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	<title>EBook2.0 Forum&#187; Editorial</title>
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		<title>アマゾンは出版社の敵か味方か：もう一つの見方</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Dec 2011 11:03:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[アマゾンはKindleの日本開店を延期(EB2 Magazine, No. 2-15)したようだが、難航する交渉の背景には、出版社の抜きがたい警戒心がある。デジタル時代をひた走り、すでに比率が20%を超えたと思われる米国 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7803" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="pros_and_cons" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/pros_and_cons.jpg" alt="" width="107" height="124" />アマゾンはKindleの日本開店を延期(EB2 Magazine,<a href="http://bit.ly/tDY4EX" target="_blank"> No. 2-15</a>)したようだが、難航する交渉の背景には、出版社の抜きがたい警戒心がある。デジタル時代をひた走り、すでに比率が20%を超えたと思われる米国でも、最大の書店アマゾンに対する警戒、あるいは憎しみは高まっている。アマゾンは出版社にとって何なのか。これまで大手関係者の声ばかりが伝えられてきたが、そればかりを聞いていては認識を誤るだろう。<span id="more-7799"></span></p>
<p>今年も欧米出版界の最大のキーワードは「アマゾン」だった。アマゾンはKindleをばら撒いて価格破壊を進め、図書館に貸し出し、街の書店を“ショールーム”に使って顧客を奪い、有名作家と独占契約して出版事業を立ち上げた。著作権者と消費者以外のエコシステムを無視するかのような行動は、プレデター(捕食者)のように言われることが少なくない。しかし、アマゾンは同時にデジタル出版市場を創造し、自主出版を支援して無名の新人を億万長者にし、有名作家と独占契約し、出版事業を立ち上げ、読者に本を買う習慣をつけさせて出版市場を活性化した。何よりも、それを憎み嫌う出版社にとってさえ、最も重要なビジネスパートナーとなっている。</p>
<h3>アマゾンは少なくとも小出版社の味方である、という見方</h3>
<p><a href="http://www.publishersweekly.com/pw/by-topic/columns-and-blogs/soapbox/article/49916-the-scarlet-letter.html" target="_blank"><img class="alignright size-full wp-image-7804" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="sr" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/sr.jpg" alt="" width="114" height="119" />Publishers Weekply</a>誌 (12/16)は、同じくアマゾンをパートナーとしつつ、それを賞賛する小出版経営者の寄稿を掲載している。<a href="http://www.namelos.com/blog.php" target="_blank">スティーブン・ロクスバーグ</a>氏は、合法だが「掟破りの非道」を非難する出版関係者を「目くそ鼻くその類」と切って捨て、「些細な欠点や間違い、失敗はあっても、アマゾンは、われわれの成功において重要な存在だ。私は一個人としてアマゾンが出版界にもたらしたイノベーションと変化を賞賛したい。」と結んでいる。</p>
<p>興味深いのは、1994年にニューヨークの大手出版社を退社して独立小出版社(<a href="http://www.boydsmillspress.com/reviews/front-street" target="_blank">Front Street</a>=現在はBoyds Mills Press傘下)を創業して以来というアマゾンとの付き合いだ。ノース・カロライナ州アシュビルに、青少年向け小説を専門とする小さな出版社を開業した彼は、1995年に初めて3冊の本を世に出すのだが、これはこの年に開業したアマゾンがいて可能になったと書いている。書店では、このジャンルのハードカバーは売れないのでめったに扱わなかったからである。アマゾンは彼の会社の本をすべて常備してくれて、返本はほとんどなかった。彼の会社はすぐに青少年向けフィクションの分野で知られる存在となり、とくに図書館が買ってくれた。</p>
<p><img class="alignleft size-medium wp-image-7808" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="namelos_logo" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/namelos_logo-300x71.jpg" alt="" width="240" height="57" />2009年、彼はE-Bookを中心とする新しい会社(<a href="http://www.namelos.com/" target="_blank">namelos llc</a>)を立ち上げた。分野は同じだが、アマゾンが電子出版を可能にしてくれた。この会社は、ハードカバーと同時に、オンデマンドのペーパーバックとE-Bookを出版した。返本なしの方針なので、扱ってくれる書店はほとんどなかったが、アマゾンがやってくれた。90点を出版したが、アマゾンのチームが的確にサポートしてくれたので、クリスマス前にはすべての準備を完了できた。最初の電子出版の成功は、もちろんアマゾンのおかげだ。2010年にはデジタルの売上が10倍近くになった。今年は新型Kindleの発売もあって、多くが期待できそうだ。電子版の25%はB&amp;NのNookによるものだ。</p>
<p>「私たちはちっぽけな会社だが、それでも図書館向けの販売と電子版で、ささやかながら良書の出版を成功させることができた。アマゾンは一番重要な顧客の一つで、出版のパートナーだ。」とロクスバーグ氏は言う。かつてアマゾンの販売力に魅せられた大出版社は、今ではアマゾンのことを悪いオオカミのように言うが、依然として最大の顧客であることに変わりはない。彼らはどちらかに決めなければならない。独立系書店には厳しい時代だが、大手チェーンとの競争にも生き延びたように、適応し、生き延びるだろう。テクノロジーは独立系出版社に対してと同じく、彼らの役にも立つはずだ。</p>
<h3>小出版社は返本以外、デジタル化で失うものがない</h3>
<p>以上がロクスバーグ氏の寄稿の要旨だが、重要な論点は以下の5点にまとめられるだろう。</p>
<ul>
<li><img class="alignright size-full wp-image-7814" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="no_return" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/no_return.jpg" alt="" width="120" height="85" />従来の出版流通システムは、小出版社とその読者、そして図書館のニーズに応えてこなかった。</li>
<li>アマゾンは本の通販ネットワークによって、次いでデジタル・プラットフォームによって小出版社を支援してきた。</li>
<li>大小無数の系列出版社を擁する欧米巨大出版資本にとって、アマゾンは最大の顧客だが、潜在的ライバルでもある。</li>
<li>独立系小出版社にとって、アマゾンはテクノロジーを生かして生存・発展を助けてくれるパートナー以外ではない。</li>
<li>デジタル技術は、独立系出版社にとって相対的に有利に働く。おそらくは独立系書店にとってもそうであるはずだ。</li>
</ul>
<p>筆者はこれに全面的に賛同する。紙とデジタル、フォーマットがどうあれ、出版はこれからも継続し、発展する。そして小出版社こそが変化の最大の受益者となるだろう。米国でも日本でも、これまでの流通システムは大企業に有利に出来ていた。日本の流通は数十万、数百万部のマンガ、雑誌、ベストセラーを遅滞なく全国に配本できる。しかしもはやそんなものに最適化するのは無意味だ。出版流通はより多様で、より深い出版物を、読者のニーズに応えて届けられる、柔軟なものになれなければ、出版活動そのものを殺してしまう。</p>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7809" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="evolution" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/evolution.jpg" alt="" width="234" height="138" />恐竜が絶滅した白亜紀末期のように、環境の変化は図体の大きなものに不利に働く。巨大出版資本、巨大メディア資本は、これから苦しい日々が待っているだろう。恐竜は羽毛を持つことで鳥類として生き延びたそうだから、巨大企業も「進化」することができる。しかし、彼らだけに最適化した流通システムを再構築することは、おそらく無理だろう。恐竜たちには名誉ある死か、それが嫌ならば鳥になる道が残されている。しかし、われわれにとって重要なことは、フォーマットがどうあれ、出版が進化を続けるということ、過去の知的資産を継承し続けるということだ。新しい地球の環境において、小出版社はより大きい可能性を手にしている。それでは皆さん、2012年こそ良いお年を。   （鎌田、12/31/2011）</p>
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		<title>デジタルドキュメントとE-Book：DD研参加記(1)</title>
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		<pubDate>Mon, 21 Nov 2011 03:35:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Documentation]]></category>
		<category><![CDATA[Editorial]]></category>
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		<category><![CDATA[デジタルドキュメント]]></category>
		<category><![CDATA[ドキュメントと社会]]></category>

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		<description><![CDATA[E-Bookに関わる技術は「デジタルドキュメント」だ。歴史は非常に古いが、Web環境の進化とともにダイナミックに変容した。簡単に言えば、ドキュメントに対してあらゆる情報技術を連携させることが可能になったということだ。この [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7615" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="think2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/think2.jpg" alt="" width="192" height="129" />E-Bookに関わる技術は「デジタルドキュメント」だ。歴史は非常に古いが、Web環境の進化とともにダイナミックに変容した。簡単に言えば、ドキュメントに対してあらゆる情報技術を連携させることが可能になったということだ。このことは、日本ではほとんど理解されていない。人々が「インターネット」で総称しているものの核心は、デジタルドキュメントにあり、本質は知識コミュニケーションのデザインにあるのだが、多くの人が紙の文書に対する電子文書という側面でしか考えていないからだ。E-Bookと同じように。<span id="more-7612"></span></p>
