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	<title>EBook2.0 Forum&#187; Editors&#8217; Note</title>
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		<title>E-Book再考(5)：本はコモディティか？</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 07:59:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「本はコモディティ(commodity)か？」、あるいは「アマゾン(Kindle)は本をコモディティに変えのたか？」という議論が、米国で活発だ1。要するに、需要に対して代替可能な商品を、最適な価格で提供するアマゾン流マー [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7891" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="books_stack2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/books_stack2.jpg" alt="" width="135" height="135" />「本は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E5%8C%96" target="_blank">コモディティ</a>(commodity)か？」、あるいは「アマゾン(Kindle)は本をコモディティに変えのたか？」という議論が、米国で活発だ<span style="color: #ff0000;"><sup>1</sup><span style="color: #333333;">。</span></span>要するに、需要に対して代替可能な商品を、最適な価格で提供するアマゾン流マーケティングが、出版ビジネスを(完全に)変えてしまったのではないか、という問題提起である。本は一冊一冊違う顔(個性)を持った商品であり、置換え不可能だというのが業界の常識（あるいは信念）だったので、これを認めることは、出版人にとってはショックかもしれない。しかし、われわれは事実の上に出版を再構築しなければならない。<span id="more-7876"></span></p>
<h3>物神性を持たないデジタルコンテンツが本の本質を明らかにした</h3>
<p>問題を提起したのは、ベテラン編集者のリチャード・エイディン氏が<a href="http://americaneditor.wordpress.com/2012/01/09/ebooks-has-amazon-turned-ebooks-into-commodities/" target="_blank">American Editor (01/09)</a>ブログに書いた一文だ。彼も多くの出版人と同様、本は日用品とは違うと長年信じてきた。ディーン・クーンツとスティーブン・キングは、（コークとペプシとは違って）置き換え不可能だと。しかしいまや「E-Bookとエージェンシー価格制、アマゾン独占」によって潮目は一変した、と自らの読書体験をもとに彼は言う。少なくともフィクションに関しては、本と著者は置換え可能な品物となってしまった。ミステリやSFなどのジャンルと著者では、明らかに著者ではなく、ジャンルが優先する。このことは数字が証明している。</p>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7893" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="coke" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/coke.jpg" alt="" width="144" height="110" />E-Bookの定価制の導入で、トム・クランシーの新作E-Bookは一律$14.99で販売されるようになったが、これは自由価格制のハードカバーより高い。しかし、大手以外の出版社や自主出版者との間で、アマゾンは価格破壊（つまり自由競争）を様々な形で進めた。多くのタイトルは$2.99にすることで、消費者が買いやすくし、Prime Lendingという会員無料の貸出サービスも提供している。それによって、廉価コンテンツ、貸出コンテンツの「消費」は大きく伸びた。「コーヒー１杯分のリスク」なので買いやすい。廉価のものを衝動買い、あるいは中毒買いで続けて買う消費者が出版社の上客であることは間違いない。E-Bookでは、数を売ったほうが確実に儲かる。そしてより多くの読者、より多くの収入を求め、多くの有名作家、ノンフィクション・ライターが廉価本に価値を見出すようになった。そしてこれまで出版社に嫌われることを怖れて黙っていた人々も、旧態依然とした出版形態の不合理、大手出版社の「無知、無能」を嘲笑するようになっている。</p>
<p>エイディン氏は、このコモディティ化が良い面と悪い面を持つと考えている。前者は市場を拡大し、無名の著者に機会を与えること、後者は廉価コンテンツの氾濫によるメディアとしてのデフレだ。しかし、これまでのところプラスのほうが多いことを認める。同じく編集者のジャック・ライアン氏も、一部の古典的名作を除いて、本がコモディティであることは認めざるを得ない、と述べている。編集者としては、自分の関わる本を唯一無二の作品としたいとしても、市場にあっては（好みはあるとしても）置換え可能な商品であるということだ。アマゾンのベストセラー・リストの大半は10ドル以下のタイトルで占められ、15ドルのE-Bookは（アイザックソンのジョブズ伝などメガヒットを例外として）減っている。もちろん大手出版社は、電子版の販売機会を減らし、ハードカバーの売上最大化を考えているのだが、こうした「部分最適化」によって、デジタル・リーディングに慣れた消費者は、15ドルの本を1冊買うよりも、10ドル以下の数冊に食指が動くわけである。経済のデフレ、大手電子本のインフレが、消費者行動のデフレを促進している。</p>
<h3>コモディティの意味(価値)は、消費者の行為において生まれる</h3>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7892" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="janre" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/janre.jpg" alt="" width="300" height="168" />本（の大部分）はコモディティである、というのは、機械式印刷・製本によって、18-9世紀に本が大衆のものとなって以来の真実だ<sup><span style="color: #ff0000;">2</span></sup>。それはペーパーバックの登場と書店のチェーン化、ハーレクインに代表される「ジャンル・フィクション」、日本の「マンガ」などによって再三にわたって実証されてきた。しかし（たぶん出版の主宰者としての、社会の中での「知的道徳的ヘゲモニー」を失いたくないためだろうが）出版社は本の商品性よりも個別性、量産性より創造性をもっぱら強調し、＜大量に出荷される工業的複製物＞を、あたかも唯一無二の「作品」のように売ってきた。そうした神話が維持されたのも流通のコントロールがあればこそだ。</p>
<p>アマゾンは無数の通販商品と同じように本を売って成功している。正確に言えば、本で成功したモデル（商品属性＋顧客属性＋振る舞い」のマッチング）をカメラや飲料水やネコ砂にまで適用したのだが、本だけを特別視していないことは確かだろう。皮肉なことに、有名作家のベストセラー本（のハードカバー）が、大規模小売店で客寄せのために廉価で売られていた時には、その話は出なかった。大出版社のE-Bookが高値で固定され、それに対して廉価E-Bookタイトルが有名作家と並んで供給されたことで、コモディティ化が意識されるようになったのだ。「次に何を買うか」という消費者のマインドを先取り的に刺激するアマゾンのWebマーケティングは、この世界では無敵に近い。出版社の神話は完全に崩壊した。寂しくもあるが、それは必然だ。（<span style="color: #ff9900;">→<a href="http://www.ebook2forum.com/2012/01/is-book-a-commodity-or-how-commodities-make-sense-to-people/2/">次ページ</a></span>に続く）</p>
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		<title>出版コンテンツ論 (3)：サービス指向E-Book</title>
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		<pubDate>Mon, 12 Dec 2011 12:10:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[昨日の記事に多くのアクセスとコメントをいただいた。次回以降で、コンテンツ自体のソシアビリティを実現するモデルと出版社／編集者の仕事について考えていきたい。問題の組立て方が間違っていなければ答は見つかるはずだ、というのが筆 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7791" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="SOA" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/SOA1.jpg" alt="" width="177" height="117" />昨日の記事に多くのアクセスとコメントをいただいた。次回以降で、コンテンツ自体のソシアビリティを実現するモデルと出版社／編集者の仕事について考えていきたい。問題の組立て方が間違っていなければ答は見つかるはずだ、というのが筆者の信念でチャレンジしているが、ご協力いただければ幸い。そこで分かりやすくなるように図で表現してみた。本サイトが目指す “E-Book 2.0”の性格を「<span style="color: #990000;">サービス指向E-Book</span>」あるいはBook as a Service (BaaS)と呼ぼうと考えている。<span id="more-7781"></span></p>
<h4>印刷書籍</h4>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7784" title="print_book_model" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/print_book_model.jpg" alt="" width="218" height="275" />構造と表現と意味を物理的にパッケージ化し、かつ商品としての実体性、可用性、流通性を兼備したという意味で完全なものと言える。多くの人が愛着を持つのは当然だ。しかし、相対的に実用性、入手性が低下しているので、採算は悪化し、もはや「普通の本を普通に」制作して売っていくことでは継続できない状態に陥っている。</p>
<h4>プラットフォーム依存コンテンツ</h4>
<p>米国の出版社のように、コンテンツの電子的提供は、製作体制さえできていれば、高い利益率を上げることが可能である。しかし、コンテンツ自身は「素材」という扱いであって、販売と閲覧、ソシアビリティの環境は、完全にプラットフォーム環境に依存している。印刷本が持っている本としての「尊厳」が薄れるとともに、利益率が低下し、依存するオンラインストアの力が圧倒的になることは避けられない。日本の出版関係者がこれに嫌悪を示すのも理解できる。しかし、現在のE-Bookは、強力なプラットフォームの存在を前提としていて、ほかに有力な選択肢はない。Pottermoreのような自力のプラットフォームは、目指すべき方向だと思うが、当面は一般化できない。</p>
<p style="text-align: center;"><img class="size-full wp-image-7785 aligncenter" title="static_eBook" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/static_eBook.jpg" alt="" width="400" height="179" /></p>
<h4>WebアプリとしてのE-Book</h4>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7786" style="margin-left: 15px; margin-right: 15px;" title="i-Book" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/i-Book.jpg" alt="" width="324" height="276" />これまでコンテンツの機能を高めるには、プラットフォームに依存するしかなかった。iOSであれKindleであれ、コンテンツ自体の機能と付加価値は高められても、その独立性は、単純なフォーマットの変換だけでよかったE-Bookの時よりもさらに弱くなってしまう。EPUB3は、Webと同様の独立性を保持しつつ、高い機能を持ったオフラインコンテンツを開発することを可能にした。これまで日本では、日本語の組版フォーマットだけが注目されてきたが、この問題は基本的にクリアされたので、WebアプリとしてのE-Bookコンテンツのデザインと編集技術を語るべき段階に移行したと考えている（EPUB3については「戦記」を参照）。</p>
