東京・阿佐ヶ谷の狭い地下のライブハウス。出版関係を中心に約150人ほどが溢れ、ライブビデオの視聴者が550名以上。もちろんTwitter中継もありで、1杯(+)気分のトークショーの熱気は高まっていた。筆者は前半の休憩で失礼せざるをえなかったので、かなりの部分を見逃しているが、この時期としてはとてもよいイベントで、前半だけでもいくつかの重要な論点についての背景と解決へのヒントをいただいた。関係者には感謝したい。以下は、前半を聴いた限りで思いついたことを記したもので、もちろん十分ではない。全体はビデオ録画をチェックしてみたいと思う。
流通・印税・著作権への影響より、E-Bookで何が出来るか
とはいえ、E-Bookへの関心の高さに比べて、現実にわれわれが手にできるものはわずかなので、どうしても紙とデジタルとの体験的比較など「入口」の議論が多くなる。すでに参加者の1割あまりが Kindle 国際版を手にし、ほとんどの人がパソコンや iPhoneでデジタル体験を済ませているのだから、この辺はあっさり流し、出版のプロとしての「編集」の話、著者や読者とのコミュニケーションの話、流通の話をしていただきたかった。少なくとも前半は「2010年代の『出版』」というよりは、現時点の出版の位置と課題の確認にウェイトがあったように思われる。
「2010年代」ということで出版人が最も強い関心を持つテーマは、デジタル化による流通・印税・著作権への影響だろう。こうしたビジネスの前提条件の変化を危機と見るにしても、好機と見るにしても、受身であることは同じで、これはテクノロジーを使うべきプロの態度として問題がある。業界の問題が先にあって「読者=社会」が見えてこない印象だ。流通・印税・著作権という社会的課題は、「読者=社会」を中心に据えて考えないと建設的な議論ができない。筆者はマーケティングやエンジニアリングの観点から、どのような「価値」が提供可能か、どのようなサービスモデルを設計すべきかを基本に考える。前述の3つの問題は、実現される社会的価値に対して判断されるべきだろう。その際、既存の「制度」は、1世紀以上にわたる業界エコシステムを形成しており、不合理な側面があっても単純に否定されるべきではない。再開発には住民の同意が前提となる。筆者は、新しいモデルに移行するには、新旧出版人の積極性と創造性が不可欠でもあると考えている。
「出版は他から参入しやすい世界か」ということで、まず仲俣・高島両氏の間で議論があった。資格もいらず、資本もいらないという意味では敷居は低いと高島氏が言えば、本をつくるのは簡単でもマネタイズが非常に難しいと仲俣氏。大手と新参では流通における取引条件が天と地ほど違うためだが、金融と一体になった再販制が通用する紙の世界では動かないこの条件も、デジタルでは通用しない。仮にネイティブな「電子出版社」をつくれば、E-Bookに関して既存出版社と対等に競争できる。そこでE-Bookの付加価値という本質的な議論に入るきっかけがつくられた。いよいよ出版人にとっての本題だ。
本の構造にマネタイズのヒントがある
デジタルにおいては、たんにページを電子化する以上に、コンテンツの形も変える必要がある、と橋本氏。Twitterのアナリティクスを行うエキスパートだが、出版との連動の方法はまだ見つかっていないという。しかし、出版情報の伝播力、フィードバックなどではすでに影響力が実証されている。電子化に積極的な中小出版社は専任が置けないので、橋本氏のようなWeb専門家や、編集・営業スタッフが参加したグループで取組まれ、成果を共有することが期待される。
語学系出版社の営業の高島氏は、NHKの語学番組と教材の連動性が一つのモデルになるのではないか、とヒントを述べた。無料と有料、紙とE-Book、Web、iPodなど様々な組合せの可能性が考えられる。ゲームと攻略本の関係のようなものだ。ポット出版の沢辺氏はさらに本質的な問題を提起する。編集者がまだ文書の構造化に対応できていない、ということだ。つまり、様々なメディアやSNSを自在に使うとしても、時間を費やさないようにするには、本文を中心に文書を構造化し、編集者がそれを扱えなければ現実化しない。文書の構造は、たんにXMLを使うといった技術的な詳細ではなく、文書の利用目的・形態・環境という観点から標準的な形で定義される必要がある。静止したコンテンツを超え、多くのコンテクストの中に位置する動的な環境である。重要なことは「出版」は一つの社会的なコミュニケーション・プロセスを創造するということだと思う。構造化には方法論が必要だが、出版のための構造化方法論の形成と確立・定着こそ、2010年代の出版の最大の課題ではないかという気がしてきた。
