デジタル技術の本質は、論理化と数値化による自動化にある。これが模倣・複製を可能にする。その領域は日々拡張されており、経済、社会、教育、そして人々の生活に凄まじい影響を与えているが、行方は誰も知らない。しかし、21世紀に入ってわれわれが知ったことは、日本が「負け組」に入り、「勝ち組」との差が開いているということだった。中立ではないこのテクノロジーは、全体として日本に不利に働いている。優れたものづくり、優れたサービスは、解析されて 「システム」として模倣され、自動化され、フィードバックによって最適化される。テクノロジーの進化を止めることが出来ない以上、なんとかこれを使いこなすように、社会が変化するしかないの だが、かつての成功が大きいほど、ますます頑なになるのが人間というものだ。旧エリート層を中心に、社会はテクノロジーを相手に空しい戦いを挑む。だから歴史は繰り返す。
やや脱線したが、何を言いたいかといえば、活字も、専門的な組版作業も、要求と機能がルール化されれば自動化されてしまうということだ。もちろん、CTS やDTP、ワープロに至るまで、専門知識のルール化と自動化はとうに起きていたが、成果物はアナログの印刷物であり、フォントやソフトウェアには知的所有権(IP)が設定されていた。現在でもその力を信じて疑わない人が多い。しかし、ニーズ(要求)にはIPがないし、ニーズを抽象化し、ルール化する方法はいくらでもある。いったんルール化されれば自動化する方法もいくらでもある。時間はかかっても、しょせんデジタルなものは迂回可能だ。ならば製品よりIPをコモディ ティ化し、あるいはオープンソース化して別の革新的(破壊的)ビジネスモデルを考えたほうがいい(あるいはそうせざるを得ない)ということになる。それも Webが変えたルールの一つだ。
伝統的出版の世界で厳重に管理されていた組版アルゴリズムが、Webという開かれた「出版環境」に出現するのは時間の問題だった。自主出版の手段としてのブログ+SNS と、Web由来のオフライン・コンテンツとしてのE-Bookである。あとはある程度の表現力さえつけばよかった。それが紙と印刷の模倣としての電子ペーパーと活字組版 である。(鎌田、2011-11-23)