<h4>サービス指向E-Book</h4>
<p>基本的には、まえがき／あとがき、索引や文献リスト、参考図表、図版、脚注など、これまで著者や編集者が苦労して本文や章末、巻末に入れてきた編集情報、本文訂正と補足などを入れるところから始めて、メディアの書評、読者評などの共有と著者からのコメントをコンテンツの中から共有できる仕組みを導入し、発展させていくことが重要だ。また他の出版社と相互にアフィリエイトとなって、推薦する仕組みを導入すれば、アマゾンなどのプラットフォームへの依存は減る。</p>
<ul>
<li>プラットフォームに依存しないソシアビリティ：Twitter、Facebookなどと直接リンク</li>
<li>出版者／著者のWebサイトの「プラットフォーム」化：コンテンツを通じた読者との連携</li>
<li>コンテンツのサービス機能の実装：ガイド、辞書・事典、QA…（標準、タイプ別オプション）</li>
</ul>
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		<title>出版コンテンツ論 (2)：E-Bookのソシアビリティ</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/12/demystifying-content-2-sociability-of-digital-content/</link>
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		<pubDate>Sun, 11 Dec 2011 11:42:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[コンテンツは社会的概念であり、コンテンツがコンテンツであるためにはコンテクストを実装する必要がある。コンテクストの提供（社会化機能）をクラウドプラットフォームに依存している現在のコンテンツの形態は、出版社にとってまったく [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="size-full wp-image-7766 alignleft" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="social media2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/social-media2.jpg" alt="" width="143" height="148" />コンテンツは社会的概念であり、コンテンツがコンテンツであるためにはコンテクストを実装する必要がある。コンテクストの提供（社会化機能）をクラウドプラットフォームに依存している現在のコンテンツの形態は、出版社にとってまったく不利なものだ。印刷本が持っていた、実体としてのオーラが失われつつある現在、出版社はE-Bookのユーザビリティを通じてソシアビリティを高め、読者との間のインタラクションを構築する必要がある。つまり本をソーシャルメディアとするのだ。<span id="more-7757"></span></p>
<h3>現在のコンテンツは環境に過度に依存している</h3>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7768" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="bookdesign" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/bookdesign.jpg" alt="" width="298" height="169" />コンテンツは本質的に<span style="color: #990000;">意味</span>と<span style="color: #990000;">構造</span>と<span style="color: #990000;">表現</span>という3つの要素を持っている。コンテクストは、著者や発行者、読者が必要とするコンテンツの<span style="color: #990000;">ソシアビリティ</span>(社会化属性)を明示化するものということができる。ごく基本的なものは表題や著者、発行者などの書誌事項で、これはコンテンツと不可分のものとなっている。<span style="color: #008000;">紙の本の編集において、最も重要なことは、コンテンツの内在的構造を、効果的に二次元(ページ)と三次元(冊子)に展開・表現すること</span>だ。最近まで、著者や編集者はこれだけを前提としてコンテンツをつくっていた。表紙や扉、目次、奥付などは、コンテンツの実体化のために不可欠の仕掛けだった。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7773" title="ebook formatting" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/ebook-formatting.jpg" alt="" width="158" height="141" />E-Bookにおいて、物理的なページはスクリーン表示で代用され、目次や索引を含む構造は、ハイパーリンクとなる。表紙は絶対に必要とは言えない。書店で物理的存在を誇示するために必要であった装丁は無用となった。印刷本の電子的複製では、機能のほかには、ある程度の「本らしさ」しか盛り込むことが出来ない。印刷本の3割～5割安を“適正価格”と考える消費者の感覚は正当なものだ。現在のE-Bookのほとんどは印刷本の影のようなもので、印刷本がそのままで帯びていたコンテクスト―手応え、自己完結性、権威性、書店での展示によって生じるもの―がない。こんな状態で印刷本が書店から消え、書店が消えていけば、新刊書のマーケティングは大きな困難に見舞われることは間違いない。E-Bookのコンテンツが、印刷本の助けを借りずに自前の衣装を用意できるようになるまでは、出版社はアマゾンなどのストアに過度に依存する状態が続く。</p>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7774" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="bookdesign4" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/bookdesign4.jpg" alt="" width="165" height="196" />今日のコンテンツは、商品として機能するために、クラウド・サービスとデバイスが提供する一貫したサービス機能に依存している。出版社が提供しているコンテンツは、著者や印刷本のオーラを取り去れば、実のところまったくの裸だ。それを自覚しないで、コンテンツそのものの価値を主張する心情は理解はできるが、紙と電子の力関係の変化によってビジネス的には通用しなくなっている。これまでアマゾンはこのオーラを積極的に利用してきたので、出版社は気にしないでやってこれたが、オーラが薄れていけば力関係は弱まり、依存（つまり編プロ化）はさらに進む。喩えは悪いが、現状はアマゾンという（シェア７割近い）コンテナサービスに商品のマーケティングからデリバリまでを依存している状況だ。アマゾンは、現代のプロセス管理の基本である、ITによる最適化環境を持っており、日々システムの改善を続けている。</p>
<p>アマゾンにとっての最適化は、個々の出版社にとっての最適化を意味しない。現在の取次システムのような、相互依存的な体制は当てにしないほうがいい。とくに、「出版において絶対に必要なのは著者と読者のみ」というアマゾンのモデルでは、すべては相対化され、つねに鼎の軽重を問われる。あまり居心地はよくないはずだが、慣れるしかない。そして出版社が独自の編集・出版技術のベースをつくるのに与えられた時間は、およそ１年、長くて２年と見ている。ヴェネツィアの印刷・出版業者が、可動活字時代にふさわしい本を開発するには何十年もかけられたが、それは競争相手が旧い技術だけだったからだ。今日の出版社（編集／マーケティング・スタッフ）はWebマーケティングの先端企業にに挑戦し、E-Bookコンテンツのコントロールを取り戻さなければならない。それは現在の「コンテンツ」では無理だ。</p>
<h3>E-Bookにおけるソシアビリティ</h3>
<p>今日のデジタルコンテンツの最大の特徴は、前回述べたように、それがハイパードキュメントであり、Webというハイパーテキスト環境の中にあるということだ。原理的にはこれがE-Bookのソシアビリティを可能とする。この環境の中のすべてのコンテンツは、たんにカタログ化し、ダウンロードできるだけでなく、以下のような性質を持つ。</p>
<ol>
<li>コンテンツとそれに関する人間のアクションを様々な方法で記録・解析することができる。</li>
<li>分解可能であり、また他のコンテンツ、データと統合することができる。</li>
<li>内部にプログラム(スクリプト)を埋め込み、あるいは外部のサービスとリンクすることができる。</li>
</ol>
<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/marketing.jpg"><img class="size-full wp-image-3485 alignleft" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="marketing" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/marketing.jpg" alt="" width="150" height="86" /></a>これらによって、<span style="color: #008000;">コンテンツから（単独あるいは集合的に）最大限の価値を引き出す</span>ことが可能となる。その価値は、著者と読者にとっては多様であり得るが、出版社、オンラインストア、広告主などのビジネスにとっては、商業的、金銭的なものが中心となろう。E-Bookビジネスとはそういうものであり、そこでは多くの人が考えるような、<span style="color: #008000;">かつてのモノとして完結性（あるいはそのオーラ）を持ったコンテンツは存在しない</span>といっていい。価値そのものが一定しないように、価値の配分も一定ではない。ましてコンテンツの価格などは、基準があるとすれば、「市場において価値を最大化する数字」とでも言うしかない。100円でも1万円でも、売れなければゼロ。100円で100万売れれば1億円、1万円で1000売れても1000万円ということで、マーケティングしだいだ。</p>
<h4>ソシアビリティの実現：(1) クラウド環境</h4>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7770" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="cloud" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/cloud.jpg" alt="" width="183" height="113" />さて、現在のデジタルコンテンツの商品性は、紙の本のオーラと、アナリティクスによるマーケティングによって辛うじて成立していると言える。それは現在の市場の大半を占めるアマゾンとB&amp;NのE-Bookビジネスが、印刷本販売のシステムと実績データを基盤にして、その延長(実際には単純化だが)として(のみ)成立したことが示している。消費者は、印刷本によって本の実体性と価値を確認し、紙かデジタルかのフォーマットを選択する。ユーザーからすると、まずコンテンツを選択し、次にフォーマットを選択するというのは、まったく自然であって、デバイスやフォーマットにあわせてコンテンツを買わせる、ベンダーの一方的発想は不合理を強いるものだ。</p>
<p>アマゾンとB&amp;Nは、ユーザーの行動から最大限のデータを集めることが可能になる（アマゾンはアフィリエイトからのデータも集めている）。集めるデータの種類と量を増やし、そこからマーケティングの最適化のためのモデル（プロセスとルール）を構築すること、そして日常的なフィードバックを通じて改善することが、アマゾンのマーケティングであり、通常の宣伝広告ではなく、ここに投資を集中している。これこそがアマゾンの競争優位の核心であり、デバイスやクラウドサービスは、これと連携することで力を発揮するようになっている。</p>