<h3>DD=知識コミュニケーションのダイナミックなデザイン</h3>
<p>先週金曜、2年ぶりに<a href="http://sigdd.sakura.ne.jp/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8" target="_blank">デジタルドキュメント研究会</a>(DD研/SigDD)に出かけた。前回（<a href="http://www.ebook2forum.com/2009/11/7th-dd-symposium1/" target="_blank">第7回DDシンポジウム</a>）は、このE-Book2.0 Forumをスタートさせて間もないころで、この分野での“時差調整”に役立たせていただいたのを思い出す。筆者はE-BookこそDDのすべての側面を集約し、かつ最先端の応用分野であると考えているので、それを1日でやってほしい、と虫のいいことを考えているのだが、それは叶わないでいた。今回のテーマは、「ドキュメント記述の標準化と電子書籍・多言語化への展開」で、EPUBの裏話についての村田さんの講演と、同じく日本語仕様の標準化についてのパネルを含む最後のセッションに参加でき、二次会も合わせて楽しい勉強ができた。</p>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7616" title="Document" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Document.jpg" alt="" width="259" height="194" />これらの中身をご紹介するより前に、「デジタルドキュメント」という言葉についての感慨を述べることをお許しいただきたい。今日、ドキュメントは基本的にデジタルとなり、必要に応じてプリントして紙の「文書」にするか、あるいは読むだけで捨てている。しかし、文書のデジタルへの移行は1980年代初めに始まり、ほぼ30年が経過しているが、デジタルの機能の多くは未利用で、停滞している。フォーマットとして「電子文書」は存在しても、そこで終わっている。ちょうど「電子書籍」はあっても、価格や入手性、可用性などで使われないのと同じように。Web上ではフルデジタルのサイクルが出来ているが、企業の文書管理は、あいかわらず鈍く、Webとの統合はおろか連携も悪い。ビッグデータとビジネスインテリジェンス(BI)に向けて急速に進化している時代に、組織は対応できていない。</p>
<p>問題は、これが日本的現象だということ。ビジネスにおけるプロセスとルールが旧態依然(内向き)で、<span style="color: #008000;">ユーザー（顧客、消費者、国民）のために価値を創造するべくコミュニケーションをデザインする</span>という積極的な形になっていないためだ。アジア諸国が「デジタル」パラダイムに入って飛躍したこの10年、日本は動くことすらしていなかったと思えてならない。日本が最後の遺産を食い潰し、日本を除くアジアが、世界の工場・世界の市場へと変容した10年。教育と経営を支える知識コミュニケーションにおいて何が起きていたか、メディアは何も伝えないか、見当違いを言ってきた。組織は動かないと腐る。オリンパス事件は、福島原発事故とともに、日本の企業＝社会の病根がどこにあるかをまざまざと示した。日本は肝心の部分でデジタルを使えていない。使うことを拒否している。<span style="color: #008000;">知識と情報を共有し、問題を理解し、解決を議論し、行動し、結果を評価し…という進化の社会的サイクル（コミュニケーション・プロセス）</span>において。</p>
<p>E-Bookをめぐる日本の出版界の問題は、後ろしか見えず、前を恐れるあまり、デジタルを使えない日本の縮図といえる。巨大組織がイナーシャのままに盲目的に動く日本をいきなり変えることは難しい。しかし、出版は変えることが出来るし、むしろ出版を変えることで日本も変えられる、と筆者は思うことにしている。何より、個人でも出版が出来る時代になったし、取次制度というマジノ線をWebで迂回すれば、因習も国境もない。世界に開かれた競争的、創造的な市場を、巨大企業に頼らずに、少しづつでもつくっていきたい。「集中と選択」という20世紀の呪縛から解き放たれるために。過去半世紀ほどに蓄積されたデジタルドキュメント技術は、E-Book (デジタルパブリッシング)において最も開花しやすいのではないかと思う。　（鎌田、2011-11-21）</p>
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		<title>進化せよ。ここがガラパゴス島だ！</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/09/this-is-galapagos-now-you-must-evolve/</link>
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		<pubDate>Sun, 18 Sep 2011 21:04:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<category><![CDATA[Editorial]]></category>
		<category><![CDATA[GALAPAGOS]]></category>
		<category><![CDATA[XMDF]]></category>
		<category><![CDATA[シャープ]]></category>
		<category><![CDATA[タブレット]]></category>

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		<description><![CDATA[シャープがGALAPAGOSタブレット（10.8型と5.5型）の自社販売を9月で終了すると発表した。最速4週間で撤退したHPのように、この事業そのものからの撤退を表明したわけではなく、イーアクセスが販売する7型は継続する [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7122" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="galapagos_logo2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/galapagos_logo2.jpg" alt="" width="144" height="81" />シャープがGALAPAGOSタブレット（10.8型と5.5型）の自社販売を9月で終了すると発表した。最速4週間で撤退したHPのように、この事業そのものからの撤退を表明したわけではなく、イーアクセスが販売する7型は継続するというので、これを撤退と受け取る必要は無い。タブレット市場は、日本でも海外でも、これから離陸期を迎えるものだし、シャープのような会社がこの重要な市場から撤退してよい理由は見当たらない。ガラパゴスは「環境」に適応し、進化できなければガラパゴスではない。もちろん適応は1年や2年で出来るものではないのだ。<span id="more-7119"></span></p>
<h3>GALAPAGOS7つの教訓</h3>
<p>GALAPAGOSタブレットについて、現時点で筆者が言いうることは以下である。</p>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7123" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="turtle" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/turtle.jpg" alt="" width="251" height="158" />第1に、タブレットは専用読書デバイスを代替するものではない。在来書籍を読むデバイスとしては重すぎ、高すぎる。雑誌やマンガ、ムック、拡張型のE-Bookなどには向いているが、現在のところタブレット向きのコンテンツはデータ的に重く、価格は高く、供給も多くはない。GALAPAGOSは<span style="color: #339966;">コンテンツ市場とのミスマッチ</span>と戦わねばならなかった。iPadもこの分野では成功していない。コンテンツで儲かっていないのは同じだ。</p>
<p>第2に、以上の背景がありながら「電子書籍」端末としては<span style="color: #339966;">準備不足のまま出発</span>したことがGALAPAGOSの躓きだった。出版業界の全面支援を期待したと思われるが、それが出来る業界ならソニーやパナソニックも苦労はしなかった。あるいは「官民」あげて国産プラットフォームを支援する環境が出来ることに期待したのかもしれないが、それを期待できる状況ではないし、仮に出来たとしても、かえって「毒饅頭」になりかねなかったと思う。国産プラットフォームは、最初から「おててつないで」では生まれない。</p>
<p>第3に、タブレット自体は静的プラットフォームではなく、<span style="color: #339966;">「クラウド＋デバイス」で成立する半分オープンな生態系</span>の一部であるべきものだ。シャープはGALAPAGOSを完成品と考えて、デビューさせたのだろうが、クラウドのほうは漠然としたままであった。ユーザーにとっての価値が見えなければ生態系も育たない。放っておいてもモノから生態系が育つ時代ではない。GALAPAGOSがAndroid Market依存しない判断をしたのは別に間違いでないが、GALAPAGOSクラウドはまだ詰め切れていない。</p>
<p>第4に、タブレット・ビジネスは、企業の戦略的事業として成立する。GALAPAGOSはシャープ自身の事業エコシステムにおける位置づけが（少なくとも外からは）不明な孤島として登場した。例えばシャープには電子辞書がある。これは特定コンテンツ／専用フォーマット／専用デバイスという閉鎖系環境で成立させた日本的E-Bookだが、これを統合するビジョンを持つならGALAPAGOS生態系にも説得力が生まれるだろう。ソニーにも共通することだが、<span style="color: #339966;">事業部の壁</span>を壊せない限り、タブレットで成功する確率は限りなく低くなる。</p>
<p>第5に、流通の問題だ。量販店に頼らず、消費者とのコンタクトを重視して直販を採用したこと自体は正しい。B2Cの関係を創らなければ、家電メーカーとしての将来はないかもしれない。とはいえ、<span style="color: #339966;">直販とサービス体制の構築は企業全体として取組むべき大事業</span>で、GALAPAGOSだけで機能させるのは不可能に近い。アマゾンのビジネスは、ロジスティクスを中心とした「サービス」とそれを最適化する「ソフト」を軸に成立している。タブレット事業には不可欠なものだ。</p>
<p>第6に、<span style="color: #339966;">ユーザーが期待するコンテンツ</span>の問題。出版社自身の進化に期待しても1ミリも前に進まない。彼らはE-Bookの売り方を知らない。本の多くはマーケティングで生まれたものではないし、読者とそのニーズが知られているわけでもない。シャープが成功体験を持っている電子辞書は、辞書・事典類をパッケージにして手が出る値段で出したから成立した。コンテンツのない「電子辞書」デバイスでは売れない。紙の8割で売られる広辞苑電子版を買うために、誰が空の電子辞書を買うだろうか。</p>
