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	<title>EBook2.0 Forum &#187; Editorial</title>
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		<title>ユーザー指向の読書環境を目ざして</title>
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		<pubDate>Sat, 24 Jul 2010 11:44:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Book Industries]]></category>
		<category><![CDATA[Content Business]]></category>
		<category><![CDATA[Editorial]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[アップル]]></category>
		<category><![CDATA[アマゾン]]></category>
		<category><![CDATA[ビジネスモデル]]></category>

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		<description><![CDATA[iPadやKindleのメガストアに「コンテンツ」を提供することが電子出版はではない。電子データとなったコンテンツを可能な限り個性化・個別化することによって、読者にとっての価値を最大化することこそ、電子化の意味がある。デ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>iPadやKindleのメガストアに「コンテンツ」を提供することが電子出版はではない。電子データとなったコンテンツを可能な限り個性化・個別化することによって、読者にとっての価値を最大化することこそ、電子化の意味がある。デバイスの価格が、数10冊の印刷本ではなく、たかだか数冊の印刷本の価格になれば、質的な変化が生まれる。本の生産・流通・小売のそれぞれにおいて、アップルでもアマゾンでもない道が拓けてくる。<span id="more-3650"></span></p>
<h3>iPad対Kindleの虚妄</h3>
<p style="padding-left: 30px;">著者エージェントが「デジタル出版者」となって著者の本をアマゾンKindleに独占供給するというニュースは、市場におけるアマゾン (Kindle Books)の相変わらずの強さとともに、欧米の出版界に重苦しい衝撃を与えた。それは、iPadの（少なくともガジェットビジネスとしての）圧倒的成功によって、メディアや投資業界の関心がiPadに傾斜したことで、この巨人の影が一時的に薄れていたたことによる。</p>
<p style="padding-left: 30px;">アマゾンという会社は、利益よりシェアを目ざすことで一貫しているので、投資アナリストの評価（投資判断）はどうしても実体以上に低くなる。それに、<span style="color: #cc0000;">同じように＜クラウド＝デバイス＞をプラットフォームとしていても、アップルとアマゾンは本質的に異なる</span>。デバイスを前面に出したアップルに対して、自社デバイスも売るアマゾンというふうに、アプローチが違うのだ。アップルにとってはデバイスの成功がビジネスモデルの前提であるのに対し、Kindleリーダがアマゾンにとって持つ意味は、製販一体であることによる市場のコントロールと情報管理ということである。アマゾンはiPadもSony Readerも売っている。非Kindle購買層のプロファイルも把握している。アップルとアマゾンが競合するのは10%以下といったところだろう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">メディアが「iPad対Kindle」を喧伝した結果、iPadは出版業界にとって特別なイメージを持つようになった。アマゾンの圧迫、Webの無料情報の氾濫から書籍・雑誌・新聞業界を救う“白馬の騎士”としてのイメージである。アップルがこの有利状況を利用しないはずはなく、ジョブズ氏は解放軍の司令官、あるいは凱旋将軍のように迎えられた。iPadは空前のヒットとなり、その勢いはiPhone 4が「アンテナゲート」で躓くまで続いた。いくら売れたからといって、汎用のガジェットがE-Readerの主役になるかどうかはまったく別の問題であるにもかかわらず、メディアとウォール街は躊躇なくアマゾンの評価を引き下げた。両方のデバイスを試した多くの読書家が、「30分以上本を読むならKindle」「本を買うのはアマゾン」と回答しているにもかかわらず、である。</p>
<p style="padding-left: 30px;">少し頭を冷やしてみれば、iPadは馬鹿売れしたものの、出版業界の期待に反し、300万ユーザーのうち、本や本のアプリを買ったのはさほど多くなかった。ダウンロードの多くは無料のものだった。そしてKindle Storeで買ったユーザーも少なくなかった。「iPad対Kindle」という騒ぎで、アップルは大いに儲けたが、アマゾンにも（株価は別として）影響はなかった。そして出版業界はもはや後戻りのできないところまでデジタル化していた。今年の初めに、米国のブログ界ではiPadが「トロイの木馬」だという見方が広がったが、まさしくその通りで、城門は開け放たれたわけである。必ずしも悪い話ではないが、iPad騒動で見せた出版業界のあまりのナイーブさは、今後も尾を曳くものと思われる。</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<p style="padding-left: 30px;">
<h3>第3の道：E-Bookをモノ（個体）に回帰させる</h3>
<p style="padding-left: 30px;">E-Readerとして、軽量・低価格の6インチE-InkデバイスはカラーLCDより優る。本を読む人は本が読みたいのであって、ガジェットを眺めて楽しみたいのではない。これは両立困難ともいえる。このスタンダードなE-Inkデバイスは年内にも100ドルを切り、それによってこれがタブレットとは異なる、紙の本と同じく持ち運びに適した「読書専用電子ペーパー」であることを明確にするだろう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">これはアマゾンやB&amp;Nのような巨大オンライン書店の最終的勝利を意味するだろうか。それはまったくないと考える。アマゾンはどの道、負けることはない。薄利多売のロングテイル・マーケティングのための史上最強の＜ソフトウェア・プラットフォーム＞を構築した。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88" target="_blank">ジャガーノート</a>のように前進あるのみだ。iBookStoreが脅威となるにはまだ数年はかかるだろうし、それにアップルはこのeコマースの怪物を相手とするよりも広告ビジネスを重視し、メディアを系列下に置く戦略をとるだろう。「白馬の騎士」がメディアビジネスにとっての「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%81%AE%E5%9B%9B%E9%A8%8E%E5%A3%AB" target="_blank">蒼白き馬の騎士</a>」になるとすれば、皮肉というしかない。</p>
<p style="padding-left: 30px;">日本ではKindleがまだ見えないが、いずれ日本語コンテンツを持って登場するだろう。しかし、米国と同じモデルで成功するには余計な時間がかかる可能性が強い。大手出版社は独自フォーマット(XMDF)の「パブリ」で対抗しようとしているが、開発者であるシャープ以外の誰も手をあげないのが気になる。最大手のKindleにとってさえ、AZWがDRMとしての意味しか持っていないように、フォーマットには何の神秘的な力もない。業界にとっての重荷となるだけだろう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<p style="padding-left: 30px;">出版社はハードウェア／ソフトウェア・プラットフォームについて独自の考え方を持つことができるし、またすべきだろう。<span style="color: #cc0000;">フォントやコンテンツに合った文字組み、メタデータやナビゲーションなど、読書にとって本質的な技術の開発に、それぞれが取組む</span><span style="color: #cc0000;">必要がある</span>。それには大きな意味がある。</p>
