電子書籍は「ブーム」にまでなったが、端末表示用の電子データを流すだけでは、流通による出版の再編という意味しか持たない。版には様々な付加価値を組込むことができるが、これまで日本において版を制作・管理してきたのは印刷会社である。印刷会社には、印刷・製本から電子的な「版」をベースとしたビジネスに移行するチャンスが開かれていると考えるべきだろう。それは生産的視点からの出版の再創造という意味を持っているように思われる。
生産的視点からの出版の再創造へ
鎌田は、まず“電子書籍元年”を次のように中間総括した。たしかにブームと言えるほど「情報」は増えてきたのは結構なことだが、日本的な特徴として、
- “黒船”そして攘夷論と開国願望
- 大騒ぎする割に専用リーダすら登場していない(iPadを本命と錯覚)
- 本質的議論、取組みがない(ガジェットとプラットフォームに集中)
ことが指摘できる。つまり、メディアでの「情報」化の視点が、ほとんど出版社から見た(井の中の蛙的)世界であって、考えたくないことにはなお目をつぶる、議論を避ける傾向が強いということだ。その結果の耳触りのいい情報が、デジタルカラー絵本としての「iPad電子書籍ブーム」なのだろう。とても米国のように年300%の成長を推進する力はない。iPadバブルは年末までにははじけるだろう。そしてKindleと向き合わねばならなくなる。われわれが、出版のいま一つ(実装的側面)の担い手である印刷業の観点から考えてみようと試みた大きな動機はそこにある。
出版は著者と出版社で成立っているようなイメージで描かれることが多いが、近代以降の出版は<生産・流通・販売>という3つの位相をもって存在してきた。印刷物からデジタルに媒体が変化したことで流通革命が生じ、次いで流通主導の全プロセスの電子的再構成としてのKindle/iPad的E-Bookが出版を席捲しつつあるが、これまでのところ<生産>的位相は受身に回っている。鎌田は、生産がどうイニシアティブをとりうるかが今後の最大の課題であると考えている。
その生産(企画・制作)では<著述・編集・実装>という位相がある。印刷本の出版においては、出版社が (1) プロデュース、(2) 品質保証、(3) リスク負担、(4) 商業的価値の実現などを含むプロジェクトの主宰者の役割を果たしており、著者と並んで生産的側面を代表してきた。その出版社の役割が、印刷出版プロジェクトのリスクと無関係ではなかったというのは、中西氏の言われる通りである。オンライン流通による出版の再編過程では、著者価値を最大化するというロジックで、結果的に著者以外を中抜きする圧力を強めている。カネをかけない出版は誰でもできるようになる時代、カネになる出版は誰もが手を出す時代に入りつつあるのだ。
鎌田は、生産(著述・編集・実装)の価値をITによって最大化する形で出版の創造的再編を行うことが必要であり可能であると考えている。流通による多分に破壊的な再編を<電子書籍の衝撃>としたのではあまりにつまらない。熟練作業をソフトウェアで置き換えるようなデフレ的デジタル化では、雇用だけでなく非物質的価値も失われていくと考えるからだ。出版における生産的活動とその成果物の価値を最大化するには、モノとしての生産とコトとしての生産(つまりコミュニケーション・プロセス)を統合しなければならない。それらが分断され、モノが単純化され、デジタル(量)としてのみ扱われる世界では、出版は生きられないだろう(鎌田は「コンテンツビジネス」が残ればよいとは考えていない)。モノは無限に高度化されねばならない。
付加価値の実装としての版の開発・保有・管理の主体は誰か?
さて出版におけるモノとは「版」であるが、E-Bookにおいてその価値は、サービス機能(表現・活用・管理・複製)を実現するために埋め込まれたメタデータに比例する。つまり単純なレイアウトフォーマットだけではないということだ。
- 視覚的表現⇔意味的表現の対応
- コンテクストの豊富化(関連性、ダイナミックな組織化)
- きめ細かいニーズへの対応(5W1H的コンテクストへのダイナミックな対応)
といったことが「版」にかかっているのである。これまで印刷物の製作においてはデジタルデータの操作は裏の作業にすぎなかったが、これらは表の作業として位置づけ直す必要がある。
E-Book的付加価値のベースとなるメタデータの開発についてはあらためて取上げるつもりだが、これは出版というだけでなく、21世紀日本のデジタル基盤において決定的な意味を持つものだ。メタデータとその応用はいくらでも開発できるが、有効範囲は標準化やベストプラクティスなどによって異なってくる。「版」のデータにはいくらでも付加価値のタネを埋め込むことができる。問題は誰がメタデータを含む「版」のファイルを制作・所有・管理するのかということだ。出版社は権利を主張できるとしても開発能力はなく、付加価値データに対して対価を支払うかどうかは疑問だ。少なくとも当面は、出版社が求めるものが「表示」であってファイルでない可能性は強い。流通プラットフォームが保有するなら(アマゾンなどはかなり持ち始めていると思われる)、流通の立場をさらに強めるだろう。印刷会社は出版社の要請を受けて動いてもよいし、著者、編集者と協力して独自に開発してもよい。E-Bookにおける版データの開発と管理は、電子組版やDTPにおけるデータ管理とは根本的に性格が違い、むしろソフトウェアのそれに近づいていくことを意識すべきだろう。(鎌田、08/20/2010)
関連記事
「EB2ノート(14):「抵抗勢力」とは何か?」 、鎌田、8/19/2010
[…] This post was mentioned on Twitter by Digi-KEN, Hiroki Kamata. Hiroki Kamata said: 印刷から考えた第5回「EB2研究講座」を(1)http://bit.ly/ceE5Hd と(2) http://bit.ly/9VR8gh の2回にまとめた。E-Bookの「版」には様々な機 […]