<p>最後に、GALAPAGOSが<span style="color: #339966;">ユーザーに約束する価値</span>の問題。それが他にない読書体験の提供であるなら、徹底してユーザーの立場に立たなければならない。出版業界に遠慮し、配慮していては画期的な「企画」は生まれない。電子辞書のように、ユーザーが期待するものを実現するために出版社を( もちろん理屈よりはお金で)説得する剛腕がなければ価値は提供できないのだ。ユーザーの信頼、ユーザーとの永続的関係はそこから生まれる。足らないのはコンテンツではなく、旧弊を乗り越える知恵である。</p>
<h3>XMDFの不幸：バザールでもカテドラルでもなく</h3>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7128" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="iguanas2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/iguanas2.jpg" alt="" width="108" height="134" />ちょうど1年前、筆者は<a href="http://www.ebook2forum.com/2010/09/xmdf-for-standard-for-what/">「XMDF：さびしい標準」</a>という記事を書いた。累計PVが2万を超え、現在もアクセスが絶えない不思議な記事だが、結局XMDFはGALAPAGOSの推進力となるどころか、むしろ足枷になっている。XMDFは悪い標準ではないが、利用に制約があっては発展できないからだ。XMDFツールはいまだに自由に誰でもダウンロードして使えるようにはなっていない。やろうと思えば出来るのだが、「どんどん作って下さい」という姿勢ではないから、たとえばフリーのデザイナーや編集者などが手を出しにくいのが問題だ。標準もひとつのエコシステムだ。選択可能なツール、多種多様なユーティリティ、テンプレート、ユーザー・フォーラムがあって成立する。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%96%B9%E5%BC%8F" target="_blank">バザール方式</a>のEPUBはそれが自然に育つように出来ている。XMDFはバザールでも<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E8%97%8D%E6%96%B9%E5%BC%8F" target="_blank">カテドラル</a>でもない。無償であっても「一見さんお断り」のような印象を与えては、意欲ある人はEPUBになびくだろう。</p>
<p>市場ではフォーマット自体に価値はなく、ただそれが<span style="color: #339966;">サポートするコンテンツの質と量、変換可能性と拡張性</span>だけに意味がある。XMDFはGALAPAGOSに多くのコンテンツをもたらさなかった。事実上、高めの値付けをする出版社の「有償コンテンツ専用フォーマット」となってしまったからだ。しかし、E-Bookは多数の無償コンテンツをその生態系に含む環境であって、XMDFは閉鎖系では発展せず、インターネット上のXHTML+CSS (つまりEPUB)に包囲されてしまう。アマゾンは、PDFやEPUBを直接呑み込める自社フォーマットを維持することで、開放性と閉鎖性のバランスをとっている。XMDFの将来があるとすれば、同様の方向しかないだろうが、閉鎖性の罠に自ら陥るようでは危うい。XMDFとGALAPAGOSが心中するようではユーザーも困る。</p>
<p>これからEPUBとPDFというオープン・フォーマットのコンテンツが大量に出てくる。GALAPAGOSはそれらを吸収してその生態系の一部として取り入れるようでないと、島は飢餓状態が続く。今後のタブレット・アプリの主流は、iOSでもAndroidでもなく、HTML5とその他のML (たとえばMathML)を標準とし、様々な「エンジン」がそのダイナミックな機能をドライブする形になる可能性が強い。その意味で、シャープはGALAPAGOS用のWebブラウザの開発に力を入れる必要があるし、そこでXMDFをサポートするのも悪くないだろう。あるいは（かなり重くなるが）Wolfram AlphaやCDF (Computable Document Format)をサポートする強力なダイナミック・タブレットに発展させるのも面白い。</p>
<p>ともかく、タブレットはこれからのものだ。撤退などあり得ない。イソップ（「ここが、ロードス島だ、さあここで飛べ」<em></em>）ではないが、筆者はこう言いたい。<span style="color: #339966;">進化せよ。ここがガラパゴス島だ！</span><br />
タブレット事業の戦略的意味とE-Bookのマーケティングについては『EBook2.0 Magazine』のほうで述べたいと思う。　（鎌田、2011-09-19）</p>
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		<title>ブックフェア雑感：何のためのデジタルか？</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/07/impressions-of-18th-tokyo-international-bookfair/</link>
		<comments>http://www.ebook2forum.com/2011/07/impressions-of-18th-tokyo-international-bookfair/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 13 Jul 2011 05:39:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Book Industries]]></category>
		<category><![CDATA[Content Business]]></category>
		<category><![CDATA[Editorial]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[東京国際ブックフェア]]></category>

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		<description><![CDATA[東京国際ブックフェア(TIBF)は、18回目を迎えた今年から（デジタルパブリッシング・フェアを昇格させた）国際電子出版EXPOと併催となった。主催のリード社は、市場・出展者・来場者が関連する複数のテクノロジー・テーマイベ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-6662" style="margin-left: 0px; margin-right: 10px;" title="TIBF" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/TIBF.jpg" alt="" width="186" height="140" />東京国際ブックフェア(TIBF)は、18回目を迎えた今年から（デジタルパブリッシング・フェアを昇格させた）国際電子出版EXPOと併催となった。主催のリード社は、市場・出展者・来場者が関連する複数のテクノロジー・テーマイベントを併催し、年によって目玉や重心を変えることで維持・拡大する方法を得意とするが、本の見本市・即売会として定着してきたイベントを、同じ出版とはいえ、テクノロジー・イベントに拡張するというのは、かなりの勇気を要したことだろう。当然ながら、完全な融合に至るには時間がかかる。<span id="more-6661"></span></p>
<p>結果は大成功のように思える。だが熱気が溢れた「電子」に比べて、「ブック」のほうがやや淋しい気がした。EPの展示の中身も、コンテンツやデバイスよりは、E-Book周辺サービスばかりが目立っていた。それはそのまま、日本のE-Bookビジネスの課題でもある。とはいえほぼ2年で、保守的な出版の世界に風穴を開けて「デジタル」の活気に触れさせた意義は大きい。こうした形態は、ニューヨークやロンドン、フランクフルトなど、海外のブックフェアや図書館系カンファレンスでは標準化しているのだが、日本での難しさは格別であろうことは想像に難くない。去年なら、出版社の出展が減ったかもしれない。</p>
<p>IT系を中心に、展示会やカンファレンスを、文字通り嫌と言うほど見て回った身からすると、こういうイベントではまず「気」を見る。古代中国には戦陣の勢いを観望する「望気」の術というものがあったが、とくに節電の熱気の中で万余の人が動き回る場では、展示の情報内容を個々にチェックするよりは、様々に視点を変えながら「気」を観察するほうが有効だと思う。以下に述べることは(出展者リストのほか)客観的データに乏しい感想だが、当否についてはそれなりに自信がある。</p>
<h3>「気」余って「文」足らず</h3>
<p><img class="alignright size-full wp-image-6665" style="margin-left: 10px; margin-right: 0px;" title="TIBF2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/TIBF2.jpg" alt="" width="112" height="73" />さて、筆者の見立てはこうだ。デジタルに常に強い「気」が感じられるものの、コンテンツの「気」は弱含んでおり、そのために肝心の「電子出版」として実現されるものの中身に貧しい。中身とは<span style="color: #008000;">出版を拡張する創造性</span>である。テクノロジーは何かを解決し、価値を実現するために存在する。テクノロジー自体に価値があるわけではない。創りだされるものの価値に確信が持てない時、複雑な歯車は噛み合わず、「気」は雲散霧消する。今年のイベントは、著者と読者を中心に、出版のバリューチェーンの当事者たちに確信を与えるまではいかなかった。だから、出版のデジタル化を持続的に進める<span style="color: #008000;">エコシステムの形成への胎動</span>もまだ見えない。しかし、デジタルを「脅威」と考える関係者がなお少なくない中で、出版がデジタルを内的なものとして受け容れるプロセスとしては上出来であったようにも思える。</p>
<p>出版においてテクノロジーが解決すべきテーマは、<span style="color: #008000;">市場の拡大とプロセスの効率化、商品の高度化によって、知識コミュニケーションの主役として再構築できるようにすることだ。それは、コンテンツをめぐる(1)入手性、(2)社会性、(3)表現力、の3点に整理される</span>。出版の概念が拡張される中で、Webや映像、音楽、美術、演劇から語りやマイムまでの新旧の表現技法とのコラボレーション、あるいはキュレーションとしての編集などが問題となる。欧米のイベントではこれらが中心的テーマであり、それを支える技術とサービス、成果としてのコンテンツが目を惹くようになっている。（<a href="http://www.ebook2forum.com/2011/07/impressions-of-18th-tokyo-international-bookfair/2/">»»次ページ</a>に続く）</p>
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		<title>E-Bookと｢自然エネルギー｣：自律･分散･協調へ</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/06/ebook-and-natural-energy-as-new-technology-paradigm/</link>
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		<pubDate>Mon, 20 Jun 2011 16:35:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Editorial]]></category>
		<category><![CDATA[Editors' Note]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[パラダイム]]></category>
