アップルのiBook Authorがターゲットとしている自主出版は、出版の基本であり原点といえる。昔は謄写版、タイプ版があり、電子自主出版はワープロとDTPで生まれた。道具は使い手しだいだが、使い手を考えることで道具は進化し、その逆もある。「だれでも三冊の本が書ける」というコンセプトでスタートした一太郎文藝という製品は、じつに面白い試みだった。 (鎌田 解題)
電子出版史談:(4)一太郎文藝と及川さん
昨日(2012年2月3日)、EPUB3の標準化で主導的な役割を果たした村田真さん、CSS3のエディターとして相変わらず獅子奮迅の石井宏治さん、それにマイクロソフトから電子書籍分野での日本進出を虎視眈々と狙う某大手企業に最近移ったHHさん(企業人なので一応匿名で)と、西麻布のエスペリアですこぶる楽しい食事とワインの時間を過ごした。
その場で話題になったので忘れないうちに書いておこうと思う。一太郎文藝のこと。
文芸書執筆・制作用ワープロ「一太郎文藝」
一太郎文藝は、2005年の夏に製品化された。
きっかけは、大日本印刷伝来の秀英体。旧知の高橋仁さんから、秀英体をオープンタイプフォントとして作り直しているのだけれど、何か面白いことは出来ないか、と声を掛けられたのを契機に企画を考えた。
2004年にJIS X 0213が表外漢字字体表の答申を反映させる形で改正され、20年余り続いたJIS漢字コードと国語施策のきしみが解消されたことも、大きな契機となった。
そのころ、ジャストシステムと接触のあった複数の文藝出版社からの、作家の執筆に適した日本語ワードプロセッサーが欲しいという要望に答える意味合いもあった。
そうした状況や要望を勘案した上で、ぼくたち大日本印刷とジャストシステムの合同企画チームの議論は、次のようなコンセプトに収斂していった。
- 秀英体という日本の文藝出版とは切っても切れない書体の登載を前面に押し出す。
- ATOKの辞書をカスタマイズし、特に当用漢字以来の手書き文字に起源する略体字での表記とそれに対応するいわゆる康煕字典体での表記を併存させ、文語体変換モードと併せて、旧字旧仮名による表記の利便性を高める。
- 複数の判型で小説・随筆用、短歌用、俳句用などの版面設計のテンプレートを用意し、手近なプリンターと簡易正本で手軽に本の形のする道筋を示す。
企画を固めていく過程で、ぼくたちの中には、あるユーザーイメージが浮き上がってきた。すなわち、自分史を試みる人のためのワープロ。
ATOK監修委員会の座長として、お世話になりっぱなしの紀田順一郎さんに、『生涯を賭けた一冊』(紀田順一郎著作集第6巻所収)という名著がある。一冊しか著書を残さなかった著者が、その一冊ゆえに後世に名を残したといった本と人を取り上げた作品なのだが、ぼくにとっては紀田さんの数多の著書の中でも最も好きな一冊だ。ひとかどの生き方をした人なら、一冊はひとかどの本が書けるだろう。そうして成った本は、書いた本人にとっても、そして僥倖に恵まれれば、多くの読者にとっても、かけがえのない一冊になるだろう、紀田さんがとりあげた本と人のように。
「だれでも三冊の本が書ける」
ぼくは、電子書籍コンソーシアム時代に、かたや事務局長、かたや最高技術責任者として、まさに苦楽を共にした及川明雄さんに声を掛けた。及川さんは、ご自分でも多くの自費出版作品の制作を手がけていたこともあり、製品に添付するB6版やA5版用のテンプレートの制作から、マニュアルとは別に製品に添付することとなった「一太郎文芸の世界」という自分史本の作り方の制作にいたるまで、プロの編集者としての手腕を十二分に注ぎ込んでくれた。この冊子に、紀田さんが「だれでも三冊の本が書ける」という珠玉の随筆が掲載されている。
「『だれでも一生に三冊は本を書くことが出来ますよ』と、私はある出版編集者からいわれたことがある。『一冊は自分の経歴について。一冊は自分の仕事内容について。もう一冊は自分の好きなこと、たとえば趣味について』」
この書き出しが、一太郎文藝を手に取ってくれたユーザーをどれほど鼓舞したかは想像に難くない。
ふと思い返して、一太郎文藝のパッケージを引っ張り出してきた。まず特筆すべきはそのパッケージの豪華さ、というより、仰々しさだ。たかがワープロソフトのパッケージにしてはいかにも大仰としている。過剰包装もいいところだ。しかし、モノとしての存在感がしっかりとしており、パッケージを紐解く(実際、紐が掛かっている!)ときの期待感はただものではない。なかに数枚のCD-ROMやマニュアルとともに、「一太郎文藝の世界」。これを開いてみると、紀田さんや及川さんの文章と共に、テンプレートを用いた組見本が掲げられている。改めて眺めてみて、ぼくは変に感動した。えっ、これって一太郎? といった類の驚きがある。B6判用としては、小説やエッセー、評論用の一段組とミステリーや日記などのためのやや詰まった2段組、それに短歌用、俳句用、目次や扉、奥付の見本まである。A5判用では、1段組、2段組に加えて、児童書・童話用の文字の大きめなものと、やはり短歌用、俳句・川柳用が。どれも、秀英体の(現代の書体に比べると)やや小ぶりなデザインを生かした、すっきりとして品のある版面になっている。
これらの版面デザインは、及川さんが懇意にしているプロのデザイナーに秀英体を前提とした設計を依頼し、ジャストシステムのスタッフが一太郎が持つ機能を駆使してテンプレートに仕上げたものだ。「ねえねえ、小林敏先生、この組版、見てよ。これ、全部一太郎」と、思わず自慢したくなってしまう。小林先生が、めがねをずりあげて、目を版面にくっつけるようにしてねめ回しながら「でもね、小林さん、ここのところちょっと」などと、あら探しをして文句をつける様子まで目に浮かぶ。
一太郎文藝のレイアウトエンジンは、すでに出荷されていたその年の一般の一太郎用のものを一切手を入れずに用いた。だから、秀英体のフォントとこれらのテンプレートを用いれば、同じような組版が可能となる。
とはいえ、そのころの一太郎のレイアウトエンジンは、ぼくがジャストシステムに入社した当時のそれとは全く別のものとなっていた。
SuperDTP大地は、発売当時としてはDTPに関わるすべての人にとって、まさに垂涎の的だったが、ご多分に漏れず技術の進展に伴うハードウェアの価格下落の影響を受けて急速に価格競争力を失い、やがて市場から消えていった。とはいえ、大地で培われた技術的蓄積は、さまざまな形でその後のジャストシステム製品に生かされていく。その筆頭がレイアウトエンジンで、一太郎文藝のころのレイアウトエンジンは、じつは大地のエンジンそのものといってもいいもの置き換わっていた。なにしろ、大地の開発責任者が一太郎の開発責任者になっていたのだから。大地が持っていたプロ向けの微細な調整機能、たとえばフォントの詰め打ち機能(写植で言うと12Q歯送り11Hみたいなもの)は、敢えて封印されていたけれど。(→次ページへ続く)