲモニー」を失いたくないためだろうが）出版社は本の商品性よりも個別性、量産性より創造性をもっぱら強調し、＜大量に出荷される工業的複製物＞を、あたかも唯一無二の「作品」のように売ってきた。そうした神話が維持されたのも流通のコントロールがあればこそだ。</p>
<p>アマゾンは無数の通販商品と同じように本を売って成功している。正確に言えば、本で成功したモデル（商品属性＋顧客属性＋振る舞い」のマッチング）をカメラや飲料水やネコ砂にまで適用したのだが、本だけを特別視していないことは確かだろう。皮肉なことに、有名作家のベストセラー本（のハードカバー）が、大規模小売店で客寄せのために廉価で売られていた時には、その話は出なかった。大出版社のE-Bookが高値で固定され、それに対して廉価E-Bookタイトルが有名作家と並んで供給されたことで、コモディティ化が意識されるようになったのだ。「次に何を買うか」という消費者のマインドを先取り的に刺激するアマゾンのWebマーケティングは、この世界では無敵に近い。出版社の神話は完全に崩壊した。寂しくもあるが、それは必然だ。（<span style="color: #ff9900;">→<a href="http://www.ebook2forum.com/2012/01/is-book-a-commodity-or-how-commodities-make-sense-to-people/2/">次ページ</a></span>に続く）</p>
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		<title>E-Book再考(4)：出版社は価格決定権をどう使った</title>
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		<pubDate>Mon, 16 Jan 2012 17:56:13 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[E-Bookビジネスの最大の逆説は、アマゾンの独占を怖れ、嫌悪する大手出版社が、市場においては（その意図に反して）アマゾンによる独占を助ける行動をとり、それによってアマゾンへの依存度を高めているということだろう。初めて小 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7834" title="pricing" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/pricing.jpg" alt="" width="181" height="145" />E-Bookビジネスの最大の逆説は、アマゾンの独占を怖れ、嫌悪する大手出版社が、市場においては（その意図に反して）アマゾンによる独占を助ける行動をとり、それによってアマゾンへの依存度を高めているということだろう。初めて小売価格決定権を手にした大手出版社は、値上げによって消費者を敵に回すという最悪の状況に陥ってしまった。日本でも多くの読者を持つ著名なジャーナリストの<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Dan_Gillmor" target="_blank">ダン・ギルモア</a>氏は、衝動買いを止め、図書館と古書店を見直すに至った経緯を英紙Guardianに綴っている。<span id="more-7827"></span></p>
<h3>市場に背を向け、消費者と戦う大手出版社に未来があるか</h3>
<p>熱くなった頭を冷まし、新しい刺激を得るには濫読が心地よい。それでもやはり「本と出版」について考えると熱くなる。年末年始で、いくつかの興味深い論考に接したので、紹介しつつコメントしてみたい。この歴史的転換期の焦点は、デジタルを味方とするか敵とするか、そして誰が最もよく利用できるかということだが（テクノロジーは中立ではない）、欧米では大出版社が、その利己的な行動を厳しく批判されている。</p>
<p>国家権力のメディア支配を背景にした鎖国すら困難になる時代だ。市場経済では、デジタルを味方とするか、敵として敗れ、消え去るか―選択は2つしかないのだが、欧米の出版大手は、これを武器とすべく努力しながらも、全体としては扱いきれず、敵を増やしている。彼らの戦い方を単純化すると、<span style="color: #008000;">E-Bookの値段を出来るだけ高くし、利用価値を出来るだけ低くすること</span>だ。大手出版社はE-Bookの価格をハンパでなく引上げ、図書館での貸出しを制限あるいは拒否した。転換期に最も頼りにすべき味方は消費者だというのに。これはあらゆるソーシャル・マーケティングの努力を無駄にする。</p>
<p>年末に読んだ、<a href="http://dangillmor.com/" target="_blank">ダン・ギルモア</a>氏の英紙The Guardianへの寄稿<a href="http://www.guardian.co.uk/commentisfree/cifamerica/2011/dec/23/ebook-price-swindle-publishing" target="_blank">「E-Book価格の大いなる欺瞞」</a>(12/23/2011)は、日本でも知られるこの著名な米国のジャーナリスト（兼アリゾナ大学ジャーナリズム学部教授）の次のような辛辣な言葉で始まる。</p>
<blockquote><p><img class="alignleft size-full wp-image-7835" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="DanGillmor_portrait" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/DanGillmor_portrait1.jpg" alt="" width="67" height="104" />「私は米国の書籍出版業界―少なくとも数十年にわたって業界を支配してきた伝統的大企業―に対し、感謝の言葉を進呈したいと思う。彼らは私が地元の図書館と近所の古書店の価値を再発見するのを助けてくれた。／巨大メディア企業が本来的に持つ性質である貪欲と傲慢を、デジタル世界への対応に際しても遺憾なく発揮することで、彼らはそうしてくれたのだ。」</p></blockquote>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7840" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="pay_more" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/pay_more.jpg" alt="" width="140" height="69" />ギルモア氏の怒りは、もちろん、米国出版界の伝統で消費者の支持を得て存在してきた書店における小売価格の自由を、E-Bookにおいて「廃止」した大手出版社（ビッグシックス）に向けられている。本件の是非をめぐってはニューヨークの裁判所で争われることになるのだが、いずれにせよ2010年のエージェンシー価格制導入以来、6社の新刊ベストセラー本のE-Book価格は、それまでの$10から、$13あるいは$15に跳ね上がった。新刊本は印刷本と同等か、それより高い水準。既刊本はペーパーバックと同等の水準を目指しているようだ。デジタルコンテンツ・ビジネスの歴史では、前例のない大規模な価格上昇だった。</p>
<p>ギルモア氏の読書習慣は、この「逆価格革命」で大いに変わった、という。$10時代に多かった衝動買いはしなくなり、気になる本はもっぱら図書館で予約し、どうしても欲しい本だけ、印刷本で購入するようになり、古書店の利用も増えた。E-Bookで購入するのは廉価な場合のみに止めている。筆者を含む多くの消費者は、経済的理由からギルモア氏に倣っているのだが、デジタル技術は人々の知識情報へのアクセスを容易にするもの、と考えるギルモア氏には、値上げが容認できない。</p>
<p><span style="color: #008000;">E-Bookに対して印刷本と同等の価格を設定するのは、顧客にとって不当</span>だと彼は言う。なぜなら、E-Bookの購入者には商品の所有権はなく、利用（販売者が存続している限り閲覧）する権利を借りている状態である。印刷本は所有でき、もちろん他人に貸すことも、譲渡することも出来るのに、<span style="color: #008000;">E-Bookでは購入者の権利は事実上ないに等しい</span>。E-Book読者を「二級市民」扱いにしながら、「料金」は印刷本の購入価格に連動させることを正当化することは難しい。しかも大手出版社は説明責任すら果たしていない。嫌われる理由には十分だ。米国では、ジャーナリストや知識人は業界ではなく社会(消費者)の味方であるべきという原則があるので、ギルモア氏のような著名人もこぞって批判に回る。</p>
<h3>サービスが違っても価格が一律という矛盾がアマゾンを一人勝ちさせる</h3>
<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Pricing1.jpg"><img class="alignright size-medium wp-image-3927" title="Pricing" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Pricing1-300x277.jpg" alt="" width="144" height="133" /></a>出版社がそう思わせようとしているにもかかわらず、<span style="color: #008000;">コンテンツは独立した商品ではない</span>。出版社がそれを拒否しているからだ。彼らは自ら提供するわけでもないサービスによって価値が変動する素材を「販売」する際に、消費者と書店に一律の「料金」と「手数料」を強制する。書店には売り方の自由は認めない。皮肉なことに、これは<span style="color: #008000;">消費者がアマゾンで購入することの相対的価値を高め、大手出版社は価格支配と引き換えに市場の支配をアマゾンに委ねることになった</span>。ギルモア氏の「貪欲と傲慢」が著者と消費者をアマゾンに近づけた結果なのだが、もとより「傲慢」な出版社は気にしていない。</p>
<p>人間が歴史的にみて愚かしいことを敢えてするには、それなりの理由がある。その理由は狭いコミュニティの中では自然で当然だったのだが、時間とともに外部には合理的な説明が困難になっており、信仰としか思われない。特権的地位を享受してきたシステムの危機に際しては、そもそも議論の対象から外そうとさえ振舞うので余計に説明能力を失う。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7841" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="sale" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/sale.jpg" alt="" width="210" height="118" />日本では売れ残りの本（平均して約4割）は、システマティックに資源リサイクルに回されるのだが、米国では、卸価格で仕入れ、売れ残りのリスクを負う書店が、客寄せのために最初から損を出す価格で発売したり、何段階かの値下げで買い手を待ち、消費者も値下げを待って買うという市場的なシステムが維持されている。日本では古書店が果たしている役割（市場価格での販売）を、通常の書店が行っているわけだ。大手出版社は、このシステムが（最強のプラットフォームを持つ）アマゾン1社による独占と価格支配につながると考えて、日本の再販制のようなエージェンシー価格制をE-Bookについてだけ導入した。</p>
<p>出版社による小売価格決定権の獲得は、しかし消費者にとっては（法外な）値上げをもたらした。印刷本の相対的価値は護ったが、社会的正当性を失い、デジタル市場での主導権を失ったと言っていい。E-Bookはアマゾンが築いたエコシステムを中心に成長しつつある。中小出版社と自主出版者は、そのエコシステムの最大の受益者といっていいだろう。アマゾンのマーケティング努力は、大手の新刊以外のところで展開されている。しかし、それにもかかわらず大手の本もアマゾンで最も売れることに変わりはない。アイザックソンのジョブズ伝で一番稼いだのはアマゾンだった。つまり、アマゾンの目論見どおり、<span style="color: #008000;">自由価格制の本を多数擁して売ることで、顧客がアマゾンに集中し、固定価格制の本も自動的に売れる</span>のである。アマゾンの顧客は増大し、独占契約する著者はますます増える。4年以内に、米国の全世帯の20~30%がAmazon Primeのメンバーになるという予測もあり、エコシステムは十分な根拠を持って増殖している。<span style="font-size: small;">(<a href="http://www.launch.is/blog/the-cult-of-amazon-prime.html" target="_blank">The Cult of Amazon Prime</a>, By Jason Calacanis, <em>Launch</em>, 01/09/2012)</span>。</p>
