紙の呪縛からの解放を説いた中西秀彦氏への鎌田の提案。印刷会社を苦しめるのもデジタルだが、希望の光となるのもデジタルだと思う。デジタルは印刷物を補完し、次いで吸収して、印刷物に補完される存在となる。印刷よりも電子化された版の価値が評価される時代が来た。印刷業としては、この版を核として付加価値を形成することで、出版社とともに電子出版の一翼を担うことができる。それは一面では「情報処理」ビジネスだが、従来のいわゆるITとも違い、印刷ビジネスとの親和性が高いと思われる。
中西様
最初から釈迦に説法のような話ばかりで恐縮ですが、アウトサイダーである私の認識を知っていただくために書きました。くだくだと要領の悪い文章で恐縮です。
印刷を成長産業とするために:版を核としたビジネスの再構築
印刷(会社)が提供する社会的価値とは何でしょうか。数百年の間、それは原稿から印刷用原版をつくり機械で複製することでした。複製した情報を配布してコミュニケーションをを行う組織/ビジネスの必要に応えるためです。機械化すればより大きな効率を生むので、原版の製作と印刷・製本のための機械は絶えず進歩していきました。1960年代に始まる電子化も、機械化と同じように生産性を高め、作業現場の危険を減らしていったので、写植機を受け容れたように、印刷会社は文字組版や製販の電子化に取り組んできたと思います。もちろんその過程で、多くの職人さんの熟練の技能が活かされなくなる事態を生じましたが、印刷会社の顧客にとっての関心事ではありませんでした。
21世紀、つまりインターネットが普及して以降の変化は、印刷の現場というよりは発注者である出版社、企業、学校、官公庁のほうに起こりました。「複製した情報の配布」の手段が激変し、複製も配布もきわめて安価になり、それによって参入の障壁も消滅し、ブロックバスターが登場したのです。印刷物は費用対効果が厳しく問われるようになりました。インターネットという汎用的遍在的な通信手段がメディア化したことは、重大な意味を持ちます。非活字メディアである放送とは違い、あらゆる種類の情報を高速で集約し配信できるからです。出版社や印刷会社にとっての問題は、活字が衰退したことではなく、活字が直接インターネットを通じてユーザーと結びついたことにあります。
書籍や雑誌、広告などの印刷需要は、これからもなくなることはありませんが、減少し続けます。デジタル情報は、最初は印刷物を補完し、次いで吸収して、印刷物に補完されるものとなることは間違いないでしょう。印刷会社から見ると、印刷よりも「版」の価値が評価されるということです。だから選択肢は3つ。(1)「版」を核としてビジネスを再構築する、(2) 従来型の印刷業の中でのニッチに活路を見出す、(3) 文字よりも利益が見込める半導体などの高付加価値印刷物(あるいは非印刷物)に向かう。活版を使った名刺屋さんも元気にやっているほどなので、個々にはニッチはいくらでもあるでしょう。ハイテクの非印刷的印刷ビジネスも成長するでしょう。しかし、産業として生き残るには、デジタルでもふつうの人がそこそこ働けば生活ができるようなエコシステムを再建できなければいけないと思います。絶対にできないとは言いたくありません。
これまで扱ってきた「版」を核とし、そこに付加価値を形成しながら、デジタルコンテンツビジネスの中で重要な役割を果たす産業として成長していったほしいというのが、私の問題意識です。印刷需要の減少を減らし(それにもデジタルが大きな役割を果たします)、印刷物の付加価値を高め、そしてデジタルで雇用を吸収することができれば、21世紀もそう暗いものではないでしょう。「電書協」の方々は、紙と電子書籍の共存を言っておられるようですが、それには出版流通を時代にあったものに変え、印刷会社とのパートナーシップを再構築するしかないと思います。さて、以下が本題。
版情報の製作管理を中心とした付加価値ビジネス
中西さんは、印刷業界が権利意識を持つべきことを主張しておられます。これには大賛成です。問題は権利の性格と主張の方法でしょう。