<h4>ソシアビリティの実現：(2) コンテンツの拡張</h4>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7771" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="intelligence" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/intelligence.jpg" alt="" width="235" height="137" />すでに日本においても(印刷本だけで)最大の書店となっているアマゾンに、書店としてまともに対抗することは、かなり難しい。日本の書店は膨大な消費者に膨大な本を売ってきたが、<span style="color: #990000;">個客</span>のデータを持たず、商品管理はしてもデータをマーケティングに利用する体制などはできていない。しかし、可能性はある。出版社と協力して、コンテンツに即した<span style="color: #008000;">E-Book独自のコンテクスト機能を発達させることで、紙の本に依存しないソシアビリティを、E-Bookで実現する</span>のである。</p>
<p>紙の「コンテンツ」をアマゾンその他のコンテナに収納しただけのE-Bookは、手も足も持っていない。すべてをコンテナサービスに委ねているに等しいのだ。この状態では、<span style="color: #990000;">ビッグデータ</span>を操るアマゾンのITパワーだけが威力を発揮する。ユーザーを通して市場を解析するアマゾンのシステムは、本から出発してその他の物品やコンテンツに広げていけたように、規模が大きくなるほど絶大な力を発揮する。</p>
<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/intelligence2.jpg"><img class="alignleft size-full wp-image-7772" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="intelligence2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/intelligence2.jpg" alt="" width="108" height="108" /></a>しかし、コンテンツに<span style="color: #990000;">インテリジェンス</span>を持たせればどうだろうか。<span style="color: #333333;">コンテンツが、読者(ユーザー)と「対話」することによって、マーケティング・データを出版社（あるいは出版社と読者と著者）にだけ集めてくるような仕組みを持てば、オンラインストアが持つ力を相対化することができる</span>だろう。上述したように、<span style="color: #008000;">E-Bookのコンテンツは、分解／統合が可能であり、インテリジェンスを持つことが出来るという重要な特徴がある</span>のだ。コンテンツが高度化すれば、ストアのクラウドサービスと出版社の力関係は逆転する。こうしたことは、故ジョブズとアップルも気づいていたし、アマゾンも気づいていた。だからこそ、前者はiBooksよりもiOSアプリを重視し、後者は出版とメディアビジネスに進出しているわけだ。出版社はデジタル時代の「出版編集技術」を早期に、独自の仕方で確立する必要がある。出版社はアマゾンに勝つ必要はないが、生き残り、出版活動を豊かなものにする必要はある。 （鎌田、2011-12-11）</p>
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		<title>EPUB戦記(9)：市場の要求とタイムリミット</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/12/epub3-commentary-9-market-maturity-and-standardization-deadline/</link>
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		<pubDate>Tue, 06 Dec 2011 16:14:22 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[前回述べたように、コンソーシアムの標準は「市場」の動き出すのを待たず、その1年以上前から（ニーズが把握できた時点で）着手されるものだ。遅すぎれば市場に出てくる製品やサービスに無視され、早すぎれば技術的環境が変わってしまう [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7507" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="EPUB_senki_logo" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/EPUB_senki_logo.jpg" alt="" width="120" height="120" />前回述べたように、コンソーシアムの標準は「市場」の動き出すのを待たず、その1年以上前から（ニーズが把握できた時点で）着手されるものだ。遅すぎれば市場に出てくる製品やサービスに無視され、早すぎれば技術的環境が変わってしまうリスクが増す。EPUB3の活動が集中した2010年は、市場が動き始めており、アマゾンばかりが目立っていた2009年までとは状況が一変していた。E-Bookの標準フォーマットは重要な意味を持つようになった。<span id="more-7745"></span></p>
<h3>2009-10年は出版の歴史における大転換点</h3>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7748" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="turning point" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/turning-point.jpg" alt="" width="126" height="126" />書店最大手のB&amp;Nや、オンラインビジネスの巨人であるアップル、Googleが動いたが、何よりも出版界が、それまでの慎重姿勢を捨て、全体として動き始めた。無風状態が続き、最後までデジタルとは無縁と考えられてきた業界である。これは多くの人の予想を超えたことだったろう。EPUB3への期待は、それ以前とは比較にならないほど大きく、しかも急速に膨らんだ。市場はイノベーションと急成長の歴史的転換点にさしかかっていたのである。IDPFの主要メンバーの一角を占める世界の大手出版社は、遅くとも2010年はじめには、E-Bookが（紙と並んで）出版の主要なフォーマットとなることを実感した。そしてE-Bookには紙の本を簡便に提供する以外にも大きな可能性を秘めていることを理解した。1960年代のペーパーバックの登場による書店チェーンの成立以来の、いやそんなものではない、グーテンベルク以来の歴史的イノベーションが、これから一世代のうちに起きようとしている。2009年には少数派だった、こうした見方は、2010年にはコンセンサスとなって、ほとんどの出版社で取組みが始まった。</p>
<p>米国市場において、この認識の変化をもたらしたのは、なんといっても不況下で停滞する印刷書籍を尻目に、年率150%を超すE-Book市場の成長であり、E-Bookの制作と管理の容易さ、それがもたらす高い利益率だ。これらは以前から言われていたのだが、実感しないと分からない。E-Bookは、出版社にとって成長事業であり、ロングテイルからマスマーケットまでスケーラブルに対応できる理想的な商品でもある。ただ、印刷書籍市場を急速に瓦解させる可能性があることだけが懸念材料だった。日本と事情が違っていたのは、心理的に依存すべき印刷本の再販価格維持制度を持たない一方で、E-Book市場の離陸に必要なすべての課題を、アマゾンがクリアしており、コンテンツさえ十分に揃えば、消費者が選んで購入できる流通環境が整っていたことだ。</p>
<h3>“前門のアマゾン、後門のアップル”からの自由を保証する標準</h3>
<p><img class="alignleft size-medium wp-image-1999" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="Kindle2_On_Book" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Kindle2_On_Book3-300x89.jpg" alt="" width="300" height="89" />しかし、そのアマゾンはEPUBではないMobiという独自のフォーマットを採用していた。同社はその上でコンテンツやE-Bookの読み進み状況などに関する情報を、他のKindleやKindleアプリと共有できるWhisperSyncのような高度なサービスを提供しており、出版界はこれにロックインされるリスクがあった。デバイスに依存しないで高度なサービスを提供するには、Webの最新標準を使い、アマゾンに近い&#8221;2.0&#8243;的なサービスを提供できるようにする必要があるが、こうした標準は、メーカーやオンラインストアだけに関係するものではなくなった。企画・制作と流通の境界がはっきりしないデジタル時代では、標準がなければ出版社は市場の支配的プラットフォームに依存するしかない。</p>
<p><img class="alignright size-medium wp-image-3886" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="IPad" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/IPad2-199x300.jpg" alt="" width="139" height="210" />そして次に、アップルのiPadがある。2010年春に登場したiPadは、タブレットの市場を創造し、瞬く間にメディアとして定着させた、電子ペーパーによる、違和感のない読書体験とは別の、拡張E-Bookの真価と可能性を、これも疑問の余地がない形で示し、安い価格で普及させた。拡張E-Bookは教育コンテンツでは標準的な機能となることは容易に予想された。アプリの開発においてiPadやiPhoneが採用するiOSに依存すれば、それはアップルの統制下に入ることを意味する。通常のE-Bookで70%あまりのシェアを持つアマゾンと同様、タブレット市場で90%近いシェアを持つアップルも、出版社にとってはパートナーであると同時に警戒すべきライバルという両面を持っていた。対抗策は唯一つ。<span style="color: #008000;">Webの標準技術を使って、E-Bookのすべてのニーズに応えるE-Book標準を構築すること</span>、つまりIDPFの方向だ。</p>
<p>しかし、EPUB3が土台とするHTML5+CSS3は、現在でもなお成熟途上の標準で、様々なレベルの技術が混在し、何でも出来そうな反面、互換性、相互運用性の点では、平均的技術者が安心して使える（いわゆる「枯れた」技術）ではない。標準化にはじっくり時間をかけているわけにはいかないので、取り扱いには、かなりの細心さと大胆さ（つまりは経験）を必要とした。市場の動きからみて、2010年中には方向性を確定させ、2011年春には仕様を完成させ、秋には最終承認を得て制式化する必要があったと思われる。IDPFはこれをクリアして市場の期待に応えた。</p>
<h3>日本にとっては出版の21世紀への最終列車だった</h3>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7749" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="deadline" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/deadline.jpg" alt="" width="144" height="144" />さて、こうした状況から考えると、EPUB3の最大の課題は、アマゾンとアップルという市場のリーダーの独自フォーマットに依存せずに、同等の機能をWebの技術を使って実現できるオープンな標準を提供することであったと言い切れる。フォーマットというと、日本での関心は組版に集中したのだが、国際的には文字組みの問題は一部に過ぎず、しかも縦組ゃルビなどの必要性について共通認識があったわけではない。欧文に関しては、異なる組版フォーマットの相互変換の問題はほぼ解決済みと言ってよく、アマゾンも多くの出版社からEPUB2での入稿を受け容れていた。「構造＋スタイル」の指定というやり方は、どんなフォーマットでも変わりはない。アマゾンは最近、MobiからHTML5+CSS3ベース（といって完全にEPUB3ではない）のフォーマットに移行すると発表したが、こうしたことは、問題なくできる。標準があれば、メーカーは「付かず離れず」のスタンスをとることが多い。</p>
<p>しかし、商業出版における縦組を必須と考える日本では、それが出来なければ、いかにEPUB3が新世代の標準でも受け容れる気配はまったくなかった。逆に言えば、「EPUB3に縦組」というのは、日本が21世紀の出版に乗り遅れないためのラストチャンスと言えた。失敗すれば、「縦組をとるか、EPUB3をとるか」という困った選択が待っていた。（鎌田、2011-12-07）</p>
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		<title>EPUB戦記(8)：標準というゲームのルール</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/12/epub3-commentary-8-rules-of-the-game/</link>
