メディア帝国を射程に収めたアマゾン

target3出版社は本来、安定を求める存在であり、多くはファミリービジネスとして生まれた企業が、メディア・コングロマリット(以下MC)傘下の大企業(あるいはそのブランド)になったのは、最近は経営危機に喘いでいるBarnes & Nobleのような大規模流通による「圧迫」を受けた結果で、そう昔の話ではない。

メディア・コングロマリットの出版支配の終焉

ニュース・映画・TV・音楽を含むMCは、ハリウッドの古典的な垂直統合モデルにおける歯車の一つとして書籍を組込んだ。MC自体は、TVを中心とした1980年代のメディア再編、90年代のグローバリゼーションの結果生まれたもので、いまだにマス・マーケティング万能時代のスタイルを色濃く残している。20世紀最後の多頭恐竜のようなものだ。

these-6-corporations-control-90-of-the-media-in-america数字万能のMCにおける出版の役割は、最古のメディア・ビジネスとしての正統性の継承者、MCのプロダクトのプロモーターのようなものであったと筆者は考えている。プロフィット・センターとして期待されているわけではない。5世紀にわたる活字出版の中では、MC時代はデジタル時代の本格的「メディア統合」への過渡期の現象で、基本的には金融主導で戦略性に乏しい。「ビッグファイブ」の出版社が、かつての偉大な出版を生んだ大出版者、大編集者時代の企業とはほとんど関係を持たない、ということを忘れないでいただきたい。

出版というビジネスは、自らの主人である場合の外は、怠惰な高級奴隷になりやすい。ビッグファイブのハリウッド型「スター・システム」は、1980年代以降の出版を大きく変えた。「スター・システム」が一概に悪いわけではなく、それに適合した作家はいつの時代も(ひと握りは)いるが、そのために出版から重要なものが薄れていったことは確かだ。個人的には、出版社が少々のリスクにも敏感になったことで、無気力になったと考えている。出版人はそうした環境には不向きであるし、向いていたら著者にも読者にも不幸だと思う。

デジタル時代に本の原始パワーを起動するアマゾン

資本投入を必要とする映画のビジネスモデルに、作家個人の頭とデスクで生まれるコンテンツを合わせるのは無理がある。そんなシステムからは、ジェームズ・ジョイスはもちろん、H.P.ラヴクラフトもP.K.ディックも生まれない。真に独創的な、つまりは「規格外」「異形」のものが世に評価されるようになるには時間がかかるが、MCは既成文化の消費にしか関心がないからだ。「大量消費」に最適化されたメディア産業は、むしろ創造とは対極にある。そして言語作品は、美術などとともに、この消費的世界にあって個人の創造の余地を最も大きく残した分野として残ってきたし、これからも続くだろう。それはハリウッドやグーテンベルクはおろか、文字が生まれる遥か以前から存在してきたからである。

death_sea_scrolls出版はMCが考える以上の力を持っている。それは産業化とともに生まれたメディア・コンテンツとは根本的に性質が違う、より原始的・根源的なものだ。デジタルが、メディアビジネスの最も弱い環である出版を滅ぼすものと考えて「防御」を優先させたMCの戦略はまったく間違っていた。出版はデジタル時代のメディアのハブとして理想的な性格を持っている。しかし、それはアマゾンが発見し、実証するまでは誰も話題にしなかったと思われる。

アマゾンは、本がメディアだけでなくすべての商品とサービスの根本(多種多様な消費者)と深くかかわることに目をつけていた。デジタル時代においては、最も原始的遺伝子を残している本が、最もディスラプティブな可能性を秘めていたのだ。そのことはオーディオブックでも証明されている。MCは出版の扱いを間違った。ジェフ・ベゾスはメディアを再発明している。 (鎌田、09/29/2016)

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