近代的な出版は「版」に関する技術から生まれた。それはE-Bookについても同じである。印刷本における品質と機能を移行させた上で、本のコンテンツ価値を最大化するというロードマップを考えた場合、現状はまだ入口付近にいるにすぎず、機能・個性・品質が揃わないとE-Bookが独立した価値を主張できない。そこで付加価値の可能性を考えてみたい。
付加価値は本の構造から生まれる
前回は日本の電子出版における「印刷」会社の役割をお話ししましたが、E-Bookに印刷会社が関わるのは、基本的にデジタルな「版」の以下のような機能についての技術的サービスになると思われます。
- 表現(グラフィック)
- 活用(インタラクション)
- 管理(プロセス/コンテンツ)
- 複製(バッチおよびオンデマンドでの印刷)
これらは従来からやってきたことですが、これまではすべてが印刷ありきであったのに対して、E-Bookでは「版」が中心にあり、印刷は付加的なものになるということが重要です。たとえば「管理」などは印刷を前提とした裏の作業でしたが、これも(後述するように)前面に出てきます。大げさに言えば“コペルニクス的”転回が必要といえます。ビジネスモデルの変化、価格体系の変化が伴いますので、移行の方法を(業界全体として)考える必要もあるでしょう。
これらに関するサービスがビジネスとして成立するには、(1) 顧客にとっての普遍的な付加価値、(2) それを実現する上での専門性という2つの要素が必要です。印刷関係の人が心配しているのは、E-Bookというものの付加価値が印刷業界にとって外のものになり、あるいは従来の専門性が役に立たなくなるのではないか、ということだと思われます。いくつかの前提が必要になりますが、E-Bookをビジネスとする上で、日本では(出版社を別とすれば?)印刷会社が最も近いところにおり、これまでの蓄積を発展させることで可能になる、と筆者は考えています。これは本の製作は高度に技術的なものであり、デジタル化の第一段階が印刷会社で完了しており、また競合となる業界(たとえばIT)が本に対する理解を獲得するのは困難があると思われるからです。
ITは情報をデータとして扱って来ましたが、それらが持つ意味には無頓着でした。出版社は意味を扱って来ましたが、ページを内製しているところ以外は意味を構造化する技術は知りません。E-Bookにおいて日本の印刷会社が有利と思われるのは、構造を扱ってきたことです。これは世界中で日本の印刷会社だけのことなので自信を持ってよいでしょう。中西さんの言われる「創造的協調」が可能であるとすればそこだと考えられます。しかし、当然のことながら、これまで関係者の目はもっぱら印刷を前提としたレイアウトを扱う上での構造に集中してきました。そこにしか「目に見える」付加価値がなかったからです。しかし、E-Bookの付加価値の多くは表現構造より先にあるのです。それは本が次のような性質を持っているからだと考えられます。
- 知識の構造体として、必要とする人に読まれ、体験化されることで価値を持つ
- 孤立しては存在せず、他の本や知識情報、人々の活動と結びついている
本を(表現を超えて)構造化することで、本の価値・使い勝手をさらに高め、コミュニケーションを豊かにすることができます。日本の印刷会社が(出版社やIT企業と協力して、あるいは単独で)この技術的サービスを提供すれば、イノベーションの主役ともなれます。情報産業における価値創造の最先端に立つと考えてよい、これからの日本が最も力を入れるべき技術分野です。とはいえ、当面のE-Bookはまず表現の問題をクリアする必要があります。順序として、そちらから入っていくことにしましょう。
土台としてのページとスクリーン
版下製作の電子化は、電算写植などでの文字組版から始まり、ページ記述言語のPostScriptをベースとしたQuarkXPressやAdobe CS/InDesignなどに代表されるDTPの技術的完成でプリプレス領域を統合することにより、印刷本をターゲットとしたものとしては完了していました。振り返ってみれば、20年以上を費やしていますが、かなり奥の深い世界だったと言えます。他方でハイパーテキスト記述言語のHTMLをベースとするWeb出版は、商業出版や印刷とは関係の薄い世界で発展して、ハードウェアや通信環境の進化とともに機能と品質を高めてきました。