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		<pubDate>Mon, 05 Dec 2011 11:58:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[筆者はOMGという国際標準化団体に関わっていたので、そこでの活動の表と裏を見る機会があり、多くを学ぶことが出来た。いちばん感銘を受けたことは、激論やごり押しや根回しといった（どこにでも見られる）風景だけではない、高い知性 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7507" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="EPUB_senki_logo" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/EPUB_senki_logo.jpg" alt="" width="120" height="120" />筆者はOMGという国際標準化団体に関わっていたので、そこでの活動の表と裏を見る機会があり、多くを学ぶことが出来た。いちばん感銘を受けたことは、激論やごり押しや根回しといった（どこにでも見られる）風景だけではない、高い知性と公徳心を持つ人々の理性的な議論と、稀にしかお目にかかれない民主主義というものだった。そこでは言葉の壁などは、あまり問題にならない。ちゃんとした技術を持ち、目標を共有している限り、味方はつくれるのである。そうした意味では戦いは「日本対世界」といったものでは絶対にない。<span id="more-7729"></span></p>
<h3>市場の節目を逆算して始める長丁場のゲーム</h3>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7740" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="timing" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/timing.jpg" alt="" width="227" height="222" />標準というものが成功するかどうかは、時を得るかどうかにかかっている。いかに周到に準備し、よく出来た仕様でも、市場が標準を待たずに走り出した後では無視されるし、別の標準で代用されて市場の形成が当初の予想と変わることもある。だから標準化のイニシアティブは、市場が動き出すタイミングを読み、その直前に、市場のニーズに最大限応える仕様を、主要なステークホルダーの納得を得られる形で策定し、製品として実現できるようにしなければならない。これは相当な集中を要するスリリングな作業で、強いリーダーシップとチームワークが噛み合わないと成功しない。ゲームにたとえれば、野球やバレーボールよりは、時間制のサッカーやバスケットの試合のようなものだと考えている。</p>
<p>ITなど動きの速い分野では、コンソーシアムの標準化作業に与えられる期間は、ほぼ18ヵ月、プラスマイナス6ヵ月と考えられる。すでに市場で使われている技術の仕様が公開され、そのまま採用される場合はこれよりも速いが、ゼロからスタートする場合はそのくらいはかかってしまう。つまり、市場が動き出す直前（と言っても事前に決まっているわけではない）という1点に向け、そこから逆算する形でスケジュールが立てられる。コンソーシアムにおける標準化のプロセスは、団体や技術の性格、案件によって違いはあるが、おおむね以下のように流れる。</p>
<ol>
<li> 市場ニーズや、製品技術、周辺技術、関連標準等についての調査、意見の収集</li>
<li> 方向性の決定、作業グループ(WG)の設置、スケジュール等の決定</li>
<li> 対象範囲の限定、目標の設定（提案のための要件）</li>
<li> 提案の募集と集約、相違点の確認と調整(修正)、草案、最終案の採択</li>
<li> 理事会(ボード)での採択と最終承認</li>
</ol>
<p>&nbsp;</p>
<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/centering.jpg"><img class="alignleft size-full wp-image-7736" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="centering" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/centering.jpg" alt="" width="226" height="181" /></a>このプロセスは、最初は漠然としていた事柄について、しだい明確にし、絞り込んでいくもので、途中でその方向性や範囲が市場の現実にそぐわなくなる(最悪の)事態が起きない限り、WGは必ず1点に収束するように運営していかなければならない。そうならないと瓦解し、作業は無駄となり、議長(通常2名)は面子を失うので、リーダーシップはWG設立以前の段階から発揮されなければならない。ここでのんびりしていると、挽回するには相当のエネルギーが要る。議長(名称は様々)の権限＝責任は、実質的に相当に大きい。しかしある程度の独断や裁量が許されるのは、プロフェッショナルとしての力量、人格への信頼と期待があればこそで、議長の地位に付いて回るものではない。</p>
<p>議長は、他のメンバーよりも技術的実績において同格以上であることが求められ、かつ新規参加者や外部との応対において、どんな質問やクレームにも辛抱強く対応できないといけない。ITメーカーには「エヴァンジェリスト」というポストを設けている企業が少なくないが、筆者はWGの議長こそが本物のエヴァンジェリストだと考えている。作業メンバーには自信満々の連中が多いので、対応できないとすぐに学級崩壊が起きかねない。</p>
<h3>標準はよい技術を決める場ではなく、競争のルールを決める場である</h3>
<p>ここで勘違いしてはならないのは、情報技術の標準化とは、基本的に異なるソフトウェアの間でのデータの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%92%E6%8F%9B%E6%80%A7" target="_blank">互換性</a>や<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E4%BA%92%E9%81%8B%E7%94%A8%E6%80%A7" target="_blank">相互運用性</a>、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%BB%E6%A4%8D%E6%80%A7" target="_blank">移植性</a>といったことを実現するための共通仕様であって、一番よい実装(製品化)技術を決めようとするコンテストではないことだ。つまり様々な実現方法が前提とされており、製品が違っても、データが読めなかったり、システムとして連携できないようなことがないようにしようというものだ。別の言い方をすれば、競争のルールを決めるのが標準といえる。もちろんルールはプレーヤーの能力やゲームの戦術や局面に大きな影響を与えるので、ゲームの参加者は誰もが重視する。最近は（これをメーカーに任せたくない）ユーザー企業も、ルール作りに積極的に参加するようになっている。IDPFでは、大手出版社やB&amp;Nも参加してEPUBの機能に注文をつけている。</p>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7738" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="discuss-1-218x218" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/discuss-1-218x218.jpg" alt="" width="174" height="174" />さて、日本では「標準」というと「誰かが決めて、みんなで守らなければならない、法律のようなもの」と考えている人が少なくない。これは大きな誤解だ。ルールはステークホルダー（ユーザー、メーカー、研究機関、政府機関…）すべての要求に応えてつくられるとされるものなので、態度を示さず、要求を出さないと声の大きい人だけで決めてしまう。「さっさと決めてくれ」という態度でいながら、後で不平を言ってもヒンシュクを買う。どうもこれは民主主義の成熟度と関係がありそうで怖いところだ。また、ルールは法律ではないから、守る必要はない。しかしルールを無視するとユーザーの信頼を失うリスクを冒すことになる。</p>
<p>ITの標準が一般社会のルールと違うところは、それを守るかどうか、そしてどのように守るかが個々の主体に任されていることだ。ペナルティはない。<span style="color: #008000;">標準以外の機能を盛り込んでもよいし、標準にある機能をすべて実現する必要もない。</span>標準への準拠とその証明をユーザーが要求する場合には、第三者機関が試験環境をつくって認証することが多い。しかし、ISO9000などとは違って、例えばEPUBでブラウザのコンプライアンスが問題になるようなことは、たぶんないだろう。</p>
<p>標準化に参加するメーカーの技術者にも「標準技術」というものを理解していない場合が少なくない。日本人に多いのだが、会議の場で自信満々、自社の製品技術についてのプレゼンを行い、いかにもその仕様を標準として採用して欲しいという態度をとることがある。どんなに立派な技術でも、多くの人はこれを聞いて絶句する。場違いなのだ。場違いな発言をすれば子供とみなされる。これは求められているルールではない。彼は、自社の技術を含む、<span style="color: #008000;">現在と将来の様々な実現方法の間で互換性、相互運用性、移植性を実現するルール</span>について語らなければならなかったのだ。もちろん、そのためには世の中にある技術、他社の技術について、ある程度以上に知っていることが必要とされている。</p>
<p>標準化というルールづくりのゲームに参加するには、標準化に対するリテラシーが必要だ。それは<span style="color: #008000;">技術的には、複数の代替手段の違いを超える上位(あるいは基底)技術についての知識であり、また小手先の英語ディベートではない、理性的な議論による合意形成という民主主義の実践能力</span>だ。これさえあれば必ず味方が現れ、助けてくれる。現場では、大企業も個人企業も独りなので、個人の力量がモノをいうのである。　（鎌田、2011-12-05）</p>
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		<title>EPUB戦記(7)：世界標準に縦組という奇跡</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/12/epub3-commentary-7-challenges/</link>
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		<pubDate>Sun, 04 Dec 2011 11:10:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Editors' Note]]></category>
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		<description><![CDATA[EPUBは、W3Cの3標準（HTML、CSS、SVG）をベースとしているので、それらにない機能は入らない。ないものは間に合うように大急ぎでつくるしかない。それに日本と台湾でしか使われていない機能を世界標準に盛り込ませるに [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7507" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="EPUB_senki_logo" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/EPUB_senki_logo.jpg" alt="" width="108" height="108" />EPUBは、W3Cの3標準（HTML、CSS、SVG）をベースとしているので、それらにない機能は入らない。ないものは間に合うように大急ぎでつくるしかない。それに日本と台湾でしか使われていない機能を世界標準に盛り込ませるには、相当の説得力と腕力、あるいはそれ以上のものも必要だった。奇跡とも言える1年半を見ていく前に、何をクリアする必要があったかを要約しておきたい。<span id="more-7708"></span></p>
<h3>縦組はWeb (W3C)とE-Book (EPUB)の「二重標準」</h3>
