E3Jプロジェクトの成功にはかなり謎が多い。メディアがほとんど取り上げなかったので情報が乏しい。フロックなのか、それとも日本人の国際標準化への関わりに新境地を拓いたものなのかを明らかにすることは、この 企画の最大のミッションだと考えている。自他ともに「特殊」とされてきた縦組を、どうやって国際標準の本体に入れられたのか、そして大企業や業界や国の支援もなしに出来た背後に何があったのかということである。もしかすると、なかったからこそ成功した可能性も含めて。
情報技術におけるG11Nパラダイム
「EPUBで日本語」というレベルなら、基本的な部分はEPUB2でも出来る。拡張すれば縦組もOKだが、専用ビューアを付ける必要があり、その部分の交換性はない。XMDFやDotbookと同じで、これではあまり普及しない。かつてよくあった、世界標準+独自拡張という便法では現代のコミュニケーションのニーズに対応できない。MS-DOSはひとつでも日本語版は各社ごとに違う、というふた昔前の状態が続いてしまうわけだ。アジアの言語圏のなかで、日本だけがこれを続けるとどうなるか、説明は不要だろう。外国語を学ぶ場合の費用対便益を考えれば、日本語の国際的地位が相対的に低下することは間違いない。
日本が世界から孤立しないためには、もちろん横組を全面採用するという「革命的」な方法もある。中国や韓国はそうしている。いやWebはすでに横組一本で動いていて、これに不自由を感じる人も確実に減っている。しかしこれは現実的ではないし、何より日本の出版がデジタル・パラダイムに移行できないのは社会的損失が大きすぎると思う。オープンな世界標準自体で日本語組版のフル機能をサポートできるようにしなければ、どうしても困るのだ。
ちなみに、21世紀の情報技術の世界は、Globalization、あるいはInternationalization/Localizationというコンセプト(長ったらしいのでG11N、i18n/L10nとも言う)を実現する方向で動いている。これは「ソフトウェアを、開発した環境とは異なる環境、特に外国や異文化に適合させる手段」と定義されるが、表示言語を変えたり、日時や数字表記を変えたりすることに使われる。ユニコードはこれを実現する最も基本的な手段だ。これを組版という、活字情報表現の精密なコントロールのレベルに高めることが求められた。
しかし縦組やそれと横組を並存させる縦中横のような、世界的にはきわめて特殊な表現をまるごとサポートすることに、世界(この場合はIDPF)の理解を得るのは簡単ではなかった。次世代のE-Bookの標準を決めようとする場に「過去の遺物」を持ち込むのは場違い、と考える人がいてもおかしくないし、最新のWeb技術に対応し、かなり複雑な構成になるE3に、さらに重たい機能を入れることに賛同を得るのは簡単ではない。好意的な人でさえ、「EPUBで縦組」というのは純粋に日本語ローカルなニーズであって、横組で満足できないならE3の体系全体とは切り離すべき(勝手にやって)と考えても不思議ではない。比喩はどうかと思うが、TPPの場でローカルな利害を主張するようなもの。横組にしないのなら参加などするなと言われるだけだ。
縦組を「普遍化」し、国際化/地域化を両立
縦組を「独自利害」として主張したのでは話にならない。少なくとも3点が条件になったと思われる。私が非日本人の関係者だったら、ざっと次のことは要求あるいはリコメンドするだろう。
- 縦組の文化的、市場的価値について、外国人の理解と支持を得る
- 仕様化提案がきれいに整理されており、EPUB全体の一貫性を損ねない
- 実装、実行においてマイナスの影響を生じない
資料や提案を準備するだけでなく、納得の上での合意がゴールなので、これは容易なことではない。そもそも、日本語の書法と同様、組版のルールや、それをサポートする仕様は無数にあり、筆者などは要件を整理するだけで目まいを起こすほど複雑だ。こうした課題やその他を、村田さんたちがどのようにクリアしたかを、ぜひ伺いたいと思っている。
では、こうした歴史的事業となるE3Jに、日本の中でどれだけの支持と支援が集まったのだろうか。答えは皆さんもご存知のように、集まったとは言いがたい。EPUBそのものが理解されておらず、EPUBに日本語を盛り込むことの意義も誤解され、出版の開国を強要する「黒船」の手先のように言われたりもしたし、出来っこないとも言われた。ユニコードの時と同様に、E3Jグループも逆風に晒されることになった。国外と国内から逆風を受けると、たいていは頓挫する。ユニコードの場合は世界的なIT (OS)ベンダーのすべてが味方となり、日本語ワープロのトップメーカーのジャストシステムが後ろ楯となったので、状況としてはまだましだったが、E3Jの市場価値は簡単には理解できるものではない。だから、今回は企業レベルの支援というよりは、日本人技術者の協力と横の連携が重要となったはずだ。
結果は大成功となったわけだが、これは企業が主体となった、あるいは「官民一致」の標準化とはまるで違う。こんな例を私も知らない。これがフロックなのか、それとも日本のテクノロジストのレベルが上がり、新しい活動形態が可能になったのかについて、筆者は関心を持っている。(鎌田、2011-11-14)