<p style="padding-left: 30px;">Kindleタイプの6インチリーダは、年内に100ドルを切る（原価は50ドル程度だろう）。それによって別のビジネスモデルが発展する。例えば日本の「電子辞書」のように、<span style="color: #cc0000;">特定コンテンツ</span>と組合せ、文庫／新書リーダーや出版社のシリーズ<span style="color: #cc0000;">専用リーダ</span>として販売しやすくなる。これは現実的な話だ。「夏目漱石全集」を“専用”リーダとセットで企画するのは、文庫版や豪華版で企画するよりははるかにリスクが少ない。もちろん、リーダは特別仕様で、専用のデザイン、文字フォントや組版もベストの組合せとし、朗読や挿画、資料など付録的なものを含めて「決定版」と謳うこともできる。旅行会社／出版社はガイドブックや地図、会話帳を組込んで、LCDのポケット版ガイドを出すだろう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">もちろん、メーカーはユーザーが自由にカスタマイズできるデバイスを開発・提供することができる。ユーザーは読むコンテンツの種類やシチュエーションに応じて、数種類のデバイスから気に入ったものを選んで使う。重要なことは、コンテンツがデバイスを売るために相乗りさせてもらうのではなく、印刷製本され、モノとして完成された本のように、コンテンツを読む「専用のデバイス」を開発・提供するということだ。コミュニケーションの手段として、<span style="color: #cc0000;">出版には付加価値の開発余地が無限に存在する</span>。iPadやKindleしか見えないのではプロとはいえない。（鎌田、07/24/2010）</p>
<p style="padding-left: 30px;">
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		<title>「出版物利活用」懇談会に望む：7つの仮説</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2010/03/in-defence-of-open-platform/</link>
		<comments>http://www.ebook2forum.com/2010/03/in-defence-of-open-platform/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 21 Mar 2010 16:13:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Editorial]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[日本]]></category>
		<category><![CDATA[産業政策]]></category>
		<category><![CDATA[行政]]></category>

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		<description><![CDATA[「排除型社会」という、非日本的な嫌な言葉が現実性を持って迫ってくる時代である。人々が不安に駆られるのも無理はない。これまで築いた地位や専門性を無効にするような技術と環境に恐怖を覚えるのも理解できる。これは歴史的な転換期な [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Debate_2.jpg"><img class="alignleft size-full wp-image-2025" style="margin-left: 0px; margin-right: 6px;" title="Debate_2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Debate_2.jpg" alt="" width="144" height="124" /></a>「排除型社会」という、非日本的な嫌な言葉が現実性を持って迫ってくる時代である。人々が不安に駆られるのも無理はない。これまで築いた地位や専門性を無効にするような技術と環境に恐怖を覚えるのも理解できる。これは歴史的な転換期なのだから。しかし、このイノベーションに敵対しても勝ち目はない。逆に<a href="http://www.ebook2forum.com/2010/03/eb2-note-2-objective/" target="_self">味方にする</a>ことは可能だし、その場合にのみ過去の資産は生きる。どうやら三省合同の「出版物利活用」に関する懇談会ではパニックから見当違いな議論がなされた可能性がある。これに関して、短期・集中的な議論が必要で、その場はネットが中心とならざるを得ないと考えている。以下に対してなるべく多くの方のコメント、ご批判をいただきたいと思っている。<span id="more-2022"></span></p>
<p style="padding-left: 90px;">
<p style="padding-left: 60px;">中抜き：「製造業者と需要者の中間に存在する問屋や小売業などの流通経路を省くこと。」（goo辞書）</p>
<p style="padding-left: 30px;">「中抜き」というのは新語らしく、また俗な言葉なので正確に定義されたものではない。それだけに妙な「リアリティ」がある。行政としては、じつに扱いにくい言葉だと思う。一方で「中抜きこそ市場原理」という合唱が起こり、「既得権益」が非難されるのでますます潜行して隠語化する。これで「議論」ができなくなり、陰謀などしたこともない人たちのやることが陰謀化する。今回の「懇談会」では真の目的を隠し、「中小出版社保護」が謳われているので、さらに捻じれを起こしている。なにしろ、保護の対象となる当事者は呼ばれてもいない。官僚としては「民間」が保護を求めて来るのは悪い気分ではないだろうが、政治が果たすべき利害調整の役割まで負わされるのは後が怖い。それが妙なな文章になっているのだと推察する。だから「中抜き阻止論」は表には出てこないのだろう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">ここで筆者および本誌の立場を作業仮説として提起しておきたい。</p>
<h3>日本の出版業再創造のための7つの作業仮説</h3>
<ol>
<li>当事者が「既得権益」の保護を訴えるのは当然の権利だと考える。世に「既得権益」なしで生きている人は少ない。凡夫が「本来無一物」などと言えるわけがないのである。まして一世代以上続いた「既得権益」を当事者が「自然権」のようなものと考えるのは彼らの責任ではない。これを「悪」としたのでは議論は成り立たない。だから中小保護だの文化だのを持ち出すのをやめて<span style="color: #cc0000;">権益は権益として主張して欲しい</span>。</li>
<li> 消費者に価値を提供するバリューチェーンを最適化する過程で「中抜き」が生ずるのは当然で、それを阻止すれば市場が歪み、国際社会で取り残され、競争力を失う。長期的に国家社会に大きなダメージを与えることになるから、例外的・経過的措置として正当性が検証できる場合以外<span style="color: #cc0000;">「中抜き」は妨害されるべきではない</span>。ただし、新しいビジネスモデルを早期に成功・安定させたいのなら、それによって生まれる創造的価値と新たなエコシステムを訴求する必要がある。</li>
<li><span style="color: #cc0000;">出版社は付加価値を生まない余計な流通経路などではな</span>い (はずだ)。この業界の関係者が「中抜き」などという言葉を使うのは信じられない。何かの間違いだと思うが、本気でそう考えている人には、創業以来の使命と経営基盤を再確認していただきたい。それに（新聞社のような政治力などない）出版社は、いくら過去の蓄積があっても読者から見放されたら存在できない。</li>
<li>中小出版社のことを考えるのであれば、それはE-Bookをベースに考えるしかない。中小出版社が苦しいのは、現在の印刷本の流通システムのせいであって、それは経営努力で克服できないレベルだ。マンガと雑誌を除いたら、日本の出版文化のかなりの部分は「中小＋零細」出版社で維持されてきた。<span style="color: #cc0000;">E-Bookは中小出版社に大きな可能性を与える。</span>実際、政府よりもアマゾンに期待しているのだ。</li>
<li>「デジタルコンテンツの流通促進」を考えるなら、やることはいくらもある。筆者にも提案はあるが、まずテクノロジー／マーケット／ビジネスの未来イメージを社会的に共有し、<span style="color: #cc0000;">政府の役割（民業支援）についてコンセンサスを形成する</span>必要がある。短絡的な支援が成功した例を知らない。クリエイターに恩恵が及ばない「コンテンツ産業」支援など、税金の無駄遣いだと思う。</li>
<li>日本企業ので<span style="color: #cc0000;">国際展開の邪魔になることは一切すべきでは</span><span style="color: #cc0000;">ない</span>。日本企業は、中小を含めて、そんなに弱くない。「デジタルコンテンツの流通促進」には2つの方法しかないように思われる。競争（つまりグローバルな配信プラットフォーム）に委ねるか、オープンプラットフォーム (例えばBookServer)を推進するか、である。もちろん両者は矛盾しない。</li>
<li>最後に、<span style="color: #cc0000;">読者と著者、クリエイターは、つねに良心的、野心的な出版社を歓迎</span><span style="color: #cc0000;">する</span>。知識情報における国際的な交流が活発化し、日本文化、日本語文化が海外に広がることに期待している。彼らの期待に答える出版社の活躍の場がE-Bookだ。過去の知的遺産を私物化するのでない限り、「中抜き」の心配など無用である。</li>
</ol>
