老舗マクミラン出版社が Enhanced E-Book (拡張電子書籍) と称するものを2010年の1Qに発売すると発表したのは12月16日。ハードカバー(定価$25前後)より若干高いというのだが、どんな付加価値があるのか気になっていた。そしてハーパーコリンズなど大手6社もアップルと「拡張」について交渉中らしい。
記事リンク
What Are Enhanced Ebooks?, by Kassia Krozser, Booksquare, 1/19/2010
Macmillan to Sell Enhanced E-Books, by Jeffrey Trachtenberg, Wall Street journal, 12/19/2009
Publisher in Talks With Apple Over Tablet, by Jeffrey Trachtenberg, Wall Street journal, 01/21/2010
本の基本は目次と索引
Booksquareのカシア・クロージャー (Kassia Klozser)女史は、E-Bookのご意見番的な人物で、文章も辛辣だが温かみがあり、ユーモアと機知に富んでいる。最新の記事「Enhanced E-Booksって何?」では、デジタルということをほとんど理解していないマクミランを痛快にこき下ろしている。
彼女は現在の電子書籍が、まだ這い歩きの状態で、少しづつ品質を高め、機能を模索している段階とみている。しかし多くの出版社は「ハードカバー>ペーパーバック>E-Book」という序列で考え、たんなる電子レプリカを安価に製造すればよいと考えている。E-Bookを編集するには、紙の本と同じように、読みやすくするための目立たない工夫が必要でそれこそが読者にとっての付加価値なのに。彼女が「基本」と考えるのは、読者にとってのガイドである目次と索引を改良=拡張することだ。目次と索引は、本が「印刷された活字」から離れて、本として自立する上で最も重要なモメントだった。基本中の基本だ。目次は著者が考えた本の論理的設計(構成と遷移)を明示し、索引は、検索語やタグとして機能する。この設計には、必ず下敷きとなる参照著作があり、検索語ともども社会的な広がりを持っている。
残念ながら、現実の本の編集では、索引は最終段階の作業なので、これに時間をかけることはあまりない。カート・ヴォネガット Jr.の『猫のゆりかご』の登場人物によると、索引は著者自身がつくるものではない(性格がもろに出てしまう)とされているようだ。やはり編集者がいいと思うが、欧米ではインデクサーが独立した専門職となっている。索引作りを支援する工学的方法論(手法、プロセス、ツール、辞書など)があれば、E-Bookの品質は格段に上がり、作業も楽になるだろう。E-Bookでは、編集者の仕事は原稿の催促と校正だけでは終わらない。そこから始まると考えた方がいいと思う。
マクミランが$9.99の恐怖から、デジタルによる付加価値を考え始めたのはよいことだが、その内容が「著者インタビュー」「読書ガイド」というのを知ってクロージャー女史は「悪魔のように哄笑した」と書いている。「がっかり。それってプロモーションじゃないの。そんなものが欲しくて読者が高い本に飛びつくとでも思ってるの?」というわけだ。まあ熱心なファンが欲しがることはあるかもしれないから、そう馬鹿にしたものではないと思うが、基本的にはそうなる。
アップル・タブレットのビジネスモデルの説得力
ハーパーコリンズ社 (HarperCollins)はアップルのタブレット iSlate へのコンテンツ提供で提携交渉中と伝えられていたが、1月18日の Wall St. Journal紙の記事で、同社のブライアン・マレー (Brian Murray) CEOの語った言葉が引用されている。これもマクミランのように、著者インタビュー、ビデオ、SNSなどを付けて現在のE-Bookより高い価格で売れるようにしたいと言う。クロージャー女史が指摘するまでもなく、全部Webの中でタダで提供されているものだ。それにしても出版社の当面の関心は「価格」に集中していることがよくわかる。
Publishers Lunch という米国出版界のWebニュースによると、アップルが現在大手6社と交渉してるのは、アマゾンと異なる「エージェンシーモデル」で、出版社に価格設定権を認め、アップルは販売手数料を取るというもののようだ。合理的だが、これでは既存の流通に与える影響はほとんどないとクロージャー女史は言う。Barnes & Noble や Kobo のようなオンライン書店はマルチプラットフォームを採用しており、アップルがよほどのユーザー体験 (UX)を提供できなければ成功しない。
女史が言うように、すでに本を「拡張」するテクノロジーは存在しており、出版社がそれを使わないだけだ。ハイパーテキストはすでに1960年代末には生まれており、それを最初に商品化したアップルのオーサリングツールでビル・アトキンソンの傑作、ハイパーカードも1987年に開発されている。ハイパーテキストの開発者の一人、ブラウン大学のアンドリーズ・ヴァン・ダム教授が筆者に「普及するのにこんなに時間がかかるとは思わなかった」と語ってからも15年以上たっている。こうした本質的な技術は出版界の注目を浴びることはなく、技術系ドキュメントの世界で実用されてきたにすぎない。90年代前半はCD-ROMで「マルチメディア出版」の空騒ぎがあったが、本というものの拡張からはほど遠かった。ちなみに、想像力の貧困に絶望した筆者が「電子出版」にいったん見切りをつけてITの世界に向かったのはそのためだ。
時はめぐって、とりあえず中身をデジタル化すれば売れる、という最低限の土台が出来つつある。あとは「本」の本義に立ち戻って、使えるテクノロジーを編集者の道具箱に入れていく仕事が待っている。(鎌田、01/21/2010)