小林さんの新シリーズ・コラム。画家にとって画材とキャンバスが重要であるように、本においても実装技術は中身に大いに関わる。木版本では、半丁(頁)あたり9行取り18字詰めが基本となったが、このスタイルは活字印刷時代にも継承された一方で、新聞のように判型・文字組みが多様化していった。どうもそれは文章表現にも大いに影響を与えたようだ。漱石の本は今日でもフォーマットのデモによく使われるが、スタイルの扱いは要注意。 (鎌田解題)
コンテンツとテクノロジーの対話:(1)Palmと猫 ―文字組みと文章スタイルの微妙な関係
だれにでも、何十年もの間読みかけては中断を繰り返しながら、どうしても読了できず、かといって投げ出すことの出来ない本が一冊や二冊はあるに違いない。
ぼくにとって、夏目漱石の『我輩は猫である』は、その筆頭だった。2年余り前になってやっと読了した。
ぼくも、同世代の多くの人たちのご多分に漏れず、はしかみたいに文学少年だった時期がある。分かりもしないくせに、中学生のころにアルベール・カミュの『異邦人』なんか読んだりしてね。カミュからベルジャーエフやシェストフ、そしてドストエフスキーといった塩梅でね。漱石のあらかたの作品も高校生のころには読み終えていた。
しかし、『猫』と『明暗』は、どうにもならなかった。作品の側がぼくに読まれることを拒絶しているような感じでね。
Palm(あの元祖PDAみたいなもの)が出て、青空文庫に採録された作品が読めるようになって、意を決して『猫』を読み始めた。いつでもどこでも読めるもんね、みたいな感じで。それでもだめだった。Palmがザウルスになり、ザウルスがiPod touchになり、iPod touchがiPhoneになっても、どうにも気持ちがぎくしゃくして読み進めない。最後は、自宅の本棚にあった妻所有の新潮文庫版を引っ張り出してきて、やっとのことで読了した。(右の例はPalm版ブンコビューアによるもの)
一方の『明暗』。こちらは、食わず嫌いというか、少年期に一口かじって口に合わなかったせいの食わず嫌いの体でずうっとほったらかしにしてあったのが、水村美苗さんの『日本語が滅びる日』が面白くって、『続・明暗』にも食指が動いて、でも、『明暗』を読まないで『続・明暗』もなあ、などと来て、青空文庫版をiPhoneに入れたら、一気に読めた。なんでこんなに面白い本を今まで方っておいたのだろう、と思ったぐらい。まあ、ぼくも結婚し、子供が出来て、孫まで生まれる歳になって、夫婦の感情に襞もそれなりには経験してきたわけで、そのような経験を踏まえれば、漱石が『明暗』で描く夫婦の姿が、すこぶる現代的なものに思えたりして。
では、なぜiPhoneで『明暗』が読めて『猫』が読み切れなかったのか。そのことがずっと気にかかっていた。あるとき、ふと気付いた。『猫』の初出は「ホトトギス」ではなかったか。それに対し、『三四郎』から『心』を経て『明暗』に至る作品は、すべて朝日新聞。
電子書籍の議論が喧しくなってきて、リフローと禁則処理の問題などが、俎上に上るようになっていた。W3CのJapanese Layout Task Force(JLTF)でまとめたRequirements for Japanese Text LayoutがEPUB3やCSS3の策定の際に参照されるようになって、禁則処理の厳しさと1行の文字数とのトレードオフが話題になった。単行本や文芸誌では問題ない禁則処理でも、それを新聞や週刊誌に適応しようとすると、行長が短いために、下手すると1行に入る文字が1字だけみたいなことが起こる云々。
そうか、行長か。『猫』がiPhoneで読み切れなかったのは、漱石が想定していた「ホトトギス」の行長とiPhoneで青空文庫を読むときの行長があまりに違いすぎていたためではないか。ぼくも、ご多分に漏れず遙か昔に老眼世代に突入していて、iPhoneで小説を読むときは、ことさら文字を大きくするからなあ。
もちろん、ぼくが『猫』を読み切れなかった理由をiPhoneの行長のせいだけに帰するのは、短絡的すぎるだろう。しかし、無関係とも断定できまい。それで、いろいろなことを考えた。
かつて、編集者を志したころだろうか、文章作法の本をいろいろ読んだ。『文章読本』の類。その中には、必ずといっていいほど、万年筆と原稿用紙の話が書いてあり、そして、自分の気に入った名文を、400字詰めの原稿用紙に書き写せ、といったことが書いてあった。作家の息継ぎが分かるから。ぼくも、ペリカンの万年筆を奮発し、満寿屋の原稿用紙を買い込んできて、それこそ漱石などを写して悦に入ったりしていた。
漱石の作品の中では、『猫』はごく初期のものだし、文体もちょっと気取っていて、その後のいわば近代的な日本語の規範となった文体とはやや異なっている。iPhoneならずとも、読みやすいわけではない。漱石が、新聞小説というメディアを通して読者と対峙し、読者からの反応に呼応する形で自らの文体を形成していったことも想像に難くない。そして、その文体形成に当時の新聞小説の1行の字数が関わっていなかったと断言することも難しかろう。
そんな話を、紀田順一郎さんにしたら、ごく自然に、
「そうですよ。漱石は、新聞小説の字数に合わせて、専用の原稿用紙を作らせていましたしね」
漱石の遺品を多く所蔵する県立神奈川近代文学館館長のご託宣なのだから間違いあるまい。
ずっと以前、萩野正昭さんや浜野保樹さんとヴォイジャーのボブ・スタインを訪ねたことがある。出来たばかりのExpanded Bookのデモを見せてもらった。その一つが、マイケル・クラントンの『ジュラシックパーク』だった。その折、ボブがしみじみと言った言葉が忘れられない。
「マイケルがね、やっと自分が作品を書いたのと同じMacで、自分が使ったパラチノ(Palatinoフォント)で読者が作品を読める環境が誕生した、ってすごく喜んでいた」
漱石が新聞小説を通して身につけた文体は、結構電子書籍に合っているのかも。