<p>ギルモア氏のような読書／購入パターンの変化は、データの裏付けを伴って、これまでにも指摘されており、Kindleのベストセラーリストのランキングと価格の相関が注目されている。E-Bookの廉価本は<span style="color: #990000;">衝動買い需要</span>を刺激し、ミステリやSF、ロマンスなど重要なジャンルの廉価本で多くのミリオンセラー作家を誕生させた。消費者はスティーブン・キングの新作と新人のデビュー作が同じ15ドルで発売されたなら、後者を買うことは躊躇する。また読者にとってリスクである新人をデビューさせることを、出版社は躊躇するだろう。それによって多くの<span style="color: #333333;">機会損失</span>が生まれていることは言うまでもない。デジタル時代がかつてと違うのは、大企業の<span style="color: #990000;">機会損失を利益機会に変換するユニヴァーサル・サービス</span>が存在しうるということだ。　（鎌田、01/16/2012）</p>
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		<title>E-Book再考(3)：どれだけのタイトルが必要か</title>
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		<pubDate>Mon, 24 Oct 2011 09:26:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[E-Bookがネットで100億円規模の市場となるまでに、どれだけのコンテンツが必要だろうか。まずまずの書店であれば10万点の品揃えは必要と言われ、オンラインでもそれと同じで、アマゾンもそうだった、云々。そして「端末が普及 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft" style="margin-right: 15px; margin-left: 0px;" title="meter" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/meter-115x115.jpg" alt="" width="115" height="115" />E-Bookがネットで100億円規模の市場となるまでに、どれだけのコンテンツが必要だろうか。まずまずの書店であれば10万点の品揃えは必要と言われ、オンラインでもそれと同じで、アマゾンもそうだった、云々。そして「端末が普及するにはコンテンツが増えないと」、「コンテンツが増えるには端末が普及しないと…」という「鶏と卵」の喩もよく使われる。しかし、筆者からみるとこれはマクロな物量の話で、本のような、おそろしく多様な個性を持った商品にはあてはまらない。お茶を濁すにはいいがビジネスの発想ではまったくない。<span id="more-7347"></span></p>
<h3>「10万点必須」は怠け者の空論</h3>
<p>で<img class="size-full wp-image-7348 alignright" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="shop1" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/shop11.jpg" alt="" width="207" height="156" />はなぜいけないか。第1に、出版は数百万、数千万人を相手にできなければ成り立たないものではない。そして第2に、何万点、何十万点もの選択肢がなければ購入しない消費者などまずいないし、いたとしても最初から相手にする必要はない。<span style="color: #008000;">デジタルで読みたい人が欲しいタイトルを先に揃えていけばいい</span>のだ（逆に自炊すら禁止するとは恐ろしい了見だ）。一見もっともらしい「鶏と卵」の論理は、一転突破として起こるイノベーションを否定するだけでなく、日常的な仕事の中の創造性や発見、経験、常識の価値を否定する。狭くても十分に儲かっている古本屋はいくらでもいる。それはローカルな顧客を知り、商品を吟味して仕入を判断し、値段を決め、並べ方を工夫しているからだ。</p>
<p>同じことがオンラインで出来ないはずはない。この知恵が生かせれば1万点の本からでも利益を上げられるだろう。逆に知恵がなければ、100万点のコンテンツがあっても売れるものではないし、商品を知らず、顧客を知らないのでは何も出来ない。コンピュータは人間の知恵に従って動かすことが出来るが、知恵のない人間がコンピュータを使っても何も出来ない。</p>
<p>2007年11月時点で鶏と卵の両方を揃えたアマゾンの場合は、9万1,626点だったが、これは市場にショックを与え、その後の爆発的成長を可能とし、圧倒的シェアを確保するために必要だったわけで、こんな電撃作戦を目指すのでない限りは参考にすべきものではない。これとても、売れ筋のフィクションでは、先行していた<a href="http://www.fictionwise.com/" target="_blank">Fictionwise</a>や<a href="http://www.booksonboard.com/" target="_blank">BooksonBoard</a>よりも少なかった。そして初代Kindleは需要予想を誤り、今日のアマゾンでは考えられないことだが、シーズン用に用意した製品を数日で売り切った後、5ヵ月も在庫切れの状態を続け、1年で30万台にも達しなかった。つまり、<span style="color: #008000;">コンテンツよりデバイスを調達することに努力すべきだった</span>わけだ。アマゾンは今年、非英語圏のKindleサイトをスタートさせる際に3万点をひとつの目安にしたと思われる。つまり、3万点台からのスタートで十分という目算が立ったということを意味する。それでも彼らは、この臨界点を下げる努力を止めないだろう。</p>
<p>「10万点必須論」こそ怠け者の机上の空論だ。10万点のコンテンツ、100万台のリーディング・デバイスが存在し、コンテンツの市場が成立しているならば、オンラインの新参者にシェアは用意されているだろうか。そうした市場で新たにブランドとして認知を得るのにどれだけのコストがかかるか。そんな出版社を、著者と読者は選んでくれるだろうか。ビジネスとは任意の期間と規模で採算をとり、それを持続させるゲームだ。いまアマゾンは期間と規模を目いっぱい膨らませ、同時にミクロな商売のロジックを巧みにシステム化して取り入れて成功を収めつつある。それに対抗するには、より商売の基本に忠実になるしかない。つまり<span style="color: #008000;">アマゾンより本を知り、顧客寄りになる</span>ということだ。そんなに難しいことだろうか。（<span style="color: #ff0000;">→ </span><a href="http://www.ebook2forum.com/2011/10/rethinking-ebook-business-3-how-many-titles/2/"><span style="color: #ff6600;">次ページ</span></a>に続く）</p>
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		<title>E-Book再考(2)：フォーマットは組版だけでない</title>
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		<pubDate>Tue, 18 Oct 2011 16:29:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[前回、E-Bookはコンテンツとデバイス－クラウドを連携させる一連のサービス・システムとして成立すると述べた。これを出発点として、今回は昨年来大きな話題となってきた「フォーマット」問題を考えていきたい。ここでは日本語組版 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7313" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="engineering" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/engineering.jpg" alt="" width="254" height="161" />前回、E-Bookはコンテンツとデバイス－クラウドを連携させる一連のサービス・システムとして成立すると述べた。これを出発点として、今回は昨年来大きな話題となってきた「フォーマット」問題を考えていきたい。ここでは日本語組版ばかりが注目されたのだが、E-Bookをサービスとして見るならば、ビジュアル表現のフォーマットは基本的ではあっても一部である。EPUBの日本語拡張でひとまず決着がついた現在、ビジネスにとって重要なシステムのフォーマットについて再考してみる必要がある。（図は空港システム）<span id="more-7308"></span></p>
<p>前回記事の反響にはすこし驚いた。誤解を避けるために、読みづらくなるのを覚悟で「定義」の話から始めたのだが、多くの方に意図を理解していただいた。筆者が「定義」を重視するのは、言葉によるコミュニケーションの前提として、対象の意味を正確に共有していないと、考えるという行為が成り立たないからだ。E-Bookのような大きなシステムを考えるには、定義を重視したシステム工学的なアプローチが必須であると考えている。</p>
<blockquote><p>「世界中のすべての問題は、もし人間が考えることを厭わなければ簡単に解決できる。問題は、人間はどんな手を尽くしても頭を使わないで済ませたがることだ。考えるというのはそれほど難しい。」　T.J.ワトソン・シニア</p></blockquote>
<h3>2つの見方：コンテンツ vs. 対話環境</h3>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7315" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="J_typesetting" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/J_typesetting.jpg" alt="" width="158" height="204" />日本の「電子書籍元年」では、コンテンツのフォーマットが大きな問題になった。著者・出版者の意図通りに再現されなければ、コンテンツ売り物にならないし、ユーザーは最小限の投資で安定的に、デバイスを選ばず再現される環境を必要とするから、フォーマットの重要性は誰しも納得できる。問題はその先にある。多くの人は「電子書籍」を(その名の通り)紙の本の電子的対応物と考えたから、フォーマットは<span style="color: #008000;">レイアウトと文字組版</span>に関することだと考えた。商業出版物のかなりの部分は縦組み出版物で占められ、ふり仮名(ルビ)も必要で、ものによっては複雑な組版ルールも絡んでくる。日本語組版については実績ある専用システムが使っているフォーマットを前提とすべきだ。海外コンテンツも、日本で商売したいなら日本ルールをサポートすればいい。以上終わり。これはDVDの規格と同じ、典型的な<span style="color: #cc0000;">モノ</span>発想のフォーマットだ。</p>
<p>世界標準になりつつあるEPUBを重視した人々（筆者も含む）は、別の電子書籍（あるいはE-Book）を考えていた。彼らにとって、それはWeb＝コミュニケーション環境と切離しては考えられず、Web (HTML/CSS)と地続きであるEPUBを日本語環境に向けて拡張することこそが、デジタル出版活動を前進させる唯一の現実的方法だ。国境やメディアの境界を超えたところに成立する21世紀のデジタル出版は、印刷本の電子的対応物だけでなく、<span style="color: #008000;">動的な情報を扱える対話的環境</span>を提供するものでないと成り立たない。国際標準の拡張によって、出版にも情報産業にも大きなビジネスチャンスが生まれるだろう。こちらのE-Bookは、コミュニケーションという<span style="color: #cc0000;">コト</span>に力点が置かれている。EPUBが新世代の標準と言われるのはそのためだ。</p>
<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/100930-sharp-galapagos-thumb-400x283-201010.jpg"><img class="alignleft size-medium wp-image-7314" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="100930-sharp-galapagos-thumb-400x283- 201010" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/100930-sharp-galapagos-thumb-400x283-201010-300x212.jpg" alt="" width="210" height="148" /></a>2つの見方は大いに違う。前者は印刷＝機械を前提とする伝統的な出版観を、後者はWeb＝デジタルを前提とする21世紀的出版観を反映しているといえるだろう。ほんとうはこの価値観の違いとその意味、対立を止揚する方法を徹底して議論すべきだったのだが、前者の人々は「守旧派」と見られることを嫌うあまり、日本語組版を前面に立てて絶対視する呪縛にかかり、たんなる技術的問題に政治的・社会的・文化的意味を密輸入して議論のスジを無用に混乱させてしまったように思われる。EPUB 3.0に合わせた日本語拡張が出来なかったらえらいことになっていた。今となっては済んだことだが、このことは忘れないようにしたい。</p>
