E-Bookに関わる技術は「デジタルドキュメント」だ。歴史は非常に古いが、Web環境の進化とともにダイナミックに変容した。簡単に言えば、ドキュメントに対してあらゆる情報技術を連携させることが可能になったということだ。このことは、日本ではほとんど理解されていない。人々が「インターネット」で総称しているものの核心は、デジタルドキュメントにあり、本質は知識コミュニケーションのデザインにあるのだが、多くの人が紙の文書に対する電子文書という側面でしか考えていないからだ。E-Bookと同じように。
DD=知識コミュニケーションのダイナミックなデザイン
先週金曜、2年ぶりにデジタルドキュメント研究会(DD研/SigDD)に出かけた。前回(第7回DDシンポジウム)は、このE-Book2.0 Forumをスタートさせて間もないころで、この分野での“時差調整”に役立たせていただいたのを思い出す。筆者はE-BookこそDDのすべての側面を集約し、かつ最先端の応用分野であると考えているので、それを1日でやってほしい、と虫のいいことを考えているのだが、それは叶わないでいた。今回のテーマは、「ドキュメント記述の標準化と電子書籍・多言語化への展開」で、EPUBの裏話についての村田さんの講演と、同じく日本語仕様の標準化についてのパネルを含む最後のセッションに参加でき、二次会も合わせて楽しい勉強ができた。
これらの中身をご紹介するより前に、「デジタルドキュメント」という言葉についての感慨を述べることをお許しいただきたい。今日、ドキュメントは基本的にデジタルとなり、必要に応じてプリントして紙の「文書」にするか、あるいは読むだけで捨てている。しかし、文書のデジタルへの移行は1980年代初めに始まり、ほぼ30年が経過しているが、デジタルの機能の多くは未利用で、停滞している。フォーマットとして「電子文書」は存在しても、そこで終わっている。ちょうど「電子書籍」はあっても、価格や入手性、可用性などで使われないのと同じように。Web上ではフルデジタルのサイクルが出来ているが、企業の文書管理は、あいかわらず鈍く、Webとの統合はおろか連携も悪い。ビッグデータとビジネスインテリジェンス(BI)に向けて急速に進化している時代に、組織は対応できていない。
問題は、これが日本的現象だということ。ビジネスにおけるプロセスとルールが旧態依然(内向き)で、ユーザー(顧客、消費者、国民)のために価値を創造するべくコミュニケーションをデザインするという積極的な形になっていないためだ。アジア諸国が「デジタル」パラダイムに入って飛躍したこの10年、日本は動くことすらしていなかったと思えてならない。日本が最後の遺産を食い潰し、日本を除くアジアが、世界の工場・世界の市場へと変容した10年。教育と経営を支える知識コミュニケーションにおいて何が起きていたか、メディアは何も伝えないか、見当違いを言ってきた。組織は動かないと腐る。オリンパス事件は、福島原発事故とともに、日本の企業=社会の病根がどこにあるかをまざまざと示した。日本は肝心の部分でデジタルを使えていない。使うことを拒否している。知識と情報を共有し、問題を理解し、解決を議論し、行動し、結果を評価し…という進化の社会的サイクル(コミュニケーション・プロセス)において。
E-Bookをめぐる日本の出版界の問題は、後ろしか見えず、前を恐れるあまり、デジタルを使えない日本の縮図といえる。巨大組織がイナーシャのままに盲目的に動く日本をいきなり変えることは難しい。しかし、出版は変えることが出来るし、むしろ出版を変えることで日本も変えられる、と筆者は思うことにしている。何より、個人でも出版が出来る時代になったし、取次制度というマジノ線をWebで迂回すれば、因習も国境もない。世界に開かれた競争的、創造的な市場を、巨大企業に頼らずに、少しづつでもつくっていきたい。「集中と選択」という20世紀の呪縛から解き放たれるために。過去半世紀ほどに蓄積されたデジタルドキュメント技術は、E-Book (デジタルパブリッシング)において最も開花しやすいのではないかと思う。 (鎌田、2011-11-21)
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