<p style="padding-left: 30px;">われわれは、まず関係者がタブーを設けずに率直に話し合い、互いの問題と懸念を理解し、出版の将来イメージを構築する中で解決を共有していくことを願っている。それには信頼関係が前提となる。だから阻害するような非難は控える。ルールと節度を守ることで、懇談会はオープンで建設的な議論をリードすることができると思う。（鎌田、03/21/2010）</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<h4 style="padding-left: 30px;">本誌関連記事</h4>
<p style="padding-left: 30px;"><a title="「官民一体」で「中抜き」阻止とは？" href="../2010/03/govt-industry-unite-against-amazon/">「官民一体」で「中抜き」阻止とは？</a> 3/19/2010<br />
<a title="「出版物の利活用推進」懇談会って一体？" href="../2010/03/government-council-on-content-distribution/">「出版物の利活用推進」懇談会って一体？</a> 3/11/2010</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<h4 style="padding-left: 30px;"><strong>参考記事</strong>：</h4>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20100318_355430.html" target="_blank">電子書籍の課題や制度を検討、3省合同の懇談会が初会合 （INTERNET Watch）</a></p>
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		<title>デジタル時代の「自費出版」の意味</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2010/01/meaning-of-self-publishing/</link>
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		<pubDate>Mon, 25 Jan 2010 07:11:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Book Industries]]></category>
		<category><![CDATA[Content Business]]></category>
		<category><![CDATA[Editorial]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[E-Book]]></category>
		<category><![CDATA[池田信夫]]></category>
		<category><![CDATA[自費出版]]></category>

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		<description><![CDATA[「日本は電子ブック戦争でなぜ敗れたのか」と書いた池田信夫氏が、ご自身のブログ(1/19)で「自費出版の時代」を書いて、電子「自費出版」によって著者と出版者の関係が変わる可能性を述べておられる。ここでは、筆者が指摘した、再 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/51eIgukc4hL._SL500_AA240_.jpg"><img class="alignleft size-full wp-image-1336" title="51eIgukc4hL._SL500_AA240_" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/51eIgukc4hL._SL500_AA240_.jpg" alt="" width="134" height="134" /></a><a href="http://ascii.jp/elem/000/000/487/487838/" target="_blank">「日本は電子ブック戦争でなぜ敗れたのか」</a>と書いた池田信夫氏が、ご自身のブログ(1/19)で<a href="http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51347634.html" target="_blank">「自費出版の時代」</a>を書いて、電子「自費出版」によって著者と出版者の関係が変わる可能性を述べておられる。ここでは、筆者が<a href="http://www.ebook2forum.com/2010/01/japan-is-not-dead-yet/" target="_blank">指摘</a>した、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E8%B2%A9%E5%88%B6%E5%BA%A6" target="_blank">再販制度</a>が電子出版には適用されない点や、著者の経済的メリットなどがそのまま「採用」されており、池田氏もこの戦争に参戦の意志を持たれたようで慶賀に堪えない。しかし、出版において印刷や書店が前提ではなくなった時代に自費出版の意味もまた問い直されている。この際考え直してみるのも無駄ではないだろう。<span id="more-1328"></span></p>
<p style="padding-left: 30px;">池田氏は「自費出版の最大の問題は、ブランドである」という。そして、玉石混交のタイトルが並んでいても買い手は判断できないので、「これを審査する<span style="color: #0000ff;">レフェリーをつけた電子出版プラットフォーム</span>ができれば、手数料を20％とるだけでも十分ビジネスになる」として、「問題は技術でもコストでもなく、出版業界の秩序に挑戦するベンチャーが出てくるかどうかだ」と勇ましく続けるのである。思いつきとは思えないので、検討に値する。筆者の見るところ、さしあたって問題は3つ。(1)「自費出版」とは何か、(2)「レフェリー」とは誰か、(3)「ブランド」とは何か。</p>
<h3>出版とはどういう行為か？</h3>
<p style="padding-left: 30px;">(1) 出版 (publish)が何を意味するか、ということは、デジタル時代にあっては必ずしも自明ではない。仮に出版とは「<span style="color: #0000ff;">知識・情報を社会的に共有するために、出版物の形態にパッケージ化し、公衆が入手できるようにすること</span>」としておこう。このプロセスの主体が奥付に印字された「<span style="color: #cc0000;">発行人</span>」だ。著者が誰であれ、出版においては発行人が出版物についての公的責任を著者と連帯して負う。つまり、それが社会にとって何らかの意味を持つと信じ、そこに表現されている知識が新規性を持ち、内容も正確であることなど (品質保証)を、職業的良心にかけて表明するということだ。内容に新味がなかったり、自説の根拠を示さず、検証を怠っていたら、出版者も恥をかくだけでは済まないかも知れない。製造物責任は出版者にもあり「自費」出版の場合は、著者自身が発行人となって全責任を負う。</p>
<p style="padding-left: 30px;">紙の場合は、商業出版と自費出版は（著者買取などを除けば）かなり画然と分かれており、自費出版とは、執筆以降の＜編集・デザイン・印刷・製本・販促・流通＞で構成されるプロセスの費用を著者が負担することを意味する。デジタルでは、印刷・製本の代わりに、オーサリングという作業が入るが、編集・デザインを含めて、コンテンツの作成までは自分でできないこともない。販売は自分のサイトに置いてもいいし、アマゾンなど販売代行の第三者に任せてもいい。自費出版において「発行人」たる著者の費用負担は、主として編集作業ということになる。そして編集も自分で行うのであれば、自分の時間以外にコストは要らない。ブログのように（あるいはその上で）金をかけずに出版し、アフィリエイト広告や寄付、代金を回収してもよい。しかし、商業出版では、著者と読者との間に出版社という経済行為の主体としての第三者が介在することで暗黙の前提としてよかった「社会性」の担保が、そこには欠けている。だから、実績のない著者＝出版者が自費出版物の商品価値を認めてもらうことは簡単ではない。では「レフェリー」にそれができるのだろうか。</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<h3>出版物の価値を判定する「レフェリー」とは誰か？<a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/finaldicision111.jpg"><img class="alignright size-medium wp-image-1338" style="margin: 8px;" title="finaldicision111" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/finaldicision111-300x203.jpg" alt="" width="300" height="203" /></a></h3>
