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	<title>EBook2.0 Forum &#187; Concept Sheet</title>
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		<title>デジタルメディア論 (2)</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2009/12/on-digital-media2/</link>
		<comments>http://www.ebook2forum.com/2009/12/on-digital-media2/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 25 Dec 2009 11:53:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Concept Sheet]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[セマンティックグラフ]]></category>
		<category><![CDATA[テキスト]]></category>
		<category><![CDATA[意味論]]></category>

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		<description><![CDATA[デジタル時代のメディア世界のマップを描こうという試み。前回は確認の意味で、デジタル情報世界の性質を総括し、人間がこの世界と付き合い、振り舞わされることなく使っていくために、デジタルに表現されるものよりはその意味が重要であ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-915" title="threecircles" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/threecircles.jpg" alt="threecircles" width="129" height="126" />デジタル時代のメディア世界のマップを描こうという試み。前回は確認の意味で、デジタル情報世界の性質を総括し、人間がこの世界と付き合い、振り舞わされることなく使っていくために、デジタルに表現されるものよりはその意味が重要であると述べました。メディアはコンテンツとコンテクストとユーザー3つの要素の関係で成立します。そこに「生きた意味」（つまり価値あるいは体験）が生じるのです。今回は意味について、いくつかの面から考えてみます。</p>
<p><span id="more-877"></span></p>
<h3>意味論的歪曲が支配する悪夢(?)のデジタル世界</h3>
<p style="padding-left: 30px;">前回は変幻自在、融通無碍な「意味」こそ価値の源泉であり、デジタルに振り回されないための、人間の唯一最大の武器であるとお話ししました。情報はものごとの意味を発見するための手段であると言うこともできます。しかし、意味というものは、もちろん人間にとっても厄介なものです。専門的には<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6" target="_blank">言語学</a>や<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E7%90%86%E8%AB%96%E7%90%86%E5%AD%A6" target="_blank">数理論理学</a>で扱います。これらは計算機の世界とも大いに関係しており、Webの検索エンジンやｅコマースのレコメンデーション機能など、応用領域は（Webとともに）どんどん拡大しています。つまりITにおける「意味市場」は少なくとも数兆円を稼ぎ、最大の成長分野だということです。勝てる自信がなくなってきた？</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignleft size-medium wp-image-919" title="clusters" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/clusters-300x202.jpg" alt="clusters" width="240" height="162" />いや心配はいりません。ITで捕まえられる意味などは、ごくわずかなもので、私たちが「疑問」を呈する能力があれば、すぐに無能ぶりを露呈するていのものです。説明責任は向こう側にあります。唯一の問題は、私たちのほうになお“コンピュータ崇拝”があり、このオズの魔法使いが出すものを素朴に受け容れることが習慣となっていることです。いま一度確認すると、デジタルは (1) 利用可能な、量化されたデータのみを扱い、(2) 人間が、ある目的のために単純化した世界モデルに基づき、(3) 制約の中で人間が考えたロジックで計算した結果でしかありません。さらに (4) 誰かのための「結果」を鵜呑みにする必要はないのです。上の4つは、デジタルを自分のために操作するハンドルと考えてください。