道具は使い手しだい
大地で制作された『普遍論争』もそうだが、一太郎文藝の組見本を眺めていると、道具というのは使い手次第だ、ということをつくづく思い知らされる。DTPやワープロの組版機能が云々、という人がいるが、小林敏先生の手になるものも含めて、既存のDTPやワープロで手練れの編集者とオペレーターが心血を注いで練り上げた版面を見た上で、言挙げした方がいい。へたをすると、自分の無知と技術レベルの低さを露呈してしまう。そのうえで、文句があれば、「でもねえ」と該当のシステムの機能では実現できないことを揚げ連ねていくがいい。そこから、議論が始まり、技術革新が始まる。
一太郎文藝は、定価5万円で発売された。通常の一太郎の2倍以上の価格設定になっている。
製品化会議の途中で、浮川和宣社長が、ぼくのデスクのところに飛んできて、
「小林さん、担当者が5万円なんて、ベラボーなこと言っているけど、本当にいいの?」
と確かめに来た。ぼくの答え。
「いいんですよ、社長。高い対価を払った方が、ユーザーはお金を無駄にしないために、一生懸命原稿を書くでしょ。この価格設定は、ユーザーが文章を書くモチベーションを高めるための対価なのですよ、へへへ」
ぼくは、そのころメタボ対策のためにスポーツジムに通っていて、ジムの会費が自分のモチベーションを維持するための大切な動機付けになっていることを身に沁みていた。
及川さんは、一太郎文藝に関わる仕事をもう一つ成し遂げてくれた。それは、とあるパソコンスクールとタイアップして企画した一太郎文藝を用いた自分史講座の講師という役割だった。試験的なものだったために受講者がそう多かったわけではない。しかし、「一太郎文藝の世界」をテキストに、一太郎文藝そのものを用いて、受講者がそれぞれに執筆した原稿は、簡易製本ではあったが立派な一冊の文集として結実した。
その出版記念会を横浜の中華街でやるという。ぼくも、行きがかり上参加した。今思い出してもちょっとウルウル気分になるような、素敵な会だった。参加者の全員が、そう小学校の学芸会のように楽しそうな笑顔で語り合い、飲食していた。もちろん、文章そのものは職業的な文筆家には及びも付かないものだったが、文は人なり、円卓を囲んだ一人一人の顔と語り口が、見事なほどにそれぞれの作品に映し出されていることに、深い感銘を受けた。
2年ほど経って、紀田さんの古希のお祝いに、及川さんと共に招かれた。この会は、ちょっと面白い趣向で、パーティに先立って、紀田さん自身が小一時間ほどの幼少時のエピソードに触れた講演をした。この講演がすこぶる面白いものだった。パーティを途中で抜け出して、及川さんと飲み直した。その場で、ぼくたちは、この紀田さんの講演を本に出来ないだろうか、と語り合った。及川さんも、やはり名編集者。あれよあれよという間に、紀田さんの了解を取り付け、版元まで決めてしまって、紀田さんの『横浜少年物語』(文藝春秋刊)という本が出版された。
昨年、ぼくも小さな本(『ユニコード戦記』東京電機大学出版局)を一冊上梓した。この本を書くに当たって、紀田さんの『生涯を書けた一冊』『だれでも三冊の本が書ける』『横浜少年物語』が、常に念頭にあった。紀田さんの足下にも及びがつかないが、ぼくにもぼくなりに自分の物語が書けるに違いない、あの中華街に集った市井の著者たちのように、という気持ちをおおいに鼓舞された。
昨年の米国キンドルの売り上げベストスリーのうち、二つがダイレクトパブリッシングによるものだったとの話を何かで読んだ。じつは、電子出版、電子書籍の普及で、一番の恩恵を被るのは、ぼくが中華街で会ったような市井の執筆者のたった一冊の自分史なのではないか。それだけでも、電子書籍という新しいメディアには市場を変革する大きな意義があるに違いない。
一太郎の2012年版は、EPUB3フォーマットへの書き出しをサポートする由。新たな市井の著者の本が多く出来することを祈念する。
小林龍生(こばやし たつお)
1951 年生まれ。東京大学教養学部科学史科哲学分科卒。 Unicode Consortiumディレクター、IDPF理事、W3C日本語レイアウトTF議長、情報処理学会情報規格調査会SC2専門委員会委員、日本電子出版協会 フェローなどとして、ITと言語文化の接点にあって国際標準化の現場で活躍。小学館では学年誌の編集、ジャストシステムでは製品・技術開発に携わったほ か、初期の電子書籍プロジェクト(電子書籍コンソーシアム)も経験している。主著『ユニコード戦記』(東京電機大学出版局、2011)