日本ではまったく人気がない中世哲学の最難関である普遍論争の解説書として書かれ、名実ともに成功作となった山内 志朗著『普遍論争―近代の源流としての』(哲学書房、1992)という本は、出版というコトを考えるのに好個の事例を提供している。現在は平凡社ライブラリーの一巻として収録(2008)されており、個人的にもデジタル化してほしい本の上位にランクされる。DTPの黎明期に企画・制作された同書の誕生秘話が、プロデュースした小林さんによって語られる。(鎌田解題)
(2)大地と『普遍論争』
『普遍論争』の大地によるオペレーションは、みずから行った。
哲学書房社主の中野幹隆さんは、小学館入社以前からの、ぼくにとってはかけがえのない編集者としての唯一無二の師匠だった。
その中野さんが、数枚の3.5インチフロッピーを手渡した。
「これ、何とかならないでしょうか。一太郎のファイルなんですが。ええ、山内さんという若い哲学者のお仕事です。内容的には本当に優れていて。しかし、今、学術書は本当に売れないんですよ。みすずでも勁草でも、初版400部がやっとという本が多いんですよ」
「ちょっと考えてみますね」
しばらくして、ぼくは、中野さんに以下のような提案をした。
- 版元と著者、読者がそれぞれ三方一両損でリスクを担うような出版形態にしたい。
- そのために、出版前の予約受付と、著者による一定部数の買い取りを前提としてはどうか。
- 制作には大地を使い、少部数でのコスト削減に努めてはどうか。
中野さんは、例によっての即断。
「それでやってみましょう。」
ぼくは、さっそく、大地を用いて数ページの見本組みを作ってみた。
そこから中野さんとの火花が飛び散るようなバトルが始まった。
リングは、当時浜松町にあったジャストシステムの東京支社。
中野さんは、組版やデザインにもうるさい人だった。何と言っても、あのエピステーメを杉浦康平さんと作っていた人なのだから。
そのころ、大地はリョービイマジクスの本明朝という書体を独自形式でアウトライン化したフォントを用いていた。
リョービ社は、元々はダイキャストの専業メーカーだったが、ダイキャストを用いた様々な製品の製造に触手を伸ばし、高い業績を誇っていた。写植機もその一つで、写研の文字盤と互換性のある文字盤を武器に一定の成果を上げていた。さらに、活字メーカーを買収して、フォント開発にも進出していた。
当時は写研の本蘭明朝の最盛期。特に、細明のデザインとオフセット印刷の特性を生かした、繊細な版面設計が好まれていた。写研と同じコンセプトの書体デザインでは勝負にならないと考えたのだろう、リョービは真逆の発想で、本明朝を活版活字的な骨太のデザインに仕上げることで、これまた一定の市場を得ていた。
この本明朝のデザインが、中野さんの意に沿わなかった。
「他の書体はありませんか」
中野さんにとっては、本文に用いる書体の選択は、本作りに欠かすことの出来ない最重要の第一歩だった。
しかし、そのころの大地には、日本タイプライターから買ったJS明朝と名付けられた日本語タイプライター用が起源の、従って写植用のフォントとしてはややバランスに欠ける書体と、この本明朝しかなかった。
中野さんとぼくとのいわば根比べともいえる試行錯誤が始まった。
「行間を少し空けてみましょうか」「もう半ポイント大きさを落としたらどうでしょう」
中野さんはあの慇懃な語り口で、しかし、一切の妥協を排して、倦(う)むことなく幾度も幾度もぼくに設定の手直しを強い続けた。
午後の時間いっぱいを使い切り、日が陰りかけたころになって、中野さんがやっと言った。
「これでいきましょう」
中野さんの最終的な選択は下記のようなものだった。
判型はA5判とする
基本版面は四六判のものと同程度とし、四方の余白を多めに取る
本明朝に長体1をかけ、行数も通常より1行少ない16行として、行間を広めにする
中野さんの指示通り組んだ版面は、えっ、これがDTPで組んだ版面か、と思えるほど清潔感のあるすっきりしたものとなった。
こうして組んだ見本を添えて、中野さんは、山内さんの母校である東京大学の哲学専攻の卒業生名簿と西欧中世哲学の学会名簿を用いて、2000通ほどのダイレクトメールを発送した。
このダイレクトメールに応じて、200通もの予約注文が入った。中には、アウグスチヌス研究で令名高かった京都大学の山田晶教授やトマス・アクィナスの研究で高名だった稲垣良典教授の名前まであった。
この反響に心を強くして、中野さんは、「普遍論争」の出版を決意した。
ぼくは引き続き、中野さんの倦むことのない注文に半ば辟易しながら、400ページにも上る大著の組版作業に取り組んだ。中でも難渋したのは、巻末に付けた横組みの用語集だった。なにしろラテン語の人名や地名が多出する。2段組にしたので行長が短い。ハイフネーションを多用しなければホワイトリバーが非常に目に付く。しかし、ラテン語のハイフネーション辞書など実装はおろか紙のものさえ手元にはない。いちいち、著者の山内さんの確認を得なければならない。一箇所ハイフネーションがずれると、その余波が段落の終わりまで及び、他の箇所に不都合が生じる。まさに、モグラたたきのような苦闘が延々と続いた。
こうして完成した『普遍論争』は、初版400部が発行され、ほどなく増刷も決定した。そして、この本の出版で山内さんの学界での評価は決定的なものとなり、その後の研究者としての王道の出発点となった。
中野さんとぼくには、このような本の作り方が、学術書出版の閉塞状況を打ち破る一つの可能性を秘めたものだと思えた。ぼくたちは、このような方法をSchola Expressと名付け、本の巻末に小さく刻み込んだ。中野さんは、奥付のぼくの名も入れよう、と言ってくれた。しかし、ジャストシステムの社員だったぼくには、個人名を入れることには抵抗があった。ぼくは中野さんの厚意に甘えて、製作者としてScholexという架空の名称を刻み込んだ。この名称が、後にぼくが設立する有限会社の名称となる。
もう一つ。ずっと後になって、この本は、西田裕一さんの手で平凡社ライブラリーに加えられた。西田さんは、Adobe社のInDesignを用いて、やはりみずからオペレーションして制作した由。『普遍論争は』15年あまりの時をへだてて、やはりDTP制作で復活した。
小林龍生(こばやし たつお)
1951年生まれ。東京大学教養学部科学史科哲学分科卒。 Unicode Consortiumディレクター、IDPF理事、W3C日本語レイアウトTF議長、情報処理学会情報規格調査会SC2専門委員会委員、日本電子出版協会フェローなどとして、ITと言語文化の接点にあって国際標準化の現場で活躍。小学館では学年誌の編集、ジャストシステムでは製品・技術開発に携わったほか、初期の電子書籍プロジェクト(電子書籍コンソーシアム)も経験している。主著『ユニコード戦記』(東京電機大学出版局、2011)