<p>さて、EPUB 3に日本語拡張が入ったことで、コンテンツと環境に関するフォーマットの問題がほぼクリアされた。つまり、出版環境をWebと地続きのものとして構成する選択肢が、出版関係者に提供されるということだ。従来の日本語専用ソリューションで蓄積された技術とスタイルは、EPUBの日本語ソリューションに移行し、またそれによって自動変換も可能になるだろう。標準ベースのツールやサービスは安価に提供されるから、製作コストは安くなり、E-Bookの採算点は1年以内に大幅に下がる。印刷本でいえば、印刷・製本コストが下がることに匹敵する。コスト低下による事態はすでに経験済みで、何が起きるかを想像するまでもない。ビジネスとしてはプラスにもマイナスにもなるから、それに対応した企画やマーケティングを考えるほかはない。しかしである…。　（<span style="color: #ff6600;"><a href="http://www.ebook2forum.com/2011/10/rethinking-ebook-business-2-format-for-what/2/">次ページ</a>に続く</span>）</p>
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		<title>E-Book再考(1)：なぜ｢電子書籍｣は売れないのか</title>
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		<pubDate>Sun, 09 Oct 2011 16:44:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[およそ商売をやっていて、「売れない」ほどつらいことはそうない。いくらがんばっても、いくら話題になっても、売れなければ泡のようなものだ。「電子書籍」元年から1年以上を経ても、売れた話を聞かない。それでも話題が消えないのは、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7267" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="target" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/target1.jpg" alt="" width="154" height="105" />およそ商売をやっていて、「売れない」ほどつらいことはそうない。いくらがんばっても、いくら話題になっても、売れなければ泡のようなものだ。「電子書籍」元年から1年以上を経ても、売れた話を聞かない。それでも話題が消えないのは、米国から欧州へ、世界的にE-Book市場が急拡大しているという動かしがたい事実があり、常識的に言って売れないのがおかしいからだ。この際、われわれが何を売っているのか、それがなぜ売れないのかを考えることは重要だ。アマゾンが日本でもお手本を示してくれるより前に。<span id="more-7263"></span></p>
<h3>書籍はbookに非ず!?</h3>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7268" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="scribe" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/scribe1.jpg" alt="" width="151" height="163" />電子書籍とE-Bookは同じものとして扱われるが、ほんとうに等価であろうか。筆者は<span style="color: #cc0000;">違う</span>と考え、なるべくグローバルに流通するE-Bookを使うようにしている。何が違うかといえば、書籍(書物)は様々なカタチをとる<span style="color: #cc0000;">モノ</span>だが、bookは「記録・編集」という<span style="color: #cc0000;">コト</span>から派生した言葉で、bookingが 「製本」ではなく「予約・記帳」であることからも分かるように、<span style="color: #cc0000;">コミュニケーション行為</span>に由来し、モノ(媒体・手段)には依存しないという点が違う。<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Bible" target="_blank">The  Bible</a>は記録であって「本」というモノではない。日本で書籍・書物は、外来の貴重なモノとして伝わり、社会的行為としては伝わらなかった。だから（文明国としては異例なことに）いまだに<a href="http://law.e-gov.go.jp/announce/H21HO066.html" target="_blank">公文書の保管</a>が問題にされるわけだ。多くの場合、日本ではbookは書籍であり、ふつう日本人は（海外で「オーバーブッキング」でも経験しない限り）この違いを意識することはないだろう。デジタル化されない限りは。</p>
<p>世界はモノとコトの組み合わせとして認識されるが、情報処理技術は、<span style="color: #339966;">モノを</span><span style="color: #cc0000;">仮想化</span><span style="color: #339966;">することで、直接コトに結びつける力</span>を持っている。つまりアイデアが本として実現し、それが販売／配布され、消費されるまでのプロセスのすべてが、デジタルネットワーク上で<span style="color: #cc0000;">仮想的に実現</span>するという点が重要だ。ビジネスとして考えれば、商品より(売れるという)コトが重要なのだが、<span style="color: #cc0000;"><span style="color: #333333;">デジタル化された出版のプロセスでは、</span>コトが起こる仮想的な「場」</span>が最重要な課題となるのだ。売れないコンテンツは電子データに過ぎないし、コンテンツを100万点揃えようと、つねに消費者の関心と購買意欲を刺激し、動機を与えないストアは何の意味(価値)も持たない。たまたま通りかかった場末の古本屋の片隅の1冊に、ふと手が伸びるというような奇跡が起きる余地はないだろう。<span style="color: #339966;">デジタル化された本は「書籍」ではない。版下と同じ半製品なのだ。それは購入されることによって仮想的な本となる。</span></p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7269" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="tikukan" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/tikukan.jpg" alt="" width="142" height="166" />出版において、ITは当初、ページを仮想化し、文字や画像を自由に編集加工する目的で使われた(<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/DTP" target="_blank">DTP</a>)。仮想ページは印刷されてモノ化され、製本されて本というカタ チをとることで、はじめて一般に流通・消費可能な商品となったので、モノとコトの結びつきは、制作期間の短縮というレベルでしかなかった。本のデジタル化 は、仮想化を(中間生成物としての)ページにとどまらず、完成品としての商品にまで及ぼす。<span style="color: #339966;">デジタルデータとしての「コンテンツ」は、データを読み出して可読可能にするデバイス(リーダ)の存在を前提に、人々に購入されてはじめて「商品」として実現される。</span>デジタルコンテンツをモノとしての本と同様に考えるのは錯覚であって事実ではない。筆者が「電子書籍」を使わないのは、この誤認を前提にして、さらに拡大再生産するからだ。</p>
<h3>電子書籍はそのままでは商品にならない!?</h3>
<p>こうして考えると、アマゾンがKindleでやったことの意味が明らかになる。コンテンツはKindleでダウンロードされるコトによって商品となるのだ。モノではない商品の価値は、入手可能性と利用可能性といったサービス価値を含めたものとして評価される。Kindleストアはネットワークを効果的に使い、様々な属性を持つ膨大な読者に、経済的にアクセスし、購入意欲を刺激する。そしてKindleだけでなく、PC、Mac、iPad、Android、スマートフォンなど、可能な限り多くのデバイスで、この価値を提供する。一度購入したコンテンツはデバイスとともに消滅することはないし、ブックマークや書き込みもデバイスを超えて利用きる。3G通信料を製品価格に含めるという発想は、「サービス価値」重視からきている。アマゾンはKindleすら独立したモノとして考えていない。</p>
<p>結局、<span style="color: #339966;">デジタルコンテンツ・ビジネスとは、情報商品を仮想化し、ユーザー価値に変えるビジネスモデルとプロセスを設計し運営すること</span>だ。せっせと本の電子ファイルをつくり「電子書籍」と称しても、読者にまで行き着く道筋がなければ商品性を持たないし、特定のデバイスでしか読めず、保存もできないというのであればユーザーにとっての価値は低いということだ。水道というものが、蛇口や配管だけでなくシステムサービスとして存在するように、<span style="color: #cc0000;">E-Bookはシステムでありプロセスだ</span>。モノ概念に通ずる「書籍」は、仮想化によってコト／モノの間を融通無碍に存在し作用するbookとして<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E6%A7%8B%E7%AF%89" target="_blank">脱構築</a>してみないと、金の蛇口や高価な水を追求し、挙句の果ては商売にならないと放棄することにつながりかねないだろう。</p>
<p>筆者はアマゾンを礼賛したいわけではない。しかし、E-Bookにおけるアマゾンの独占を阻止するためには、アマゾンが解いた（B&amp;Nも忠実に模倣して成功した）ビジネスモデルを、模倣するかさらに脱構築するかするかしなければ不可能だ。日本の「電子書籍」が売れないのは、コンテンツを本たらしめるものを欠いているからだといえる。それはケータイ本や電子辞書がともかくも特定コンテンツと特定ニーズに関しては商品として成立したことでも明らかだろう。 　（鎌田、10/09/2011）</p>
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		<title>デジタル出版革命仮説：(2)フルデジタルの意味</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2010/12/working-hypothesis-of-digital-publishing-2/</link>
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		<pubDate>Sun, 26 Dec 2010 06:56:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Book Industries]]></category>
		<category><![CDATA[Concept Sheet]]></category>
		<category><![CDATA[Content Business]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>

