コンテンツは社会的概念であり、コンテンツがコンテンツであるためにはコンテクストを実装する必要がある。コンテクストの提供(社会化機能)をクラウドプラットフォームに依存している現在のコンテンツの形態は、出版社にとってまったく不利なものだ。印刷本が持っていた、実体としてのオーラが失われつつある現在、出版社はE-Bookのユーザビリティを通じてソシアビリティを高め、読者との間のインタラクションを構築する必要がある。つまり本をソーシャルメディアとするのだ。
現在のコンテンツは環境に過度に依存している
コンテンツは本質的に意味と構造と表現という3つの要素を持っている。コンテクストは、著者や発行者、読者が必要とするコンテンツのソシアビリティ(社会化属性)を明示化するものということができる。ごく基本的なものは表題や著者、発行者などの書誌事項で、これはコンテンツと不可分のものとなっている。紙の本の編集において、最も重要なことは、コンテンツの内在的構造を、効果的に二次元(ページ)と三次元(冊子)に展開・表現することだ。最近まで、著者や編集者はこれだけを前提としてコンテンツをつくっていた。表紙や扉、目次、奥付などは、コンテンツの実体化のために不可欠の仕掛けだった。
E-Bookにおいて、物理的なページはスクリーン表示で代用され、目次や索引を含む構造は、ハイパーリンクとなる。表紙は絶対に必要とは言えない。書店で物理的存在を誇示するために必要であった装丁は無用となった。印刷本の電子的複製では、機能のほかには、ある程度の「本らしさ」しか盛り込むことが出来ない。印刷本の3割~5割安を“適正価格”と考える消費者の感覚は正当なものだ。現在のE-Bookのほとんどは印刷本の影のようなもので、印刷本がそのままで帯びていたコンテクスト―手応え、自己完結性、権威性、書店での展示によって生じるもの―がない。こんな状態で印刷本が書店から消え、書店が消えていけば、新刊書のマーケティングは大きな困難に見舞われることは間違いない。E-Bookのコンテンツが、印刷本の助けを借りずに自前の衣装を用意できるようになるまでは、出版社はアマゾンなどのストアに過度に依存する状態が続く。
今日のコンテンツは、商品として機能するために、クラウド・サービスとデバイスが提供する一貫したサービス機能に依存している。出版社が提供しているコンテンツは、著者や印刷本のオーラを取り去れば、実のところまったくの裸だ。それを自覚しないで、コンテンツそのものの価値を主張する心情は理解はできるが、紙と電子の力関係の変化によってビジネス的には通用しなくなっている。これまでアマゾンはこのオーラを積極的に利用してきたので、出版社は気にしないでやってこれたが、オーラが薄れていけば力関係は弱まり、依存(つまり編プロ化)はさらに進む。喩えは悪いが、現状はアマゾンという(シェア7割近い)コンテナサービスに商品のマーケティングからデリバリまでを依存している状況だ。アマゾンは、現代のプロセス管理の基本である、ITによる最適化環境を持っており、日々システムの改善を続けている。
アマゾンにとっての最適化は、個々の出版社にとっての最適化を意味しない。現在の取次システムのような、相互依存的な体制は当てにしないほうがいい。とくに、「出版において絶対に必要なのは著者と読者のみ」というアマゾンのモデルでは、すべては相対化され、つねに鼎の軽重を問われる。あまり居心地はよくないはずだが、慣れるしかない。そして出版社が独自の編集・出版技術のベースをつくるのに与えられた時間は、およそ1年、長くて2年と見ている。ヴェネツィアの印刷・出版業者が、可動活字時代にふさわしい本を開発するには何十年もかけられたが、それは競争相手が旧い技術だけだったからだ。今日の出版社(編集/マーケティング・スタッフ)はWebマーケティングの先端企業にに挑戦し、E-Bookコンテンツのコントロールを取り戻さなければならない。それは現在の「コンテンツ」では無理だ。
E-Bookにおけるソシアビリティ
今日のデジタルコンテンツの最大の特徴は、前回述べたように、それがハイパードキュメントであり、Webというハイパーテキスト環境の中にあるということだ。原理的にはこれがE-Bookのソシアビリティを可能とする。この環境の中のすべてのコンテンツは、たんにカタログ化し、ダウンロードできるだけでなく、以下のような性質を持つ。
- コンテンツとそれに関する人間のアクションを様々な方法で記録・解析することができる。