<p style="padding-left: 30px;">(2) 「レフェリー」はおそらく査読者のような役割が期待されているのだろう。それは著作物の評価に関する一定のルールが共有され、レフェリーの見識と中立性に疑問の余地がない場合であれば成り立つかもしれない。学術論文などの場合には、理系・文系を問わず一定の審査ルールがあるが、それでも何の新規性もなく、挙証責任を果たさず、参照文献の選択と利用もいい加減な、つまり「社会性」において問題のあるものが少なくない。人間が審査を行う限り、ルールよりは情実、社会よりは「世間」が優先されるのは通例だ。まして、たとえば経済学などにおいては、立場が違った出版物に関して「客観的」な判断を示せる人はきわめて少なく、「ゴミ」扱いしかねない。</p>
<p style="padding-left: 30px;">「レフェリー」は発行人のような責任をとれないし、粗削りだが光るものがあると思われるものを丁寧に読む時間もない。たいていは書評のような「印象批評」的なものとなるだろう。するとそれは新聞の書評と変わるところが少ない。とても20%の手数料を主張できるようなものではないだろう。結局20%の「審査料」よりタダの「人気ランキング」を選ぶ自費出版者のほうが多いのではないかと愚考する。ナマの人間が絡むと市場は複雑だ。市場原理は部分的にしか成立しない。</p>
<p style="padding-left: 30px;">出版は社会を相手に知識・情報を広げようとする行為であり、その「意味」を問う行為である。それは「当為」つまり一種の自己実現でもあるので、出版は市場とは別の原理で動かされる部分が大きい。池田氏の著書より「細川ふみえ」さんの写真集が高価で多くの価値を実現したとしても、その「意味」は違うものだ（と思う）。</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<h3>出版は編集者が設計し、発行人が監督するプロジェクト</h3>
<p style="padding-left: 30px;">(3) 出版という行為における<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89" target="_blank">ブランド</a>は「発行人」以外のものではあり得ない。「レフェリー」がブランド化するとすれば、それが「発行人」としての責任を負う場合だけだ。出版とはたんに情報を公表する行為ではなく、社会化する行為だからである。レフェリーがブランド化するならば、それは出版社と変わらない。世に出すべき著者を選び、テーマについての対話を繰り返し、内容を磨き上げ、進捗を催促し、励まし、ミスや勘違いを正し、読者に配慮したデザインを行い、図版や索引を整備し、完成品に仕上げる。そこにおいてしか20%の手数料は正当化されないだろう。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/author-services.gif"><img class="size-medium wp-image-1339 alignleft" style="margin-left: 8px; margin-right: 8px;" title="author-services" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/author-services-300x300.gif" alt="" width="300" height="300" /></a>忘れてならないのは、自費出版でも商業出版でも、紙でも電子でも、編集が決定的に重要だということだ。とくにデジタル時代においては、編集者とは、出版という社会を相手とした知識工学的なプロセスを完成させてくれるエンジニア、そしてプロジェクト・マネージャーでもある。編集という重要なプロセスを省いた出版はブログと変わらない。</p>
<p style="padding-left: 30px;">編集を社会化するために、例えばオライリーの著者たちは、草稿を公開し、読者の疑問や注文、提案、訂正、補足などに答えながら完成させていくという透明性の高い方法を実践している。cloud (雲)の上のレフェリーではなく <a href="http://en.wikipedia.org/wiki/The_Wisdom_of_Crowds" target="_blank">crowd </a>(衆)の知恵を集めながら仕事を完成させていくという方法は、確かに読者の知的水準が高くないと成立しないかもしれないが、そもそも知識を社会化するということの基本は、コンテクストを共有し深化させていくことであり、オライリーはそうした自覚を持っているということなのだろう。筆者は、出版のテクノロジーを、社会のコミュニケーションを改善するために使っていきたいと考えている。もちろん、商行為として行うビジネスも「ベンチャー」も市場も重要な役割を果たすが、それは手段以上のものであって欲しくない。  (鎌田、01/24/2010)</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<h4 style="padding-left: 30px;">参考</h4>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://ascii.jp/elem/000/000/487/487838/" target="_blank">「日本は電子ブック戦争になぜ敗れたのか」 </a>by 池田信夫、ASCII.jp、1/6/2010</p>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.ebook2forum.com/2010/01/japan-is-not-dead-yet/" target="_blank">「日本は『電子ブック戦争』に勝てる」</a> 拙稿、本誌、1/11/2010</p>
<p style="padding-left: 30px;">「<a href="http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51347634.html" target="_blank">自費出版の時代</a>」 by 池田信夫、ブログ、1/19/2010</p>
<p style="padding-left: 30px;">
]]></content:encoded>
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		<title>日本は「電子ブック戦争」に勝てる</title>
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		<pubDate>Sun, 10 Jan 2010 16:02:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Book Industries]]></category>
		<category><![CDATA[Content Business]]></category>
		<category><![CDATA[Editorial]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[E-Book]]></category>
		<category><![CDATA[E-Reader]]></category>
		<category><![CDATA[池田信夫]]></category>

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		<description><![CDATA[ブロガーの池田信夫氏が、1月6日のASCII.JPのコラムで「日本は電子ブック戦争になぜ敗れたのか」を論じ、今年が「電子ブック元年」という重要な節目であるのに、ハード、コンテンツともに日本が立ち遅れていることを指摘した。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ブロガーの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E4%BF%A1%E5%A4%AB" target="_blank">池田信夫</a>氏が、1月6日のASCII.JPのコラムで<a href="http://ascii.jp/elem/000/000/487/487838/" target="_blank">「日本は電子ブック戦争になぜ敗れたのか」</a>を論じ、今年が「電子ブック元年」という重要な節目であるのに、ハード、コンテンツともに日本が立ち遅れていることを指摘した。「電子ブックで鎖国する日本」という刺激的な表現で、本の流通機構と出版社の対応を批判してもいる。もちろん<a href="http://www.amazon.co.jp/%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E3%82%92%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%82%8B%E5%8B%87%E6%B0%97%E2%80%95%E5%81%9C%E6%BB%9E%E3%81%A8%E6%88%90%E9%95%B7%E3%81%AE%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6-%E6%B1%A0%E7%94%B0-%E4%BF%A1%E5%A4%AB/dp/4478011923%3FSubscriptionId%3DAKIAIRNYLEHVWKXBWIKA%26tag%3Dikedanobuo-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4478011923" target="_blank">『希望を捨てる勇気』</a>を書いた池田氏一流の反語的表現だが、逆効果になっては困るので、蛇足ながら駄文をものした。<span id="more-1034"></span></p>