権利には法的に保護されるものと、市場(取引の場)で主張することが可能で、正当性、合理性、現実性があるものに分けられると思います。著作権問題については独立したテーマとして別途検討したいのですが、印刷会社が「版面権」のようなものを著作隣接権として主張するのは無意味でしょう。かつて文化庁が提起した「版面権」は、コピー機などの「複写技術」から出版社を保護するためのものでした。活字印刷以前の木版の時代に逆戻りのような発想です。出版ビジネスの衰退を、経営でもビジネスモデルでもなく、複写のせいにしようという錯乱した発想だと思います。出版社の「心情」は理解できますが、制度化すれば有害無益で受益者は誰もいません。もちろん「活字文化」の保護につながらない。印刷会社がそんな主張に加わっても何の意味もありません。
他方で、印刷会社は印刷を請け負ったのであって、その中間生成物を発注者に提供するいわれはないと考えるのはもっともです。本来、出版社との業務委託は「版」と「印刷物」を分けて行うべきで、組版から製版までのたびたびの修正(私も身に覚えがあります)のコストを印刷会社が被るのはますます不合理となっています。これからは、版は印刷のための中間生成物であると同時に、各種E-Bookフォーマットに変換可能な元データという2つの性格を持つことになりますから、版を独立させないとおかしなことになるでしょう。版はどんな形であろうとタダで貰えるものと思っている出版社は多いと思います。欲しければEPSなどのアウトライン・データを納品し、版のデータに独自のノウハウが含まれる場合は、別途ライセンスするような形がよいかもしれません。
印刷会社は、労働集約的な版づくりと、設備集約的な印刷・製本というアンバランスを内部で処理してきたと思いますが、これはもう難しくなっているのではないでしょうか。下手をすると、苦労させられた挙句に印刷本をどんどん減らされて、回収不可能になってしまうと思います。著者、編集者、デザイナーなどが関わって出来た一つの「コンテンツ」からは「印刷用データ」と「E-Book用元データ」の2種類が生まれ、前者は増刷や重版の機会も少なく、後者は「更新」も容易で、また様々に再利用されて別の本やE-Bookとして生まれ変わります。印刷会社の収益モデル、契約形態を変える必要があるのはもちろんですが、「コンテンツ管理」という領域に進出するかどうかが課題になるでしょう。版の製作のために使われた素材は、もちろん出版社に返却されますが、版を製作するために作製された写真や図版などのデジタルデータをどうするか、ということです。
出版社のニーズしだいですが、これを有償で管理したり、データベース化して納品したりというサービスは、出版社にとって検討の価値があると思います。電子出版を事業化するためには、生産のためのインフラが不可欠ですが、コンテンツの管理に関して自前で出来ている出版社は、版を内製化しているところを中心に、そう多くないと思います。有名作家の自筆原稿すら、ちゃんと管理してこなかったような人たちにできるとは思えません。コンテンツ管理システムの構築は、ひと昔前と比べて格段に安く、簡単になってきました。現場でも使えるCMSをカスタマイズできると思います。
紙への依存、紙の桎梏からの解放は、やはりデジタルに入り込むしかなさそうです。中西さんのようなITのエキスパートがいない多くの中小印刷会社には、安価なITシステムとサービスがサポートすればよいと思います。ITビジネスにとっても事業機会になるのではないでしょうか。かつてと違うのは、システムを新たに導入する必要がないことです。数百万円のオフコンやワークステーションも不要です。SaaSやクラウドなどのITサービスは、印刷会社のように、クライアントと連携しながら業務を進めるビジネスに最適な形態です。「印刷CMS」や「印刷クラウド」は、印刷業界としてプロジェクト化し、補助金や助成金を出させるべきテーマではないでしょうか。(余談ですが、IT業界はもっぱらクラウドを「デフレ型IT」として売っていますが、これは誰のためにもならないと思います。価値創造のために印刷業界と協力すべきです。)
出版社や印刷会社には「版面」などではなく、情報の価値を最大化し、成果を共有するために頑張っていただきたいと思います。出版社は著者と読者のために、印刷会社は出版社のために。もし出版社がその任に堪えず、電子出版を放棄するのなら、印刷会社の参入を妨げる法的な障壁は何もありません。著者と直接交渉して「中抜き」するのだって構わないと思います。(鎌田、04/9/2010)
[…] 第3回:E-Bookと印刷業 (3):版が付加価値を生む […]