「打倒アマゾン」「自炊業者撲滅」…

cat_punch北朝鮮の連発する「無慈悲」「鉄槌」「火の海」といった言葉がTwitterで妙なブームになっているそうだ。「無慈悲な休日出勤による徹底的な残業が行われるだろう」とか、言い換えを競うセンスはなかなかのものだ。他方、出版の世界にも近年、かなり殺伐とした言葉が飛び交うようになった。楽天・三木谷社長が「打倒アマゾン」を叫べば、一部出版関係者が「自炊代行業者撲滅」を唱えるなど、どうやら暗く鬱屈した気分を晴らすカゲキ表現が好まれる時代になってきたのかも知れない。

問題は「無慈悲」のほうではない。これはかの国が20年近く使い続けている枕詞で、韓国人はまったく気にしていないそうだ。同様に「打倒」も「スポーツ感覚」、「撲滅」はご本人の「パニック障害」と思えないこともない。目くじらを立てるようで気が引けるのだが、それでも指摘しておきたいのは、過剰な表現がもたらす災厄については少なからず経験しているから、とお考えいただきたい。

グローバル企業の言語感覚

長きにわたる「失われた」歳月へのフラストレーションは理解できるし、この国特有の言語環境はそれなりに承知しているつもりだ。しかし「打倒」や「撲滅」は、やはり公的な意思表示には使って欲しくない。言葉は、というより「言挙げ」は、発言者が意図しない怪しい力を起動させてしまうからだ。

datou3団塊世代の筆者の青春時代にはカゲキな言葉が乱舞していた。中国語起源と思われる「打倒」などは最もポピュラーなものだ。三木谷氏は楽天イーグルスのオーナーであり、「打倒日本ハム」と同じような「軽い気持ち」で言ったものだろう。プロスポーツでは、ゲームを盛り上げるために「打倒」は普通に使われる。言われたほうも気にしない。盛り上がれば興行収入につながるからだ。アマゾンを敵視する空気が濃い書店業界の歓心を買おうとしたとも考えられるが、それにしてはフォローが弱い。

商売はそう面白くない世界だ。「口撃」でメディアが盛り上がっても、市場が盛り上がらなければ逆効果になる。まして「打倒」はもともと政治扇動の用語で、商売にはなじまない。扇動の基本は「敵はあいつだ。あいつを倒せ」というものだからだ。「勝者が総取り」のネットビジネスの世界であるだけに、このカゲキさは生々しい。打倒という相手には多くの顧客がおり、サプライチェーンの上でパートナーもいる。出版社にしてみれば、白猫でも黒猫でも、売ってくれれば(くれないよりは)いいのだ。

「打倒××」が、例えば日本の大手企業だったらどうだろう。「打倒新日鉄」とか。これをビジネスの話と考える人はいないだろう。「打倒小学館」もあり得ない。そもそも日本では同業者や競合製品を攻撃することはタブー視されている。それだけ世間が狭かったこともあるが、悪い伝統ではない。どちらに勝たせるかはお客さんが決めることだ。

datou2相手が外資系なので「軽く」出たのだろうか。しかしこれはこれで、グローバル企業としては別の問題を生ずる。まず「打倒」はなんと英訳するか、あるいはされるか。'destroy' 'overthrow' 'defeat' 'down with'…どれもしっくりこない(よね)。TOEIC 900点の人に聞いてみたい。中国人はこの漢語を「翻訳」せずにそのまま理解しようとするだろう。20世紀に最も多く使われた中国語の一つなのだから。実際に夥しい数の人が「打倒」されたり巻き込まれて命を落としたし、最近にも日本じたいが「打倒」の対象になっている。嫌な言葉だ。いくら「日本ではゲーム感覚」とか言っても通用しそうもない。

アップルとかアマゾンのトップが「打倒××」とか言ったら気がふれたと思われる。相手企業からではなく、メディアから叩かれる。ともにアメリカを代表する企業であり、多くの消費者に支持されている。ようするに「打倒」は(翻訳などすればとくに)グローバルには通用しない。したがって楽天が世界を目指すのであれば、こういうキケンな言葉は避けたほうがいいと思う。

個人向け書籍電子化業のどこが社会悪か

書籍電子化業者(いわゆる自炊代行業者)の「撲滅」に至っては冗談ではすまない。他人の生業を奪う、つまり(の社会の原理であり憲法上の営業の自由を否定するものであるから、本来なら「業者」のほうから営業妨害で訴えられてもいいくらいだ。例えば「(悪徳)出版業者の撲滅」を言うものがいれば、誰が何でなぜどう「悪」なのかを証明し、理解を得なければならない。「撲滅」の対象は、一企業や業界では足りず、社会、人類の不倶戴天の敵(憎悪の対象)でなければならないはずだ。書籍電子化業者はなにゆえに社会の敵と呼ばれなくてはならないのだろうか。かの「緊デジ」では書籍電子化業者のお世話になった。では同じことを業界外の顧客(書籍を所有する個人)のために行うと「犯罪」になるのはなぜなのか。「撲滅」を言う人たちは、悪の立証をとばして、消費者よりは権力の手を借りて処罰しようとしている。

noripee消費者が自分の本を「電子化」するのは自由だが、消費者のために「業者」が行えば違「法」というのは、どういう法理によるのだろうか。いやそれ以前に、一度購入したものを自由かつ合法的に処分(廃棄・譲渡・再販売)する所有者の権利を否定する根拠は何だろうか。もちろんそんなものはない。もし処分する物品・目的が犯罪的なものである(ことが証明された)ならば、まず所有者を罰し、「業者」は関与の度合いによりケースバイケースで罰せられることになるはずだ(贓品故買のように)。古本屋が丸ごと「お取り潰し」になるようなことは文明国ではあり得ない。

個人のニーズに応える書籍電子化業者を憎む人々は、じつは自炊する消費者を憎んでいる。理由を問わず、出版社が電子化していないのに「勝手に」電子化しようという根性が許せない。生きた本を(出版関係者以外が)解体・再利用する行為が「撲滅」したいくらい憎いと解するしかない。そのやり場のなさが「代行業者撲滅」のエネルギーに向かっているわけだ。本当は誰もわざわざ「自炊」したり「代行」させたりしたくはないのに。電子版さえあれば。

仮に相手が零細な「自炊代行業者」ではなく、キンコーズあたりだったらどうだろう。コピー・出力・製本サービスは、紙文書のデータ化(scan to file)を行っている。もちろん「事前にお客様御自身で著作権者もしくは版元に書面にてコピーの許可をおとりいただきますようお願い申し上げます。」と断っているが、それは自炊業者も同じことだ。法的責任は所有者にあり、サービス側の法的責任はそれ以上ではない。そして著作権法が所有者に禁止しているのは「不許複製」であって転写ではない。

自炊ビジネスは法廷で審理されている。仮に「営業の自由」と「ファーストセール法理」が認められている国では考えられない判決で決着した場合、これも「書籍の二次著作権」と同様、政府はかなり困った立場に立たされる。消費者が必要とする形で商品を提供せず、消費者がやむなく費用をかけて改造するのを助けた事業者を罰する国はまともではないからだ。出版社は国に恥をかかせるべきではないし、出版という栄光ある職業を自ら卑しめるべきではない。さしあたっては頭を冷やし、対話可能な状態になるために「撲滅」などというムジヒな言葉の使用を慎むことからお願いしたい。   (鎌田,04/13/2013)

参考記事

 

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