現在のE-Bookは(ページ/ブック系の)DTPを背景とするPDFとWebを背景とする(リフロー系の)EPUBという2つの流れが主流になっています。前者は印刷会社にとってなじみのものですが、後者はそうでもありません。編集やデザインの考え方も大きく異なり、これをマスターすることが大きな課題となっています。ページ=スクリーンとしてデザインできれば、それに越したことはないのですが、スクリーンは解像度もアスペクト比も異なり、印刷ページのようにデザイナーがベストと思われるもので指定できるわけではありません。E-Bookのデザインには、ベストよりはベター、トレードオフをコントロールするという発想が必要です。ブックデザインのプロの方ほど、なれるのに時間がかかるかと思います。
E-Bookに命を吹き込む:まずは個性的な文字組みから
印刷会社はE-Bookのビジュアルを商売とすることはできるでしょうか。様々なスクリーンを持ったデバイスが登場しましたが、便宜的にほぼ以下のように分類してみます。
- 読書専用端末(6インチ前後のE-Ink、グレースケール)
- 大型専用端末(10インチ前後のE-Ink、グレースケール)
- 汎用タブレット(サイズは各種、中心的には9インチ前後のカラーLCD)
- スマートフォン/PDA(3.5インチ前後カラーLCD)
- パソコン/ネットブック(>WXGAのカラーLCD)
この2年余りの米国市場での経験から言えることは、読書用のデバイスとしてはほとんど 1が中心になるということです。ところが困ったことに、このカテゴリーの日本語可能端末が登場しないうちに(あるいはLIBRIeやシグマブックが去った後が来ないうちに)3のiPadが話題をさらい、これが「本命」のような扱いをされています。携帯電話と電子辞書で市場をつくってきた日本では、まだ本格的なE-Bookの環境ができていないのです。あまりE-Bookに適したとはいえないデバイスで、(中身はともかく)出来のよくないファイルを表示しているのが現状と言えるでしょう。それを見ると、E-Bookでは単純なデータの変換しか仕事にならないのではと思えても不思議ではありません。
しかし、少なくともここ数年を考えるならば、リフロー系のファイル形式(EPUB/XMDF/.BOOK)を6インチ、E-Inkグレースケール、200dpi程度の専用端末に表示することを中心に考えるべきでしょう。本を読む人が必要とするデバイスだからです。「本も読める」デバイスと「本を読む」ためのデバイスとは明らかに違います。専用端末をハイエンドな読書環境として育てていくのが本筋でしょう。対応の時間も十分にありそうです。
ベースとなるのは文字組みですが、印刷本で十分経験したように、フォント+文字組みによる視覚表現は非常に奥深いもので、コンテンツや出版社の個性と密接な関係があります。今日われわれが目にするE-Bookは無個性で粗雑な(つまり内容の価値を損ねる)ものがほとんどですが、6インチ200dpiの空間を使ってかなり高度なデザインをすることは可能です。それは印刷本の文字組みが(一定のパターンと経験則をベースに)個々のコンテンツに対応してデザインされているように、個別化・個性化されるべきで、まずそこに付加価値とビジネスの機会が生まれます。E-Bookにおける「日本の活字文化」は物理的にはそこに存在するからです。文庫・新書でさえ、出版社とシリーズによって文字組みは異なるわけで、単行本ならなおさらです。E-Bookでは文字サイズを変えられますが、重要なのはデフォルトと読者のタイプ/環境別の選択肢の合理性で、それはデバイスの機能に依存しない付加価値と言えます。
E-Bookのデザインの環境はそう特別なものではありません。EPUBの場合はCSSが基本ですが、これはWebでおなじみのものです。私は (1) 設備投資がほとんど不要、(2) 組版知識が応用可能、(3) ITの専門知識は(必ずしも)不要、であることから、これは印刷会社のビジネスになると考えていますが、Web系のCSSで日本語組版というところが唯一のハードルです。もっとも何のハードルもなければ逆に商売にはなりませんね。(鎌田、07/30/2010)
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