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		<description><![CDATA[「仮説」の第2回目。デジタル出版革命は、紙から電子への変化ではない。情報の存在と流通の形態に関わる根本的な変化であって、その本質は情報の流動化（サービス化）にある。デジタルにおける自由には必ず副作用が伴う。この歴史的流れ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/d8cdef44d18e0820b08e361aaf75eca3.jpg"><img class="alignleft size-full wp-image-4586" style="margin-left: 0px; margin-right: 10px;" title="天工開物" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/d8cdef44d18e0820b08e361aaf75eca3.jpg" alt="" width="81" height="111" /></a>「仮説」の第2回目。デジタル出版革命は、紙から電子への変化ではない。情報の存在と流通の形態に関わる根本的な変化であって、その本質は情報の流動化（サービス化）にある。デジタルにおける自由には必ず副作用が伴う。この歴史的流れに逆らうことはできないが、流されていては出版は情報の海に埋没し、成り立たなくなるだろう。読書人の権威や出版のコストが情報の品質保証にならない時代に、編集の専門性と社会性を再確立する必要があると思う。（写真＝中国明代の百科事典、宋應星編著『天工開物』）<span id="more-4577"></span></p>
<p style="padding-left: 30px;">いわゆる「電子書籍元年」を総括する前に、筆者が考えるデジタル出版革命についてまとめておきましょう。一言でいえば「フルデジタル」ということに尽きますが、これは</p>
<ul>
<li> コンテンツの製作・流通・消費のすべてがデジタルベースで行われる</li>
<li>あらゆるメディア形態を吸収し、デジタルベースで処理可能にする</li>
</ul>
<p style="padding-left: 30px;">という2つのことを意味します。近代から20世紀にかけてのメディアの秩序を根底から変えるという意味で、その影響は計り知れないほど大きいと思われます。マクロで言えば、<span style="color: #cc0000;">20世紀的メディア区分が消失</span><span style="color: #cc0000;">し、メディアにおける</span><span style="color: #cc0000;">モノ（大量製作配布手段）の優位が消失</span><span style="color: #cc0000;">した</span>ということなのですが、大した設備を持っていない出版業は、放送や新聞に比べれば影響は軽微かもしれません。ともかく、すべてはWebによるものです。</p>
<h3>情報構造は固い結合から緩い結合へと変化する</h3>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/SOA.jpg"><img class="size-thumbnail wp-image-4581 alignright" style="margin-left: 10px; margin-right: 0px;" title="SOA" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/SOA-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" /></a>フルデジタルはコンテンツにどんな影響を与えるでしょう。上述したように、文字や図形、画像の空間的情報のほかに、動画や音声のような時間的情報を同時に扱えるということがありますが、それと同時に大きいのは、<span style="color: #cc0000;">情報の構造が、本という固い結合を前提としたものから、緩い結合あるいは連携を含むものに変化していく</span>ということです。これは著作や編集というものの性格を根本的に変える可能性を持っています。込み入ったことなので、詳しくは別の機会に譲りたいのですが、情報の構造とは「部分と全体」の関係のことで、印刷書籍はこの関係を固定化することを前提としています。もちろん、改版されれば別の関係が生まれるわけですが、安定（硬直）した構造を前提に「本」が成立ってきました。テーマとサブテーマ、命題と例証、パラグラフとセンテンス…。上の図は、ITのトレンドである「サービス指向アーキテクチャ(SOA)」を説明したものですが、ここでアプリケーションを「コンテンツに、サービスを「情報要素」に置き換えれば、情報における緩い結合(loose coupling)の説明になります。</p>
<p style="padding-left: 30px;">周知のように、デジタルは切り貼りも簡単で、自由（恣意的）に更新（改変）されるのが特徴です。悪くすると、これは活字時代以前、手書きの時代のコミュニケーションに逆戻りしかねません。それに手書き時代には、書記や祐筆など（故実＋修辞＋書道の）プロが高価な材料を使って書くことで、多少とも権威があったわけですが、デジタルでは誰でも自由に（タダで）活字を使えるので、書いたのがプロかアマかも、オリジナルであるかどうかも区別がつきません。活字である（カネ／信用がかかっている）ことが内容の信憑性の保証になる時代は終わったわけで、これはふつうの人間にとってかなり困ったことになるでしょう。逆に言えば、<span style="color: #cc0000;">第三者のなんらかの「保証」がないと取引してもらえなくなる</span>ということです（これは電子商取引では一応の解決を見ています）。</p>
<p style="padding-left: 30px;">もちろん悪いことばかりではありません。文学のように、作品としての完全性(integrity)を前提としているコンテンツを別とすれば、部分と全体との結合は絶対ではありません。たとえば、同じ人が同じ趣旨でE-Bookについて論ずるとしても、半年もたてば考えも変わるし、情報内容が旧くなることも多いでしょう。統計、法律、ソフトウェアなど、記述は新しいほうがいい場合もあります。著者や出版社として加筆・修正したいことは出てくるからです。デジタルでは内容の更新や構成の変更は自由です。また読者の立場からしても、本の中の一部の情報だけ読めればよく、また複数の本の関連個所だけをまとめて読みたいという場合が少なくないですが、そうした「拾い読み」や「摘み喰い」が、デジタルでは技術的に容易になります。学術ジャーナルの関連論文を選んで「1冊の本」にしたり、新聞や雑誌記事の切り抜きを集めて、実用的に使うことも始まっています（自炊はその第一歩）。情報を探索し、整理し、使い易くするのはデジタルの付加価値です。</p>
<h3>デジタルの副作用＝情報の液状化をどうコントロールするか</h3>
<p style="padding-left: 30px;">重要なことは、<span style="color: #cc0000;">デジタルの自由さには、かならず副作用を伴う</span>ということです。編集が自由にできるとすれば、そこで編集者の責任と能力が問われます。編集のルールを守らない無責任な私家編集や海賊版が出回ることは避けられません。こっそり内容を差し替えることも起こるかもしれません。そんなことがあれば信用で成立つ情報の価値はガタ落ちです。<span style="color: #cc0000;">デジタル時代の方法でセーフガードを考えておかなければ出版物の信用と価値は急速に下落</span>します。ユニバーサルな情報共有手段であるWebの普及とともに、情報の商品価値は低下の一途をたどっていますが、「無責任編集」をコントロールできないと、デジタル出版はビジネスとして不完全なものとなるでしょう。筆者は、情報の構造化の主体としての<span style="color: #cc0000;">編集(者)、出版者の仕事の専門性と価値を社会的に確立する</span><span style="color: #cc0000;">ことが最大のセーフガード</span>になると考えています。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Goya-perro-semihundido1.jpg"><img class="alignleft size-medium wp-image-4585" style="margin-left: 0px; margin-right: 10px;" title="Goya - perro-semihundido1" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Goya-perro-semihundido1-176x300.jpg" alt="" width="176" height="300" /></a>かつては、読み書きの能力が、あるいは出版コストやブランドが、ある程度のセーフガードとして機能してきました。「社会的信用を落とすようなことをして得はない」と世間が考えていたからですが、情報の真実性、客観性、妥当性、中立性といった価値を保証する手段は、もともと当事者の良心や常識以外にはなかったわけで、市場や社会をコントロールする手段としての「情報」を必要とする経済的・社会的勢力から自由ではあり得ませんでした。情報に関しては何でもアリの21世紀には、編集の職業倫理と能力を社会的に評価する（もちろん透明性のある）仕組みが必要だと思います。日本はまだ新聞を開けば「匿名、仮名、無署名」の記事が並ぶ異常な国ですが、世界につながるデジタル出版では、これは情報の価値を自ら毀損する行為と言えるでしょう。（左の絵はゴヤ『砂に埋もれる犬』）</p>
<p style="padding-left: 30px;">長期的に、フルデジタルがコンテンツに与える最終・最大のものは、やはり<span style="color: #cc0000;">情報がダイナミックでインテリジェントなものとなる</span>、ということでしょう。<span style="color: #cc0000;">本がアプリケーション化する</span>と言い換えることもできます。印刷書籍ではすべての情報が凍結状態にあり、読み方は編集方法に依存していました。E-Bookは情報の最新性、妥当性などを検証する外部のサービスとリンクすることで情報の鮮度を保つことができます。旅行ガイドでホテルがなくなっていたり、法務マニュアルで対象法令が変更されていたりすると困るという場合には、そうした検証・更新機能を持たせることが可能です。また、一定のロジック (if&#8230;then)を組合せることにより、読者のプロファイル／コンテクストを記憶／検知して、情報を選んでくれたり、表示方法を変えたり、といった気の利いた（悪くするとおせっかいな）サービス機能を持たせることもできます。目新しく思われるかもしれませんが、技術自体は20年も前からあるものです。一般への普及が遅れたのは、環境が整っていなかったから、そして「アプリケーション」を使える編集者が育っていなかったからです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">フルデジタル化による出版革命は、まず流通から始まり、コンテンツの構造に広がり、最終的にコンテンツの機能に及びます。しかし、前回述べたように、コトは社会のインフラであるコミュニケーションに関わるものですから、この島国でどのように進むかは、いまだ読めません。17-8世紀ヨーロッパの出版革命のことは、江戸時代の一部の日本人は知っていましたが、何の行動も起こしませんでした。靴や馬車を知らなかったわけではありませんが、それでも草鞋や駕籠をやめませんでした。便利なものがそこにあるからといって、日本の社会がそれを受け容れるかどうかは別問題です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">「…元年」とか「…開国」という符牒は、日本人が変化を受け容れるための予兆ですが、長く続いたデフレの影響でリスク恐怖症に罹った大企業や、大企業とは言えない出版社もようやく動く気になったでしょうか。次回は「元年」を簡単に振り返ってみたいと思います。  （鎌田、12/26/2010）</p>
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		<title>デジタル出版革命仮説：(1)出版とは何か</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2010/12/working-hypothesis-of-digital-publishing-1/</link>
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		<pubDate>Tue, 14 Dec 2010 08:02:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[研究講座パート１の結論として「デジタル出版革命仮説」なるものを提起し、いつにも増して活発な議論をいただいた。第1期の成果報告を兼ね、数回に分けて読者諸賢のご批判を仰ぎたい。今回は、出版とは何か－デジタル時代の出版をどのよ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/im_memex01.gif"><img class="alignleft size-medium wp-image-4513" style="margin-left: 0px; margin-right: 10px;" title="im_memex01" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/im_memex01-202x300.gif" alt="" width="97" height="144" /></a>研究講座パート１の結論として「デジタル出版革命仮説」なるものを提起し、いつにも増して活発な議論をいただいた。第1期の成果報告を兼ね、数回に分けて読者諸賢のご批判を仰ぎたい。今回は、出版とは何か－デジタル時代の出版をどのようなものとして問題とするのかを、「出版の三位一体」という本質規定を出発点とした。紙とデジタルの単純比較などは無意味、グーテンベルク・パラダイムを超えるためにはメタレベル、人類史レベルで考えなければ、という“原理”主義者の声に動かされたためだ。（図は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%88" target="_blank">ハイパーテキスト</a>の元となった<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%8D%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5" target="_blank">ヴァネヴァー・ブッシュ</a>の仮想「記憶拡張機」<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/Memex" target="_blank">memex</a>の図案。<br />