<p>標準化の主戦場は、もちろん標準化団体の会議の場が中心となるが、EPUBの場合にはやや複雑だ。IDPFは、Webの標準技術から必要な機能を借用してEPUBを構成することを基本ポリシーとしているので、EPUBの骨格はXMLで記述されたHTMLとCSS、SVGから成るのだが、それらはW3Cで策定されている。借りてくるには、W3Cのドキュメントに載ってないといけない。2010年の時点で、日本語の縦組やルビを可能とする機能は標準のCSSには含まれていなかったから、EGLSのチームは、W3C/CSSの場で活動し、これを標準化のプロセスに載せると同時に、IDPFでEGLSの必要性を認めさせる必要があった*。当然、前者にも時間がかかる。村田さんによると、W3Cでの策定タイミングをEPUB3のスケジュールに合わせられる可能性は五分五分よりもかなり低かったという。</p>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="font-size: small; color: #808000;">村田さんによると、W3CのCSSと整合性を取れない場合でも、IDPFだけで縦組を入れることは不可能ではなく、彼もこの選択肢を最後の手段として残していたようだ。しかしそれではWebとE-Bookの融合という趣旨と外れるので、IDPFにとっても好ましいことではない。WebKitなどのオープンソースでも採用されない可能性が大きくなり、標準としての価値は大きく損なわれてしまう。IDPFのビル・マッコイ氏も村田さんも、それは何とか避けたかった。</span></p>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7713" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="bridge_gap2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/bridge_gap2.jpg" alt="" width="184" height="141" />標準は1日にしてならず。ここでモノをいったのは、1990年代初めから日本印刷技術協会(JAGAT)や日本規格協会(JIS X 4051)で続けられてきた作業だった。複雑な日本語組版処理の要件を明示化し、出版・印刷業界の合意を形成するのは、かなり気の遠くなるような作業である。これが始まった当初は環境としてのWebはなく、また「国際標準」につなげることが目標になっていたとは思えないが、この仕事がもとになって、1999年には、マイクロソフトのスタッフが書いたInternational Layout in CSSがCSSのWorking Draftとして提出された。また、2004年から要件の英文による定義とW3Cの正式文書化の作業が始まり、2009年に日本語組版処理の要件が策定された。これには、活字編集技術の生き字引とも言える小林 敏さん、当時ジャストシステムにいた(ユニコードの)小林龍生さんなどが関わっている。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7722" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="CSS" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/CSS.png" alt="" width="89" height="89" />Webにおける本格的日本語組版の実現をターゲットにした作業の成果をCSSの仕様とすることができれば、これをEPUB3に載せることも理屈の上では可能である。ただ、確率は低く、かなりアクロバティックなウラ技が必要だった。2010年2月、JEPAがIDPFの首脳にEPUB日本語拡張の意思を明確にした時点で、“縦組CSS”の仕様は存在しておらず、これをEPUB3の作業にシンクロさせなければ、成立することはない。ここで予算とスタッフを投入し、スケジュールにも影響力を持つ国際的大メーカーが本気で取り組んでいれば、少し話が違っていただろう。しかし、悲しいかな、中国市場と反比例して日本市場の国際的地位が低下した最近では、日本メーカーを含めてそうした動きはなく、日本人スタッフの活動も全社(戦略)レベルでは評価されないことが多い。日本の活動の中心は、2009年11月にEPUB研究会を発足させたばかりのJEPAが担うしかなかった。ボランティアレベルの活動だ。</p>
<h3>ボランティアの少数精鋭による普遍性の主張</h3>
<p><img class="alignleft size-medium wp-image-7716" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="mongolian4" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/mongolian4-107x300.png" alt="" width="86" height="240" />もっとも、筆者の経験でも、金がないことを除けば、少数精鋭、ボランティア中心の活動というのは、企業での意思決定、パートナー企業間や業界団体の合意形成、国との調整といった、面倒で神経を磨り減らす仕事から解放される分、技術そのものと会議での駆け引きに集中できるので、メンバーさえよければ悪いことばかりではない。村田さんは、「日本のふつうのやり方でやっていたら絶対に出来なかった」と断言し、「だから私は嫌われる」と付け加える（最近はこれに「日本では」というのを加えているが）。</p>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7718" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="chinese" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/chinese.jpg" alt="" width="180" height="194" />ボランティアで何が出来る、と思われるかもしれない。しかし、前回ふれたように情報技術の標準化（とくにユニヴァーサル標準）の世界では、<span style="color: #008000;">肩書きより実績</span>が重視される。実績ある人物が大組織のバックもなしで出てきたら、それは自己の信念に忠実な本物のプロが、<span style="color: #008000;">公共の利益</span>のために何かをやろうとしているのだ、と考える。たとえ所属企業の指示があっても、そういう人間を敵に回すことは、世界ナンバーワンの企業の代表でも無下には出来ない。間違いなくプロのコミュニティでの評価を落とすからだ。標準化のパワーポリティクスの世界においても、「道理(職業的倫理)」というものは尊重される。ただ、どんな人物でも、日本のためにしかならない(個別利益のための)仕様を提案してくれば話は別だ。「日本語の縦組をぜひ」では世界標準にはならない。それが認知されるには、</p>
<ol>
<li>日本をはじめ東アジアに強いニーズがあり、</li>
<li>文化的・商業的価値のある縦組を実現する機構が、</li>
<li>技術的整合性を損なわず、実装・実行上の負担にもならない</li>
<li>仕様化のために余計な時間をとらない</li>
</ol>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7720" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="Korean" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Korean.jpg" alt="" width="160" height="185" />ということを納得してもらわないと同意がもらえない。XMLを体現する村田さんのような人物の提案であれば、誰も(3)の心配はしないだろう（ふつう、これは実証しないといけない）。問題は(1)と(2)を証明することだ。村田さんは、日本以外で縦組を使っている唯一の国である台湾、歴史的に漢字文化を共有する中国と韓国、縦組の文字文化遺産を持つモンゴルに対する根回しが成否を握ると考えた。そして、縦組の普遍的価値を理解し、支持し、主張する非東洋人が必要だった。こういう時こそ、日ごろの付き合いが意味を持つ。　（鎌田、2011-12-04）</p>
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		<title>EPUB戦記(6)：国際標準化の舞台</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/12/epub3-commentary-6-key-players-of-standardization/</link>
		<comments>http://www.ebook2forum.com/2011/12/epub3-commentary-6-key-players-of-standardization/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 03 Dec 2011 09:20:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Data Format]]></category>
		<category><![CDATA[Editors' Note]]></category>
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		<category><![CDATA[Log Book]]></category>
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		<category><![CDATA[EPUB戦記]]></category>
		<category><![CDATA[IDPF]]></category>
		<category><![CDATA[W3C]]></category>
		<category><![CDATA[国際標準化]]></category>
		<category><![CDATA[村田真]]></category>

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		<description><![CDATA[EPUB3標準に縦組仕様を盛込むプロジェクトの成功のドキュメントについて、できるだけわかりやすく描くのが筆者のミッションである。中心的な役割を果たした人々の話を順次紹介していきたいが、内容は簡単にまとめられるものではない [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7507" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="EPUB_senki_logo" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/EPUB_senki_logo.jpg" alt="" width="120" height="120" />EPUB3標準に縦組仕様を盛込むプロジェクトの成功のドキュメントについて、できるだけわかりやすく描くのが筆者のミッションである。中心的な役割を果たした人々の話を順次紹介していきたいが、内容は簡単にまとめられるものではないし、それを理解していただくためには、国際標準化という、あまり世間では知られていない背景について、筆者なりにまとめておく必要を感じている。個人的にも20年近く関わったが、理解が進まないことには理由がないわけではない。<span id="more-7685"></span></p>
<h3>「よい標準」はどうつくられるか</h3>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7512" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="unicode_logo" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/unicode_logo.jpg" alt="" width="86" height="86" />国際標準化の「バトル」の現場を生々しく描いたものでは、小林龍生さんの奇書<a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E6%88%A6%E8%A8%98-%E2%94%80%E6%96%87%E5%AD%97%E7%AC%A6%E5%8F%B7%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%A8%99%E6%BA%96%E5%8C%96%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%AB-%E5%B0%8F%E6%9E%97%E9%BE%8D%E7%94%9F/dp/450154970X" target="_blank">『ユニコード戦記』</a>がある<span style="color: #515151;">（奇書とは世に稀なという意味です。為念）</span>。しかし、国際標準はゴマンとあり、ユニコードはかなりユニークな標準で、著者もユニークな方なので、一般化できない部分もあり、ここで用語事典などにも載っていないことについて独断的に整理しておきたい。