司会の仲俣氏は、E-Bookを考える時はとくに(構造が明示的でない)文学書ではなく構造が重要な意味を持つ実用書を基本に考え、そこをマネタイズすることを考えるべきだ、と話された。すばらしい視点。実用書は構造化された知識の構成体としてのドキュメントとして考えることができる。これまで編集者は、主として論理構造と表現構造を本という物理的な実体にバランスよく収めることに集中し、コンテンツに関しては著者に任せてきた。コンテンツはコンセプトに関する<記述・論証・事例>から構成される。このコンセプトは先行するドキュメントを下敷きに生まれる(索引・文献)。そして生まれ落ちると引用や批判の対象となる。また記述はもちろん、事例や論証などは豊富化されたりすることで価値を増す。E-Bookの実用性はコンセプト構造を明示化、豊富化することで高めることができる。これはデジタル環境でないと出来ないことだ。E-Bookの出版はパッケージ化したものとしても、またサービス型のものとしても考えることができる。
一つ思いついた。沢辺氏が「売れない」と嘆いていた電子版の『日本の公文書』だ。この本は2011年4月に日本で初の「公文書管理法」が施行されることに合わせたタイムリーな企画で、業務上関係することになる組織と人間の多さだけで見ても売れない方がおかしいくらいのものだ。潜在的には10万部もあると思う。しかし、現在の出版流通では、ポット出版のこの本が正当に扱われる可能性はほとんどない。新しいテーマということは、まだ知るべき人間が知らない可能性が強いことを意味する。大メディアが取り上げてくれないと、浸透するまで時間がかかりすぎる。それまでに書店から消えているかもしれない。
これから先はマーケティングの問題になるが、多くの公務員の運命と役所に関係する企業の日常業務に直接的な影響を持つこのテーマでは、Webサイトでも立ち上げて潜在市場とのコミュニケーションをとり、多くの無料情報を提供したほうがよい。つまりコアのコンセプトを早くばら撒くのだ。いずれ関係者は規則やマニュアルを作らねばならず、そのための「指針」や「政令」「通達」も山のように出てくるだろう。E-Book版はそれらを集めて提供するだけで、重要な付加価値を持つ。「公文書管理法」対策セミナーを主催したり専門サービスの広告を掲載して収入を得ることもできる。それは出版者の仕事でないと言うなら、どこかとタイアップすればいい。たかが本1冊が、社会的なコミュニケーション(ビジネス)のノードとなる。紙では困難でも、電子ならできる。
E-Bookの出版は、著者と編集者(出版者)の共同プロジェクトであると考えるべきだ。出版には無数のビジネスチャンスが隠れている。一つのテーマには無数の出版企画、サービス企画が隠れている。デジタル技術はそれらを現実化するために使うのでなくてはならない。編集者が中心になった研究開発が必要だろう。公開実験を通じて成果が共有できればベストだ。これは出版人だけでなく、Web専門家、ドキュメント技術者など異業種によるイニシアティブとしたい。Ebook2.0 Forumのテーマでもある。
蛇足
筆者が理想とするパネルは、(1) 論点+背景の整理、(2) 中心的論題の確認、(3) 異なる視角からのビューの提示による解決のフレームワークの共有、(4) 方法や事例の提示、(5) アクションの方向の確認といったことがある程度できることである。すべてクリアできたらそのまま1冊の本になり膨大なコンテクストが共有できる。しかし自分が企画したものを含め、50点にも届かないものがほとんどだ。「社会」より「世間」が重たい日本らしく、多くは衝突を避けようという「和」の配慮ばかりが先行し、つい無駄な時間を費やされる(逆にこれをしないとたいてい収拾がつかなくなる)。この夜のイベントは、日頃から意見を交わしている旧知の間柄ということで、そうした制約からは免れていた印象だ。しかし、ITと出版、メディアといった異なる視点から立体的に問題を浮かび上がらせることには成功していない。パネリストに女性が一人もいないのも気になった。「女性の視点」などと言うつもりはないが、オトコばかりでは緊張感がなさすぎてよくない。 (鎌田記、02/02/2010)