<span style="color: #ff9900;">（図は意味のネットワークとクラスタリング）</span></p>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%96%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-878" title="Alfred_Korzybski" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Alfred_Korzybski.jpg" alt="Alfred_Korzybski" width="104" height="129" />アルフレッド・コージブスキー</a><span style="color: #ff9900;">（写真）</span>という20世紀前半の人が考えた<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%88%AC%E6%84%8F%E5%91%B3%E8%AB%96" target="_blank">「一般意味論」</a>は、言語学の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E5%91%B3%E8%AB%96" target="_blank">意味論</a>とはまったく異なり、今日では“トンデモ科学”とも揶揄される理論ですが、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E3%83%BBE%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%88" target="_blank">A. E･ ヴァン・ヴォークト</a>や <a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BBA%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3" target="_blank">ロバート･A･ハインライン</a>らのSF作家を魅了・刺激して、知的刺激に満ちた仮想世界、並行世界を生みだした不思議な魅力があります。筆者自身は、観念化や常識の罠（意味論的歪曲）が生んだ集団狂気の時代（両大戦間）に、素朴ながら力強い健全な知恵を多く提供し、なお思想としての可能性を秘めているのではないかと考えています。彼が最も強調したのは、現実 (の多く)は表現主体と表現方法によって破棄され、歪められる、ということの自覚と自衛でした。中途半端な量化によって「省略され歪曲された」情報が「仮想現実」として浸透し、通用しつつある現在、再考に値すると思われます。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignleft size-full wp-image-879" title="Eye_sky" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Eye_sky.jpg" alt="Eye_sky" width="118" height="166" />これもSFですが、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BBK%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF" target="_blank">フィリップ･K･ディック</a>の初期長編<a href="http://www.amazon.co.jp/%E8%99%9A%E7%A9%BA%E3%81%AE%E7%9C%BC-%E5%89%B5%E5%85%83%E6%8E%A8%E7%90%86%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BBK-%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF/dp/4488696082" target="_blank">『虚空の眼』</a>(1957)は、主人公の電子工学者を含む8人が、陽子加速器の事故によってそれぞれ他人の心的世界を体験することになる奇想天外な、しかし悪夢的な物語ですが。その幻想世界たるや、宗教的迷信が作用する世界であったり、病的に潔癖症の女性がすべてに干渉し書き換える世界、あるいは隠れ共産主義者の世界であったり…。主人公は、なんとか幻想世界のロジックを読み解くことで現実に戻れるわけですが、それまでの苦闘の連続で、読者は恐怖と笑いを同時に体験できます。21世紀は、多かれ少なかれデジタル「世界」に支配されています。私たちは小説の主人公ハミルトンのように、つらくても知恵と力を合わせて闘わなければ、人間らしく生きることは難しいでしょう。</p>
<h3>21世紀に文字がなぜ重要か：文字は意味を意味を扱う最高の言語記号</h3>
<p style="padding-left: 30px;">デジタルは意味以外の情報を扱うのは非常に得意です。かつてマルチメディアは不得手とされてきましたが、むしろ動画や音声ほど扱いやすい、したがって様々な<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF" target="_blank">CODEC</a>のフォーマットによる改変を受けやすいのです。では、デジタル化されても影響を受けない情報は何でしょうか。不思議かもしれませんが、それは文字です。これはもともと記号なので、粘土板や石板に刻まれようが、紙に書かれようが、ディスプレイに表示されようが、内容はまったく（正確にはほとんど）影響を受けないのです。文字（言葉、テキスト）はデジタルの支配を受けない唯一のメディアと言えます。それどころか、木簡、巻物、書物、Web、といった媒体の変化のたびに、知識の空間表現の可能性を拡張してきました。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="size-medium wp-image-890 alignright" title="Kindle2_On_Book" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Kindle2_On_Book2-300x89.jpg" alt="Kindle2_On_Book" width="300" height="89" />それなのに「活字メディア」の人々がデジタルの躍進に泣き言を並べるのを聞くと、結局この人たちは活字情報よりも活字「印刷物」で生きてきたのだなと考えてしまいます。たしかに文字と印刷との結びつきは、粘土板や石板、パピルス、亀甲などとの付き合いよりは遥かに浅いとはいえ、その物量が圧倒的なだけに「活字印刷物」へのフェティシズムを広めるには十分でした。