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7695" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="ISO" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/ISO.jpg" alt="" width="93" height="83" />さて、標準は、コンソーシアムなどが策定する<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%89" target="_blank">デファクト</a>(de facto)標準と、ISO/IEC/ITU-Tの3つの<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%99%E6%BA%96%E5%8C%96%E5%9B%A3%E4%BD%93_%28%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%81%A8%E9%80%9A%E4%BF%A1%29" target="_blank">国際機関</a>や各国国内機関による標準から成る<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%89" target="_blank">デジューリ</a>(dejure)標準に分かれる。デファクトであっても、「標準」として認知されるためには、原則として無償で、仕様が公開されていなければならないし、コンソーシアムであれば誰でも参加でき、合意された手続き(procedures)に基づいてプロセスが公開されていることが必要とされる。これが「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%B3%E6%A8%99%E6%BA%96" target="_blank">オープン標準</a>」と呼ばれる。これも程度問題だが、十分にオープンでないコンソーシアムは、排他的とみなされ独禁法上のチェックが入る。閉鎖的な日本の「業界」文化とのズレが問題になることも少なくない。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7696" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="W3C" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/W3C.jpg" alt="" width="94" height="86" />重要なことは、デファクトとデジューリは対立するものではなく、成功したデファクトの多くはデジューリに移行するということだ。前者は市場のニーズに対応して、メーカーやユーザーの第一線のエンジニアやテクノロジストが参加し、必ず実装(製品化)されることを前提として作られる。中には製品が出なかった標準、出ても普及しなかった標準もあるが、それが仕様自体の問題であった場合は、策定にあたった中心人物は評価を落とすだろう。参加する人材の時間コストは高いので、失敗した場合の損失は、参加する企業や個人にとってけっして少なくない。つまり活動にはそうしたプレッシャーがかかる。デジューリの標準はメーカー技術者や研究者などから成る「各国代表」が参加し、体系性、整合性を重視して整備されるが、そのまま市場に対応するものではないので無駄撃ちが多くなる。</p>
<p>市場で成功した（つまり標準として機能することが実証された）デファクト標準は、ISO/IECなどのお墨付きを得て、ほぼ自動的にJISなどの各国標準として導入され、市場における政府の役割の度合いに応じて、各国の業界に採用されて普及する。1990年代に大きな変化があり、グローバル化と市場主導が進んだITでは、とくにデファクトの役割が大きくなった。今日、最も影響力の大きい標準化団体は、ユニコード・コンソーシアム（文字符号）、W3C (Web)、そして筆者が長く関わっていた<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/Object_Management_Group" target="_blank">OMG </a>(技術間の相互運用性)の3つだと思うが、これらの標準は公的標準機関でも特別な扱いを受ける（つまり最速で採択）。公式に「よい標準」だと認められるわけである。</p>
<p>よい標準というはっきりした目安はないが、いちおう<span style="color: #008000;"> (1) 様々に実装されて市場の多様なニーズに応え、(2) 周辺の技術環境の変化を乗り越え、(3) 適正なメンテナンスと拡張がなされる</span>、(という状態が10年余りにわたって続けられる)と認められれば、よい標準といえるだろう。筆者は、上記の3団体は、デファクトやデジューリを超えた、<span style="color: #990000;">ユニバーサルな標準化団体</span>だと考えている。というのは、文字とWeb、技術間の相互運用性という3つの分野は、今日の情報技術全体を支える基盤標準であり、個々の技術の上位にある、いわば「標準の標準」といえるものをつくっているからだ。</p>
<h3>標準化の主役とは</h3>
<p><img class="alignright size-medium wp-image-7697" title="programming-hierarchy-of-needs" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/programming-hierarchy-of-needs-300x195.png" alt="" width="300" height="195" />これら3団体は、そのオープンな性格から、各国の企業や民間団体だけでなく、各国の政府機関もメンバーとして参加し、あるいは他の主要標準化団体とリエゾンを持つことから、コンソーシアムを超えた存在として認知されている。これらの団体で標準化に携わる技術的リーダー（作業グループの座長とその経験者）は、別格の尊敬を集めており、企業などの所属が変わっても、あるいは独立しても、引き続きプロセスをリードすることがコミュニティから期待される。逆に言えば、肩書きではなく実績だということだ。（右の図はソフトウェアの評価水準）</p>
<p>EPUB3において、日本には<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E7%94%B0%E7%9C%9F" target="_blank">村田 真</a>さんがいた。これがどれほどの意味を持つかを知るには、上記のことを頭に入れていただけばよい。村田さんには<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/World_Wide_Web_Consortium" target="_blank">W3C</a>において、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF_%28%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2%E6%8A%80%E8%A1%93%E8%80%85%29" target="_blank">ジェームズ・クラーク</a>らとともに<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/Extensible_Markup_Language" target="_blank">XML</a>の仕様を書いて策定に関わり、その有力なスキーマ言語の一つである<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/RELAX_NG" target="_blank">RELAX NG</a>を、同じくクラークと共同で設計し、その仕様をOASIS→ISO/IECの標準とした実績がある。前者は今日のほとんどの標準に使われており、後者は（競合標準はあるが）IDPFでも採用されているから、その仕事は単純に金銭換算しても数億ドル分にはなるだろう。冗談ではなく、世界のリーダーの一人で、日本では国宝級だ。</p>
<p>村田さんのようなテクノロジー・リーダーが尊敬を集めるのは、この変化の激しい世界で、広い視野と将来を見通す透視力を持ち、しかも数多の天才、秀才を輩出する分野で、公平でハイレベルな調整能力を発揮してきたからだ。技術的に優秀であるだけでは、標準化の世界で実績を残せないし、認知され、それなりに尊重はされても、尊敬されることはない。プロとしての技術者のコミュニティが企業から独立していない日本では、ご本人の評価はさほどでもないのだが、今回の主役は村田さんであり、標準化コミュニティにおけるステイタスはもちろん、短期決戦での戦術眼と、同じく国際的に通用するエンジニアを動員できたことが、EGLSの成功の直接的要因であると思われる。　（鎌田、2011-12-03）</p>
<p>&nbsp;</p>
<h4 style="padding-left: 30px;">追記</h4>
<p style="padding-left: 30px;"><span style="color: #993300; font-size: small;">本連載の(4)と(5)において、総務省の予算の多くが「中間フォーマット」関係に配分されたかのように誤解を招く記述がありました。事実は、電子出版環境整備事業で10事業が認定されましたが、「電子書籍交換フォーマット標準化プロジェクト」は、最大ではあるものの一つであり、また事業には「EPUB日本語拡張仕様策定」も含まれています。不適切な表現について、関係者および読者各位にお詫びさせていただきます。なおこれらの事業の成果と評価は、総務省のサイトで<a href="http://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/ictseisaku/ictriyou/shinict.html" target="_blank">公開</a>されています。これについては別にご紹介していく予定です。</span></p>
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		<title>出版コンテンツを考える (1)：とコンテンツ</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/12/demystifying-content-1-naked-king/</link>
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		<pubDate>Fri, 02 Dec 2011 09:35:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<category><![CDATA[コンテンツ論]]></category>

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		<description><![CDATA[「コンテンツ」は、具体的な形をとり、流通して初めてコンテンツとなる社会的、関係的な概念であって、これで商売をするためには、「中身」よりもよくよく形態や機能を考えないわけにはいかない。価格についても、権利についてもそうだ。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7669" title="content2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/content2.jpg" alt="" width="142" height="142" />「コンテンツ」は、具体的な形をとり、流通して初めてコンテンツとなる社会的、関係的な概念であって、これで商売をするためには、「中身」よりもよくよく形態や機能を考えないわけにはいかない。価格についても、権利についてもそうだ。そこで具体的なプロセスと機能の面から、流通するための条件を考えたいわけだが、漠然とした言葉だけに、これまで不用意に扱われ、あまりに多くの錯覚、倒錯を生み出してきた。まずこれを脱神秘化しておきたいと思う。<span id="more-7664"></span></p>
<h3>コンテンツは裸の王様である</h3>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7653" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="Diagram4" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Diagram4.jpg" alt="" width="300" height="209" />コンテンツは「中身」を意味する。では外身とは何か。中と外は何で区別されるか。E-Bookに付いているスタイル指定はどちらだろう。コンテンツのアイデンティティはどうやって識別…。などくどくど言うと嫌われるのだが、こうしたことは、<span style="color: #008000;">コンテンツを管理したり流通させたりする上では、最初に考えておくべきこと</span>だ。でないと棚の配置も考えずに図書館をつくろうとするのと同じ結果になる。専門家に任せる？ 専門家は、何のために、どう管理・流通させたいというユーザーの方針に従うだけだ。これがないとシステムはつくれない。これなしでつくったシステムは何億かけてもガラクタだ。おおますます嫌われる。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7670" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="king1" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/king1.jpg" alt="" width="113" height="153" />先日上の図を描いていて（<a href="http://www.ebook2forum.com/2011/11/emerging-web-publishing-environment/" target="_blank">「Web出版環境とは何か」</a>）、出版において、いわゆるコンテンツというものが裸の王様であるという印象を強くした。印刷・製本やフォーマットという衣装を着せないと、王様であるという証明はじつに厄介なものとなる。いや衣装を着けた状態で「出版物」の認定を受け直さないと無理だろう。谷崎潤一郎の未発表草稿があったとすると、そのままコンテンツの扱いを受けるだろうが、真贋が定まらない状態では保留され、著者不明ではゴミとなるかもしれない。つまり、コンテンツは社会的概念であって、この社会性を見落して扱おうとすると見当違いなことになるということだ。</p>