		<category><![CDATA[自律･分散･協調]]></category>

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		<description><![CDATA[最近つらつら考えるのだが、E-Bookに対する一部出版関係者の態度は、「自然エネルギー」に対する電力関係者の態度と似ている。どちらも「一部の需要を賄えるだけ」と言い、そのじつは恐れている。PCの登場時の汎用機関係者の反応 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="size-full wp-image-6349 alignright" style="margin-right: 0px; margin-left: 10px;" title="smartgrid" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/smartgrid.jpg" alt="" width="160" height="131" />最近つらつら考えるのだが、E-Bookに対する一部出版関係者の態度は、「自然エネルギー」に対する電力関係者の態度と似ている。どちらも「一部の需要を賄えるだけ」と言い、そのじつは恐れている。PCの登場時の汎用機関係者の反応とも似ている。関係者にとって、そこに「自明」という以上の理由は要らない。それは日常を超えた次元の問いになるだろう。好き嫌いはあってよいし、プロフェッショナルが新しいテクノロジーに接する態度として、まず懐疑的になるのも悪いことではないが、困るのは「懐疑」そのものを疑わなくなることだ。<span id="more-6347"></span></p>
<p>なぜ嫌なのか、なぜ胡散臭いと思うのかを考えることがないと、それを補強する情報だけを蓄積・整理する思考パターンが固定化し、確信は磐石となる。「自明」とまで思えるようになったら、それは思考停止状態。年齢が高く、ITやWebへのリテラシーが低い管理者ほどその傾向が強いから、これが組織としての空気をつくる。権力を持っているので社会の空気も支配する。</p>
<h3>集中型(近代)から自律・分散・協調型(ポストモダン)へ</h3>
<p>原子力関係者にとっては、巨大ビジネス（官業＝利権という人もいる）が現に存在し、電力会社の成長（世界一高い電力料金をいう人もいる）を支え、関連業界と地元を潤し、安全を信じさせるために数千億円の広告費が流れるという事実がすべてだ。3世代にわたるこの「夢のエネルギー」が、そこいらにあるものなどで代替出来ては堪らない。<span style="color: #990000;">集中型システム</span>がもたらす秩序と安定は、それ自体が価値である。関係者が語らないのは、21世紀の「自然エネルギー」が、Webのような<span style="color: #990000;">自律・分散・協調型システム</span>(あるいはその一部)として成り立つもので、単独で巨大な金の流れを永続化する上からの体制ではないことだ。</p>
<p>自らを「印刷本出版業」であると考えている出版関係者にとって、日本の取次制度は最も優れた（これも3世代を経た）もので、この体制に害を及ぼす可能性がある「電子書籍」は、無害性を証明できない限りとても手を出せないものなのだろう。関係者が考えようとしないのは、20世紀まで万能だった経済的・文化的な集中型（非対称型）システムの命数が、インターネットとともに尽きていることだ。「現実的なものはすべて合理的であり、合理的なものはすべて現実的である」<span style="color: #a89070;">（ヘーゲル『法の哲学』</span>）という公理は動かしがたいが、新しい「<span style="color: #990000;">理</span>」によって新しい「<span style="color: #990000;">現実</span>」が生まれ、歴史は動く。情報技術が可能とする自律・分散・協調は新しい理と言える。Webとともに生まれたKindle以降のE-Bookは、印刷本のバリューチェーンにない価値をもたらした。新しい現実はその登場が必然的なものであったことを示している。</p>
<h3>移行は早いほどうまくいく</h3>
<p><img class="alignright size-full wp-image-6351" style="margin-left: 10px; margin-right: 0px;" title="ebook_treebook" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/ebook_treebook.jpg" alt="" width="193" height="261" />E-Bookは自然エネルギーと同じく、自律・分散・協調のパラダイムに属する。移行は簡単ではないが、長期的に変化を阻止することも出来ない。原発のような強い利益共同体がなく、権力の後ろ楯もなく、国境で守られてもいない出版にとっては、21世紀において重要なメディア産業として生き残ること、その過程で過去の貴重な遺産を継承することがすべてであって、現状を維持することではないはずだ。ズルズルと遅らせることは出来る。変化が早ければ、米英のように、旧システムの勝ち組が十分な力を発揮できるだろう。大陸欧州のように、どこまでも頑張っていると、知識産業は衰退し、非英語圏としての文化的影響力は低下する。筆者は<span style="color: #008000;">新しいパラダイムへの移行は早いほうがよい</span>と思う。逆説的だが、早いほうが、出版社は新しいパラダイムに移行でき、それが文化的継承性という点で好ましいと考えている。</p>
<p>自律・分散・協調は、言うは易く、安定させるのが難しい。何よりこれは機械と動力（あるいは戦争と経済成長）とともにもたらされた「近代」に逆行するものだ。これまでの常識に反することが多い。「孤立・分裂・対立」への恐怖もある。しかし、インターネットがそうであるように、コミュニケーションの世界はもはや後戻りできない地点に入っている。だとするならば、早い移行こそが混乱や対立を最小限に抑えると思われる。そのために、やはり「関係者」には新しいパラダイムを理解し、エコシステムの再設計と再構築に参加していただきたい。嫌いなものを何度でも見つめ直し、一通り使いこなし、新しい合理性を評価する、「実事求是」の姿勢が何より必要だ。</p>
<p>パラダイムの違うものを評価するには、いったん「関係者の見方」から外れて、一利用者として体験し、利用者として何がよくて何が足りないかをつぶさに検討することが必要になる。現状のE-Bookは、当然ながら玉石混交で、品質、価格、入手性、可用性などに多くの問題を抱えている。印刷本にはもちろんピンキリがあるが、電子本には評価システムもないし、製作方法も確立していない。よいものとは何かを、自分で考えなければならない。1990年代からの日本の「電子書籍」の歩みの中で、編集者やデザイナーが本気で関わった例は非常に少ない。メーカー主導だったからかもしれないし、出版人がデジタル音痴だったためかもしれない。しかし20年も前の話だ。今日のE-Readerは、200dpiのプリンタに近いし、それ以上のものもある。とりあえず読むに堪える品質だ。それ以上の価値は出版人が発見し、提案すべきものだろう。　（鎌田、06/20/2011）</p>
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		<title>新潮社「五箇条の御誓文」の「なぜ」</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/05/five-commandments-of-shinchosha/</link>
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		<pubDate>Fri, 27 May 2011 07:31:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Book Industries]]></category>
		<category><![CDATA[Content Business]]></category>
		<category><![CDATA[Editorial]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[E-Book]]></category>
		<category><![CDATA[マニフェスト]]></category>
		<category><![CDATA[新潮社]]></category>

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		<description><![CDATA[新潮社が電子書籍ライブラリーの開巻劈頭に載せている「電子書籍 基本宣言」を、「マガジン航」(5/22)で知りました。そこで仲俣さんがたいへん適確かつ含蓄のあるコメントをされていますが、これって時代の証言として歴史的(骨董 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-medium wp-image-6039" style="margin-left: 0px; margin-right: 10px;" title="91-1" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/91-1-300x253.jpg" alt="" width="144" height="122" />新潮社が電子書籍ライブラリーの<strong></strong>開巻劈頭に載せている<a href="http://www.shincho-live.jp/ebook/ebook.php" target="_blank">「電子書籍 基本宣言」</a>を、<a href="http://www.dotbook.jp/magazine-k/2011/05/22/on_shinchosha_ebook_manifesto/" target="_blank">「マガジン航」(5/22)</a>で知りました。そこで仲俣さんがたいへん適確かつ含蓄のあるコメントをされていますが、これって時代の証言として歴史的(骨董的)な価値を持つものになるのではと思い、格調の低い蛇足・駄文を承知で一言感想を述べさせていただきました。なお、本稿についての異論、反論をおおいに歓迎します。<span id="more-6030"></span></p>
<p>この国には「言挙げせぬ」伝統があり、その重みを知る言論・出版界も例外ではありません。電子書籍も、散々「話題」にはなっていますが、議論は鈍く、関係者の口は重い。そうした中で、(業界ではなく)出版社がなにかしら「宣言」するのは、尋常ではない、なにか思いつめるような感情・事情があったと考えられます。それが危機感なのか不安感なのか期待感なのか、明確に言っていただきたかった。八百万の神々を前に言挙げをするには、作法というものがあります。<span style="color: #cc0000;">「なぜ」</span>の説明です。主観的な心情であれ客観的論理であれ、<span style="color: #333333;">「なぜ」</span>がないと始まらないし終わらない。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-6033" style="margin-top: 10px; margin-bottom: 10px;" title="bn-header-1" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/bn-header-1.jpg" alt="" width="559" height="74" />ところが、なにやら「進入禁止」を思わせるデザインで始まる新潮社の宣言には「なぜ」が欠け、いきなり「電子書籍は…」「…ならない」と、呪詛のように5回も連なっている。拍子抜けしました。「五箇条の御誓文」のようでもあり、子供が、「…じゃなきゃ絶対イヤ」と言っているような響きもある。山羊じゃあるまいし、電子書籍は勝手に紙を食ったりしません。仲俣さんはアシモフの「ロボット三原則」と角川源義氏の「角川文庫発刊に際して」を「基本宣言」に対照させていますが、前者には普遍的な人間観・社会観が前提され、後者には知識人としての痛切な反省が表明されていて深い共感を呼びます。どうも転換期に際しての出版人の歴史的な「宣言」を期待したのは間違いで、願望を「工程表」として堂々と発表する政府・東電を連想させます。</p>
