コンテンツとテクノロジーの対話:(4) 田川建三の『書物としての新約聖書』その3

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書物・出版の成立史とともにあった聖書の変遷は、本の本質についての様々な側面を余すところなく見せてくれる。それは本の脱構築と脱神秘化という今日的課題への回答を考えるわれわれにとって、他では得難いものだ。田川聖書論についての [...]

電子出版史談:(8) 『数理科学』とOld Black Joe

日本の職人文化は世界から賞賛されてきたものだが、それはアートがあるからだ。それこそテクノロジーの進化の源泉でもある。だが残念ながら職人は仕事でしか語ってくれず、それが分かる繊細さを持った人しか聞くことができない。昔の編集 [...]

コンテンツとテクノロジーの対話:(3) 田川建三の『書物としての新約聖書』その2

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小林さんには、いつも「話の腰を折るな!」というお叱りをいただく。しかし、折りたくなるのは面白いからで、止められない。今回は、「製本と正本」について語られているが、ならば「製本なき正本」はありうるか、正本なくして正統も異端 [...]

コンテンツとテクノロジーの対話:(2) 田川建三の『書物としての新約聖書』

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本の値段は、基本的にモノづくりとハンドリングのコストで決まる。価値とは別次元。当たり前のことだと思うが、出版業界ではそう考えないことになっている。小林コラムの今回は「本の価値と価格」の問題を取り上げている。インテリアとし [...]

電子出版史談:(7)『藪の中』と山口さん

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文学作品がデジタルで読まれるようになって、文学解析がかなり一般化した。これは日本の文芸批評を(たぶん良い方向に)変えていくものと思われる。もう一つ、方向性は定かではないが、デジタル・ストーリーテリング、あるいは「電子作話 [...]

電子出版史談:(6)『電子聖書』と中野さん

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聖書は言葉と本の大銀河の中心に君臨し、グーテンベルク以来、いやパビルス以来、冊子写本、印刷本と、つねに本の発展とともにあった。現代のタブレット(元は粘土板の意)でも聖書アプリは最もよく売れている。編集子は電算組版の父ジョ [...]

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電子出版余談:『普遍論争』と中野さん異聞

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いま風にいえば、本は「ソーシャル・ネットワーキング」から生れる。それに関わる人々の知識空間とその磁力が強ければ、ネットワークは時代を超えて成長していく。中野幹隆という偉大な編集者が手がけ、平凡社・西田裕一氏によって復刊さ [...]

電子出版余談:書物の解体新書第二ラウンド

binding

1冊の本は固有のライフサイクルを持つ。ひとたび「出版」された後の運命は、梱包すら解かれずに返品・廃棄の憂き目を見る本あれば、買い手の書棚に鎮座して添い遂げる本もある。しかしその中間の領域こそが重要だろう。古書市場は推定1 [...]

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電子出版余談:書物の解体新書第一ラウンド

resurrection

臨済宗開祖・臨済の言葉に「仏に逢うては仏を殺せ。(中略)…始めて解脱を得ん」というのがある。小林さんは「本を殺す(滅する)ことで大悟し、解脱を得たようだ。ページは本の背で支えられている。背を断たれた本はもはや本ではない。 [...]

電子出版余談:電書コンソーシアムまたは諫言のかなた

ここでご紹介する「発掘」資料は、小林さんが約12年前に「電子書籍コンソーシアム」の総括として書かれたもの。当事者の総括としては前代未聞。歯切れよく、コトの本質を突いたテーゼになっており、今日でも光彩を放っている。というよ [...]