<span id="more-4501"></span></p>
<h3>グーテンベルク未生以前、出版本来の面目とは</h3>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/guten2.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-4509" style="margin-left: 10px; margin-right: 0px;" title="guten" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/guten2.jpg" alt="" width="120" height="144" /></a>EBook2.0 プロジェクト研究講座・第1期の締めくくりとなる<a href="http://www.ebook2forum.com/study-2-0/" target="_blank">第6回を開催</a>した(12/10)。本プロジェクトは3期で構成され、Part 1 (現状分析→<span style="color: #339966;">仮説</span>)、Part 2 (再定義→<span style="color: #339966;">モデル</span>)、Part 3 (創造→<span style="color: #339966;">実証</span>)という流れになっています。遠くを目ざすために、角度と初速を確保しなければならないのですが、とりあえず角度だけはそれなりに出せたと自負しています。すべて、新鮮な視点、重要な知識をもたらしていただいたゲストとハイレベルの参加者の方々のお陰で、深く感謝するしだいです。さて、皆さんにご評価いただきたいのは、今回発表した「デジタル出版発展仮説」である。粗削りではありますが、多少のオリジナリティはあると自負しているので、どうか存分にご批判いただければ幸いです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">出版とは何か？　第1回(3月)の冒頭に、私たちはメタレベルの問いを据えました。これはグーテンベルク以来5世紀にわたる出版の技術的・商業的基盤が電子化されていく中で、ただそのことに注目するだけでよいのではない、と決めたことを意味します。出版はグーテンベルク革命（可動活字を使った複製技術）以前にも存在していました。多くは写本による非商業的出版で、大量に印刷・配布されたのは護符くらいでしたが、歴史時代だけをとっても、いわゆる出版よりはるかに長いし、グーテンベルク革命は、それらを前提にして、それらを継承する形で生まれ、発展してきたもの。「電子書籍で何が変わるか？」という（業界的、ジャーナリスト的、野次馬的な）スコープを超えなければ、この変化の意味は分からないゾ、と大きく出るわけです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">第1回のゲストである大野邦夫さんや小林龍生さんが熱心に主張され、心動かされたわけですが、この問いが人を煙に巻くハッタリではなく、地に足をつけた現実的設定であるためには、かなり精密な組み立てが必要です。重要ではあっても、現在のビジネスの話にまで降りてこられないと、ただの与太話にしかならない。ただでさえ世間からうろん(胡乱)な奴と思われ、しかも「メタ」をビジネスにしようとして散々苦労してきている筆者だけに、受け止めるには覚悟が要りましたが、昔書いた『電子出版』(1993)で使った定義をアレンジすれば使えそうなので、仮説の前提とすることにしました。</p>
<ul>
<li><span style="color: #cc0000;">出版とは情報を知識化(構造化)するコミュニケーション行為である</span></li>
</ul>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/aldo-manuzio-hypnerotomachia-poliphili-venise.jpg"><img class="alignleft size-full wp-image-4510" style="margin-left: 0px; margin-right: 10px;" title="aldo-manuzio-hypnerotomachia-poliphili-venise" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/aldo-manuzio-hypnerotomachia-poliphili-venise.jpg" alt="" width="144" height="115" /></a>というのが、それです。意味するところは、出版は（非商業的なものを含め）特定の形をとったコミュニケーションであり、特定の形は情報の構造化であって、書籍や冊子といった物理的実体ではないということです。出版の本質がコミュニケーションであるとすると、それは＜主体・対象・目的・媒体…＞といった要素が組み合わされて「意味」をなすプロセスを問題にすることでもあります。</p>
<p style="padding-left: 30px;">考えてみれば、Webが高度化してコミュニケーションの形を変えつつあり、出版物の情報が直接間接に（放っておいても）Webに流出していく時代に、「電子書籍で何が変わるか？」という設定は、そもそも話にもなりません（というよりは、とりとめのない話ばかりできてしまいます）。「電子書籍元年」にまつわる多くの議論は、そもそも問題を狭めたために「生産的な議論」になっていないのではないでしょうか。つまり、コミュニケーション（の人類史的視点）から出版を問題にすることは、望ましいだけでなく必要不可欠でもあるということです。ではコミュニケーションというメタレベルで、出版というプロセスはどのように定義されるか。</p>
<h3>出版の三位一体：製作・流通・配布</h3>
<ul>
<li><span style="color: #cc0000;">出版のプロセスは製作・流通・配布の三位一体として成立する。</span></li>
</ul>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/trinity_1.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-4517" style="margin-left: 10px; margin-right: 0px;" title="trinity_1" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/trinity_1.jpg" alt="" width="182" height="154" /></a>というのが結論です。近代の出版業が、製作・流通・販売の3つの機能で成立・発展してきたことは周知のことだと思います。製作は著者と出版社、印刷会社が担い、流通は卸・取次会社と輸送サービスが担い、販売は書店が担うことは、出版業の成立以来、アマゾンの登場まであまり変わっていません。しかし、コミュニケーションとしての出版を考える時には、流通と販売（誰に何を売るか）は一つのセットであり、別に「配布」を考えるべきだと思いつきました。コミュニケーションが成立するのは、販売時点ではなく、人が入手し、読むことで「読者」となる時点が重要だという判断です。</p>
<h4 style="padding-left: 30px;"><span style="color: #339966;">製作(produce/product)</span></h4>
<p style="padding-left: 30px;">最初の「製作」は、ふつう作家が書いた作品を版元が出版を決定して編集し、印刷会社で製本するまで、というイメージで語られています。もちろんそうしたものもあるでしょうが、現実には多種多様、千差万別であり、ビジネス書の多くは著者ではなく、企画が先行し、ゴーストライターが「著者」に取材して（あるいは適当にネタをアレンジして）書き、なんとか拵えるものが多数を占めます。本質的に著作性を主張するための要件は満たさないのですが、とりあえず「出版」には十分です。出版点数がむやみに増えたのは、このテの出版物が激増したせいです。出版物の製作は（とくにビジネスであればあるほど）<span style="color: #339966;">著者による創造を必要とせず、出版者の「意思」によって実体化される</span>ということが重要です。製作と創作を区別しないと、虚構の上で議論することになります。それに製作は「本」をつくることとイコールでもありません。</p>
<h4 style="padding-left: 30px;"><span style="color: #339966;">流通(distribute/wholesale)</span></h4>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/trinity_2.jpg"><img class="size-full wp-image-4519 alignright" style="margin-left: 10px; margin-right: 0px;" title="trinity_2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/trinity_2.jpg" alt="" width="86" height="97" /></a>流通は、何世紀もの間、書籍卸・取次業によって担われてきた重要な機能ですが、これは（製作・配布と違って）もっぱらビジネスとしての側面に関係します。本の販売は時間をかけて行われますから、信用＝金融やリスク管理が関係してきます。<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Scott" target="_blank">ウォルター･スコット</a>(1771-1832)や<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Honor%C3%A9_de_Balzac" target="_blank">オノレ・ド・バルザック</a>(1799-1850)が死ぬほど苦しんだのは、創造とは無縁な、無情なビジネスとしての近代書籍流通の世界でした。日本では再販価格維持、欧米では買取りと、システムは異なりますが、安定した流通のエコシステムが形成されるまで、かなりの時間（とそれ以上の犠牲）を伴ったことを忘れてはなりません。しかし、それでもデジタル化の前では、そのまま維持することは不可能です。業界金融＝信用システムを必要としない商品、物理的な移動を必要としないオンラインコンテンツ、消費者を集約できるオンライン・メガストアは、デジタルコンテンツにおける流通を変えざるを得ません。</p>
<h4 style="padding-left: 30px;"><span style="color: #339966;">配布(retail/read/share)</span></h4>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #339966;">人は読むことによってのみ「読者」となります。</span>いまこの文章を読んでおられる皆さんは、もちろん読者で、著者兼発行者である筆者にとっては、（もちろんマネタイズの機会は耽々と狙っていますが）とりあえず最も重要なことです。売ることにだけ関心がある人にとっては「消費者＝読者」であればいいのかもしれませんが、コミュニケーションとしては読まないと完結せず、次のアクションの可能性まで問題になりません。配布という機能を出版の３要素の一つとして考えると、書店、図書館、Web、E-Readerは、いずれも重要な意味を持っているということになります。本で得た知識は、なんらかの形で社会的に（家族~友人~コミュニティで）共有されることが多く、それによって伝播し、影響力を持ちます。その影響の多くは計測不可能ですが、TwitterなどのRTW (Real Time Web)で消費行動などの計測や推論が可能な範囲も増えています。このことが意味することは、<span style="color: #339966;">読者を追跡することに経済的な価値がある</span>ということです。Googleは、人々の情報探索行動を支援することを巨大なビジネスに結びつけました。出版における「配布」は、いまや米国では最も関心がもたれているテーマの一つと言えます。</p>