<h3>たんなるビジネスではない</h3>
<p style="padding-left: 30px;">池田氏は、出版業界とともに「企業に戦略がなく、既得権を守ろうとしているうちにプラットフォームを海外のメーカーに取られてしまう」メーカーも俎上に乗せられている。筆者もまったく異論はない。気になるのは「なぜ敗れたのか」と過去形で語っている点だ。せっかくの「元年」に、皆さんに諦められても困るので、焦ってしまった。</p>
<p style="padding-left: 30px;">もちろん、負けてはならない理由はある。電子ブックが出版の未来であるとすれば、この敗北は（一世代を経ないうちに）日本の出版活動が衰退し、あるいは「グローバル」な企業にコントロールされることを意味する。つまり短期的な市場価値ですべて決定される可能性が強いということだ。これはすでに日本人の手によっても起きていることだし、逆に外国人の眼で、新しい価値が発見される可能性はある。外国出版社や外国の流通プラットフォームが日本で自由に活動できることは望ましい。しかし、日本の企業が国内市場やグローバル市場で活動することは、さらに望ましい。出版は文化の根幹（知識の継承）に関わることなのだから。出版は市場的にはたかだか数兆円の産業だが、様々な価値を扱う特殊なビジネスで、日本にとっての意味は（後述するように）はるかに大きい。</p>
<h3>出版が負けていない理由：ゲームは始まったばかり</h3>
<p style="padding-left: 30px;">負けを認めるのは早すぎると考える理由もある。池田氏は「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E8%B2%A9%E5%A3%B2%E4%BE%A1%E6%A0%BC%E7%B6%AD%E6%8C%81" target="_blank">再販制度</a>」という価格カルテルのせいで「アマゾンが電子版を紙の半分以下の価格で売ることはできない」と書いておられるが、<span style="color: #cc0000;">価格カルテルは電子版に及ばない</span>。したがって、電子本については別のゲームが可能だ。在庫リスクが解消された世界では、池田氏のようなアクティブな著者と、編集者・デザイナー、版元、書店と読者が新しい社会的・市場的関係をつくることが可能だ。これに検索広告プラットフォームや広告主をプレーヤーとして加えれば、多様で創造的な価格設定を行うことができる。期間によって価格を変えられるのはもちろん、日本では未発達の「ブッククラブ」をSNSとして育てることもできる。出版社が在庫コストや資産課税のリスク、再版の増刷コストから自由になる意味は大きい。</p>
<p style="padding-left: 30px;">「自費出版」もこれまでと違う意味を持つ。たとえば、連日、活発な執筆活動を行っておられる池田氏は、毎月のように新刊を出すことも出来る。紙ならあり得ないが、出版社が1,000円の書籍を10,000部刷って毎月出しても印税は100万円。1,000円の電子本を50%の著者マージンで2,000人に売ったのと同じだ。しかもこれは書店から返本されて消えることはなく、著者の望むままに販売を何年でも（価格を変えて）継続することもできる。必ずしもアマゾンに頼る必要はない。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%ABCM" target="_blank">バイラル</a>・マーケティングが有効であったり、読者の顔がある程度見えるのならば、電子決済で直接販売すればいいからだ。電子書店を使うのはプロモーション効果に期待したり、販売保証してくれる場合に限ればよい。著者も出版社も「電子ブック」戦争の勝者になれる。中身と読者に集中できるからだ。</p>
<p style="padding-left: 30px;">書店は電子ブックに対応できるだろうか。紙の本は生き残り、新刊書は一時期に大量複製の需要が見込まれるものに限られるようになるから、点数は激減するだろう。しかし、もともと新刊書は点数が過剰で回転が速く、単位面積当たりの売上には影響しないとみられるので、書店がそれによって失うものは少ないのではないか。そして新刊と古書を同じ店が扱うことで、利益率は高められると思われる。デジタル時代への対応としては、電子的な古書流通市場を整備することがあげられる。また、DPEのように、電子本のオンデマン印刷・製本という、本好きのための新しい需要が生まれることが期待される。</p>
<p style="padding-left: 30px;">重要なことは、ゲームがリセットされることで、勝者になれる可能性は誰にも開かれるということだ。<span style="color: #cc0000;">日本に知識情報の蓄積があり、需要がある限り、出版は必ず成長する</span>ことができる。明治大正、いや高度成長期までのの出版人なら必ずそう考えたはずだ。</p>
<h3>幻の「電子立国」にとっての「電子ブック戦争」</h3>
<p style="padding-left: 30px;">エレクトロニクス産業はどうだろうか。昨日はテレビのことを書いたが、出版にとっての再販制度と取次システムは、電子産業にとって最大のコンテンツ流通機構であった「テレビ」と「携帯」に相当すると思われる。インターネットによってこれらの絶対性が消失しても、意識は変わっていない。グローバルな「電子ブック」元年に参加するという責任も果たせなかった。しかし負けをあっさり認められても困る。</p>
<p style="padding-left: 30px;">第１に、E-Readerはまだ生まれたばかりであって、性能も機能もビジネスモデルも、いわば幼児段階にある。本という「知識情報」のコミュニケーションに関わるデバイス（サービス）としては、実用性は十分にあるが「電子」としてのポテンシャルを生かすところまではいっていない。これ以上のものを考えられないとすれば、勉強が足らないのであって、現実に世界は「次」を目ざして動いている。電子ペーパー系の表示体もまだ伸びる余地があるし、タッチスクリーンなどの入力系も進化できる。Web動画の高速処理に最適化した半導体は最も期待される分野だろう。しかし、ユーザーと向き合わないで部品の供給だけに徹していては付加価値の高い技術の開発は困難だ。<span style="color: #cc0000;">日本製のE-Readerは、すくなくともチケットとして</span><span style="color: #cc0000;">不可欠</span>なのである。</p>
<p style="padding-left: 30px;">第２に、E-Readerは基本的に知識情報を修得し、操作するためのインタフェースでありクライアントである。それは<span style="color: #cc0000;">Webサービスとコンテンツによって無限の用途が広がる</span>。それには知識処理技術の標準もレベルアップしていかなければならないが、プラットフォームを狙うテクノロジーはこれから登場するだろう。ビジネスも、教育、医療、福祉、交通、防衛、そして研究開発も、知識情報のコミュニケーションを支援する<span style="color: #cc0000;">インテリジェントドキュメント環境</span>が21世紀の技術の中核となろうとしているのだ。これらの分野の競争はまだ始まったばかりであり、日本が参加できない理由も、無条件で敗北を認めねばならない理由もない。</p>
<p style="padding-left: 30px;">第3に、公的需要が市場を牽引することができる。昨今、日本の「成長戦略」が問われているが、これが21世紀日本の最大の技術的挑戦ではないだろうか。まだ日本には人材も技術もあり、それに失業や人口減など、取組むべき「問題」にも事欠かない。欠けているのは、複合的な問題を解析し、総合的に解決するためのシステム設計とエンジニアリング。<span style="color: #cc0000;">高度なチームコミュニケーションを可能にする知識情報環境</span>だ。「電子ブック」はその鍵を握っている。もちろん、これまでの「電子政府」や「スパコン」など、技術とも政策目的とも無関係な破滅的浪費に終わらせないとしての話だが。</p>
<h3>むすび</h3>
<p style="padding-left: 30px;">市場に関する池田氏の卓見はいつも傾聴しているつもりだが、筆者は市場（競争）を社会にとって有効に機能させるためには、規制と自由化を使い分ける政府の役割が重要だと考えている（さもないと規制緩和も一部の利権屋を潤わせるだけに終わる）。ただ、この劇薬の使用法を多数決に任せ、政治家に委ねるのは、池田氏が懸念されるように、非常に危ういことも事実だ。金融や教育、医療のように、本質的には工学的、専門的である問題に関して、主権者である一般市民が極端に誤った判断をしないようなコミュニケーションができるかどうかが問われている。筆者が「電子ブック」に期待するのもそこだし、その意味でこれはたんなる一産業の問題ではなく、日本の再生がかかった戦略的テーマだと思う。 (鎌田、01/10/2010)</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<h4>関連リンク</h4>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://ichikara.sakurainternetusa.com/entre/390.html" target="_blank">「日本は電子ブック戦争に敗れ『た』のか？」</a> by 立入勝義、意力ブログ、1/13/2010</p>