<p>「基本宣言」を英語でどう訳したものか、と考えていますが「電子書籍」を主語に、「ならない」と結ぶ文体をまともに受け取ると、英語では例の「義務」に関わる<span style="color: #cc0000;">shall</span>を使った「強い禁止」としての「べからず」（主語は俺様か神様）の響きがあります。でないと「電子書籍」が自ら「作品」になったり、「人々の知的生活に貢献」したり、書店と「共存共栄」したり、「外部の論理」から独立性を持ったり、紙と「相和し、時に切磋琢磨」したりすることを要求される滑稽なことになってしまう。とはいえ、主語が「俺様」とは言いたくなかった。それを言えば果てしない説明責任が生じ、「<span style="color: #cc0000;">外部の論理</span>って何？」とか「内部の論理があるの？」ということを言わなければならない。そうすると「言挙げ」を超えて「事挙げ」になりかねない。</p>
<p>でも「事挙げ」がイヤなら、そもそも宣言などする必要はないでしょう。宣言には「共産党宣言」のように歴史認識と使命を表明したものと、具体的な人格主体が自らに課す行為規範を社会に対して表明したものとがあります。だから明治維新や敗戦の後には多くの「宣言」が出されました。その後無数の「なんちゃって宣言」によって宣言の重みは薄れ（ちなみに新潮社も「宣言」という書名は嫌いではないようで）、「関白宣言」から「安全宣言」まで濫用されてきましたが、そんなつもりで出されたとは考えられません。出版社としていま何かを宣言するとすれば、文字(記号)、紙、活字印刷の登場と並ぶ人類のコミュニケーション手段の変革期において、紙出版(社)でもデジタル出版(社)でもない、出版(社)の社会的役割を再確認し、社会(読者)の理解と支持を得るものでなければならないと思います。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-6037" style="margin-left: 0px; margin-right: 10px;" title="goat" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/goat.jpg" alt="" width="144" height="108" />「印刷書籍」と「電子書籍」を対置させたりするのは意味のないことです（数年で誰でもそう思うようになります）。米国の出版界でも、そうした声は消えました。「われわれは出版社であって『紙出版社』ではない」ということを確認したのです。ワープロが普及し始めた時には「書道」の有難味が唱えられ、文化の危機が叫ばれたりしましたが、評価される価値があれば残るし、なければ滅びる。口承文化を守るために文字の使用に反対したり、写本文化を守るために活字に反対したりするようなものです。森林を伐採して造る紙に対して、電子にはそもそも実体がありません。何を実現するかは、社会のニーズに対する出版社としての考えによって決めるもので、他から強制されるものではありません。だから電子書籍に「…てはならない」などと迫るのは、風車に挑むドン・キホーテのように見えてなりません。</p>
<p>「電子書籍」では、例えば人類の知的遺産を無償で配布することが出来ます。例えば、視覚障害者の方が（点字などの高価な手段を経ずに）多くの本に接することが出来ます。要は読者のニーズに応えてほしいのです。筆者は、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF" target="_blank">バルザック</a>の『人間喜劇』をダウンロードしました（もちろん読んでませんが）。この作家は、活字出版の興隆期にこの摩訶不思議なビジネスで成功しようと、印刷や活字鋳造までの現場に分け入り、大失敗しましたが、その傑作が直接「出版」されているのを見れば、おそらくは満足の笑みを漏らすのではないでしょうか。（鎌田、2011-05-27）</p>
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		<title>思考停止を超えるために－EDITORIAL</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/03/overcoming-social-systems-failure/</link>
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		<pubDate>Wed, 16 Mar 2011 07:21:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Editorial]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[東北関東大地震]]></category>
		<category><![CDATA[集合智]]></category>

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		<description><![CDATA[もしかして、という期待も空しく「計画停電」という「成り行き停電／送電」は始まってしまった。そのこと自体で電力会社を責めるつもりはない。その時点の発電量に見合った送電しかできないのは仕方ない。電力会社単独では、需要に満たな [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/stop-thinking_112076823.jpg"><img class="alignleft size-full wp-image-5270" style="margin-left: 0px; margin-right: 10px;" title="stop-thinking_112076823" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/stop-thinking_112076823.jpg" alt="" width="138" height="139" /></a>もしかして、という期待も空しく<span style="color: #cc0000;">「計画停電」という「成り行き停電／送電」</span>は始まってしまった。そのこと自体で電力会社を責めるつもりはない。その時点の発電量に見合った送電しかできないのは仕方ない。電力会社単独では、需要に満たない分を、単純に地域割して止める以外の選択は出来ないのだろう。機能すべきは政府だ。都心三区を除くという「指示」を出したほか、生活と経済の最低限の機能を維持する「計画」性を発揮した様子はない。電力会社にとっては、事故で停電する以外の停止措置はすべて「計画」だが、ユーザーには「無計画」というしかない。<span id="more-5265"></span></p>
<h3>社会の神経系（情報通信システム）を寸断する停電に反対する</h3>
<p>誰が「社会」の側で判断できるのか？ それが問題だ。経済同友会の桜井正光代表幹事が述べたように、供給能力、削減目標を示し、その範囲での消費を徹底すれば、停電は避けられる。産業界や自治体、一般家庭でも対応ができる。日本人はそのくらいの経験を持っている。企業間では調整が難しい、細かい生産調整さえ、業界団体が談合することで公平にする役割を担ってきた。戦時体制とともに生まれた経済団体は、まだそうした機能を果たせる。政府が業界団体と主要企業経営者を集めて協力を依頼すればよいだけだ。重要なことは、主要公共機関、交通・情報通信システムなど、<span style="color: #cc0000;">社会の神経網だけは何があっても止めないことだ。さもないと、ヒト、モノ、カネ、情報の流れが（渋滞ではなく）寸断される</span>。データの処理が止まり、あるいは毀損されるシステムに障害が起きる可能性が大きいし、現に一部で起きている。</p>
<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/out-of-order.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-5271" title="out of order" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/out-of-order.jpg" alt="" width="181" height="136" /></a>もちろん、警察官を交通信号の代わりに駆り出したりすべきではない。震災被災地のライフライン(命綱)を計画的に切ることを認めるとすれば、それは殺人にもなりかねない。影響は被災地だけでなく、全国にも及ぶ。ものごとには、トレードオフがある。政府には「社会」の側で優先度を判断することが（法律で）要求されている。こういう時にこそ緊急な「仕分け」が必要になる。都心三区が停電から免れれば国民生活を守れるものではない。減電時に機能する危機管理指針と行動計画がなかったことは驚くべきだが、ともかく<span style="color: #cc0000;">減電対応計画</span>を、たとえば3日で作成し、その間大口ユーザーには休業や時短をお願いすればよい。それは機械的な地区別送電停止ではなく、ゼロベースで最低需要量を積み上げる方式で考えるべきものだ。</p>
<h3>日本に必要なリテラシー：システム、テクノロジー、コモンセンス</h3>
<p>今回の震災で、日本の指導層（エスタブリッシュメント、テクノクラート）が現代社会で必要な3つのリテラシーを欠いていることが明らかになったように思われる。その3つとはシステム、テクノロジー、コモンセンスだ。</p>
<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/systems.jpg"><img class="alignleft size-full wp-image-5272" style="margin-left: 0px; margin-right: 10px;" title="systems" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/systems.jpg" alt="" width="292" height="255" /></a>第1に、今回問われている<span style="color: #339966;">システム</span>についてのリテラシーである。「計画停電」は、現代社会をシステム（ネットワーク）としてみる視点があれば避けられた。停電で社会の動力と神経網を寸断すれば、全体としての機能を（落とすだけでは済まず）損なってしまう。社会は連携する無数の要素から構成される超システムであり、今回のような電力系の不全に対しては、産業社会全体としての「最適」を再設計し、運用・調整することが要求される。影響は1年以上にも及ぶことが明らかになった以上、そのデザインは、システム工学専門家を入れて政府の責任で行うしかない。電力会社は供給能力拡大と停電回避に専念してもらえばよい。電気は光だけではないし、動力だけでもない。放送だけではない。それらを有効に機能させる神経網を動かすために使われていることを忘れないでほしい。</p>
<p>第2に、<span style="color: #339966;">テクノロジー</span>である。それは課題に対する「一定の環境条件の下での合理的な解決方法」を構成したもので、もともとリスクや欠陥を含んでいる。技術者はある範囲の安全を設計し、企業はそれを製造し販売し、保守するが、むろん絶対はあり得ず、安全に近づくほど経済性を失うことが少なくない。東電の原発が、いずれも東電のサービスエリア外にあるのは、原発のリスクに対する暗黙の答であったのだろうが、その判断がどのような結果となったかを、国民はいま知ることになった。地震・津波の危険は警告されており、第一原発は想定された耐用年数を超えて老朽化していた。技術者は諸条件の下でベストの仕事をされたと思うが、立地・推進の判断はあくまで政府によるものだ。あらゆる技術は経済性との微妙なバランスの上に成立し、多くは「想定外」と称する問題で破綻する。もちろん、考えられなかったのではなく、考えようとしなかっただけだ。テクノロジーの神話をつくって社会を操作する行為を邪道として禁じておかないと、社会はその無知に泣くことになる。</p>