しかし、モノではなく知識を扱う自身のある人は、むしろデジタルが意味の王者としての文字（テキスト）の優位を確立するものと考えるでしょう。それは文字が意味と知識の複雑性を（かなり）正確に扱えるからです。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignleft size-full wp-image-892" title="zhuangzi" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/zhuangzi.jpg" alt="zhuangzi" width="120" height="131" />さて意味とそれがもたらす価値について考えてみたいと思うのですが、言語学や論理学には立ち入らず、古代の寓話から入ってみましょう。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%98%E5%AD%90_%28%E6%9B%B8%E7%89%A9%29" target="_blank">『荘子』</a>の<a href="http://sudana.hp.infoseek.co.jp/shouyou.htm" target="_blank">逍遙遊篇</a>にこんな話があります。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%98%E5%AD%90" target="_blank">荘子</a>が、彼の議論を無用と決めつける論理学派（名家）の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%96%BD" target="_blank">恵施</a>をやりこめるためにした話。粗筋はこんなものです。</p>
<blockquote>
<p style="padding-left: 30px;">＜宋の国によく効くあかぎれの薬をつくる人がいました。綿を水でさらす仕事のために使っていたのですが、客がこれを聞いて、その製法を百金で買いたいと言います。宋人は一族で集まって、綿をさらして商っても稼ぎは数金だから、ということで、この技術を売ることに衆議一決しました。客はこれを越の国との戦争を準備中の呉の王に売り込みました。王は彼を将として冬の水戦に臨み、越に大勝。客はこの功で領地を与えられました。＞</p>
</blockquote>
<p style="padding-left: 30px;">ポイントは、軟膏の製法という知識情報の「価値」が、宋の人の日常の暮らしの中と呉の非常時とではまるで違っているということ。価値相対論の荘子は、ほかに大小、美醜、貴賎などの区別も相対的なもので、視点や状況によって評価は変わる、ということを説いて友人であり論敵の恵子を凹ませています。敢えて要らざる詮索をすれば、この場合に意味を持つ情報は、(1) 呉の戦争準備、(2) 冬期の水戦の課題、(3) あかぎれ薬の入手可能性、(4) 呉王とそのブレーンの性格などで、こうしたコンテクストを組合せて「バリューチェーン」を構想・実現した「客人」はタダ者ではなかった。アイデアは薬の製法というより、国際情勢から薬の使い途を発想したことにあったわけです。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignright size-full wp-image-891" title="crossword182-220" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/crossword182-220.jpg" alt="crossword182-220" width="164" height="198" />モノや情報が価値を持つためには、クロスワードパズルを解くように、数多くのポイントで「意味」を成立させることが必要で、そのことは2500年前も現在も変わっていません。ITは不器用にロジックを組み立て、データを解析して「意味」に迫っていますが、人間は一足飛びに勘を働かせ、最低限の情報から多くを読み取って、相手に合わせたロジックを組み立てることができます。言葉の裏にある多様な意味を知識として保持し、適切に応用できるのも人間です。Googleやアマゾンが百億円、千億円をITに投じてマーケティング上の「意味」を読み取り、応用しているのは、もちろん数千億、数兆の売上を求めてのことですが、個人やグループは、より安価なITとデジタル情報を使って、局地的にはもっと効率的に成果を上げることが可能です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">意味はTPOに依存し、その妥当性を厳密に検証するためには5W1Hを考えることが必要になるでしょう。翻訳というものをやってみると分かりますが、著者の個性・生活・文化・対象読者によって様々な「解釈」の余地があります。17文字の俳句にも、季語や切れをはじめとするかなり複雑な規則や技法があり、古典作品を含めてそれらを知っていることが鑑賞の条件にもなっています。コンテクストを扱えるという能力は、どんどん研ぎ澄ましておくべきでしょう。答を検索エンジンに求めることは危険です。5W1Hの思考を身に着けていなければ、意味のある情報すら探せないでしょう。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignleft size-medium wp-image-899" title="meaning_of_life_google" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/meaning_of_life_google-300x198.jpg" alt="meaning_of_life_google" width="300" height="198" />そうした意味で、最強の質問はつねに「なぜ」です。問題とその解決を考える上で、これほど強力な武器はありません。これが思考の出発点です。知恵は他人から与えられるものではなく、自分で発見し獲得するものですが、「なぜ」はいつでもその鍵となるでしょう。 （12/25/2009、鎌田博樹)<br />