<p>コンテンツとは何かを考えても、答は得られない。人間を解剖しても「人間とは何か」が分からないようなものだ。コンテンツとは「中身」だが、人間の「魂」がなかなか評価されないように、実世界において<span style="color: #008000;">中身を規定するものはやはり外身</span>なのである。本について「コンテンツ」が云々されるようになったのは、それが形を外されて(deform)からなので、ややこしい話だが、コンテンツの価値や商品性を考える場合には、具体的な形を付与する(inform)ことを想定しないとどうにもならない。</p>
<h3>コンテンツはいかにして本になるか</h3>
<p>商業出版の世界で、本は、印刷・製本され、定価が付いて取次に納品された段階で、本として認知されてきたように思う。印刷所を出た段階では、商品であっても本ではなく、4割近く発生する返本の多くは、もはや資源ゴミである。本はオーラを発する。丁寧に造られた本はなおさらだ。自分の本が書店に並んだのを見て興奮する人は多い。</p>
<p>しかし、いったん本とされたものでも、表紙を剥がし、装丁をばらした状態では本とは呼ばれない。文字や写真が印刷された紙を見て、それが「コンテンツ」であるという人を見たことがない。しかし、今日多くの人々が「コンテンツ」と読んでいるものは、一度「本であったものの電子的複製」をイメージしているようだ。自炊代行業者を目の敵にする人たちは、残骸にされる本の運命よりも複製のほうを気にしている。「本」には価値はなくなっても電子データには価値があるように錯覚している。後世の人は大いに嗤うだろう。</p>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7679" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="book-18th-century" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/book-18th-century1.jpg" alt="" width="220" height="146" />電子書籍には印刷本と同等の価値があると主張する人に至っては、コストはおろか、装丁デザイン、印刷や造本の（単なる付加価値以上の）価値さえ認めないという、信じられないような理屈を述べている。とても本好きの態度とは思えない。もちろん、消費者は愚かではないから、もっぱら本より本のデータが欲しい人が「電子書籍」を買うことになる。印刷本の価値は、タイトルに相応しい個性を持った本としての一貫した造りがされる点にあると思う。それはデジタルが多くなるほど、再評価されるだろう。もっとも、その頃には、本らしい本は古書店でしか得られなくなるおそれがあるが。その点、新書や文庫は、容易に「コンテンツ」と紙に解消してしまう脆さが目立つ。（右は18世紀の本）</p>
<h3>オープンソースの『蟹工船』がなぜ出版社を潤したのか</h3>
<p>コンテンツの価値を、実体としての印刷本の価値に合わせようと考える人は、紙を守ろうとして逆に冒涜している。青空文庫やプロジェクト・グーテンベルクのリストに載っているコンテンツは、その不朽の価値にもかかわらず（それを入力・編集し、フォーマットしたボランティアのおかげで）タダで読むことができる。版権が切れていても印刷・製本したものは無料とはいかない。それどころか、2008年に社会現象となるほどヒットした『蟹工<img class="alignleft size-full wp-image-7672" style="margin-top: 15px; margin-bottom: 15px;" title="kanikosen" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/kanikosen.jpg" alt="" width="79" height="79" />船』などは、コンテンツとしては無料だが、印刷本としては売れに売れ、新潮社版(420円)などで80万部を超えたといわれている。E-Bookは印刷本を圧迫すると考える人たち、電子ファイルに本としての価値があると考える人たちは、こうした事実に目を閉ざしている。あらゆるデバイスで読める青空文庫版が、どのくらいダウンロードされたかは知らないが、数十万という単位ではないだろう。</p>
<p>要するに、印刷本は印刷本の価値がある。E-BookにはE-Bookの価値がある。コンテンツを共有していても、この2つのメディアは異なる。E-Bookは、直接間接にオンラインアクセスを前提とし、読むためのデバイスを必要とする。それは消費者が負担している。「コンテンツ」がそのままでは売れるはずもないことは自明ではないか。むしろ日本以外でなぜコンテンツが売れているのかをもう一度考え直したほうがいい。コンテンツは王様だが、家来もいない裸の王様は王様ではない。  （2011-12-02鎌田、）</p>
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		<title>Web出版環境とは何か：DD研参加記(3)</title>
		<link>http://www.ebook2forum.com/2011/11/emerging-web-publishing-environment/</link>
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		<pubDate>Sun, 27 Nov 2011 10:05:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
				<category><![CDATA[Documentation]]></category>
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		<category><![CDATA[組版]]></category>

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		<description><![CDATA[前回は、EPUB3によって「Web出版環境」が完成した、ということを述べた。これは印刷本の電子的複製とは次元が違う、デジタルドキュメントとしてのE-Bookの潜在力が全面的に開放されたことを意味する。JLreqを含むEG [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7655" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="HTTP" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/HTTP.jpg" alt="" width="158" height="115" />前回は、EPUB3によって「Web出版環境」が完成した、ということを述べた。これは印刷本の電子的複製とは次元が違う、デジタルドキュメントとしてのE-Bookの潜在力が全面的に開放されたことを意味する。<a href="http://www.w3.org/TR/jlreq/ja/" target="_blank">JLreq</a>を含む<a href="http://code.google.com/p/epub-revision/wiki/EGLS" target="_blank">EGLS</a>がEPUB3に盛り込まれたおかげで、われわれは幸いにしてこの革命にそう遅れずについていくことが可能となったわけだが、そのために知っておかなくてはならないことが多い。<span id="more-7643"></span></p>
<h3>はじめに：本の仮想化を完成させるEPUB3</h3>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7650" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="Diagram3" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Diagram3.jpg" alt="" width="300" height="254" />Web出版環境の意味は、はんぱでなく大きい。同じ「コンテンツ」を扱っていても、これは従来の出版の発展の延長上にはないからだ。E-Bookは印刷本のようなオーラを放っていないし、文字も組版も精巧さ、美しさに欠ける。オリジナルが少ない、ということは、もっぱら印刷出版物の影として流通しているわけだ。にもかかわらず、米英では出版市場をリードする存在となった。それはなぜか。じつはコンテンツを見ていたのではまったく分からない。</p>
<p>たしかにアプリは、一見して本のデジタルコピーとしか見えないE-Bookとは違って動画や音声を扱え、対話的だ。これこそ21世紀の電子書籍だという人もいる。しかし、この技術は20年近く前にもあり、CDで提供されていた。これはよく似ているが違うと考えたほうがいい。いや違うものなのだ。なぜなら<span style="color: #008000;">Web出版という真の意味でグローバルな環境にあって、すべての(静的・動的な)コンテンツは孤立しておらず、ネットワーク化され、ヒトと同じようにコミュニケーションのノードとして存在している</span>からだ。</p>
<p>EPUB3は、標準技術をベースにしたWeb出版環境を完成させるという意味で、歴史を画するものとなった。日本人にとっては「縦組・ルビ」機能が大きいのはもちろんだが、それはUnicodeと同様、われわれがコミュニケーションにおける大きな歴史の流れに乗るための、切符のようなものだった。それはまもなく空気のような存在になるだろう。では、大きな歴史の流れとは、どのようなものだろうか。</p>
<h3>出版における制作(本づくり)と共有(流通・販売)</h3>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7651" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="Diagram1" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Diagram1.jpg" alt="" width="300" height="256" /></p>
<p>出版においては、ある形をイメージして制作が行われ、そしてそれが公刊されることよって社会化される。これは一連のプロセスであり、プロダクションとディストリビューションの2つのベクトルで構成される。便宜的に、これをタテ方向の深化・高度化と、ヨコ方向の展開と呼んでおこう。タテでは、素材(ことばや図像)の編集ー意味的関連の構造化と表現ーにおいて、記録・再生される知識の容器（本）とともに発展してきた。ヨコ方向は流通・配送ネットワーク、書店と図書館がある。<br />
今日の印刷本の原型は古代末期に冊子写本(codex)として誕生した。15世紀ドイツで活字印刷術が生まれ、16世紀にヴェニスで出版ビジネスが生まれて以来、それは量的に拡大してきただけで、大きな変化はなかった。その後、産業としては共有性に優れた放送・通信系メディアにマスメディアの座を空け渡したが、知識の容器としての本、その担い手としての出版業が、権威と影響力を失ったことはなかった。とはいえ、ビジネスとしての出版が成長するためには、グラフィック情報の大量生産に活路を見出すしかなかった。日本において雑誌とマンガが、優に出版の半分を占めるようになったのはそのためである。</p>
<p><a href="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Diagram2.jpg"><img class="size-full wp-image-7652 alignright" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="Diagram2" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Diagram2.jpg" alt="" width="240" height="201" /></a>これらの<span style="color: #008000;">在来メディアは、一長一短を持っていたので共存し得た</span>。放送は時間に依存した軽い情報を遠くに飛ばすことが出来たが、物理的実体となって機能する、重い(構造的・意味的)情報を運べなかった。通信は1対1の、出版と放送は1対Nのコミュニケーションとして発達してきた。デジタル化によってまず通信と放送の技術的境界が失われ、出版の版下もデジタル化されたが、通信と出版の融合は版下のデータ送信の域を容易に出なかった。単純化すると以下のようになる。</p>
