1968年に東京工業大学工学部機械工学科を卒業、1970年に同大学大学院修士課程機械工学専攻修了後、電電公社に就職した。電気通信研究所の機構部品技術研究室に配属され、継電器やスイッチ等の交換機部品の研究と技術協力に従事した。1977年から78年にかけて米国ウイスコンシン大学マジソン校に派遣され電気接点の放電現象や接触現象に関する統計的性質に関する研究を行った。その間に所属した学科でTSSで共同利用されていたUnixに接しその柔軟な機能に印象付けられた。
帰国して横須賀研究所の宅内機器研究部に配属され、プリンタ研究室で通信端末の開発とヒューマンインタフェースの研究を担当した。1980年代に入ると官民挙げて第5世代コンピュータプロジェクトが進められ、人工知能実現のためにProlog専用マシンが話題になった。NTTはPrologよりはLispに可能性を求め、1983年~86年にかけてLisp専用マシンELISの製品化が宅内機器研究部で進められた。私もその一員となり日本語化とウインドウシステムの開発を担当した。NTTが民営化された後に、ELISの販売会社としてNTTインテリジェントテクノロジ(株)の設立に従事し営業部のSE担当として出向した。
出向した3年間は各種業界のエキスパートシステムの提案や開発、サポートを手がけた。エキスパートシェルやLispによるオブジェクト指向プログラミング技術を用い、各種業界における知識表現や推論機構を手がけたが、並行して担当したマニュアルの制作やソフトのバージョン管理業務などを通じてドキュメントの電子化技術とそのビジネスに関心を持った。
1990年にヒューマンインタフェース研究所に戻りISDNを用いる電子化ドキュメントビジネスに関する新規事業を提案し半年後にNTT本社の新規事業部門に異動した。異動先では米国インターリーフ社のDTPシステムを日本語化して同社とJVを設立し、NTTグループやその関係企業をベースロードとするドキュメントソリューションビジネスを企画した。私の担当は技術の見きわめであったが、Interleaf5と呼ばれたDTPシステムはオブジェクト指向に基づく先端技術を高い完成度で実現した興味深いものであった。
バブル崩壊などがあってJV設立は見送られたが、その後当サイトの責任者である鎌田さんと一緒にCORBAの仕様書の翻訳を行った。CORBAは、クライアント・サーバ機構の呼出・応答にオブジェクト指向技術を適用したもので、単なる表層的な仕様ではなく、汎用オブジェクトモデル、インタフェース定義言語(IDL)、IDLにおけるデータ型といったオブジェクト指向技術の神髄をスクラッチから定義する広大な枠組である。その後ネットワークアプリケーションの分野でCORBAが脚光を浴びるようになり、1992年に日本規格協会においてオブジェクト指向技術に関する標準化検討委員会が設立されメンバーとして参加しすると同時に、OMG-JapanSIGが設立されその活動にも参加した。
1993年に、本社の新規事業部門からヒューマンインタフェース研究所に戻り、公衆電話機の保守支援エキスパートシステムの改良を担当した。フレームとルールによる知識ベースをデシジョンツリーに変換し木構造のナビゲーションで操作の流れを管理し、エキスパートシステムの問題点であった維持管理を容易にした会話型システムを実現した。このシステムはNTT中央学園における公衆電話の訓練コースで使用され全国の主要な公衆電話保守部門に配布された。
1995年にNTTを退職し、グループ企業のINSエンジニアリング(株)に転籍し、ネットワークとドキュメントを活用するソリューションビジネスと新規事業開拓を担当した。2000年に入ってNTTドコモがINSエンジニアリング(株)の大半を取得し、企業名がドコモ・システムズ(株)に変わった。2004年にINSエンジニアリングを退職し、(株)ジャストシステムに入社した。主にxfyに関わる標準化とその関連技術の調査を担当したが、NTTグループとは異なる自由な企業文化に印象付けられた。2007年に(株)ジャストシステムを退職し職業能力開発総合大学校通信システム工学科の教授となり現在に至っている。