次回は、<span style="color: #993366;">メディアにおける「意味」</span>を考えたいと思います。</p>
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		<title>デジタルメディア論 (1)</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2009/12/on-digital-media1/</link>
		<comments>http://www.ebook2forum.com/2009/12/on-digital-media1/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Dec 2009 07:24:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Concept Sheet]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[デジタルメディア論]]></category>

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		<description><![CDATA[筆者はこれまで、シンクタンクからメディア、ITまで、様々な世界、様々な立場で「情報」の現場を経験してきました。結果として「鄙事（ひじ）に多能なり」（論語・子罕第九の六）となったわけですが、とくに30年あまり、デジタル化の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignright size-medium wp-image-750" title="Digital_Lollipops" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Digital_Lollipops-300x225.jpg" alt="Digital_Lollipops" width="180" height="135" />筆者はこれまで、シンクタンクからメディア、ITまで、様々な世界、様々な立場で「情報」の現場を経験してきました。結果として「<a href="http://blog.mage8.com/rongo-09-06" target="_blank">鄙事（ひじ）に多能なり</a>」（論語・子罕第九の六）となったわけですが、とくに30年あまり、デジタル化の歴史を見てきたことは、「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96" target="_blank">デジタルネイティブ</a>」の皆さんより、ひとつだけ有利な（あるいは責任ある）立場にあるとも言えます。本サイトは、21世紀のメディアビジネスの羅針盤とも、またプラットフォームともしようと意図して始めたものですが、これまでの経験や知識、見聞、思考をかき集めて、<span style="color: #cc0000;">メディア世界のマップ</span>を描こうと考えました。（鎌田博樹）<span id="more-715"></span><span id="more-715"> </span></p>
<p style="padding-left: 30px;">急速に変化する事象を静止した図面に書き込むのは、もとより不可能ですが、<span style="color: #cc0000;">構造・</span><span style="color: #cc0000;">変化とその方向</span>を 記述することは可能です。また不変なものと急速に変化しているものの間には、速度の異なる現実があります。人間の意思によって変えられるものもあれば、そ うでないものもあります。また、壊してはならないと思われるものもあります。それらについて書くことも重要だと考えました。成功するかどうかはともかく、 目標はデジタル時代の<span style="color: #cc0000;">メディアとメディアビジネスのアーキテクチャ</span>を示すことです。それは、旧時代の陋習に囚われず、また次々登場するガジェットなどに惑わされず、<span style="color: #cc0000;">知識情報のコミュニケーション</span>という本質に即した、テクノロジーとビジネスの王道を歩む方々にとって有益なマップとなることを意図しています。</p>
<h3>デジタル・ビッグバン</h3>
<p style="padding-left: 30px;">すべての情報を2値化して取り込むデジタルの世界においては、文字、画像、動画、音声の区別も、本、映像、音楽、ゲームといった区分も相対的なものです。<span style="color: #cc0000;"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2">マルチメディア</a></span>とか、<span style="color: #cc0000;"><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9" target="_blank">メディアミックス</a></span>という言葉も、それらが珍しかった時代の名残りです。またソフトウェアと「コンテンツ」の区別も、大した意味を持ちません。動的なコンテンツはソフトウェアと変わらず、デジタルの前ではすべてが平等です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">つまり、五感で感知できる情報、記述可能なモデルはすべてデジタルに変換され、加工され、表現されるということです。このことはビジネス的には重大な意味を持っています。</p>
<p style="padding-left: 60px;">第１に、メディアは<span style="color: #cc0000;">デジタル中心</span>に動くようになる。<br />