<h3>デジタル出版の未来は明るい。いや眩しすぎる</h3>
<p style="padding-left: 30px;">出版の三位一体、という以上の本質から、私たちは</p>
<ul>
<li><span style="color: #cc0000;">社会はコミュニケーションによって成立し、出版はその不可欠な要素である。</span></li>
</ul>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/meteorito.gif"><img class="alignleft size-full wp-image-4518" style="margin-left: 0px; margin-right: 10px;" title="meteorito" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/meteorito.gif" alt="" width="200" height="158" /></a>ということを再確認する必要があると考えます。社会は出版とともにあり、その形は出版（知識情報の共有）のテクノロジーに依存していました。文字と度量衡(の標準化)なしでは帝国はあり得ませんでした。そして近代(市民)社会は活字印刷とともに成立しました。そもそも「社会」という観念も出版で広がったものです。20世紀は映画や放送といった、文字や図版ではない情報を扱う「メディア」が登場し、それにより「出版」は多様化し、相対的に印刷書籍の地位が低下しました。そして21世紀の現在、デジタル技術はすべての情報の扱いをデジタルで統一しました。出版＝印刷書籍という関係は相対化され、すべての情報を含む新しい「出版＝デジタルメディア」が実体として生まれています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">しかし新しいデジタルメディアは、既成社会が前提としているコミュニケーションとは大きく異なるために、軋轢が生じています。新聞や（その兄弟である）放送などのメディア産業は、巨大な設備投資（大型輪転機、放送設備…）の蓄積によって競争者から護られている独占企業で、そのことにより主要な広告媒体として君臨しています。いわば恐竜のようなもので、隕石の衝突でもないと優位は崩れないのですが、とうとうその隕石が当たって気候変動が始まったのが現在の状況です。恐竜は<a href="http://www.weblio.jp/content/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3" target="_blank">イナーシャ</a>が大きいので、そう簡単に死ぬことはありませんが、インターネットという隕石が当たってからの世界は、ますます棲みにくくなるでしょう。デジタルメディアにおける<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%A2%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B9" target="_blank">コアコンピタンス</a>を早く発見し、ビジネスモデルを再構築できないと厳しいでしょう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">その点、設備を持たない出版社は身軽です。インターネットという新しい環境に最も速く適応することができそうです。従来の本をそのまま電子化しただけでも商品にできるし、メディアの垣根を超えた新しい「本」を製作し、読者に配布することもできます。問題は、それが出版社だけに開かれているわけではないこと、つまり誰でも「出版者」になれることです。出版の未来は明るいのですが、何も遮るものがないと強い陽ざしで灼かれてしまいそうです。ともあれ、いま出版というビジネスには大きな可能性が拓かれています。ではどんなビジネスが、どのように展開しようとしているのでしょうか。　◆（鎌田、12/14/2010）</p>
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		<title>デジタルメディア論 (2)</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2009/12/on-digital-media2/</link>
		<comments>http://www.ebook2forum.com/2009/12/on-digital-media2/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 25 Dec 2009 11:53:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Concept Sheet]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[セマンティックグラフ]]></category>
		<category><![CDATA[テキスト]]></category>
		<category><![CDATA[意味論]]></category>

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		<description><![CDATA[デジタル時代のメディア世界のマップを描こうという試み。前回は確認の意味で、デジタル情報世界の性質を総括し、人間がこの世界と付き合い、振り舞わされることなく使っていくために、デジタルに表現されるものよりはその意味が重要であ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-915" title="threecircles" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/threecircles.jpg" alt="threecircles" width="129" height="126" />デジタル時代のメディア世界のマップを描こうという試み。前回は確認の意味で、デジタル情報世界の性質を総括し、人間がこの世界と付き合い、振り舞わされることなく使っていくために、デジタルに表現されるものよりはその意味が重要であると述べました。メディアはコンテンツとコンテクストとユーザー3つの要素の関係で成立します。そこに「生きた意味」（つまり価値あるいは体験）が生じるのです。今回は意味について、いくつかの面から考えてみます。</p>
<p><span id="more-877"></span></p>
<h3>意味論的歪曲が支配する悪夢(?)のデジタル世界</h3>
<p style="padding-left: 30px;">前回は変幻自在、融通無碍な「意味」こそ価値の源泉であり、デジタルに振り回されないための、人間の唯一最大の武器であるとお話ししました。情報はものごとの意味を発見するための手段であると言うこともできます。しかし、意味というものは、もちろん人間にとっても厄介なものです。専門的には<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6" target="_blank">言語学</a>や<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E7%90%86%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6" target="_blank">数理論理学</a>で扱います。これらは計算機の世界とも大いに関係しており、Webの検索エンジンやｅコマースのレコメンデーション機能など、応用領域は（Webとともに）どんどん拡大しています。つまりITにおける「意味市場」は少なくとも数兆円を稼ぎ、最大の成長分野だということです。勝てる自信がなくなってきた？</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignleft size-medium wp-image-919" title="clusters" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/clusters-300x202.jpg" alt="clusters" width="240" height="162" />いや心配はいりません。ITで捕まえられる意味などは、ごくわずかなもので、私たちが「疑問」を呈する能力があれば、すぐに無能ぶりを露呈するていのものです。説明責任は向こう側にあります。唯一の問題は、私たちのほうになお“コンピュータ崇拝”があり、このオズの魔法使いが出すものを素朴に受け容れることが習慣となっていることです。いま一度確認すると、デジタルは (1) 利用可能な、量化されたデータのみを扱い、(2) 人間が、ある目的のために単純化した世界モデルに基づき、(3) 制約の中で人間が考えたロジックで計算した結果でしかありません。さらに (4) 誰かのための「結果」を鵜呑みにする必要はないのです。上の4つは、デジタルを自分のために操作するハンドルと考えてください。<span style="color: #ff9900;">（図は意味のネットワークとクラスタリング）</span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%96%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-878" title="Alfred_Korzybski" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Alfred_Korzybski.jpg" alt="Alfred_Korzybski" width="104" height="129" />アルフレッド・コージブスキー</a><span style="color: #ff9900;">（写真）</span>という20世紀前半の人が考えた<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%88%AC%E6%84%8F%E5%91%B3%E8%AB%96" target="_blank">「一般意味論」</a>は、言語学の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E5%91%B3%E8%AB%96" target="_blank">意味論</a>とはまったく異なり、今日では“トンデモ科学”とも揶揄される理論ですが、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E3%83%BBE%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%88" target="_blank">A. E･ ヴァン・ヴォークト</a>や <a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BBA%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3" target="_blank">ロバート･A･ハインライン</a>らのSF作家を魅了・刺激して、知的刺激に満ちた仮想世界、並行世界を生みだした不思議な魅力があります。筆者自身は、観念化や常識の罠（意味論的歪曲）が生んだ集団狂気の時代（両大戦間）に、素朴ながら力強い健全な知恵を多く提供し、なお思想としての可能性を秘めているのではないかと考えています。彼が最も強調したのは、現実 (の多く)は表現主体と表現方法によって破棄され、歪められる、ということの自覚と自衛でした。中途半端な量化によって「省略され歪曲された」情報が「仮想現実」として浸透し、通用しつつある現在、再考に値すると思われます。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignleft size-full wp-image-879" title="Eye_sky" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Eye_sky.jpg" alt="Eye_sky" width="118" height="166" />これもSFですが、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BBK%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF" target="_blank">フィリップ･K･ディック</a>の初期長編<a href="http://www.amazon.co.jp/%E8%99%9A%E7%A9%BA%E3%81%AE%E7%9C%BC-%E5%89%B5%E5%85%83%E6%8E%A8%E7%90%86%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BBK-%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF/dp/4488696082" target="_blank">『虚空の眼』</a>(1957)は、主人公の電子工学者を含む8人が、陽子加速器の事故によってそれぞれ他人の心的世界を体験することになる奇想天外な、しかし悪夢的な物語ですが。その幻想世界たるや、宗教的迷信が作用する世界であったり、病的に潔癖症の女性がすべてに干渉し書き換える世界、あるいは隠れ共産主義者の世界であったり…。主人公は、なんとか幻想世界のロジックを読み解くことで現実に戻れるわけですが、それまでの苦闘の連続で、読者は恐怖と笑いを同時に体験できます。21世紀は、多かれ少なかれデジタル「世界」に支配されています。私たちは小説の主人公ハミルトンのように、つらくても知恵と力を合わせて闘わなければ、人間らしく生きることは難しいでしょう。</p>