<p style="padding-left: 30px;"><strong>紹介</strong>：米国LAでE-Book事業を展開する立入氏から見ると、日本はやるべきことをやらずに、恐怖のあまり現実から目を背けている状態に映るようだ。まだ勝てる可能性はいくらでもあるし、まずは「開国」すべきことを説いている。黒船が見えただけで「負けた」というのはみっともない。</p>
<p style="padding-left: 30px;">
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		<title>デジタルメディア時代とテレビの終焉</title>
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		<pubDate>Sat, 09 Jan 2010 14:48:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Editorial]]></category>
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		<category><![CDATA[e-Reader]]></category>
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		<category><![CDATA[タブレット]]></category>
		<category><![CDATA[テレビ]]></category>

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		<description><![CDATA[ラスベガスのCESは、さながらE-Readerのデビューイベントだった。これにタブレット（スレート）を含めれば、デジタルコンテンツを表示する“メディアビューワ”の時代の本格的な幕開けと言える。米国、欧州、台湾、中国、韓国 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/CES_logo.gif"><img class="alignleft size-full wp-image-1023" title="CES_logo" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/CES_logo.gif" alt="" width="141" height="68" /></a>ラスベガスのCESは、さながらE-Readerのデビューイベントだった。これにタブレット（スレート）を含めれば、デジタルコンテンツを表示する“メディアビューワ”の時代の本格的な幕開けと言える。米国、欧州、台湾、中国、韓国と、この新市場に参加する国も多彩なら、大企業から小規模なスタートアップまで、企業も多彩だ。しかし、日本の影は薄い。テレビの時代が終わったことを認められないからだ。<span id="more-1022"></span></p>
<h3>なぜいま、メディアビューワなのか</h3>
<p style="padding-left: 30px;">今年のCESは、ebooks TechZoneを設けたが、<a href="http://myces.bdmetrics.com/CompanySearch.aspx?configId=1&amp;sctid=3&amp;assoids=2810030" target="_blank">このゾーン</a>には20社が出展している。市場の参入への敷居が非常に低いことは、上述した傾向を見てもわかる。それにしても、ビューワに求められる機能はすべてPCやスマートフォンで実現されており、何一つ新しいものではない。アップルのiPod/iPhoneが何も新しい<span style="color: #cc0000;">機能</span>をもたらさなかったのと共通している。だから、機能に注目している限り、新しい市場は視界に入ってこないだろう。いちおう特徴を整理しておくが、基本的には、</p>
<ul>
<li> <a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/cybook_opus_outside_1.jpg"><img class="alignright size-medium wp-image-1028" title="cybook_opus_outside_1" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/cybook_opus_outside_1-300x225.jpg" alt="" width="216" height="162" /></a>E-Book and/or Webマルチメディア表示にフォーカス</li>
<li>電子ペーパーないしカラーないし白黒の液晶</li>
<li>タッチスクリーンによるUI</li>
<li>メディア管理ソフトウェア</li>
<li>3D/Wi-Fi によるインターネットへのアクセス</li>
</ul>
<p style="padding-left: 30px;">オプションとして</p>
<ul>
<li> オンラインライブラリへのアクセス</li>
<li>オンライン・アプリケーションのサポート（写真は仏<a href="http://www.bookeen.com/" target="_blank">Bookeen社</a>Cybook Opus）</li>
</ul>
<p style="padding-left: 30px;">といったところだろう。用途はエンターテイメントだけでなく、ビジネスでも教育でも使える。カラーは必須ではない。本の代替と考えれば白黒4階調、ビデオビューワを考えればフルカラーということか。価格的には３万円が中心的な価格帯で、部品の調達と組立は、ほぼアジアだろう。なぜソニーを除く日本メーカーは、ここにいないのか。おそらく、</p>
<ol>
<li> コンテンツがない日本では売れない。</li>
<li>海外では価格競争も激しく儲からない</li>
<li>機能的にはPCや携帯、テレビでカバーできる</li>
</ol>
<p style="padding-left: 30px;">というスリーアウトで検討はおしまいになってしまうのだろう。それでは、CESに登場した大小雑多なメーカーは成算もなく、このローリスク・ローリターン（あるいはノーリターン）の市場に参入しているのだろうか。ユーザーを喜ばせるだけのために？</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<h3>デジタルメディア時代のハードウェアへ：テレビの時代は終わった</h3>
<p style="padding-left: 30px;">そう、ユーザーは喜ぶ。それは基本的に重要なことで、新しいゲームはそこからしか始まらない。市場は彼らのためにあるのではないか？ 技術パラダイムの変動期のビジネスの原則は、とりあえず市場の求めるもの（<span style="color: #cc0000;">ユーザー体験＝UX</span>）をライバルに先駆けて、単独であるいはコラボレーションで実現し、利益モデルは後で考えよ、ということだ。UXで評価される限り、生き残ることはできるし、ビジネスモデルを拡張したり再構築したりする余地も生まれる。日本で失敗したソニーが米国で成功したように、このゲームでは１回の失敗で終わりと考える必要はない。そこはネットビジネスとは違う。「電子読書端末」などと“箱モノ”の発想さえしなければ、<span style="color: #cc0000;">マーケットは多様であり、ハードウェア＋ソフトウェア＋コンテンツの組合せは無数に考えられ、ほとんどが未開拓</span>だ。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/1960065.jpg"><img class="size-full wp-image-1027 alignleft" style="margin-left: 8px; margin-right: 8px;" title="1960065" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/1960065.jpg" alt="" width="165" height="162" /></a>ゲームがリセットされ、過去のモデルの前提が消えようとしている時に、市場に参加するより前に確実に儲かることを要求するような経営者はいずれ退場させられるだろう。メーカーではなく、ユーザーになった方がいい。デジタル時代の市場競争を経験しているのは、ネットビジネスの出身者だけかも知れないが、ゼロベースで考えれば出来ないことではないと思う。現に台湾や韓国、中国のハードメーカーは確実に地歩を固めつつある。伝統的な「モノづくり」の遺産を生かすも殺すもマーケティングしだいである。</p>