第２に、メディアの<span style="color: #cc0000;">技術的構成</span>（設備、ツール、技能…）が変わる<br />
第３に、メディア関連ビジネスは従来のような<span style="color: #cc0000;">安定を回復することはない</span></p>
<p style="padding-left: 30px;">ITが高価で扱いにくかった時代、デジタルはむしろ脇役でした。しかし製作から配信ま で、オールデジタルで扱ったほうが圧倒的に安上がりになってくると話は違います。すでにアナログは資源浪費的で贅沢な存在なのですから、心して使うべきで しょう。そのことに気づいていなかった人は、突然これまでと別の世界に直面することになるでしょう。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignleft size-medium wp-image-743" title="wwdimpact" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/wwdimpact-225x300.jpg" alt="wwdimpact" width="180" height="240" />物理的なパッケージ（たとえば新聞、本、映画）となったコンテンツは、主役の座を失い、形も重さもないデジタル世界の脇役に転化していきます。放送と出版の区別も消失し、ただ様々なジャンルの情報を扱う「<span style="color: #cc0000;">メディア・パブリッシャー</span>」だけが存在することになるでしょう。メディアの技術的構成が変われば、メディアに関わる<span style="color: #cc0000;">キャリア</span>や<span style="color: #cc0000;">スキル</span>も変わります。これはすでに（たとえば写植からDTPへの移行で）経験済みのことではありますが、いま起こっていることは、その比ではありません。編集関連作業の<span style="color: #cc0000;">アウトソース</span>は、すでにインドでビジネスとして成長しつつあります。これまで比較的高収入で安定していた職業が、いまやインドや中国の賃金との競争にさらされているのです。旧メディアの恐竜も生き残りに必死です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">重要なことは、メディアで起こっていることが、すべて社会のあらゆる場面で起きていることの反映だということです。ビジネスも行政も、教育も、医療も、文化も、<span style="color: #cc0000;">情報に関わる部分はすべてデジタル中心に移行</span>し つつあります。すでに消滅した職種や業務もあり、これからも消滅していくでしょう。これもメディアビジネスと同じです。PCやスマートフォン、E- Readerなど、様々な形をとる「コンピュータ」は、汎用的にすべての情報業務や娯楽に使われます。出版であれ、放送であれ、「パブリッシャー」が資料 室よりも<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%89%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0" target="_blank">クラウド</a>を使うのは、むしろ自然の成り行きと言えます。</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<h3>デジタルは偉大ではない</h3>
<p style="padding-left: 30px;">デジタルは「偉大」ではありません。しょせんはコンピュータがやることです。ゼロと１しか解さず、足し算しかできません。とはいえ、記述可能なあらゆるものを呑み込んで、あとはプログラミングと演算の馬鹿力で難解な計算処理も克服します。だから、擬似的に「賢く」振る舞うこともできるし、情報をもとに現実らしきものを再現することにも成功しました。教えられたロジックを理解し、学習もし、生命体に似せて、自律性や自己修復性を持たせることもできます。足し算しかできない割には、恐るべき電脳というべきでしょう。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignright size-medium wp-image-753" title="mirror" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/mirror-300x225.jpg" alt="mirror" width="240" height="180" />しかし、デジタルが「偉大」でない根本的な理由は、どんなに頑張っても、それは影（あるいは写像）にすぎないことです。偉大な芸術はほとんどアナログです。人間の頭に浮かぶことはアナログで、人間はアナログ情報しか感知できません。オリジナルとアウトプットはアナログである以外にない。デジタルはつねに日陰の身です。だから、デジタルが見せる世界をそのまま現実と連続させるのは、鏡像を現実と錯覚するようなもので、たぶん精神に大きな問題をもたらすと思われます<span style="color: #888888;">（図のCGは &#8220;Good Mirror&#8221;、作者不詳）<span style="color: #000000;">。</span></span></p>
