出版デジタル機構とは何だったのか

pubridge産業革新機構(INCJ)傘下の「公的企業」であったはずの(株)出版デジタル機構(2012年4月設立)が、民間企業のビットウェイを買収した時(2013年7月)には、「民業圧迫」でルール違反という声も上がった。その「機構」の持株(70.52%)が逆に民業の大手のメディアドゥに「譲渡」されることになったが、これは何と言えばよいのか。

「非競争領域」論は正しかったか

public「機構」は、電書の配信は「非競争領域」の公共インフラであるべきという、通称“三省懇”報告書(2010年6月)の規定に基づき、「出版業界主体」でスタートした。わずか5年で、この「公共インフラ」は放棄されることになる。「公共」の名のもとに、公的資金主体で始めた事業を事実上「払い下げる」以上、その妥当性は厳しく検証される必要がある。しかし、そうした議論は起こらず、あたかも民間の企業売買のように扱われようとしている。ここでは「機構」の経営や金額の妥当性については論じないが、設立の根拠となった「非競争領域」論については筆者なりに総括しておきたい。

本来自由経済に「非競争領域」というようなものはなく、「公共」性の領域は法に基づく例外である。出版流通から私企業を排除するのは社会主義的発想に近く、ここに高い公共性を認めることになるが、根拠となるのはどのような法律、国会決議、関係行政機関(公正取引委員会等)の判断なのだろうか。「懇談会」は法律専門家も含まれておらず、電書公共インフラ論は当時のひとつのアイデアであったと思われる。では内容は正当なものだろうか。筆者はそう考えない。

第1に、出版流通で競争をさせたくないのは「出版社」業界の都合であって高い公共性はなく、消費者の利益にはつながらない、というのが市場主義を標榜する日本政府の原則的立場であるはずだ。コンテンツの配信には(出版物の流通に公共性があるという意味で)公共性はあっても、それは機能としてであって社会で共有すべき必然性はないし、社会体制の異なる中国などを除き、そうした例はない。

第2に、インターネット上のコンテンツの配信は、個人でも出版社でも書店でも、相手さえいれば(各種のWebサービスを利用することで)可能なことであって、商業コンテンツも例外ではない。配信に膨大な資金が必要ならば、わざわざデジタルなど使わないだろう。

コンテンツの「仮想取次」は「小売」と区別できない

middleman2 第3に、大規模な「配信」は膨大な個人情報を集約するが、そうした情報は現代のインターネット・ビジネスの主要な資産であり、「コンテンツ配信」とはそうした資産の管理と利用に関わるということはすでに常識だろう。この「インフラ事業」は、社内での大規模なシステム運用・管理や集配業務などは不要である。コストはサービスの外注のほか、出版社、顧客との対応で発生する。メディアドゥはそうした「民間インフラ」の会社だ。

第4に、コンテンツの「配信業務」は「小売」との分離が困難であり、存続するためには無用の中間的存在として消費者からサーチャージを徴収するか、あるいは小売と一体化して市場で競争するかということになるが、内外の民間ビジネスを流通から排除しない限り、競争せざるを得ない。これは公的資金を使ってやるべきことではないし、そもそも勝ち目がない(勝ってもらっても困るが)。

第5に、最後の「公共性」は安全保障か愛国しかない。公共的信念と「攘夷」に燃えた人々が国の支援で「黒船」相手にがんばるのが筋だという話だが、これはいくらなんでも無理だろう。

結局、「非競争領域」論は、コンテンツ・ビジネスの性格を無視した狭い業界の議論であり、本気で公共サービスとして推進すれば海外企業を排除して貿易紛争になり、中途半端なら税金を費消して終わる。筆者も当時そのように主張したが、前者にならなかったのをまだ良しとすべきかもしれない。思えば「緊デジ」がケチのつき始めだった。こういうおカネが生きることは、むしろレアケースに属するのは、事業主体はいつまでも「乳離れ」できなくなるからだ。売却した親「機構」は、見込みがないと判断したと思われる。

読者と直結するE-Bookの流通は、紙とはまったく異なる。アマゾン以上の公共性を読者に訴求出来なければ、この業界で存在価値はない。“三省懇”の「紙上の仮想空間」から生まれた「機構」は終わった。メディアドゥには、せめてこの買収を無駄にしないことを期待したい。 (鎌田、03/09/2017)

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