東京国際ブックフェア(TIBF)は、18回目を迎えた今年から(デジタルパブリッシング・フェアを昇格させた)国際電子出版EXPOと併催となった。主催のリード社は、市場・出展者・来場者が関連する複数のテクノロジー・テーマイベントを併催し、年によって目玉や重心を変えることで維持・拡大する方法を得意とするが、本の見本市・即売会として定着してきたイベントを、同じ出版とはいえ、テクノロジー・イベントに拡張するというのは、かなりの勇気を要したことだろう。当然ながら、完全な融合に至るには時間がかかる。
結果は大成功のように思える。だが熱気が溢れた「電子」に比べて、「ブック」のほうがやや淋しい気がした。EPの展示の中身も、コンテンツやデバイスよりは、E-Book周辺サービスばかりが目立っていた。それはそのまま、日本のE-Bookビジネスの課題でもある。とはいえほぼ2年で、保守的な出版の世界に風穴を開けて「デジタル」の活気に触れさせた意義は大きい。こうした形態は、ニューヨークやロンドン、フランクフルトなど、海外のブックフェアや図書館系カンファレンスでは標準化しているのだが、日本での難しさは格別であろうことは想像に難くない。去年なら、出版社の出展が減ったかもしれない。
IT系を中心に、展示会やカンファレンスを、文字通り嫌と言うほど見て回った身からすると、こういうイベントではまず「気」を見る。古代中国には戦陣の勢いを観望する「望気」の術というものがあったが、とくに節電の熱気の中で万余の人が動き回る場では、展示の情報内容を個々にチェックするよりは、様々に視点を変えながら「気」を観察するほうが有効だと思う。以下に述べることは(出展者リストのほか)客観的データに乏しい感想だが、当否についてはそれなりに自信がある。
「気」余って「文」足らず
さて、筆者の見立てはこうだ。デジタルに常に強い「気」が感じられるものの、コンテンツの「気」は弱含んでおり、そのために肝心の「電子出版」として実現されるものの中身に貧しい。中身とは出版を拡張する創造性である。テクノロジーは何かを解決し、価値を実現するために存在する。テクノロジー自体に価値があるわけではない。創りだされるものの価値に確信が持てない時、複雑な歯車は噛み合わず、「気」は雲散霧消する。今年のイベントは、著者と読者を中心に、出版のバリューチェーンの当事者たちに確信を与えるまではいかなかった。だから、出版のデジタル化を持続的に進めるエコシステムの形成への胎動もまだ見えない。しかし、デジタルを「脅威」と考える関係者がなお少なくない中で、出版がデジタルを内的なものとして受け容れるプロセスとしては上出来であったようにも思える。
出版においてテクノロジーが解決すべきテーマは、市場の拡大とプロセスの効率化、商品の高度化によって、知識コミュニケーションの主役として再構築できるようにすることだ。それは、コンテンツをめぐる(1)入手性、(2)社会性、(3)表現力、の3点に整理される。出版の概念が拡張される中で、Webや映像、音楽、美術、演劇から語りやマイムまでの新旧の表現技法とのコラボレーション、あるいはキュレーションとしての編集などが問題となる。欧米のイベントではこれらが中心的テーマであり、それを支える技術とサービス、成果としてのコンテンツが目を惹くようになっている。(»»次ページに続く)