<p style="padding-left: 30px;">私見では、このプレーヤーは、3Dテレビなどよりよほどインパクトがあると思う。むしろテレビを呑み込むほどのものだ。テレビもビューワの一つと考えたほうがよい。ちなみに、3D機能そのものはテレビが前提ではなく、3Dのタブレットやスマートフォンでビデオやコンテンツを観ればよいだけの話だ。ようするに、<span style="color: #cc0000;">「テレビ」という夢の箱が売れる時代、放送とDVD録画が全盛の時代も終わろうとしている</span>のである。日本の家電メーカーが苦戦するのは当然で、ひたすら「高画質」にこだわり、市場の現実を受け容れることを拒否していられる時間は、そう長くはないだろう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">最悪なのは、日本では放送コンテンツとテレビ（受像機）の関係の上に、メディアビジネスや行政はもとより、産業・社会システム（あるいは会社の中の力関係）のすべてが最適化されていることだ。かつての家電の王者であるテレビの広告費に多くを依存しているメディアは、まるでテレビの黄金時代が続いているように振る舞っている。世界市場で敗れ、東芝以外は全部赤字に近いという悲惨な現実を見ないことにエネルギーを注いでいるようだ。アメリカ人は「金槌しか持っていないと、何でも釘に見えてしまう」ということわざを使うが、日本のメーカーはデジタル・プレーヤーの興奮を素通りして粛々と幻の“3Dテレビの決戦”に赴こうとしているかに見える。一世代続いた過去の栄光の税金をいつまで納めなければならないのだろう。 （鎌田、01/09/2010)</p>
]]></content:encoded>
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		<title>新聞＋Google＝？</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2009/12/newspapers-partners-with-google-to-explore-services/</link>
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		<pubDate>Wed, 09 Dec 2009 08:07:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Editorial]]></category>
		<category><![CDATA[Library]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[Technologies]]></category>
		<category><![CDATA[Google]]></category>
		<category><![CDATA[データベース]]></category>
		<category><![CDATA[新聞]]></category>
		<category><![CDATA[記事分析]]></category>

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		<description><![CDATA[Google Labsが NY Times、Washington Postと共同で始めたLiving Storiesという実験サービスは、Webによって新聞がどのようなサービス価値を提供できるかを示す画期的なもの。ニュー [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-681" title="google_labs_logo_apr09" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/google_labs_logo_apr09.png" alt="google_labs_logo_apr09" width="120" height="46" />Google Labsが NY Times、Washington Postと共同で始めたL<a href="http://livingstories.googlelabs.com/" target="_blank">iving Stories</a>という実験サービスは、Webによって新聞がどのようなサービス価値を提供できるかを示す画期的なもの。ニュースメディアの新しいビジネスモデルの開発に重要なヒントを提供すると思われる。<span id="more-680"></span></p>
<h4>参考記事：</h4>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.nytimes.com/2009/12/09/technology/companies/09google.html?_r=1&amp;ref=technology" target="_blank">Google Unveils News-by-Topic Service</a>, Richard Perez-Pena, New York Times, 12/08/2009</p>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/12/08/AR2009120802319.html?sub=AR" target="_blank">Google, Washington Post and N.Y. Times create news tool</a>: Living story pages&#8217; aim to change views of journalism online, by Howard Kurtz, Washington Post, 12/09/2009</p>
<p style="padding-left: 30px;"><a href="http://www.readwriteweb.com/archives/living_stories_google.php?utm_source=feedburner&amp;utm_medium=feed&amp;utm_campaign=Feed%3A+readwriteweb+%28ReadWriteWeb%29" target="_blank">Beyond the Web Page: Google, NY Times and Washington Post Launch News Experiment</a>, by Marshall Kirkpatrick, ReadWriteWeb, 12/08/2009　（著者によるビデオ解説は文末に掲載）</p>
<p style="padding-left: 30px;">
<h3>記事へのアクセスではなく、記事そのものを分析的に表示</h3>
<p style="padding-left: 30px;">新聞には社会的イベントの進行に沿ったニュース、解説、論説、投書が掲載され、個々の記事は、見出し、署名、本文、写真 (ビデオ)、図表、引用、人物情報、資料、コメントなどから構成される。新聞による記事の重要性の判断は、見出しのサイズ、本文文字数、紙面上の掲載位置で示される。キーワードの用法も重要だ。新聞のジャーナリスティックな価値（どれだけ重要な「真実」に迫り、それを社会に対して説得力ある方法で提供しているか）はさておくとしても、新聞は実に多くの情報（記事にしなかったことを含めて）を含んでいる。特定のテーマについて、それを数年、数十年の単位で並べてみると、あえて分析しなくても、自動的に浮かび上がってくることは実に多い（いちばん分かりやすいのは、面白いことに記事より広告だ）。</p>
<p style="padding-left: 30px;">使った人しか分からないが、記事データベースから得られる情報は非常に多い。しかしデータベースの設計と構築、維持管理は非常にカネがかかり、新聞社側のモチベーションも高くなかった。検索エンジンは記事へのアクセス以上のものは提供しない。記事はいわば鉱石のようなもので、精錬して初めて実用に耐え、様々な加工製品の材料としての金属となる。アクセスは第一段階であって、入口にすぎないのだ。記事を見て「事実」を知り、ああだこうだ言って満足する人は、入口で止まっている。新聞社も、基本的にはそうした「大衆」を相手にしている。</p>
<p style="padding-left: 30px;">米国の高級紙とGoogleが共同で始めた実験は、これまで情報機関や調査機関など多額の予算を持つ組織が独自に行っていた業務を、一般の利用に供するものだ。付加価値は潜在的には巨大だが、現実にはそれを理解する人に依存する。Googleとしては、情報がどのように使われるかを知ることでビジネスモデルが構築できる。新聞社は、ハイレベルの読者層（情報ユーザー）に対して、従来の購読以外のサービスをGoogleと共同開発できる。新聞社はサービスの企画開発に集中し、データベースやユーザーインタフェース、システム管理など巨額の費用がかかる部分をアウトソースできる。とりあえずWin-Winの関係が成立しそうだ。</p>
<h3>新聞記事は豊かな鉱脈。精錬すれば新たな価値が生まれる</h3>
<p style="padding-left: 30px;">私事で恐縮だが、筆者は30年以上前に、政策研究において新聞紙面分析を使ったことがある。当時のこととて、縮刷版やマイクロフィッシュを相手に、人海戦術で記事を探し、記事ごとにチェックシートに記入し、データをパンチカードに打ち込んで計算機処理するという、たいへんにコストと時間をかけたものだったが、非常に多くの貴重な情報が得られた。個人的には、新聞記事がどのような事象に感応し、どのようにつくられ、増幅・減衰するのかを知ったことが興味深かった。また、昔は諸事に余裕があったので、毎日10紙あまりの日刊紙を読み、政治・経済・社会・文化・生活に至るジャンルごとにスクラップをつくっていた。年間で30冊くらいは貯まったと思う。いまどきそんな人間がいるとは思えないが、ともかく新聞は政策から学術研究、商品企画、マーケティング、創作活動まで、あらゆることに役立つ情報を提供している。新聞を利用しないで仕事をするなど考えられないほどだ。</p>
