E-Bookがネットで100億円規模の市場となるまでに、どれだけのコンテンツが必要だろうか。まずまずの書店であれば10万点の品揃えは必要と言われ、オンラインでもそれと同じで、アマゾンもそうだった、云々。そして「端末が普及するにはコンテンツが増えないと」、「コンテンツが増えるには端末が普及しないと…」という「鶏と卵」の喩もよく使われる。しかし、筆者からみるとこれはマクロな物量の話で、本のような、おそろしく多様な個性を持った商品にはあてはまらない。お茶を濁すにはいいがビジネスの発想ではまったくない。
「10万点必須」は怠け者の空論
ではなぜいけないか。第1に、出版は数百万、数千万人を相手にできなければ成り立たないものではない。そして第2に、何万点、何十万点もの選択肢がなければ購入しない消費者などまずいないし、いたとしても最初から相手にする必要はない。デジタルで読みたい人が欲しいタイトルを先に揃えていけばいいのだ(逆に自炊すら禁止するとは恐ろしい了見だ)。一見もっともらしい「鶏と卵」の論理は、一転突破として起こるイノベーションを否定するだけでなく、日常的な仕事の中の創造性や発見、経験、常識の価値を否定する。狭くても十分に儲かっている古本屋はいくらでもいる。それはローカルな顧客を知り、商品を吟味して仕入を判断し、値段を決め、並べ方を工夫しているからだ。
同じことがオンラインで出来ないはずはない。この知恵が生かせれば1万点の本からでも利益を上げられるだろう。逆に知恵がなければ、100万点のコンテンツがあっても売れるものではないし、商品を知らず、顧客を知らないのでは何も出来ない。コンピュータは人間の知恵に従って動かすことが出来るが、知恵のない人間がコンピュータを使っても何も出来ない。
2007年11月時点で鶏と卵の両方を揃えたアマゾンの場合は、9万1,626点だったが、これは市場にショックを与え、その後の爆発的成長を可能とし、圧倒的シェアを確保するために必要だったわけで、こんな電撃作戦を目指すのでない限りは参考にすべきものではない。これとても、売れ筋のフィクションでは、先行していたFictionwiseやBooksonBoardよりも少なかった。そして初代Kindleは需要予想を誤り、今日のアマゾンでは考えられないことだが、シーズン用に用意した製品を数日で売り切った後、5ヵ月も在庫切れの状態を続け、1年で30万台にも達しなかった。つまり、コンテンツよりデバイスを調達することに努力すべきだったわけだ。アマゾンは今年、非英語圏のKindleサイトをスタートさせる際に3万点をひとつの目安にしたと思われる。つまり、3万点台からのスタートで十分という目算が立ったということを意味する。それでも彼らは、この臨界点を下げる努力を止めないだろう。
「10万点必須論」こそ怠け者の机上の空論だ。10万点のコンテンツ、100万台のリーディング・デバイスが存在し、コンテンツの市場が成立しているならば、オンラインの新参者にシェアは用意されているだろうか。そうした市場で新たにブランドとして認知を得るのにどれだけのコストがかかるか。そんな出版社を、著者と読者は選んでくれるだろうか。ビジネスとは任意の期間と規模で採算をとり、それを持続させるゲームだ。いまアマゾンは期間と規模を目いっぱい膨らませ、同時にミクロな商売のロジックを巧みにシステム化して取り入れて成功を収めつつある。それに対抗するには、より商売の基本に忠実になるしかない。つまりアマゾンより本を知り、顧客寄りになるということだ。そんなに難しいことだろうか。(→ 次ページに続く)