<p style="padding-left: 30px;">さらに、デジタルはすべて「人為」で生まれたものです。誰かが、何か（ビジネス）のために、何らかの（制約を持った）方法で情報を数値化し、あるいは加工し、欠陥を免れない彼らのロジックでプログラムし、彼らが適当と考えたルールで「判断」 するのがデジタルの世界です。人は、それに対して、認めるか、拒否するか、別のシステムをつくるか、といった方法しかありません。仮に市場で選択できるとしても、あまり気持ちのいいものではありません。デジタルは、つねに人為を隠した「客観的現実」のように見せますが、本質において欠陥の少なくない人間の 手にかかったものです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">そして3つ目。デジタルはそれを使いこなせず、使われる立場になった人から仕事を奪います。デジタルのやり方を承認すれば、次には誰かの仕事はなくなっていくかも知れません。現に、過去20年間、ホワイトカラーの仕事は減少し続けています。増えているのは、運転手や接客業などの人間的知性と微細な作業を必要とはするものの低収入の職業です。これは市場の縮小につながり、経済を衰退させるでしょう。逆説的ですが、デジタルに疑問を持ち、欠陥を発見し、改善していける人間でないと、負けてしまうことになります。いつかは、デジタルと人間との不毛な争いに終止符が打たれ、人間が楽になるようにだけ、デジタルが働くようになる願望を持っています。いまのところ心を許せませんが。ではデジタルの弱点を探してみましょう。プレデターにも弱点がないと人類文明はピンチです。</p>
<h3>デジタルは食べられない</h3>
<p style="padding-left: 30px;">当たり前ですが、デジタルなものは現実世界の実体ではないのですから、いくらうまそうな料理の情報も食べるわけにはいきません。デジタルは、着る ことも、食べることも、住むこともできないのです。情報を実体の代わりに「体験」できることもあるでしょうが、物理的体験や精神的体験はデジタルには置き換わりません。情報というものを考える際に、筆者がいつも出発点に置く言葉があります<span style="color: #808080;">（記憶不祥</span>）。</p>
<p style="padding-left: 60px;">モノがなければ何も存在せず　 　　　Without thing, nothing exists.<br />
エネルギーがなければ何も起こらず 　Without energy, nothing happens.<br />
情報がなければ何も意味をなさない 　Without information, nothing makes sense.</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignleft size-medium wp-image-737" title="Kongzi8" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Kongzi8-190x300.jpg" alt="Kongzi8" width="137" height="216" />こじつけのようですが、これを聞くと、斉の景公が孔子との問答で述べた言葉。<a href="http://blog.mage8.com/rongo-12-11" target="_blank"><span style="color: #99cc00;">「信 (まこと) に如 (も) し君君たらず、臣臣たらず、父父たらず、子子たらずんば、粟 (ぞく) 有 (あ) りと雖 (いえど) も、吾 (われ) 得 (え)て諸 (これ) を食 (くら)わんや。」</span></a>（論語・顔淵・第十二の十一）を思い出します。公は政治（の基本）を孔子が「君君 臣臣 父父 子子」と述べたことに「その通りだ」と同意し、意味（この場合は本来の役割）が成り立たないのなら、王侯であっても食に窮することになるであろうな、とまことに適確に理解したわけです。景公は結局孔子を採用しなかったので古来誰も褒めませんが、筆者は凄い知性だと思います。意味こそ、社会や人間関係を成り立たせているものですが、権力者ほどそれを軽視しがちだからです。意味がなければ、情報はノイズにすぎない。そして「意味」こそ、デジタルに使われることなく、デジタルを使っていくための鍵であると思われます。<span style="color: #888888;">（</span><span style="color: #808080;">図は孔子様）</span></p>
<p style="padding-left: 30px;">
<p style="padding-left: 30px;">デジタルを使いこなすためには、意味が重要となります。意味を成さなければノイズとなるのですから。幸か不幸か、コンピュータには（人間が定義した）非常に限られた視野でしか「意味」を把握できないという限界があります。コンピュータが人間並みに「意味」を理解することは、将来ともに出来ないことはすでに証明されているのでご安心を（それに納得しない科学者の挑戦は続きますが）。もちろん、人間も欠陥だらけですが、それでも確実に勝つことができるのです。デジタルとの付き合いの基本は、「意味」の理解、解釈で先手を取ることです。ものごとの意味が改めて問われるような問題をどんどん起こすのは人間の特権です。「意味」は関係性によってダイナミックに変化します。「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%83%E3%82%BA" target="_blank">タイガー・ウッズ</a>」の意味も、この数週間で劇的に変化しました。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignright size-full wp-image-747" title="meaning1" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/meaning1.jpg" alt="meaning1" width="240" height="206" />「意味」は考える人間の味方です。「意味」こそが情報に価値を与えるのです。これからのメディアは、「意味」が最大のキーワードになるでしょう。これから、メディアがどのようにデジタルを出し抜くことができるかを考えていきたいと思います。それは「疑問」とくに「なぜ」から始まります。（12/13/2009記）</p>
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