来る5月4日、「国際反DRMデー」(International Day Against DRM) というイベントが計画されている。主催者は大手メディア企業やIT企業によるDRMに反対する DefectiveByDesign というグループで、今年で3回目になるが、コンピュータ・ユーザーの自由を促進するための市民団体として有名な Free Software Foundation (FSF)のキャンペーンだ。他方で「知的所有権保護」は米国や日本政府が掲げる錦の御旗となっており、DRMをめぐる問題は、一見すると宗教論争のようにも見えてくる。 だが、どうもそうではなさそうだ。実態を知るほど、DRMのRはRightsでなくRestrictionだ、という批判論のほうに理があると思えてくる。
E-Book DRMは消費者/読者の「固有の権利」を制限
同じコンテンツを異なるハード/ソフト環境で利用できるように、というのが、読者と著者、出版社の共通の願いのはずだった。レイアウトなら読める。米国では市場と標準の力でほぼ実現しているし、日本でも行政の支援の下、その方向で動いている。独自フォーマットでユーザーを囲い込もうというメーカーなどいない。しかしそれでも、A社で購入したE-Bookは、B社の環境では読めない。DRMをかけているからだ。A社やB社は、DRMなど要らないという。出版社がOKしない。海賊から著作権者の権利を守るために必要なのだという。そして著作権者が許可した場合でもDRMを外そうとしない。
ごく大ざっぱに言って、これがDRMをめぐる現状だろう。DRMは、デジタルのメリットの多くを奪い、その上、印刷本で保証された権利も奪ってしまった。貸借りも贈与もできず、ちょっとしたコピーも、古本屋に売ることもできない。これだけ中途半端な商品に、紙とそう違わない価格が付いているのだから、消費者が怒るのは当然だ。米国ではアマゾンがE-Bookの価格を低めに誘導していたことや、初期にはリッチでおおらかな読書家が多かったこともあり、あまり大きな問題にならなかったが、しだいに一般消費者に広がってきたことで、権利運動としての反DRMの気運が高まりを見せるようになった。また、ハーパーコリンズ社の図書館に対するE-Bookの貸出規制にDRMが使われていることから、図書館関係者にも反DRMが定着しつつある。
音楽ソースの場合、主にスティーブ・ジョブズ氏の巧みなロビイングによって、DRMは外れたと言われる。iTunesはDRMを外すことに成功し、$0.99という低価格を定着させた。おかげでアマゾンなど他社もDRMを外したビジネスができている。そのことで海賊の被害が拡大することも、音楽業界の売上が下がることもなかった。残念なことに、アップルは(エージェンシーモデルに見られるように)出版社と共同歩調をとることでアマゾンの進撃の速度を落とすことを重視する方針をとっているせいか、E-BookのDRMを外すことには関心を示していない。
DRMの何が問題か:合法性、公共性、効果、公正性
E-BookのDRMに対する批判は、主に4点:
- E-Bookの著作権管理は、紙の本で伝統的に確立されてきた正当な消費者/読者の合法的権利を不当に制限している。(合法性)
- DRMによって、引用やコメントの連鎖によって成立してきた知識情報のコミュニケーションは大きな制約を受けており、社会的損失につながっている。(公共性)
- DRMと海賊被害との間の因果関係は実証されていない。ゲームなどの場合、抑止力となるどころか、経済的利益のための著作権侵害を助長している。(効果/結果)
- 出版社は、著作権保護を名目(あるいは口実)にすることで、DRMを使って著者や小売に対する優越的地位を行使し濫用している。(公正性)
オライリーなどの出版社はDRMなしのビジネスモデルで成功している。結局、出版社が無知なのでない限り、E-BookのDRMは海賊版や著作権侵害とは無関係で、純粋にビジネスモデルの問題と考える方が当たっているようだ。事実として、DRM外しはあまりに容易で、一般消費者以外には効果はない。すると、出版社が懸念しているのは海賊による著作権侵害ではなく、一般消費者による(故意または不作為の)著作権侵害とその結果ということになるだろう。消費者を敵に回してはまずいので「海賊」を云々するということだ。とすると、テロリストや悪質なハッカー対策を名目にしたネット規制と同様の性格を持つものかもしれない。この場合は、規制によるコスト/効果を測定し、社会的合意を形成するという方法で解決される。
結局はビジネスの問題
しかし、そうとばかりも言えない。出版社には出版社の、プラットフォーム企業にも彼らなりの経営上の意図が隠されているようにも思える。少なくとも(故意か不作為かによって)DRMは、実質的にDRMの管理主体が市場において持つ排他的な「権力」を維持する上で役立っている。それを邪悪と考えるかどうかは価値観の問題だが、筆者にはまだ答が見つかっていない。これもつまるところビジネスモデルの問題だ。
ハーパーコリンズ社は図書館への貸出制限によってボイコット運動の標的となり、その影響は図書館だけでなく一般消費者にも及んでいるようだ。同社は26回とした制限を上げる方向で検討しているというが、そんなことでは収まらないだろう。消費者も出版社もプラットフォーム企業も、対話と対立を繰り返しながら現実的かつ合理的で妥当な答を探していくしかないのだが、まだ時間がかかりそうだ。 (鎌田、04/14/2011)
参考記事
- 資料:E-Bookユーザーの「権利章典」、本誌、03/11/2011
- HCが火を点けた図書館のE-Book貸出制限 (♥を一般公開中)、EBook2.0 Magazine、03/03/2011
- 図書館問題の第2ラウンド:合意への模索、EBook2.0 Magazine、03/10/2011
- ハーパー社が図書館のE-Book貸出を26回に制限、EBook2.0 Forum、03/02/2011