<h3>21世紀に文字がなぜ重要か：文字は意味を意味を扱う最高の言語記号</h3>
<p style="padding-left: 30px;">デジタルは意味以外の情報を扱うのは非常に得意です。かつてマルチメディアは不得手とされてきましたが、むしろ動画や音声ほど扱いやすい、したがって様々な<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF" target="_blank">CODEC</a>のフォーマットによる改変を受けやすいのです。では、デジタル化されても影響を受けない情報は何でしょうか。不思議かもしれませんが、それは文字です。これはもともと記号なので、粘土板や石板に刻まれようが、紙に書かれようが、ディスプレイに表示されようが、内容はまったく（正確にはほとんど）影響を受けないのです。文字（言葉、テキスト）はデジタルの支配を受けない唯一のメディアと言えます。それどころか、木簡、巻物、書物、Web、といった媒体の変化のたびに、知識の空間表現の可能性を拡張してきました。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="size-medium wp-image-890 alignright" title="Kindle2_On_Book" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Kindle2_On_Book2-300x89.jpg" alt="Kindle2_On_Book" width="300" height="89" />それなのに「活字メディア」の人々がデジタルの躍進に泣き言を並べるのを聞くと、結局この人たちは活字情報よりも活字「印刷物」で生きてきたのだなと考えてしまいます。たしかに文字と印刷との結びつきは、粘土板や石板、パピルス、亀甲などとの付き合いよりは遥かに浅いとはいえ、その物量が圧倒的なだけに「活字印刷物」へのフェティシズムを広めるには十分でした。しかし、モノではなく知識を扱う自身のある人は、むしろデジタルが意味の王者としての文字（テキスト）の優位を確立するものと考えるでしょう。それは文字が意味と知識の複雑性を（かなり）正確に扱えるからです。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignleft size-full wp-image-892" title="zhuangzi" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/zhuangzi.jpg" alt="zhuangzi" width="120" height="131" />さて意味とそれがもたらす価値について考えてみたいと思うのですが、言語学や論理学には立ち入らず、古代の寓話から入ってみましょう。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%98%E5%AD%90_%28%E6%9B%B8%E7%89%A9%29" target="_blank">『荘子』</a>の<a href="http://sudana.hp.infoseek.co.jp/shouyou.htm" target="_blank">逍遙遊篇</a>にこんな話があります。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%98%E5%AD%90" target="_blank">荘子</a>が、彼の議論を無用と決めつける論理学派（名家）の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%96%BD" target="_blank">恵施</a>をやりこめるためにした話。粗筋はこんなものです。</p>
<blockquote>
<p style="padding-left: 30px;">＜宋の国によく効くあかぎれの薬をつくる人がいました。綿を水でさらす仕事のために使っていたのですが、客がこれを聞いて、その製法を百金で買いたいと言います。宋人は一族で集まって、綿をさらして商っても稼ぎは数金だから、ということで、この技術を売ることに衆議一決しました。客はこれを越の国との戦争を準備中の呉の王に売り込みました。王は彼を将として冬の水戦に臨み、越に大勝。客はこの功で領地を与えられました。＞</p>
</blockquote>
<p style="padding-left: 30px;">ポイントは、軟膏の製法という知識情報の「価値」が、宋の人の日常の暮らしの中と呉の非常時とではまるで違っているということ。価値相対論の荘子は、ほかに大小、美醜、貴賎などの区別も相対的なもので、視点や状況によって評価は変わる、ということを説いて友人であり論敵の恵子を凹ませています。敢えて要らざる詮索をすれば、この場合に意味を持つ情報は、(1) 呉の戦争準備、(2) 冬期の水戦の課題、(3) あかぎれ薬の入手可能性、(4) 呉王とそのブレーンの性格などで、こうしたコンテクストを組合せて「バリューチェーン」を構想・実現した「客人」はタダ者ではなかった。アイデアは薬の製法というより、国際情勢から薬の使い途を発想したことにあったわけです。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignright size-full wp-image-891" title="crossword182-220" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/crossword182-220.jpg" alt="crossword182-220" width="164" height="198" />モノや情報が価値を持つためには、クロスワードパズルを解くように、数多くのポイントで「意味」を成立させることが必要で、そのことは2500年前も現在も変わっていません。ITは不器用にロジックを組み立て、データを解析して「意味」に迫っていますが、人間は一足飛びに勘を働かせ、最低限の情報から多くを読み取って、相手に合わせたロジックを組み立てることができます。言葉の裏にある多様な意味を知識として保持し、適切に応用できるのも人間です。Googleやアマゾンが百億円、千億円をITに投じてマーケティング上の「意味」を読み取り、応用しているのは、もちろん数千億、数兆の売上を求めてのことですが、個人やグループは、より安価なITとデジタル情報を使って、局地的にはもっと効率的に成果を上げることが可能です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">意味はTPOに依存し、その妥当性を厳密に検証するためには5W1Hを考えることが必要になるでしょう。翻訳というものをやってみると分かりますが、著者の個性・生活・文化・対象読者によって様々な「解釈」の余地があります。17文字の俳句にも、季語や切れをはじめとするかなり複雑な規則や技法があり、古典作品を含めてそれらを知っていることが鑑賞の条件にもなっています。コンテクストを扱えるという能力は、どんどん研ぎ澄ましておくべきでしょう。答を検索エンジンに求めることは危険です。5W1Hの思考を身に着けていなければ、意味のある情報すら探せないでしょう。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignleft size-medium wp-image-899" title="meaning_of_life_google" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/meaning_of_life_google-300x198.jpg" alt="meaning_of_life_google" width="300" height="198" />そうした意味で、最強の質問はつねに「なぜ」です。問題とその解決を考える上で、これほど強力な武器はありません。これが思考の出発点です。知恵は他人から与えられるものではなく、自分で発見し獲得するものですが、「なぜ」はいつでもその鍵となるでしょう。 （12/25/2009、鎌田博樹)<br />
次回は、<span style="color: #993366;">メディアにおける「意味」</span>を考えたいと思います。</p>
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		<title>デジタルメディア論 (1)</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2009/12/on-digital-media1/</link>
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		<pubDate>Sun, 13 Dec 2009 07:24:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Concept Sheet]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[デジタルメディア論]]></category>

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		<description><![CDATA[筆者はこれまで、シンクタンクからメディア、ITまで、様々な世界、様々な立場で「情報」の現場を経験してきました。結果として「鄙事（ひじ）に多能なり」（論語・子罕第九の六）となったわけですが、とくに30年あまり、デジタル化の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignright size-medium wp-image-750" title="Digital_Lollipops" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Digital_Lollipops-300x225.jpg" alt="Digital_Lollipops" width="180" height="135" />筆者はこれまで、シンクタンクからメディア、ITまで、様々な世界、様々な立場で「情報」の現場を経験してきました。結果として「<a href="http://blog.mage8.com/rongo-09-06" target="_blank">鄙事（ひじ）に多能なり</a>」（論語・子罕第九の六）となったわけですが、とくに30年あまり、デジタル化の歴史を見てきたことは、「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96" target="_blank">デジタルネイティブ</a>」の皆さんより、ひとつだけ有利な（あるいは責任ある）立場にあるとも言えます。本サイトは、21世紀のメディアビジネスの羅針盤とも、またプラットフォームともしようと意図して始めたものですが、これまでの経験や知識、見聞、思考をかき集めて、<span style="color: #cc0000;">メディア世界のマップ</span>を描こうと考えました。（鎌田博樹）<span id="more-715"></span><span id="more-715"> </span></p>
<p style="padding-left: 30px;">急速に変化する事象を静止した図面に書き込むのは、もとより不可能ですが、<span style="color: #cc0000;">構造・</span><span style="color: #cc0000;">変化とその方向</span>を 記述することは可能です。また不変なものと急速に変化しているものの間には、速度の異なる現実があります。人間の意思によって変えられるものもあれば、そ うでないものもあります。また、壊してはならないと思われるものもあります。それらについて書くことも重要だと考えました。成功するかどうかはともかく、 目標はデジタル時代の<span style="color: #cc0000;">メディアとメディアビジネスのアーキテクチャ</span>を示すことです。それは、旧時代の陋習に囚われず、また次々登場するガジェットなどに惑わされず、<span style="color: #cc0000;">知識情報のコミュニケーション</span>という本質に即した、テクノロジーとビジネスの王道を歩む方々にとって有益なマップとなることを意図しています。</p>
<h3>デジタル・ビッグバン</h3>
