「出版物利活用」懇談会は、E-Bookのフォーマットなど技術的規格に関しても議論するらしい。こうした規格は、まずニーズや関連技術などに関する情報を集め、規格に対する要件 (RFP) を定義するところからスタートする。中身は不明だが、出てくるものを評価するためには岡目八目でもいいから、早めにどんどん提起しておいたほうがいいと思う。ここで述べるのは、E-Bookの標準化に関する「試論」であり、多くの欠陥があることを承知で、エキスパートやステークホルダーの方のコメントをいただくためのものと御了解いただきたい。
規格づくりへのアプローチ
まず、E-Bookの規格の影響範囲がきわめて大きいことを知っていただきたい。それはE-Book自体の仕様に止まらず、コンテンツへのアクセスや課金・決済、ユーザー管理などのコマース系、知識情報の探求に関わるWebナビゲーション系の2つの領域に関わり、すでに市場に存在する無数の標準や実装技術と競合することで市場に混乱を与える可能性がある。だから拙速で進めないようお願いしたい。筆者は情報技術の標準化の世界で20年近い経験があり、数多い失敗例と、数少ない成功例を目にしてきた。以下のとりあえずの「べからず集」は、多くの専門家の方の賛同を得られるものと思う。
- 国内だけに閉じた「規格」をつくること(I18N/L10nの原則を守る)。
- プロセスを公開せず、外部からのコメントを受け付けないこと。
- 現在通用している公的標準やデファクト標準/仕様を無視すること。
- 将来のビジョンとロードマップを明らかにせず当面のニーズに応えようとすること。
- 他の仕様との相互運用性を持たない、孤立した「標準」を作成すること。
- 参照実装のない仕様をつくること。
- 特定の実行環境に依存した仕様をつくること。
オープンなプロセス、オープンな標準という「グローバルな公共空間」は、世界のITビジネスが試行錯誤の末に到達した知恵の結晶だが、基本的にE-Bookの標準においても適用すべきものだ。基本的にE-Bookに関する標準は、以下の3種類に分けるのが合理的だと思われる。
(b) E-Bookコンテンツ
(c) 外部とのインタフェース
(a) は分散した異なるベンダーの製作管理システムの間での相互運用に関するもので、出版社や製作サービス企業内や企業間での作業や資産の共有化と継承を容易にする。(b) は異なるコンテンツ稼働環境(デバイス)間でのコンテンツの相互運用、(c) はドキュメントから、SNSなど様々な外部サービスを利用したり、その逆を行うための仕様である。
既存の規格を活かせなければ価値はゼロ
E-Bookの標準は、したがってわれわれの知的情報資産を最大限利用可能とするために、現在および将来の関連標準・実装技術を可能な限り協調させるものでなければならないだろう。具体的には以下のようなものが関わる。
- ドキュメント技術仕様(HTML、XML系技術、XBRL、DITA等)
- E-Bookの表示・操作フォーマット仕様(ePUB、MOBI等)
- 各種メディア技術仕様(JPEG、MPEG、Flash等)
- セマンティック技術仕様(Dublin Core、DRF、OWL、各種辞書等)
- E-Bookサービス技術仕様(DOM、BookServer等)
教育には教育コンテンツの標準と標準化作業が存在し、ビジネスレポーティングについても、地図についても、製薬や化学、医療分野についても同様である。それらと無関係なE-Bookは価値を大きく減じたものとならざるを得ない。そうした意味で、最も必要な標準は、標準の標準(メタモデル)ということになる。メタモデルが必要なのは、技術革新を制約することなく、過去の情報資産の価値を減ずることのないようにするためである。こうした多種多様な「知識情報」をE-BookというUIから利用できるようにすることこそ、21世紀の情報技術標準の最大のチャレンジであり、その中で日本が主導的な役割を果たせるかどうかは、日本の将来に関わると筆者は信じている。
出版社にとっても利用者にとっても、コンテンツ流通(オンライン書店)および利用デバイスが自由に選択可能であることが重要で、今後いかなる規格をつくるとしても、それを促進するものだけが望ましい。もう一つ重要なことは、消費者はもちろん、メーカー、出版社、Webサービスのそれぞれが、標準を選ばない権利を侵害されるべきではない。市場競争において、イノベーションによって少しでも有利な地位を占め、固定化しようというベンダーを単純に「悪」としたのでは、話にならない。独禁法がある限り、不公正な独占、不公平を生み出す独占は規制の対象となっている。アップルは iPad で実行できる「本」を求めているし、そのために出版社と協力するだろう。付加価値の高いものをつくりたいからだ。それはたぶん ePUBなどでも対応しない「本」となるだろうが、それは怪しからんという権利は消費者しかない。たとえば製本の規格を定めて、箱入りは贅沢だからダメとか、「上製本」以外は認めないとかいうようなものだ。
最もつくりやすく、かつ最悪の「規格」は、「これを守れ、さもないと」という性質のもので、一企業による独占(実際にはあり得ない)と同様に怖ろしい。
オープンなプロセスとオープンな仕様開発の実践
筆者は、1991~2008年の18年間、ソフトウェアの標準化コンソーシアム、オブジェクト・マネジメント・グループ(OMG)を主な活動の拠点とし、日本代表を務めていた。この団体のユニークなところは、(1) ソフトウェアの相互運用性のための、(2) オープンな標準を 、(3) オープンなプロセスで策定するという、高度に抽象的な(つまり漠然とした)原理に立脚しながら、ベンダーとユーザーが対等の立場で参加し、20年以上にわたり200本以上の実用的標準を生み出し、かつ維持してきた点にある。具体的なテーマはメンバーが持ち込んだものであって変化する(OMG についての日本語情報はこちらを参照)。
OMG に提案される提案には、次のような条件が課されている。(1) 特定の実装技術に依存しない、(2) ただし一つ以上の参照実装を付ける、(3) 必ず市場において一般に入手可能な形で提供する、(4) 著作権は提案者が保持するが、管理や改変はOMGに寄託する、(5) 仕様書は無償で公開される。提案者は、提案仕様が時間的、空間的に制約を受けず、実現される機能がほんとうにオープンなものであるかどうか、一般の実用に耐えるものであるかどうかを実証しなければならない。標準案を作成・検証し、支持を獲得するためには、多くの共同提案者が必要となるので、必然的にあらゆる提案は共同提案となり、共同提案の作成過程でオープンな利害調整が行われる。実際には多数の提案の整合性をとるために、超人的な能力を持ったボランティアが2ダースほど必要になるのだが、ともかくよいシステムだと思う。
OMG が他の標準化団体、企業とも協調することができたのは、つねに既存の技術、独自技術に影響を与えない抽象インタフェースの標準に特化したためである。これは実装技術がすでに存在する場合には有効なアプローチと言える。標準のメリットを選択的に利用することを許すことで、技術と市場の進歩を阻害しないからである。(鎌田、03/23/2010)
お願い:「E-Bookの規格」問題について、ご意見、ご質問があればぜひお寄せください。
[…] This post was mentioned on Twitter by たくのん, kentbitter, 三里, Nakamata Akio, Hiroki Kamata and others. Hiroki Kamata said: 標準化は難しい。E-Bookの標準はとくに難しい。なにやら「官民一体」な規格ができそ […]