<p>第3に、<span style="color: #339966;">コモンセンス</span>（社会性について主体的に判断する能力）だ。これは個人の知性の働きに属することだが、自らの偏見や、それが属する社会の「空気」に動かされずに「常識」の限界を疑う（つまり哲学する）ことによって普遍性を獲得する。これがなければ、科学はもちろん、ジャーナリズムを含むプロフェッショナリズムも成り立たない。江戸時代の日本人は、かなり高いレベルのコモンセンスを有していたと思われる。相対的にテクノロジーやシステムに対するリテラシーが低く、「空気」への抵抗力の低い事務系エリートほど、コモンセンスを働かせるのが難しい。しかしテクノロジーを社会というシステムの中で機能させるのは、見えざる手ではなく、このコモンセンスだけだと考える。「部分最適」の誘惑と幻想をはねのけるのはそれしかないだろう。</p>
<p>コモンセンスは個人に属するが、あるレベルまでは社会で共有できる。コミュニケーションの高度な形態である出版は、その手段として最高のものである。Webは<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%9B%A3%E7%9A%84%E7%9F%A5%E6%80%A7" target="_blank">集合智</a>を形成する可能性を持っているが、それは<span style="color: #339966;">発行された（つまり、入手・検証可能な）知識の構造体</span>に裏づけられない限り、社会的な智恵に至ることはない。知識（あるいは本）のネットワークは、学者や専門家には必須のものだ。科学やテクノロジー、エンジニアリングはその上に成立している。しかし、それは特別な人間だけに用があるものではない。とくに今回のように、社会全体の認知、合意、協力を得なければ何もスムーズに進まない状況ではそうだ。上述した<span style="color: #cc0000;">リテラシーのレベルが社会的に高くないと、学者・専門家の社会性も低くなる</span>ことを、われわれは毎日の「根拠のない楽観」として目にしている。</p>
<p>E-Bookの社会性とは、集合智の形成を支援する知識のネットワークではないかと考えている。これから困難な時代が続くだろう。しかし情報・知識・智恵をフルに機能させることで、早く脱出することが出来る。明治維新の前には<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%94%BF%E3%81%AE%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E9%9C%87#.E5.AE.89.E6.94.BF.E6.99.82.E4.BB.A3.E3.81.AE.E5.9C.B0.E9.9C.87" target="_blank">安政の連続大地震</a>が各地を襲った。それが逆に日本人のエネルギーを呼び覚ましたことを忘れてはなるまい。われわれは出版および出版技術に関わる人々と協力して、ベストを尽くしたいと考えている。デジタル出版で何をすべきか、アイデアを募集し、われわれも智恵を絞ってみたい。（鎌田、03/16/2011）</p>
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		<title>非常時にE-Bookは何の役に立つか？</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/03/can-ebook-save-people-in-the-disaster/</link>
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		<pubDate>Mon, 14 Mar 2011 06:18:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Editorial]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[メディア]]></category>
		<category><![CDATA[巨大地震]]></category>

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		<description><![CDATA[「非常」の時は来た。こういう時にE-Book（「電子書籍」ではない。オンライン出版・情報サービスだ）を語ることが何の意味を持つか？ 大いにある。ありすぎる。それは差し迫った時に人々を「情報・知識・智恵」で結びつけ、「意味 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/sos_kesennuma.jpg"><img class="alignleft size-medium wp-image-5257" style="margin-left: 0px; margin-right: 10px;" title="sos_kesennuma" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/sos_kesennuma-300x199.jpg" alt="" width="180" height="119" /></a>「非常」の時は来た。こういう時にE-Book（「電子書籍」ではない。オンライン出版・情報サービスだ）を語ることが何の意味を持つか？ 大いにある。ありすぎる。それは差し迫った時に人々を「情報・知識・智恵」で結びつけ、「意味」のある活動に向かわせることに尽きる。情報は錯綜している。最悪の情報ほど届かない。必要な知識は分散しており、頼りとすべき智恵と勇気のある人は権力中枢にいない。この時こそ、20世紀的マスメディアではなく、21世紀型コミュニケーションメディアの出番だ。<span id="more-5253"></span></p>
<h3>E-Bookが今ほど役に立つ時はない</h3>
<p>出版は知識情報のコミュニケーションの手段である。「非常」の時こそ果たすべき特別な役割がある。正確・適切な情報（データ、知識・智恵）をタイムリーに発信・受信することだ。電子的な出版は、情報の物理的複製・配布手段を必要としない、最も迅速確実な手段であり、最小限の電源さえあれば、届けることが出来る。印刷機が止まっても、放送設備が止まっても、道路が寸断されても、サーバが動いていれば情報を発信することができる。そのサーバは日本の各地だけでなく世界中に分散されているし、させることができる。しかし現在の政府、行政は、インターネットの意味と力を知らない。E-Bookの使い方を知らない。誰かが教えなければならない。</p>
<p>マルチメディア／オンライン出版の必要は、被災地ほど大きい。<span style="color: #cc0000;">カメラ付タブレットやスマートフォンが、今ほど役に立つ時はない</span>。それは癒しを与えるだけでなく、文字どおり生命を救うことが出来るのだ。報道関係者は放送機材に依存せず、取材・送信が出来る。住民は救援や援助を呼び掛けることができる。地区ごとのWebサイトを開設することはすぐにでもできる。そうすればマスメディアに依存せずに多くの人が、知りたい事を知り、知らせたい事を伝えることが出来る。発電装置とモバイルWeb環境、必要台数のタブレット。これらがいま医療と医療と並んで必要になっているのだ。</p>
<h3>何があっても地域別停電は行ってはならない</h3>
<p>現在は「意思決定者」が錯乱している。しかし、ユーザーとして政府・電力会社に言いたい。<span style="color: #cc0000;">何があっても一律の地域別停電などを行ってはならない</span>。一部の工場を止めても、会社を休業しても、情報通信システムだけは生かさなければ<span style="color: #cc0000;">人命と生活</span>が破壊される。われわれの社会が情報システムに完全に依存している以上、それは起こる。電力が止まれば情報も止まる。部分的にも情報が止まれば、社会活動は寸断されて意味を失い。もちろん物流も止まる。オフィスも本社も機能を失う。闇夜に原子力災害を心配している人に、テレビ演説で「平静」を呼び掛けるつもりなのか。</p>
<p>コミュニケーションの環境がまるで変わっているのに、統治システムとそれを担う人々の頭は切り替わっていない。もちろんマニュアルは切り替わっていないし、多くは意味を失っている。だから<span style="color: #cc0000;">ロボット化した政府や大企業は30年前の発想で動いている</span>。彼らも「一生懸命」「不眠不休」で働いているのかも知れないが、予想外の事態に即した「判断」ができない。「情報」は取捨選択する智恵がなければ役に立たない。非常時には、必要とする情報が向こうから来るわけではない。智恵を働かせるための知識（多くは試験や日常業務と無関係なものだ）を持っている人は少ないが、必ず存在する。おそらく「毛を吹いて疵を求め」てきた、この官僚・民僚だらけの社会では片隅に追いやられてきたに違いない。そうした人材を探して活用しなければ、この危機は乗り越えられないだろう。　（鎌田、03/14/2011）</p>
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		<title>社会システムとしての出版のリエンジニアリング</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2010/09/re-engineering-publishing-ecosystem/</link>
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		<pubDate>Wed, 01 Sep 2010 10:52:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Book Industries]]></category>
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		<category><![CDATA[システムエンジニアリング]]></category>
		<category><![CDATA[出版]]></category>

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		<description><![CDATA[出版は一産業である以上に社会システムの一部であり、近代社会が生まれて以来、知識コミュニケーションの要となってきた。産業的・技術的基盤の歴史的移行に伴う大混乱の中で貴重な価値を失わないためには、社会システムとしての出版を意 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/ecosystem.gif"><img class="alignleft size-medium wp-image-3830" style="margin-left: 0px; margin-right: 6px;" title="ecosystem" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/ecosystem-300x202.gif" alt="" width="189" height="127" /></a>出版は一産業である以上に社会システムの一部であり、近代社会が生まれて以来、知識コミュニケーションの要となってきた。産業的・技術的基盤の歴史的移行に伴う大混乱の中で貴重な価値を失わないためには、社会システムとしての出版を意識的・能動的に設計する工学的アプローチが必要だと思われる。出版と本を知識コミュニケーションのシステムとして可視化することを通じて、いまなすべきことを考えてみたい。<span id="more-3821"></span></p>
<blockquote><p><span style="color: #3366ff;">古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。ありとしある人は皆浮雲の思ひをなせり。もとよりこの所にをるものは、地を失ひて愁ふ。（<a href="http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/houjouki.htm#hu" target="_blank">方丈記</a>）</span></p></blockquote>