<p style="padding-left: 30px;">すべての情報を2値化して取り込むデジタルの世界においては、文字、画像、動画、音声の区別も、本、映像、音楽、ゲームといった区分も相対的なものです。<span style="color: #cc0000;"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2">マルチメディア</a></span>とか、<span style="color: #cc0000;"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9" target="_blank">メディアミックス</a></span>という言葉も、それらが珍しかった時代の名残りです。またソフトウェアと「コンテンツ」の区別も、大した意味を持ちません。動的なコンテンツはソフトウェアと変わらず、デジタルの前ではすべてが平等です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">つまり、五感で感知できる情報、記述可能なモデルはすべてデジタルに変換され、加工され、表現されるということです。このことはビジネス的には重大な意味を持っています。</p>
<p style="padding-left: 60px;">第１に、メディアは<span style="color: #cc0000;">デジタル中心</span>に動くようになる。<br />
第２に、メディアの<span style="color: #cc0000;">技術的構成</span>（設備、ツール、技能…）が変わる<br />
第３に、メディア関連ビジネスは従来のような<span style="color: #cc0000;">安定を回復することはない</span></p>
<p style="padding-left: 30px;">ITが高価で扱いにくかった時代、デジタルはむしろ脇役でした。しかし製作から配信ま で、オールデジタルで扱ったほうが圧倒的に安上がりになってくると話は違います。すでにアナログは資源浪費的で贅沢な存在なのですから、心して使うべきで しょう。そのことに気づいていなかった人は、突然これまでと別の世界に直面することになるでしょう。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignleft size-medium wp-image-743" title="wwdimpact" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/wwdimpact-225x300.jpg" alt="wwdimpact" width="180" height="240" />物理的なパッケージ（たとえば新聞、本、映画）となったコンテンツは、主役の座を失い、形も重さもないデジタル世界の脇役に転化していきます。放送と出版の区別も消失し、ただ様々なジャンルの情報を扱う「<span style="color: #cc0000;">メディア・パブリッシャー</span>」だけが存在することになるでしょう。メディアの技術的構成が変われば、メディアに関わる<span style="color: #cc0000;">キャリア</span>や<span style="color: #cc0000;">スキル</span>も変わります。これはすでに（たとえば写植からDTPへの移行で）経験済みのことではありますが、いま起こっていることは、その比ではありません。編集関連作業の<span style="color: #cc0000;">アウトソース</span>は、すでにインドでビジネスとして成長しつつあります。これまで比較的高収入で安定していた職業が、いまやインドや中国の賃金との競争にさらされているのです。旧メディアの恐竜も生き残りに必死です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">重要なことは、メディアで起こっていることが、すべて社会のあらゆる場面で起きていることの反映だということです。ビジネスも行政も、教育も、医療も、文化も、<span style="color: #cc0000;">情報に関わる部分はすべてデジタル中心に移行</span>し つつあります。すでに消滅した職種や業務もあり、これからも消滅していくでしょう。これもメディアビジネスと同じです。PCやスマートフォン、E- Readerなど、様々な形をとる「コンピュータ」は、汎用的にすべての情報業務や娯楽に使われます。出版であれ、放送であれ、「パブリッシャー」が資料 室よりも<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%89%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0" target="_blank">クラウド</a>を使うのは、むしろ自然の成り行きと言えます。</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<h3>デジタルは偉大ではない</h3>
<p style="padding-left: 30px;">デジタルは「偉大」ではありません。しょせんはコンピュータがやることです。ゼロと１しか解さず、足し算しかできません。とはいえ、記述可能なあらゆるものを呑み込んで、あとはプログラミングと演算の馬鹿力で難解な計算処理も克服します。だから、擬似的に「賢く」振る舞うこともできるし、情報をもとに現実らしきものを再現することにも成功しました。教えられたロジックを理解し、学習もし、生命体に似せて、自律性や自己修復性を持たせることもできます。足し算しかできない割には、恐るべき電脳というべきでしょう。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignright size-medium wp-image-753" title="mirror" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/mirror-300x225.jpg" alt="mirror" width="240" height="180" />しかし、デジタルが「偉大」でない根本的な理由は、どんなに頑張っても、それは影（あるいは写像）にすぎないことです。偉大な芸術はほとんどアナログです。人間の頭に浮かぶことはアナログで、人間はアナログ情報しか感知できません。オリジナルとアウトプットはアナログである以外にない。デジタルはつねに日陰の身です。だから、デジタルが見せる世界をそのまま現実と連続させるのは、鏡像を現実と錯覚するようなもので、たぶん精神に大きな問題をもたらすと思われます<span style="color: #888888;">（図のCGは &#8220;Good Mirror&#8221;、作者不詳）<span style="color: #000000;">。</span></span></p>
<p style="padding-left: 30px;">さらに、デジタルはすべて「人為」で生まれたものです。誰かが、何か（ビジネス）のために、何らかの（制約を持った）方法で情報を数値化し、あるいは加工し、欠陥を免れない彼らのロジックでプログラムし、彼らが適当と考えたルールで「判断」 するのがデジタルの世界です。人は、それに対して、認めるか、拒否するか、別のシステムをつくるか、といった方法しかありません。仮に市場で選択できるとしても、あまり気持ちのいいものではありません。デジタルは、つねに人為を隠した「客観的現実」のように見せますが、本質において欠陥の少なくない人間の 手にかかったものです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">そして3つ目。デジタルはそれを使いこなせず、使われる立場になった人から仕事を奪います。デジタルのやり方を承認すれば、次には誰かの仕事はなくなっていくかも知れません。現に、過去20年間、ホワイトカラーの仕事は減少し続けています。増えているのは、運転手や接客業などの人間的知性と微細な作業を必要とはするものの低収入の職業です。これは市場の縮小につながり、経済を衰退させるでしょう。逆説的ですが、デジタルに疑問を持ち、欠陥を発見し、改善していける人間でないと、負けてしまうことになります。いつかは、デジタルと人間との不毛な争いに終止符が打たれ、人間が楽になるようにだけ、デジタルが働くようになる願望を持っています。いまのところ心を許せませんが。ではデジタルの弱点を探してみましょう。プレデターにも弱点がないと人類文明はピンチです。</p>
<h3>デジタルは食べられない</h3>
<p style="padding-left: 30px;">当たり前ですが、デジタルなものは現実世界の実体ではないのですから、いくらうまそうな料理の情報も食べるわけにはいきません。デジタルは、着る ことも、食べることも、住むこともできないのです。情報を実体の代わりに「体験」できることもあるでしょうが、物理的体験や精神的体験はデジタルには置き換わりません。情報というものを考える際に、筆者がいつも出発点に置く言葉があります<span style="color: #808080;">（記憶不祥</span>）。</p>
<p style="padding-left: 60px;">モノがなければ何も存在せず　 　　　Without thing, nothing exists.<br />
エネルギーがなければ何も起こらず 　Without energy, nothing happens.<br />
情報がなければ何も意味をなさない 　Without information, nothing makes sense.</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignleft size-medium wp-image-737" title="Kongzi8" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Kongzi8-190x300.jpg" alt="Kongzi8" width="137" height="216" />こじつけのようですが、これを聞くと、斉の景公が孔子との問答で述べた言葉。<a href="http://blog.mage8.com/rongo-12-11" target="_blank"><span style="color: #99cc00;">「信 (まこと) に如 (も) し君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらずんば、粟 (ぞく) 有 (あ) りと雖 (いえど) も、吾 (われ) 得 (え)て諸 (これ) を食 (くら)わんや。」</span></a>（論語・顔淵・第十二の十一）を思い出します。公は政治（の基本）を孔子が「君君 臣臣 父父 子子」と述べたことに「その通りだ」と同意し、意味（この場合は本来の役割）が成り立たないのなら、王侯であっても食に窮することになるであろうな、とまことに適確に理解したわけです。景公は結局孔子を採用しなかったので古来誰も褒めませんが、筆者は凄い知性だと思います。意味こそ、社会や人間関係を成り立たせているものですが、権力者ほどそれを軽視しがちだからです。意味がなければ、情報はノイズにすぎない。そして「意味」こそ、デジタルに使われることなく、デジタルを使っていくための鍵であると思われます。<span style="color: #888888;">（</span><span style="color: #808080;">図は孔子様）</span></p>
<p style="padding-left: 30px;">
<p style="padding-left: 30px;">デジタルを使いこなすためには、意味が重要となります。意味を成さなければノイズとなるのですから。幸か不幸か、コンピュータには（人間が定義した）非常に限られた視野でしか「意味」を把握できないという限界があります。コンピュータが人間並みに「意味」を理解することは、将来ともに出来ないことはすでに証明されているのでご安心を（それに納得しない科学者の挑戦は続きますが）。もちろん、人間も欠陥だらけですが、それでも確実に勝つことができるのです。デジタルとの付き合いの基本は、「意味」の理解、解釈で先手を取ることです。ものごとの意味が改めて問われるような問題をどんどん起こすのは人間の特権です。「意味」は関係性によってダイナミックに変化します。「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%83%E3%82%BA" target="_blank">タイガー・ウッズ</a>」の意味も、この数週間で劇的に変化しました。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignright size-full wp-image-747" title="meaning1" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/meaning1.jpg" alt="meaning1" width="240" height="206" />「意味」は考える人間の味方です。「意味」こそが情報に価値を与えるのです。これからのメディアは、「意味」が最大のキーワードになるでしょう。これから、メディアがどのようにデジタルを出し抜くことができるかを考えていきたいと思います。それは「疑問」とくに「なぜ」から始まります。（12/13/2009記）</p>
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