最近つらつら考えるのだが、E-Bookに対する一部出版関係者の態度は、「自然エネルギー」に対する電力関係者の態度と似ている。どちらも「一部の需要を賄えるだけ」と言い、そのじつは恐れている。PCの登場時の汎用機関係者の反応とも似ている。関係者にとって、そこに「自明」という以上の理由は要らない。それは日常を超えた次元の問いになるだろう。好き嫌いはあってよいし、プロフェッショナルが新しいテクノロジーに接する態度として、まず懐疑的になるのも悪いことではないが、困るのは「懐疑」そのものを疑わなくなることだ。
なぜ嫌なのか、なぜ胡散臭いと思うのかを考えることがないと、それを補強する情報だけを蓄積・整理する思考パターンが固定化し、確信は磐石となる。「自明」とまで思えるようになったら、それは思考停止状態。年齢が高く、ITやWebへのリテラシーが低い管理者ほどその傾向が強いから、これが組織としての空気をつくる。権力を持っているので社会の空気も支配する。
集中型(近代)から自律・分散・協調型(ポストモダン)へ
原子力関係者にとっては、巨大ビジネス(官業=利権という人もいる)が現に存在し、電力会社の成長(世界一高い電力料金をいう人もいる)を支え、関連業界と地元を潤し、安全を信じさせるために数千億円の広告費が流れるという事実がすべてだ。3世代にわたるこの「夢のエネルギー」が、そこいらにあるものなどで代替出来ては堪らない。集中型システムがもたらす秩序と安定は、それ自体が価値である。関係者が語らないのは、21世紀の「自然エネルギー」が、Webのような自律・分散・協調型システム(あるいはその一部)として成り立つもので、単独で巨大な金の流れを永続化する上からの体制ではないことだ。
自らを「印刷本出版業」であると考えている出版関係者にとって、日本の取次制度は最も優れた(これも3世代を経た)もので、この体制に害を及ぼす可能性がある「電子書籍」は、無害性を証明できない限りとても手を出せないものなのだろう。関係者が考えようとしないのは、20世紀まで万能だった経済的・文化的な集中型(非対称型)システムの命数が、インターネットとともに尽きていることだ。「現実的なものはすべて合理的であり、合理的なものはすべて現実的である」(ヘーゲル『法の哲学』)という公理は動かしがたいが、新しい「理」によって新しい「現実」が生まれ、歴史は動く。情報技術が可能とする自律・分散・協調は新しい理と言える。Webとともに生まれたKindle以降のE-Bookは、印刷本のバリューチェーンにない価値をもたらした。新しい現実はその登場が必然的なものであったことを示している。
移行は早いほどうまくいく
E-Bookは自然エネルギーと同じく、自律・分散・協調のパラダイムに属する。移行は簡単ではないが、長期的に変化を阻止することも出来ない。原発のような強い利益共同体がなく、権力の後ろ楯もなく、国境で守られてもいない出版にとっては、21世紀において重要なメディア産業として生き残ること、その過程で過去の貴重な遺産を継承することがすべてであって、現状を維持することではないはずだ。ズルズルと遅らせることは出来る。変化が早ければ、米英のように、旧システムの勝ち組が十分な力を発揮できるだろう。大陸欧州のように、どこまでも頑張っていると、知識産業は衰退し、非英語圏としての文化的影響力は低下する。筆者は新しいパラダイムへの移行は早いほうがよいと思う。逆説的だが、早いほうが、出版社は新しいパラダイムに移行でき、それが文化的継承性という点で好ましいと考えている。
自律・分散・協調は、言うは易く、安定させるのが難しい。何よりこれは機械と動力(あるいは戦争と経済成長)とともにもたらされた「近代」に逆行するものだ。これまでの常識に反することが多い。「孤立・分裂・対立」への恐怖もある。しかし、インターネットがそうであるように、コミュニケーションの世界はもはや後戻りできない地点に入っている。だとするならば、早い移行こそが混乱や対立を最小限に抑えると思われる。そのために、やはり「関係者」には新しいパラダイムを理解し、エコシステムの再設計と再構築に参加していただきたい。嫌いなものを何度でも見つめ直し、一通り使いこなし、新しい合理性を評価する、「実事求是」の姿勢が何より必要だ。
パラダイムの違うものを評価するには、いったん「関係者の見方」から外れて、一利用者として体験し、利用者として何がよくて何が足りないかをつぶさに検討することが必要になる。現状のE-Bookは、当然ながら玉石混交で、品質、価格、入手性、可用性などに多くの問題を抱えている。印刷本にはもちろんピンキリがあるが、電子本には評価システムもないし、製作方法も確立していない。よいものとは何かを、自分で考えなければならない。1990年代からの日本の「電子書籍」の歩みの中で、編集者やデザイナーが本気で関わった例は非常に少ない。メーカー主導だったからかもしれないし、出版人がデジタル音痴だったためかもしれない。しかし20年も前の話だ。今日のE-Readerは、200dpiのプリンタに近いし、それ以上のものもある。とりあえず読むに堪える品質だ。それ以上の価値は出版人が発見し、提案すべきものだろう。 (鎌田、06/20/2011)