E-Book市場でのアップルの影は薄いので、Magazineで取上げはしなかったが、やはりスティーブ・ジョブズCEOの引退について何も語らないわけにはいかない。「魔術的」と評されるコミュニケーションの達人、「イノベーションとはノーを千回言うこと」と喝破する完璧主義者、優秀なスタッフに100%以上の仕事をさせるカリスマ、巨大なリスクを独りで引き受ける胆力、大衆(メディア)に背を向ける勇気…。あらゆる点で彼の後継者が登場する可能性は限りなくゼロに近いからだ。一つの時代が終わった。次の時代は退屈な、ことによると停滞的な時代となるかもしれない。
2009年の1月、ジョブズCEOの休養が発表された時、筆者はブログにこう書いた。
彼はさまざまなガジェットを通して世界と対話した。ガジェットじたいは小道具あるいは新奇な仕掛けにすぎない。それが同時に「メタ」なプラットフォームと して一つの世界を創ることは稀であるし、あっても偶然の結果であることが多い。しかし彼のガジェットは、必ず世界と対話するコンテクストを同時に持ってお り、ユーザーはそれを通じて彼のデザインした世界とコミュニケートすることができた。彼の「作品」がつねにユーザーインタフェース、ユーザーインタラク ション・デザインの最先端をいっていたのは、それが彼の「世界」にリアリティを与える唯一の手段だったからにほかならない。パーソナルな世界がユニバーサ ルになるという、サイバースペースを、彼は夢見、そして実現してきた。(市場は「ジョブズ以後の世界」に直面した (2):創造者の退場、Intelogue, 01/15/2009)
イノベーションの世紀の最後の栄光!?
ITがイノベーションの中心となった1980年代からの約20年間。多くの異才・天才が輩出した。素材としてのITから製品やサービスを結晶化させ、市場で機能させるには、上述したような能力が必要とされる。現に存在していないものを実在化させるのがイノベーションなのだから、「尋常」な人間にできるはずはない。それだけでなく、尋常でないことの価値を認め、評価できる(つまり進歩を信じる超楽観的な)社会でないと、イノベーションは生まれないということになる。「世に伯楽ありて、然る後に千里の馬あり」(韓愈「雑説」)というわけだ。
私たちはアメリカがそうした社会であると思い込んでいたのだが、現実にはイノベーションの時代はとうに終わったと考えたほうがいい。社会はシリコンバレーよりも、手早くキャッシュをもたらすウォール街のほうを信じている。スティーブ・ジョブズの孤独な痩躯は、ウォール街に背を向けつつ最後に合一したイノベーションの最後の残照を放っていた。残念ながら、現代はそうした人材を育て(あるいは放任し)、鍛え、選ぶのに適した時代ではなくなってきている。アマゾンのジェフ・ベゾスを除けば、「市場」を気にする小物ばかり。ジョブズこそは間違いなく「20世紀最後の恐竜」だった。
今週は「HPのPC事業リストラとTouchPad撤退」という嫌なニュースもあった。70年代のイノベーションをリードしたDigital Equipment社 (DEC)の末期もそうだったが、そう愚かとも思えない経営者が、次々に敗着を繰り出すようになる。PCに背を向けて汎用機に傾斜したDECはコンパックに買収され、そのコンパックはHPに買収され、トップシェアを築きながら、また切り離されようとしている。ビジョンが描けず、リスクが取れない経営者には、図体の大きさを生かした「サービス」で稼ぐ発想しか浮かばないということか。しかし、そこには唯一にして不可侵の領域である汎用機のレガシーに生きるIBMがニッチを築いている。だれもがIBMを目ざしたら、ITは容易にイノベーションと縁の薄い世界になるだろう。
大組織ほど馬鹿なことをやる
アップルが「ジョブズ以後」を計算したかのようにサムスンなどへの「知財訴訟」を活発化させているのは不快だが、それに反応してGoogleがモトローラ・モビリティを125億ドルで買収したのは滑稽なニュースと言える。モトローラの特許価値を喧伝した稀代の投資家カール・アイカーン氏のフェイント(1週間で5億ドル儲けた)に乗って、約1兆円(手持ち現金の3分の1)を消費して携帯電話会社を買うというのは、明らかにGoogleの活力低下を示す、この上ない後ろ向きの下策だ。特許で1兆円の元を取ることは不可能で、そもそも特許訴訟などで負けてもかすり傷程度。それよりはAndroidの高度化とオープン・プラットフォーム化に、10分の1のカネをかけたほうがよいに決まっている。
過去10年間で、Googleは世界で最も優秀な人材を集めていると言われてきた。その人材はどうなったか。筆者はかつて、認知心理学者でソフトウェアの分野でも活躍したデビッド・テイラー氏から「組織の集合的知恵は、その構成員数(n)の逆数である(1/n)」ということを聞いたことがある。言い換えれば、大組織ほど自然に馬鹿なことをやるということだが、彼はこれをn/n (つまり1)に近づけることがマネジメントの理想だ、と述べていた。破壊的イノベーションの時代には、知恵を働かせなければ、サイズは生存を保障しない。まさに現在の日本の官僚組織、官僚化した民間企業、形骸化したルールによって無力化された社会が直面する状況でもある。どうやってn/nに近づけるか。
マネジメントを、利用可能な資源・プロセス・組織の運用を時間的に最適化するということだとすると、組織の中にある人間にそれを委ねるのは本質的に矛盾がある。変化の時代には、大組織ほど、それがフルに機能するために異なる人材を必要とするわけだ。アップルにとって、創業者であり、追放された預言者、復位した絶対君主であるジョブズは、二度と得られない異人(ストレンジャー)だった。復位後のジョブズはアップルの企業体質を根本的に変えた。ティム・クックCOOはプロセス管理の天才であり、常人には気紛れとしか思えない絶対君主の要求に応え、創造的な「最適化」をやってのけた。しかし、彼は「不動の第一動因」にはなれない。ジョブズの完全引退後の経営者は、変化の時代を終わらせるべく行動するかもしれない。
ディズニー化と「ジョブズ特許」の脅威
iPhone/iPadの特許性を主張するアップルは、なぜか(米国でなく)欧州でサムスンを封じ込める策に出て、販売の一時差し止めに成功した。他方、サムスンはキューブリック監督の『2001年宇宙の旅』の映像などを「証拠」として法廷に提出し、タブレットのアイデアの特許性を否定しようとしている。話題としては面白いが、一時アマゾンが主張し取り下げた「ショッピングカート特許」のようなもので、じつにあほらしい。
20世紀末のイノベーション全盛時代に、こうした紛争は驚くほど少なかった。ゼロックスが鷹揚だったお陰だ。ゼロックスが今日のアップルのような姿勢を取っていたら、GUIもPostScriptもイーサネットも普及せず、アップルも、アドビも存在しなかったかも知れない。当時、複写機のリースと保守で莫大な利益を上げていたとはいえ、ゼロックス(パロアルト研究所)は人類に偉大な貢献をしたのである。
もしかすると、アップルは知的所有権を通じてウォルト・ディズニーの遺産を維持・発展させたディズニー社のモデルを参考にしようとしているのかもしれない。ディズニーは強引なロビイングによって、著作権を個人、企業とも20年延長させたのだが、この戦略は確かに有効そうに見える。しかし、ジョブズ以降のアップルが、イノベーションを神話化し、神殿を築いて現金化しようとするなら、それはジョブズの偉業を陳腐化するだけでなく、21世紀前半をイノベーションではなく無意味な知財紛争の時代に変えるだろう。それはないと信じたい。 (2011-08-29)