- 分解可能であり、また他のコンテンツ、データと統合することができる。
- 内部にプログラム(スクリプト)を埋め込み、あるいは外部のサービスとリンクすることができる。
これらによって、コンテンツから(単独あるいは集合的に)最大限の価値を引き出すことが可能となる。その価値は、著者と読者にとっては多様であり得るが、出版社、オンラインストア、広告主などのビジネスにとっては、商業的、金銭的なものが中心となろう。E-Bookビジネスとはそういうものであり、そこでは多くの人が考えるような、かつてのモノとして完結性(あるいはそのオーラ)を持ったコンテンツは存在しないといっていい。価値そのものが一定しないように、価値の配分も一定ではない。ましてコンテンツの価格などは、基準があるとすれば、「市場において価値を最大化する数字」とでも言うしかない。100円でも1万円でも、売れなければゼロ。100円で100万売れれば1億円、1万円で1000売れても1000万円ということで、マーケティングしだいだ。
ソシアビリティの実現:(1) クラウド環境
さて、現在のデジタルコンテンツの商品性は、紙の本のオーラと、アナリティクスによるマーケティングによって辛うじて成立していると言える。それは現在の市場の大半を占めるアマゾンとB&NのE-Bookビジネスが、印刷本販売のシステムと実績データを基盤にして、その延長(実際には単純化だが)として(のみ)成立したことが示している。消費者は、印刷本によって本の実体性と価値を確認し、紙かデジタルかのフォーマットを選択する。ユーザーからすると、まずコンテンツを選択し、次にフォーマットを選択するというのは、まったく自然であって、デバイスやフォーマットにあわせてコンテンツを買わせる、ベンダーの一方的発想は不合理を強いるものだ。
アマゾンとB&Nは、ユーザーの行動から最大限のデータを集めることが可能になる(アマゾンはアフィリエイトからのデータも集めている)。集めるデータの種類と量を増やし、そこからマーケティングの最適化のためのモデル(プロセスとルール)を構築すること、そして日常的なフィードバックを通じて改善することが、アマゾンのマーケティングであり、通常の宣伝広告ではなく、ここに投資を集中している。これこそがアマゾンの競争優位の核心であり、デバイスやクラウドサービスは、これと連携することで力を発揮するようになっている。
ソシアビリティの実現:(2) コンテンツの拡張
すでに日本においても(印刷本だけで)最大の書店となっているアマゾンに、書店としてまともに対抗することは、かなり難しい。日本の書店は膨大な消費者に膨大な本を売ってきたが、個客のデータを持たず、商品管理はしてもデータをマーケティングに利用する体制などはできていない。しかし、可能性はある。出版社と協力して、コンテンツに即したE-Book独自のコンテクスト機能を発達させることで、紙の本に依存しないソシアビリティを、E-Bookで実現するのである。
紙の「コンテンツ」をアマゾンその他のコンテナに収納しただけのE-Bookは、手も足も持っていない。すべてをコンテナサービスに委ねているに等しいのだ。この状態では、ビッグデータを操るアマゾンのITパワーだけが威力を発揮する。ユーザーを通して市場を解析するアマゾンのシステムは、本から出発してその他の物品やコンテンツに広げていけたように、規模が大きくなるほど絶大な力を発揮する。
しかし、コンテンツにインテリジェンスを持たせればどうだろうか。コンテンツが、読者(ユーザー)と「対話」することによって、マーケティング・データを出版社(あるいは出版社と読者と著者)にだけ集めてくるような仕組みを持てば、オンラインストアが持つ力を相対化することができるだろう。上述したように、E-Bookのコンテンツは、分解/統合が可能であり、インテリジェンスを持つことが出来るという重要な特徴があるのだ。コンテンツが高度化すれば、ストアのクラウドサービスと出版社の力関係は逆転する。こうしたことは、故ジョブズとアップルも気づいていたし、アマゾンも気づいていた。だからこそ、前者はiBooksよりもiOSアプリを重視し、後者は出版とメディアビジネスに進出しているわけだ。出版社はデジタル時代の「出版編集技術」を早期に、独自の仕方で確立する必要がある。出版社はアマゾンに勝つ必要はないが、生き残り、出版活動を豊かなものにする必要はある。 (鎌田、2011-12-11)