<h3>出版の機能と価値を継承・発展させること</h3>
<p style="padding-left: 30px;">本フォーラムの構想に着手したのは去年の夏だったので、E-Bookというテーマについて、体系的な検討を始めてから1年あまりになります。当初は本を書くことを考えていたのですが、技術も市場もダイナミックに動く中では、本という構造と形式が最適とは思えず、まずはこの（グーテンベルク以来となるコミュニケーションの革命という）巨大な問題を観測するための複数の視座を設定し、議論を興すことに力を入れようと考えたわけです。あらゆるトピックに注目していますが、それ以上に「なぜいま出版か？」「デジタル時代の出版とは何か？」ということについて地に足をつけた議論を始めようという、とりあえずの目論見は予想以上に成功したと考えています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">これらの問いに答えるためには、次のようなトピックについて検討し、総合する必要があるでしょう。たとえば、この20年ほどの出版にとって最大の問題であると考えられる、以下のようなマクロな問題です。</p>
<ul>
<li> 出版の社会的機能とは何で、いかにして継承・発展できるか？</li>
<li> アプリケーションとしてのE-Bookの可能性と価値はどのようなものか？</li>
<li> 出版とインターネットはどのように協調（融合）すべきか？</li>
<li> 次世代の出版エコシステムは、どのようにデザインすべきか？</li>
</ul>
<p style="padding-left: 30px;">これらはどこにも答が書かれていないどころか、「電子書籍ブーム」の中でもあまり話題にされることはないわけですが、われわれは（勝ち馬は誰かという意味での）プラットフォームやガジェットなどの話題よりはるかに重要だと考えています。なぜかといえば、出版の再構築こそ、一つ（あるいは複数）の産業（とそこに関係している組織や個人）の運命を超え、最悪のタイミングでこの歴史的転換期を迎えた日本の運命とも不可分であると思われるからです。出版はたんなる産業というよりは「近代」社会の生みの親であり、出版を中心とした知識情報のコミュニケーションの機能と品質は、社会的な問題を解決し前進させていく上で決定的な役割を果たします。</p>
<p style="padding-left: 30px;">消費者にとって、E-Bookとはさしあたって「読書体験」における選択肢の拡大であり、価格や利便性という価値の増大があればよいわけですから、あとはどんな製品やサービスが出てビジネスが展開されるのかが注目でしょう。しかし、ニュースが多い割には、いまだに新刊書や既刊書、絶版本が2万円未満の専用リーダで読めるという、ごく当たり前なことも実現していません。問題は頑迷固陋で既得権益と特権意識に凝り固まった出版業界ではないか、という考え方もあります。衰退産業は市場から退場すべし、という勇ましい人もいそうですが、根本的な変化に対して不安を持つのはどの業界も同じです。見通しもない状態で抜本的な業務システムの抜本的な変革など出来るわけもありません。</p>
<p style="padding-left: 30px;">旧い日本的エコシステムは、タテマエと実体の乖離が著しいのですが、つまるところ多くの「公然の秘密」や「公認された嘘」があり、これらの扱いが新しい制度設計を難しくしているばかりか、議論を忌避してきた悪しき慣習のために、必要なコンセンサスの形成のための（冷静な）議論が行われない状態が続いています。デジタル化の影響は根本的なものなので、出版と新聞・放送・音楽・映像・広告・通信・ITなどメディア関連産業との境界も相対化されているにもかかわらず、最も深刻な影響を受ける「マスメディア」企業が過去の「虚構」から自由でないために、情報統制さえ続いています。『週刊ダイヤモンド』出版特集中止事件は、最近のこの国の特徴となった「思考停止」の反映でしかありません。ジャーナリズムのタテマエと業界の団結…。</p>
<p style="padding-left: 30px;">こうしたものを悪と断じて、改革のために戦いを挑みたい衝動に駆られることもありますが、残念ながら、新旧交替、破邪顕正といった単純な発想で「解決」できる問題ではないと思います。歴史を経た慣行には両面があり、一見不合理なものでも一定の合理性や価値を持っています。それは談合でも再販制でも同じです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">グーテンベルクの可動活字は、たしかに知識を解放しましたが、宗教戦争に油を注ぎドイツは文化的にも経済的にも疲弊してしまいました。多くの人が印刷は免罪符で十分だったと考えたかもしれません。19世紀には膨大な印刷物が溢れましたが、ゴミのような情報をコントロールする方法を市民社会が学ぶには数世代が必要でした。インターネットはさらに経済性という壁を壊し、巨大な混沌とある程度の希望をもたらしましたが、社会のために制御する方法はまだつかめていません。例えば、米国における新聞の品質は、一見無関係な地域求人広告の独占という財源によって支えられていました。後者が崩壊したことで「ジャーナリズム」という社会的価値は危機に瀕していますが、この複雑微妙なシステムを再構築できる可能性は、心細いことにまだ見つかっていないのです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">問題は、日本の文化を再生産してきた産業的エコシステム、正負の性質を併存させながら続いてきた旧システムが根こそぎ崩壊の危機に瀕していることで、出版を例とすれば、「2兆円産業」が1兆円を切れば深刻な危機となります。出版社や印刷会社、書店で多くの雇用が失われ、それとともに出版のバリューチェーンにおける「品質」を支えてきたプロフェッショナリズム（職業倫理と技能、経験）が少なからず失われることになるでしょう。出版産業を志望する若者は激減します。すでに多くの伝統ある雑誌が「休刊」し、特定テーマに関する視点や価値を共有するためのコミュニケーションのノードの継承性が失われています。由緒ある寺社を支える人々の縁が失われ、荒廃していくさまをみているようです。それらは“市場メカニズム”や“ネット民主主義”などで自動的に代替されるものでは絶対にありません。</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<h3>社会システムとしての出版を意識的・能動的に設計する</h3>
<p style="padding-left: 30px;">多くの人が、出版の意義を（空気のように）過小評価しています。出版の意義は（言及されることの多い）文化だけではありません。<span style="color: #cc0000;"><span style="color: #333333;">教育や研究開発、企業活動、政策、法律など、およそ知識情報を扱うあらゆる（国内的・国際的）社会活動を結びつける出版は、</span>知識情報の連関におけるハブ<span style="color: #333333;">であるということにおいて重要</span></span>なのです。<span style="color: #cc0000;">あらゆる分野の</span><span style="color: #cc0000;"><span style="color: #cc0000;">新</span>旧の知識は、出版というメカニズムによって発見され、共有され、評価され、継承され</span>ています。出版はそのためのバーチャルなシステムとともに存在しており、しかもそれは高価な紙と印刷・製本による出版を前提としてきました。多くの関係者が懸念するように、情報の複製・伝達における価格崩壊と氾濫は、とりあえず知識の貧困化デフレと結びつく（つまりミネルヴァの梟は黄昏まで出てこない）というのが歴史の示すところです。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Hub-SpokeA-300x266.jpg"><img class="size-full wp-image-3828 alignleft" style="margin-left: 0px; margin-right: 5px;" title="Hub-SpokeA-300x266" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Hub-SpokeA-300x266.jpg" alt="" width="300" height="259" /></a>出版は社会という複雑なシステムの中で重要な役割を果たしており、それはますます「ソフト化」が進む世界においては、国際競争力の重要な部分をなすものです。われわれは日本の出版の再建なくして日本の産業的・社会的再生はない、とさえ考えています。複雑なシステムにはシステム工学的アプローチが有効であり必要です。航空輸送というものが、航空機だけでなく、空港や整備・補給、航空管制、要員教育、航空機産業など、関連するシステム（の協調）によって成立しているように、<span style="color: #cc0000;">E-Bookは出版という複雑なシステムの中で意識的・能動的に構想・設計すべきもの</span>です。「コンテンツ」や「プラットフォーム」に矮小化すれば、当面のビジネスには有効であったとしても、たいていの場合は「中抜き」されてしまうのがオチだと思います。参入は容易だが守りにくいインターネットでは、中途半端なビジネスモデルは浮雲のようにはかないのです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">筆者は、最近まで複雑なシステムの工学（デザインと実証、構築、運用の最適化）にソフトウェア・モデルを適用するシステム工学手法に関心を持っていました。これをビジネスにする見通しがつかなかったので現在は事実上休止していますが、E-Bookを約1年考えてみて、これこそシステム工学手法を使うべきテーマではないかと痛感しています。つまり、<span style="color: #cc0000;">知識情報の交通システム</span><span style="color: #cc0000;">として、デジタル時代の出版をリデザイン</span>する必要があるということです。交通は道路や鉄道、航空、船舶にまたがり、監督官庁や各種利権・利害調整も複雑多岐にわたっていて、どんな技術やサービスも政治に埋没するところが出版とよく似ていますが、金額も関係者もあまりに多い交通に比べれば、出版はデジタル化の影響が避けがたく根本的である分、まだしも容易であるように思えます。</p>
<p style="padding-left: 30px;">本フォーラムとしては、</p>
<ul>
<li> 知識情報のハブとしての（広義の）出版をデジタル時代に対応する形でリデザイン（つまり要求の体系化と機能設計、実証）し、社会的合意を形成する。</li>
<li> 出版の社会的機能とその技術的前提を再定義し、それが発展的に機能するエコシステムを設計・構築・運用する方法を提案する。</li>
</ul>
<p style="padding-left: 30px;">ことを目ざしていきたいと思います。具体的には、</p>
<ul>
<li> 短期的に2兆円の規模を維持し、長期的には飛躍させること</li>
<li> 出版を通じたコミュニケーションの量と質を飛躍的に高めること</li>
<li> ユーザーにとっての出版物の価値を最大化すること</li>
<li> 過去の出版資産をE-Bookによって活性化させること</li>
<li>新しい出版のプロフェッショナリズムを定義し普及すること</li>