<ul>
<li>重いメディア（本）　　→受信機不要　標準不要</li>
<li>軽いメディア（放送）　→受信機必要　国家規格</li>
<li>メタメディア(Web)　　→受信機必要　ユニバーサル規格</li>
</ul>
<p>今日、情報の共有手段として定着したWeb (HTTP/HTML)は、研究者のための「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%88" target="_blank">ハイパーテキスト</a>のネットワーク」として構築された。当初、表現の深さはなかったものの、何よりも時間・空間に依存せず、知識情報の多次元的な構造を明示化し、操作可能にした点で、人類史上空前のものだった。ハイパーテキストは、言葉とテキスト、コンテキストを記録し、表現するという意味で、ドキュメントの究極の姿といえるが、それがインターネットで展開されることになったのである。以来、「深さと広がりを持ったフラクタルな知識空間」として進化する宿命を負っている。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7657" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="hypertext" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/hypertext.jpg" alt="" width="154" height="102" />オフィス、基幹システム、研究開発のネットワークで行われる、あらゆる形の情報処理は、インターネットに吸収される方向にある。どんな高度なITも、インターネットが提供する広がりを利用できなければ、そうしたものに勝てない。ついには、コンピュータもインターネットの一部となり、インターネットがコンピュータになるという事態が進行している。HTMLは、XMLを通じて、アクセス可能なあらゆるネットワーク上の情報資源と結びついた。モバイル・インターネットは最新の到達点といえる。重要なことは、進化(つまり既存の情報関連技術の吸収)をやめないHTML、究極の(メタ)データ記述言語のXML、あるいはグローバルな文字コードであるUnicodeなどは、企業からも国家からも独立した、<span style="color: #008000;">完全にユニバーサルな技術規格</span>であるということだ。</p>
<h3>本のネットワークとネットワークとしてのE-Book</h3>
<p>音楽やビデオに比べ、じつは本こそが最もデジタル化が難しい商品／サービスだったことは偶然ではない。19-20世紀の機械文明の産物である通信・放送系メディアと異なり、<span style="color: #008000;">本だけは何の規格も必要としない、非集中型のメディア</span>だったからだ。ワープロなどのオフィスドキュメントがそうであったように、電子本の流通範囲は規格に依存する。日本の出版における「出島」であったケータイ電子書籍は、その昔にあった<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%8B%E6%9C%AC" target="_blank">ビニ本</a>や<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E8%B2%A9%E6%A9%9F%E6%9C%AC" target="_blank">自販機本</a>のように、市場はつくったが、ニッチ以上にはならなかった。その意味で、メーカーが、出版業界が、そして政府が「標準」に関心を持ったことは自然であった。</p>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7653" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="Diagram4" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/Diagram4.jpg" alt="" width="300" height="209" />デジタルコンテンツはインターネットの中で驚異的な力を発揮する。タテ方向とヨコ方向での発展には限界がない。そしてWebは「本＋動画＋アプリ＋SNS」という段階に達したわけだが、この「本」は単一のコンテンツとしてだけでなく、構造体として考えることもできる。また様々な特徴で分類されたグループの一つと見ることもできる。ただし、これを本として扱うためには、本のように軽く、薄いデバイスが必要だったし、出版環境として機能させるためにはオンライン・ストアが必要だった。早くから商品としての本の性質に注目していたアマゾンは、<span style="color: #008000;">臨界3条件（フォーマット標準、モバイルデバイス、Webサービス）</span>を満たしたと判断して、2007年にE-Book市場の創造に乗り出した。</p>
<p>アマゾンが採用したフォーマット(Mobi)は、HTML（つまりEPUB）データの取り込みも容易で、それらとともに変化できるようにつくられていた。技術の発展を見越した（独自規格にこだわらない）対応は見事で、最近、Kindle FireとともにHTML5+CSS3（間接的にEPUB）に移行している。じつは、これまで<span style="color: #008000;">本当の意味でのWeb出版環境を構築し、商売できていたのはアマゾンだけだった</span>。HTML5/EPUB3パラダイムは、その環境を普遍化するものだ。これまでiPadをはじめ多くのライバルがKindleとの差を詰められなかったのは、デバイスやUIのせいではなかった、ということだが、この話は別の機会にしたい。（鎌田、2011-11-27）</p>
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		<title>Webを出版環境に変えた活字組版：DD研参加記(2)</title>
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		<pubDate>Wed, 23 Nov 2011 07:25:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Editor</dc:creator>
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		<description><![CDATA[Webはメディアとビジネスの風景を一変させてきたのだが、その力が本にまで届くのは一番遅れ、日本ではまだ完全に実現していない。それは活字組版が十分に出来なかったためだ。しかし2011年、最後のミッシングリンクとも言うべき日 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-7632" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="typesetting" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/typesetting1.jpg" alt="" width="198" height="131" />Webはメディアとビジネスの風景を一変させてきたのだが、その力が本にまで届くのは一番遅れ、日本ではまだ完全に実現していない。それは活字組版が十分に出来なかったためだ。しかし2011年、最後のミッシングリンクとも言うべき日本語組版仕様を含んだEPUB3によって、ボーダーレスなWebの出版環境は完成した。DD研での議論をご紹介する前に、組版を通してコンピュータと出版との歴史的関係をまとめてみたくなった。<span id="more-7623"></span></p>
<h3>出版における組版の意味</h3>
<p>SigDDは1996年に発足したが、ちょうど「電子化文書」が普通になってきた頃で、構造や表現、意味、機能、作用、プロセス、連携など、多様な側面を総合的に議論すべき時期に来ていた頃だったと思う。筆者は1988～94年ごろまで『企業電子出版ビジネスレポート』というニューズレターを出していたが、上述したテーマはまだアカデミックなものと見られていた。企業が関心を持ったのは、もっぱらDTPによるマニュアル制作で、筆者が最も重視したドキュメント(コンテンツ)管理やインテリジェント化にはなかなか進みそうもなかった。もちろん、現在では状況は変わり、当時必要とされたことの多くは当たり前に使えるようになった。そうした中で、当時も今も変わらないテーマが文字と組版だ。これは驚くべきことかもしれない。</p>
<p><img class="alignright size-full wp-image-7633" style="margin-left: 15px; margin-right: 0px;" title="type1" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/type1.jpg" alt="" width="144" height="108" />フォント+組版は、可読性や総合的な読書体験を左右する最大の要因であると言って過言でない。しかし、字間と行間、字詰と行詰の関係を基本とする組版は、不適切な場合は一見して粗悪と感じられるが、適正なものは「ふつうの本」と感じ、すぐに中身に入ってしまうので、逆に「存在」を感じることはほとんどない。人は良し悪しを判断できても、その基準を説明するのは、専門家でも難しい。また、活字に親しんでいる人は敏感だが、ワープロ文書やWebから情報を得ている人は鈍感だ。したがって、グラフィック・デザインよりも評価される機会は少ない。</p>
<p>それにしても、文字組版がこれほどに尾を曳き、それどころか「電子書籍のフォーマット問題」の中心テーマになったのはなぜだろうか。理由としては以下のようなことが考えられる。</p>
<ul>
<li>組版を実現する環境が、活版→手動写植→電算写植→ワープロ／DTP→Webへと変化し、そのたびにオペレーターも作業現場も、必要な知識もスキルも変わった。</li>
<li>そのため、一つの道具で確立された技術、ノウハウの多くが継承されず、技術や環境が変わるたびに品質水準が後退し、時にはゼロからつくり直す必要があった。</li>
<li>ワープロ／DTPの組版(とくに縦組対応)が遅れた。ワープロとDTPとの連携も悪く、入稿環境と制作環境の断絶が続いた。その結果、日本では本のDTP化も大幅に遅れた。</li>
<li>日本語組版の(とくに縦組)の要求レベルに関するコンセンサスが、なかなか確立されなかった。標準がないので、Web(HTML)では日本語は通っても組版はない状態が続いた。</li>
<li>ソフトウェア／サービスのベンダーが、標準化を望んでいなかった。標準化を強く要求すべき書籍編集者と出版社は、仕事を丸投げしてきたために当事者意識が低かった。</li>
</ul>
<h3>Webによる活字組版の破壊と再構築</h3>
<p><img class="alignleft size-full wp-image-7634" style="margin-left: 0px; margin-right: 15px;" title="HTML5_CSS3" src="http://www.ebook2forum.com/wp-content/uploads/HTML5_CSS3.jpg" alt="" width="130" height="66" />組版の品質は、環境が変化するたびに大きく低下し、10年以上かけてどうにか使えるものとなる、ということの繰り返しで、実装技術と運用技術の進化は、まったくちくはぐであった。ひと世代かけて確立し、豊かな表現を支えるまでに成熟した技術が、無残にも立ち枯れてしまうことを、私たちは何度も見せられている。活版職人の技術は鉛活字とともに消滅し、写植オペレーターがゼロから修得した技術も、写植機とともに消えた。そしてDTPでも同じことの繰り返しだった。活版と写植は入力と組版が一体で、文字を知る必要があり、嫌でも読まなければ仕事にならなかったが、DTPでは入力作業が不要になった分、オペレーターの文字→組版への関心は薄れた。その傾向はWebになってさらに強まった。</p>
<p>しかし、粗悪な文字組版を広めたとはいえ、Webにはイタチごっこを終わらせる力があった。この世で最も遍在的なネットワーク出版環境は、HTTP/HTMLという単純なプロトコル(規則)で定義され、いくつかのブラウザが雑多なスクリーンを制御する。1990年代半ばに登場したWeb「出版環境」は、ハイパーリンクを武器に、最も原始的なレベルから進化を始めた。最初は「出版」とは縁遠いものだったが、進化が早まったのは、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/Cascading_Style_Sheets" target="_blank">CSS</a>というスタイルシートの普及からだった。Webと同様、これも原始的なレベルから進化し、途中までは注目もされなかったが、ここ数年で目を見張るばかりになった。（→<span style="color: #ff6600;"><a href="http://www.ebook2forum.com/2011/11/web-meets-books-with-css/2/">次ページ</a></span>に続く）</p>
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