8月10日に開催する第5回研究講座「「“電子書籍元年”の中間総括-印刷業界の視点」への解題。電子出版では生産・流通・販売のいずれでも日本的特殊性が問題となるが、筆者は出版物の生産に印刷業が大きな役割を果たしていることが、長期的にみて最も重要な要因だと考えている。そこでまず、印刷業がE-Book出版の成長性と付加価値にどのように関わるかを考えてみたい。
E-Bookにおいて出版社は必要なのか!?
今回は、本Forumの対論シリーズでご協力いただいた中西秀彦をゲストにお呼びして、印刷業の視点からE-Bookを考えてみたいと考えております。中西さんのブログで「我、電子書籍への抵抗勢力たらん」と宣言しておられたのに仰天して以来のお付き合いですが、「出版社は必要なのか」という問いは強烈で、私はまだ確たる答えを持っていません。
「『編集』機能が低下すればするほど、また『編集』が疲弊すればするほど、印刷会社中心へと移行していく。」という分析の一方で、「主導権をどこが握るかというのはそもそも『ますらお』的な発想です。私は電子書籍が本格化すれば、印刷と出版編集それに著者が対等な立場で協力し合いコンテンツをつくりだすという時代が来るのではないか…いや、来させなくてはならない。」 という理想を共有する一方で、まだ私はそこに至る道筋を描けていません。 (引用は「連載 第6回:E-Bookと印刷業 (6):デジタル時代こそ創造的協調」)
しかし印刷会社を抜きに日本のE-Bookはあり得ないと考えております。たとえ印刷本が減ることがあっても、E-Bookの製作・出版に積極的に関わり、そこから付加価値を拡大させる形で出版を発展させていただきたい。出版は生産・流通・販売という三位一体で成立ってきました(鎌田、7/12)。デジタル化は業種、メディア間の境界を取り去り、理論的にはすべてをメタな「唯一者」が実現することも可能になりました。バリューチェーンがデジタルに完結すると猛烈な競争が生まれ、統合/独占によるメガ(メタ)カンパニーに集中するのがWeb時代のビジネスの特徴です。日本の大日本印刷や凸版印刷が製作・流通プラットフォームを超えて版権ビジネスにまで乗り出すのはそれを見据えた戦略的な対応といえるでしょう。
しかし、ソフトウェア化されたデジタル時代のプラットフォームは、進化を止めることなく変容し続ける、という法則性がはたらいています。数億人のデータベースも、クラウドやデバイスの圧倒的シェアも、メガカンパニーの優位を保証し続けるものではありません。新たな付加価値(意味のある多様化の原理)を発見した者が、それを実現するために構築するのがプラットフォームだからです。ITと情報ビジネスの両方に関わった者として、私は出版が付加価値の宝庫であり、ここから大小様々なプラットフォームやニッチが生まれると信じています。メガプラットフォームやその亜流がいくらでてきても、変わることはないでしょう。
グーテンベルクの双子:印刷と出版
印刷業は伝統的な出版における生産プラットフォームを担っていました。そのプラットフォームは「ソフトウェア化」されつつあります。あと数年でデジタルが本体となり、市場のニーズに応じて印刷されるという形に移行します。しかし、生産と流通・販売が有効に結びつかなければコンテンツの価値は最大化されず、出版の第一原因であるべき生産の付加価値は、流通・小売に付属する広告に依存することになるでしょう。生産技術を担ってきた印刷会社には技術的なリーダーシップを発揮しうる余地があります。
印刷業はさまざまな貌を持っており、製版・印刷・製本を担う出版もそのひとつにすぎません。しかも商業印刷や軽印刷など企業が出版するものを除けば、印刷会社の市場としての出版市場はたかだか1割ほどでしょう。だからE-Bookが増えて印刷会社が困る度合いは、全体としてそれほど多いわけではないでしょう。しかし出版物全体で電子化の比重が高まるとなると話は別で、印刷を中心とした構成を変え、他に活字コミュニケーションのバリューチェーンにおける付加価値を求めざるを得なくなります。印刷会社は出版社のE-Bookだけを考えているわけではありません。しかし、いずれにせよ商業的品質を必要とする出版で印刷会社の役割がなくなることはないでしょう。印刷以降が消滅しても「版」がなくては出版は成り立たず、版づくりを印刷会社以外が担う割合も、そう増えるものでもないと思われるからです。かつてDTPが登場した時と同じです。
印刷業と出版の関わりを考える時、日本の印刷業が世界的に見てかなり特殊な存在であることを考えないわけにはいきません。外国では印刷とは “ink on paper”のみを指し、組版や製版、製本、その間で必要になる輸送などはすべて別業種の企業が行っています。用紙の手配も発注者が行うことであり、したがって出版社の発注担当者は、全行程を管理するために、個別の原価を含めて相当な専門知識を持つ必要があります。筆者も昔、カルチャーショックを受けた記憶があります。粗っぽい原稿と指定を渡せば版下をつくってもらえ、下版さえすれば全部を任せておける日本の「印刷会社」は、世界的に見てなんと稀有な、有難い存在か。E-Bookになっても、出版社から「版」への距離はそう簡単に縮まらないでしょう。(図は近代商業印刷技術の父にして出版人アルドゥス・マヌティウス)
グーテンベルクの可動活字と手刷り印刷の技術で出発した欧米では、出版社が印刷会社を兼ねるのが一般的でした。文字組版への技術的ハードルが相対的に高かったためです。ちなみに「版権」という概念も印刷=出版社とともに生まれました。もともとは著作権に先立って「版面権」があったということになります。その後19世紀の機械化革命で、高速印刷機械技術が登場したことで非出版系の印刷業が成長し、独立した存在となりました。日本の「文明開化」は鉛活字の組版と機械印刷で始まったわけですが、出版社が日本語の活字組版を工程として持つのは技術的、経営的に困難でした。日本の出版業は、印刷業が「版」の製作という主要機能の一部を担う形でスタートして今日に至っています。
周知のように、版の製作技術は機械式から写真式に、さらにDTPを含むデジタルに移行しましたが、リクルートやアスキーなど、移行期に誕生した出版社を除けば、版の製作を内部化したのはごく一部だったと思います。今回のE-Bookの登場においても、新興のデジタル出版社は独自の生産環境を構築して登場するでしょうが、旧出版社は今回もパスする可能性が強い。技術的なむずかしさ以上に、慣性(あるいは惰性)がはたらくからです。全体として縮小が続く印刷業の中でも、版に関わる部分では生産性も付加価値も高まっていると思います。ではどんな付加価値が考えられるでしょうか。(鎌田、07/26/2010)
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