</ul>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/gears_001.png"><img class="size-medium wp-image-3837 alignright" title="gears_00" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/gears_001-300x187.png" alt="" width="240" height="150" /></a>などがこの超「システム」への要件となるでしょう。エコシステムは、一定の規模と多様性がないと維持困難になり、崩壊してしまいます。一度失われたもの（多様性を再生産してきた均衡）は再生できず、完全に消滅することすらあります。高度な古代文明が今日、遺跡とともに残している「謎」は、失われた知識情報の複雑・精妙さと継承の難しさを物語っています。われわれはイノベーションに期待し、実現に努力もしますが、それは<span style="color: #cc0000;">価値あるものを守り、継承・発展させる</span>ものでなくてはならず、工学的に設計、実証、構築、運用されない限り、実現することはありません。</p>
<p style="padding-left: 30px;">出版（コンテンツとメディア）の電子化により、出版を構成してきた三者のバランスは崩壊し、制作・流通・販売は機能的に統合することが「可能」になりました。著者と読者を除いたすべてが「中抜き」の脅威に晒されているなかで、コスト構造と知的権威の安定性に支えられた旧秩序は命数が尽きました。恐竜の支配は終わるでしょう。だからといって隕石の衝突を祝福するのは馬鹿げています。勝者がすべてを取るようなこれまでのインターネット的秩序を「革命」と呼んで欣喜雀躍するには、筆者は年を取りすぎました。価値あるものを守りながら知的コミュニケーションを進化させるという歴史的課題をすべてに優先させたいと考えています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">さて、長くなりましたが、本稿のポイントは、<span style="color: #cc0000;">出版は知識コミュニケーションのシステムの要</span>であり、社会という超システムのなかで存在してきたこと。デジタル化はその再構築を不可避にしているが、社会にとって価値ある役割を維持・発展させるには、超システムの一部としての<span style="color: #cc0000;">出版の機能を可視化し、設計、実証、構築、運用する工学的な作業が必要</span>であるということです。その場合の「価値」と、それに対応する「役割」はどのようなものかについて、これから明らかにしていきたいと思います。なるべく多くの方に発言いただけますよう願っております。（鎌田、09/01/2010）</p>
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		<title>ユーザー指向の読書環境を目ざして</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2010/07/user-oriented-ereading/</link>
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		<pubDate>Sat, 24 Jul 2010 11:44:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[iPadやKindleのメガストアに「コンテンツ」を提供することが電子出版はではない。電子データとなったコンテンツを可能な限り個性化・個別化することによって、読者にとっての価値を最大化することこそ、電子化の意味がある。デ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>iPadやKindleのメガストアに「コンテンツ」を提供することが電子出版はではない。電子データとなったコンテンツを可能な限り個性化・個別化することによって、読者にとっての価値を最大化することこそ、電子化の意味がある。デバイスの価格が、数10冊の印刷本ではなく、たかだか数冊の印刷本の価格になれば、質的な変化が生まれる。本の生産・流通・小売のそれぞれにおいて、アップルでもアマゾンでもない道が拓けてくる。<span id="more-3650"></span></p>
<h3>iPad対Kindleの虚妄</h3>
<p style="padding-left: 30px;">著者エージェントが「デジタル出版者」となって著者の本をアマゾンKindleに独占供給するというニュースは、市場におけるアマゾン (Kindle Books)の相変わらずの強さとともに、欧米の出版界に重苦しい衝撃を与えた。それは、iPadの（少なくともガジェットビジネスとしての）圧倒的成功によって、メディアや投資業界の関心がiPadに傾斜したことで、この巨人の影が一時的に薄れていたたことによる。</p>
<p style="padding-left: 30px;">アマゾンという会社は、利益よりシェアを目ざすことで一貫しているので、投資アナリストの評価（投資判断）はどうしても実体以上に低くなる。それに、<span style="color: #cc0000;">同じように＜クラウド＝デバイス＞をプラットフォームとしていても、アップルとアマゾンは本質的に異なる</span>。デバイスを前面に出したアップルに対して、自社デバイスも売るアマゾンというふうに、アプローチが違うのだ。アップルにとってはデバイスの成功がビジネスモデルの前提であるのに対し、Kindleリーダがアマゾンにとって持つ意味は、製販一体であることによる市場のコントロールと情報管理ということである。アマゾンはiPadもSony Readerも売っている。非Kindle購買層のプロファイルも把握している。アップルとアマゾンが競合するのは10%以下といったところだろう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">メディアが「iPad対Kindle」を喧伝した結果、iPadは出版業界にとって特別なイメージを持つようになった。アマゾンの圧迫、Webの無料情報の氾濫から書籍・雑誌・新聞業界を救う“白馬の騎士”としてのイメージである。アップルがこの有利状況を利用しないはずはなく、ジョブズ氏は解放軍の司令官、あるいは凱旋将軍のように迎えられた。iPadは空前のヒットとなり、その勢いはiPhone 4が「アンテナゲート」で躓くまで続いた。いくら売れたからといって、汎用のガジェットがE-Readerの主役になるかどうかはまったく別の問題であるにもかかわらず、メディアとウォール街は躊躇なくアマゾンの評価を引き下げた。両方のデバイスを試した多くの読書家が、「30分以上本を読むならKindle」「本を買うのはアマゾン」と回答しているにもかかわらず、である。</p>
<p style="padding-left: 30px;">少し頭を冷やしてみれば、iPadは馬鹿売れしたものの、出版業界の期待に反し、300万ユーザーのうち、本や本のアプリを買ったのはさほど多くなかった。ダウンロードの多くは無料のものだった。そしてKindle Storeで買ったユーザーも少なくなかった。「iPad対Kindle」という騒ぎで、アップルは大いに儲けたが、アマゾンにも（株価は別として）影響はなかった。そして出版業界はもはや後戻りのできないところまでデジタル化していた。今年の初めに、米国のブログ界ではiPadが「トロイの木馬」だという見方が広がったが、まさしくその通りで、城門は開け放たれたわけである。必ずしも悪い話ではないが、iPad騒動で見せた出版業界のあまりのナイーブさは、今後も尾を曳くものと思われる。</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<p style="padding-left: 30px;">
<h3>第3の道：E-Bookをモノ（個体）に回帰させる</h3>
<p style="padding-left: 30px;">E-Readerとして、軽量・低価格の6インチE-InkデバイスはカラーLCDより優る。本を読む人は本が読みたいのであって、ガジェットを眺めて楽しみたいのではない。これは両立困難ともいえる。このスタンダードなE-Inkデバイスは年内にも100ドルを切り、それによってこれがタブレットとは異なる、紙の本と同じく持ち運びに適した「読書専用電子ペーパー」であることを明確にするだろう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">これはアマゾンやB&amp;Nのような巨大オンライン書店の最終的勝利を意味するだろうか。それはまったくないと考える。アマゾンはどの道、負けることはない。薄利多売のロングテイル・マーケティングのための史上最強の＜ソフトウェア・プラットフォーム＞を構築した。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88" target="_blank">ジャガーノート</a>のように前進あるのみだ。iBookStoreが脅威となるにはまだ数年はかかるだろうし、それにアップルはこのeコマースの怪物を相手とするよりも広告ビジネスを重視し、メディアを系列下に置く戦略をとるだろう。「白馬の騎士」がメディアビジネスにとっての「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%81%AE%E5%9B%9B%E9%A8%8E%E5%A3%AB" target="_blank">蒼白き馬の騎士</a>」になるとすれば、皮肉というしかない。</p>
<p style="padding-left: 30px;">日本ではKindleがまだ見えないが、いずれ日本語コンテンツを持って登場するだろう。しかし、米国と同じモデルで成功するには余計な時間がかかる可能性が強い。大手出版社は独自フォーマット(XMDF)の「パブリ」で対抗しようとしているが、開発者であるシャープ以外の誰も手をあげないのが気になる。最大手のKindleにとってさえ、AZWがDRMとしての意味しか持っていないように、フォーマットには何の神秘的な力もない。業界にとっての重荷となるだけだろう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<p style="padding-left: 30px;">出版社はハードウェア／ソフトウェア・プラットフォームについて独自の考え方を持つことができるし、またすべきだろう。<span style="color: #cc0000;">フォントやコンテンツに合った文字組み、メタデータやナビゲーションなど、読書にとって本質的な技術の開発に、それぞれが取組む</span><span style="color: #cc0000;">必要がある</span>。それには大きな意味がある。</p>
<p style="padding-left: 30px;">Kindleタイプの6インチリーダは、年内に100ドルを切る（原価は50ドル程度だろう）。それによって別のビジネスモデルが発展する。例えば日本の「電子辞書」のように、<span style="color: #cc0000;">特定コンテンツ</span>と組合せ、文庫／新書リーダーや出版社のシリーズ<span style="color: #cc0000;">専用リーダ</span>として販売しやすくなる。これは現実的な話だ。「夏目漱石全集」を“専用”リーダとセットで企画するのは、文庫版や豪華版で企画するよりははるかにリスクが少ない。もちろん、リーダは特別仕様で、専用のデザイン、文字フォントや組版もベストの組合せとし、朗読や挿画、資料など付録的なものを含めて「決定版」と謳うこともできる。旅行会社／出版社はガイドブックや地図、会話帳を組込んで、LCDのポケット版ガイドを出すだろう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">もちろん、メーカーはユーザーが自由にカスタマイズできるデバイスを開発・提供することができる。ユーザーは読むコンテンツの種類やシチュエーションに応じて、数種類のデバイスから気に入ったものを選んで使う。重要なことは、コンテンツがデバイスを売るために相乗りさせてもらうのではなく、印刷製本され、モノとして完成された本のように、コンテンツを読む「専用のデバイス」を開発・提供するということだ。コミュニケーションの手段として、<span style="color: #cc0000;">出版には付加価値の開発余地が無限に存在する</span>。iPadやKindleしか見えないのではプロとはいえない。（鎌田、07/24/2010）</p>
<p style="padding-left: 30px;">
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