必要なコンテンツはお客によって生まれる
コンテンツが少なくても成功したものはある。言うまでもなく、電子辞書やケータイ・マンガなどだが、これらはいずれも500億円規模に達する、このユニークな日本的市場の開拓に、出版社はほとんど自ら努力しなかった。だから市場規模に比して出版社の取り分が異常なまでに少ないのだ。これはメーカーや通信会社があくどいのではなく、出版社が書店以外でのコンテンツの価値を知らず、コンテンツの利益を最大化するビジネスモデルを提案できなかったためだ。
周知のように、電子辞書は「プリフィックス型の辞書付書籍リーダ」として延命している。試みにジャパネットたかたのサイトをみると、各社のデバイスを、用途別にカテゴライズして、独自のアレンジで売っている。3万円程度の「生活総合・ビジネス」モデルには、辞書・事典・手引き類を中心に110点ものコンテンツのほか、日本文学700点、外国文学300点までが搭載されている。これらが読まれているかどうかは知る由もない。しかし、ジャパネットがもしデバイス販売と「オンラインマーケット」を分離していたら、どちらも売れなかったことは確実だろう。これこそ商人の知恵だ。
本好きにはいろいろあるが、ドイルやクリスティを外すミステリー好きは少ない。ルカレやフレミングを外すスパイ小説ファンも少ない。史記や左伝、三国志を読まない中国歴史ファンはまずいない。古典はさまざまな読み方が可能で、古今の無数のコンテクストを集約するノードになっている。電子辞書的な発想を拡張すれば、さまざまなセットが考えられる。一つの出版社で完結するものもあれば、横断的なセットも考えられる。必読書100選、推薦書1000点から自由選択で100冊にしてもいい。Kindleのようなマルチデバイス、ワンクリック・ショップ環境が必須だというわけではない。ジャンル別のセットにデバイスと気の利いた「ブックカバー」やスキンを付けて2万円以下なら、かなり売れると思う。そのデバイスは、以後のE-Book購入のベースになる。
文部科学省や学校、学会、各種協会その他官民の各種団体に推薦してもらうのも、この際悪くない。日本人の教養の低下に歯止めがかかるかどうかはともかく、知識に対するリスペクトを示すことにもなる。重要なことは、デバイスではなく、コンテンツ主導であること。そして出版社が知恵を発揮し、リスクをとることだ。リスクをとらなければ電子辞書と同じことになる。
筆者の少年時代、各種の「文学全集」「美術全集」があり「百科事典」が花盛りだった。これらは知識のインフラのようなもので、こうしたインフラに支えられたことで出版の成長があったのだと思う。1960~70年代の出版社はハイリスクのインフラ企画を手がけ、美麗な専用本棚を付けたり、独自の販社を持っていたりした。出版界の先達たちの、そうした企画力と熱意があれば、当時の10分の1ほどのコストで、市場などすぐにできるように思われる。鶏と卵の話は禁止すべきだ。 (鎌田、2011-10-24)