<p style="padding-left: 30px;">問題は、ほとんどの人は新聞を「世間」を知るための窓として眺め、すぐに捨ててしまうことだ。そして蓄積されたもの（データベース）から情報を得る手段は（あっても）非常に高い。記事のクリッピングやクリアリングは、昔から高いもので、会社で予算が工面できなければとても使えなかった。だから、世間は新聞の価値を過小評価している。</p>
<p style="padding-left: 30px;">Living Storiesは、新聞というものの存在価値を再認識させてくれる。どのような形で提供されるかは不明だが、無料＋広告か有料（広告なし）かが選択できるようになればベストだろう。コンテンツの有料・無料問題をめぐり、Googleとニューズ社との対立が続いているが、まだ新聞のデジタル化＝Web利用は始まったばかりだ、第1ラウンドで巨大な設備投資を行ってビジネスモデルを確立したGoogleは、イノベーションに対する応分の見返りを得た。しかし転換が容易でない新聞ビジネスは衰退に向かった。マードック氏も言うように、読者に対するサービス価値を新聞社として提供できるビジネスモデルを確立するのは新聞社の仕事なのだ。それだけの蓄積は十分に持っている。（12/09/2009、鎌田）</p>
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<p style="padding-left: 30px;"><object classid="clsid:d27cdb6e-ae6d-11cf-96b8-444553540000" width="425" height="344" codebase="http://download.macromedia.com/pub/shockwave/cabs/flash/swflash.cab#version=6,0,40,0"><param name="allowFullScreen" value="true" /><param name="allowscriptaccess" value="always" /><param name="src" value="http://www.youtube.com/v/I2nkkye4KUE&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;rel=0&amp;color1=0x3a3a3a&amp;color2=0x999999" /><param name="allowfullscreen" value="true" /><embed type="application/x-shockwave-flash" width="425" height="344" src="http://www.youtube.com/v/I2nkkye4KUE&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;rel=0&amp;color1=0x3a3a3a&amp;color2=0x999999" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></embed></object></p>
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		<title>真にグローバルな「和解」を</title>
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		<pubDate>Sat, 14 Nov 2009 17:44:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Editorial]]></category>
		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
		<category><![CDATA[Google]]></category>
		<category><![CDATA[著作権]]></category>
		<category><![CDATA[集団訴訟]]></category>

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		<description><![CDATA[今週月曜から待っていたGoogle和解修正案の提出でしたが、いったん延期されたあと、13日の金曜に提出され、内容が公表されました。日本が対象外とされたことで拍子抜けのような雰囲気がありますが、細部は検討が必要です。それに [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-medium wp-image-471" title="kirtas_apt_bookscan_1200_-_01" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/kirtas_apt_bookscan_1200_-_01-300x225.jpg" alt="kirtas_apt_bookscan_1200_-_01" width="210" height="158" />今週月曜から待っていたGoogle和解修正案の提出でしたが、いったん延期されたあと、13日の金曜に提出され、内容が公表されました。日本が対象外とされたことで拍子抜けのような雰囲気がありますが、細部は検討が必要です。それに、社会の知的資産である著作権者不明の著作物の扱いについて、まだ何も解決していません。対象を限定したのは妥当ですが、グローバルな「和解」の枠組みは必要で、国立国会図書館のプロジェクトに関連して、日本として立場を表明する必要があるでしょう。<span id="more-469"></span></p>
<p style="padding-left: 30px;">和解案をめぐっては、日本の著作者団体の対応は、参加、離脱、異議申し立てと対応が分かれました。前の2つは、和解案の有効性を承認した上での対応です。しかし、フランスやドイツの政府、また米国司法省が対応したように、和解案の有効性に対して日本政府は対応しませんでした。多数ある当事者団体に任せたわけです。これは著作権保護を声高に主張する政府として、きわめてまずい対応であったと思います。まあ政権の崩壊前夜で、それどころじゃなかったのかもしれませんが。</p>
<p style="padding-left: 30px;">米国での集団訴訟における「和解」が自動的に日本に及ぶ、ということを受け容れるかどうかは、日本の公権力が判断する責任を負います（コトは本だけでありません）。さもないと、日本の当事者は権利を守るために米国の裁判所に提訴し、最強のGoogle法務軍団を相手にしなければならなくなるでしょう。「黒船だ」「出版文化の崩壊だ」という感情的議論が沸騰し（のち鎮静し）たのも、国民にとって国家が役に立たなかったためです。これはGoogleのビジネスにとっても好ましい状況ではありません。フランスとドイツはさすがに政府が無効を主張、中国も著作権管理機関が無効を主張しました。日本政府は「Google八分」を怖れたのでしょうか、無関心だったのでしょうか。いずれにせよ、新政権にはしっかりしてもらわないと困ります。文化庁は和解案の公開を求めましたが、これを前向きの兆候と信じたい。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><img class="alignright size-medium wp-image-470" title="google-is-evil5" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/google-is-evil5-300x270.jpg" alt="google-is-evil5" width="189" height="170" />Googleが新和解案で対象を限定したのは、欧州と中国での検索ビジネスへの影響を考慮したものとみられます。同社の将来に最も影響を与えるとすれば、ライバルではなく政治権力（おそらくは外国）というくらい、存在は大きくなっているからです。欧州、とくにフランスでのGoogleの評判は相当に悪く、米国での評価にも影響を与えていると思われます。ともかく、Googleは莫大な投資でうち棄てられた鉱山を再開発によって宝の山に変える方法を発見し、それによって社会を啓蒙しました。書籍の電子化という流れをつくった功績は歴史的なものだと思います。しかし、無数に存在する世界中の「利害関係者」を敵に回すようなことがあれば、それはアフガン戦争のように跡を曳くことになりかねないでしょう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">米国でつくられる「和解」は、もちろん日本を含めた世界での当事者との和解のモデルとなるものです。異議を申し立てている当事者を含めて、時間をかけても、しっかりと合意がなされることを期待したいと思います。（11/14/2009)</p>
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