メディア業界はアマゾンを嫌ってアップルに走ったが、そこには巧妙な罠が仕掛けられていた。アプリを支配しアプリをめぐるインタラクションを支配するという意思を、アップルはもはや隠そうとしていない。たしかにそれだけの魅力があるプラットフォームでありインタフェースだ。信者も無数にいる。しかし、オープンなWebの世界と隔絶した帝国を築くなどということが、21世紀に可能であるとは思えない。しかし、どうあろうとこの最後の(?)挑戦は、あらゆる業界に大きな影響を与えることになるだろう。
美しい箱庭に仕掛けられた罠:広告と検閲
Vanity Fairやタイム誌が、それぞれ5ドル弱で雑誌「アプリ」iPad版の発売を開始し、レビューが始まった。批判的なもののほうに目が行ってしまうが、これだけ売れているものをあらためて賛美しても意味がないので、そちらを紹介しておきたい。
さすがに一流のデザイナーがじっくり取組んだだけあって、レイアウトやUIは優れている。洗練されていて美しい。しかし、iPad版には、今日多くのユーザーが重要と考えているものが決定的に欠けている。読者によるコメント、SNSサービスといった新世代のWebに必要なもの(ソーシャルネットワーキング機能)が皆無なのだ。それは「閉所恐怖症を起こさせる」四方を壁に囲まれた庭を連想させる、とジェイコブ・ワイスバーグ氏 (Jacob Weisberg)がSlate (5/14)に書いている。Gawker Mediaの創業者ニック・デントン氏 (Nick Denton)は「CD-ROM時代への逆行」とまで酷評した。
しかし雑誌出版社は現在のところ、ためらいもなくアップルが支配する世界へのコミットを深めている。ワイスバーグによれば、「売上の30%をシェア」というアマゾンの条件があまりなものだったので、どんな条件でもそれよりはましに見えてしまったようだが、アップルのグラウンドで遊ぶには、アップルが課す厳しい条件を満たしたアプリを提供し、売上の30%を支払わなければならない。ユーザーから得られるデータの一部は出版社にも提供される(これまでのところゼロ)が、あくまでアップルの一方的判断による。さらにアップルは iAd という独自規格の広告プラットフォームを用意し、じつに40%を徴収する。広告主と直接に契約することになれば、出版社にとっては大惨事となる、とワイスバーグは警告している。
iPadそのもののメタメディア化、アップルの広告代理店化(日本的に言えば電通化)以上に危険視されているのは、コンテンツの検閲の問題だ。一方的なライセンス規約で検閲を押し付けるのは、インターネットの世界では異常な事態で、ジャーナリズムにとっては「言論表現の自由」を奪われることを意味する(「恐れがある」のではなく事実として、契約した途端にアップルに最終的な編集権を委ねたということだ)。それは「肌の露出」だけでなく「風刺漫画」にも及ぶことが明らかになった。マーク・フィオーレの事件では、彼がピュリッツァー賞を受賞して以後、受付拒否は撤回されたようだが、そんなレベルの問題ではない。そもそも、アップルはメディア(ジャーナリスト)を競わせ、選好する。タイム誌はお気に入りだが、ニューズウィーク誌はそうでない(コラムニストが使徒スティーブン・レヴィからダン・ライオンズに代わって以来)。
「超人」ジョブズ最後の夢
アップルのメディア操作は、企業のマーケティング・コミュニケーションの規範とされるほど巧みだ。一企業としては結構なことだろう。しかし「メディア」としてはどうか。同じメディアビジネスである広告企業としてはどうか。どうもアップル(というよりジョブズ氏)は、とんでもない危険な領域に進もうとしているのではないか。もちろん、自分自身にとって。Googleが検索エンジンとして始めた「メタ」ビジネスは、ついに「メタの顕現」という新しい段階に入った。メディアのメディア、広告の広告…。これは一神教的世界の天才に特有な強迫神経症だが、皮肉なことに、超人の傲慢は必ず唯一の神に罰せられることになっている。日本にとっては、むしろチャンスと考えてよいかもしれない。気が早いが、そろそろ「ポストiPad」を考えたい。
かつてウンベルト・エーコは、アップルをカトリックに、マイクロソフトをプロテスタントに喩えた。マックを「唯一の真理の教会」として信者を集める姿勢を「カトリック」に比したわけだが、当時まだコンピュータもネットワークもIBMが圧倒的な「ビッグブラザー」として君臨しており、アップルは、専制と戦う「自由の戦士」のイメージを与えることに成功していた。筆者は、ネットの上に遍在的自我を再構築したiPod以後のジョブズは、もはや「超人」となったと考えている。臨死体験を経て、さらにニーチェの語った「己の価値観、善悪観がすべて」の領域に入ったようだ。ジョブズはカトリックなどとうに卒業し、旧約のモーセあるいはヨシュアとなって命令を下している。多くは謎めいており(東欧を差別する販売規制など=2参照)、非合理的なものだ。(鎌田、05/16/2010)
参考記事
- Apple’s Way: Why publishers should beware the App Store., By Jacob Weisberg, Slate, 5/14/2010
- Cupertino’s cold warriors: What has Apple got against eastern Europe?, Economist online, 05/06/2010
- Apple Wants To Own You: Welcome to our velvet prison, say the boys and girls from Cupertino, By Jack Shafer, Slate, 4/15/2010
- Dan Lyons, Apple PR, and manipulating the press, By Jack Schofield , Guardian, 04/07/2010
- Steve Jobs: Here’s How Apple Will Beat Google At Mobile Advertising , By Tricia Duryee, mocoNews.net, 04/08/2010
- The Tablet Hype: They can’t possibly save magazines and newspapers., By Jack Shafer, , Slate, 03/29/2010
- Think Really Different, By Daniel Lyons, Newsweek, 3/26/2010
- 「アップルiPhone/iPadで問われる『表現の自由』」、本誌、03/25/2010
[…] This post was mentioned on Twitter by agyrtria, Digi-KEN and Tamio, Hiroki Kamata. Hiroki Kamata said: しだいに見えてきたアップルのiPadビジネスモデルは、この会社の基準からしても大胆不敵なもの。メディア […]