小林さんがかねてより代行を使わない、文字通りの“自炊”をやっておられることは知っていた。しかし、製本屋さんで手伝いをしたことがある編集子には、“破壊的複写”は生理的に受け付けられない。遺体安置所、解剖室のようなものだ。それだけに、ご本人も「人格に影響を与えるような大きな経験」と書いているビフォー&アフターがいかなるものかを知りたかった。狷介不羈にして本を愛すること尋常でない人物が、闊達自在な解剖医に転進したのだから。 [鎌田解題]
電子出版史談:(5)ギロチンと安斎さん
ぼくもいわゆる自炊をやっている。もう何年も前から。富士通子会社のドキュメントフィーダー付きのスキャナーを買ったのがきっかけ。最初のうち、本の背の裁断は、カッターと定規を使っていたが、そのうち、本格的な裁断機(PLUSのPK-513)を買った。スキャナーの方も、キヤノンのものになったり紆余曲折を経て、今のところは富士通のScanSnapに落ち着いている。ちょっと、EPSONの新しい機種にも触手が動いたりはしているけれど。ファイルフォーマットは、一貫してPDF。閲覧環境は、最初はLet’s NoteなどのノートPCだったが、その後iRexのIliadを使っている時期が結構長くあった。最近は、判型と光の環境によって、iPad、Kindle 3、Kindle Dxを使い分けている。
ぼくにとって、裁断機で書物の背表紙を裁断したことは、ある種人格に影響を与えるような大きな経験だった。いつかは、このことを書いておかなければならないと、ずっと思ってきた。
話は裁断機の経験からさらに遡る。多分、1999年のこと。ぼくにとってはあまり思い出したくはない、電子書籍コンソーシアム時代のこと。
電子書籍コンソーシアムでは、既刊の書籍をイメージ画像として電子化し、(当時としては比較的)高精細度のLCDで読むことを基本的な枠組みとしていた。実証実験の主眼に流通経路を含めたエコサイクルを完結させることが含まれていたために、ある程度の量(数千タイトル)の書籍の電子化が必須だった。著作権処理等の権利関係の整理は、事務局長だった及川明雄さんがまさに粉骨砕身の構えで立ち向かってくださり、ある程度のタイトルを集めることが出来た。そのようにして集められた書籍を、外部の業者に頼んで電子化する作業を行った。言わずもがなだが、完全な労働集約型の作業となった。確か月刊アスキーにいた西村賢さんだったと思うが、雑誌の取材に同行して、現場を見に行ったことがある。そこには、背を裁ち落とされて電子化された書籍の残骸が大量にしかも整然とスティール製の書架に並んでいた。墓場だ、と思った。日本のお墓というよりも西欧流のセメタリー。カバーや表紙はまだ残っていてね。それに裁断された本体がくるまれている。カバーの背の部分のタイトルが、本当に墓標に見えた。そのとき、ぼくの中で、何かが壊れた。
ぼくは、電子書籍コンソーシアム時代のことは、心底すべて忘れ去ってしまいたいと思っている。いい思い出など一つもない。思い出すありとあらゆることが苦々しく腹立たしい。ほんの小さな救いは、事務局長だった及川さんや、同じく事務局で苦楽を共にした金沢美由妃さんなど、ごく少数の関係者の今に至るまでの厚誼を得るきっかけとなったことぐらい。本の墓場での経験は、その思い出したくもないことの筆頭だった。
プラスの裁断機を買ってきて、いくつかの本を裁断したとき、その思い出したくもない本の墓場が突如、それも鮮明に蘇ってきた。まるで亡霊のように。
このころの思いは、畏友安斎利洋さんや、中村理恵子さん、草原真知子さん、三宅芳雄さんらとmixi上で交わした一連の発言に、よく現れている。
自分で言うのも口幅ったいが、2007年初頭の時点で、いま巷間喧しい自炊代行業者を巡る騒ぎについても、その本質的な問題は、ぼくたちの間ですでに共有されていたようだ。
この一連のやりとりを受けて、ぼくは、出版学会で「書物の解体新書」という発表を行った。内容的には、このやりとりのlogの紹介を中心に、背の裁断によって露わとなる書物の物神聖の喪失をウァルター・ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』で展開しているアウラ論を援用して論じるものだった。
この項を書き始めたときは、もう少し書くべきことがあるように思っていたが、mixiのlogを読み返してみたら、ぼくの書きたかったことは、安斎さんや中村さん、草原さん、三宅さんらの発言も含めて、このlogに尽きている。いまさら書き足すこともない。5年も前にこのような密な議論の場が持てたことに対して、改めて敬意と感謝を献げたい。
小林龍生(こばやし たつお)
1951 年生まれ。東京大学教養学部科学史科哲学分科卒。 Unicode Consortiumディレクター、IDPF理事、W3C日本語レイアウトTF議長、情報処理学会情報規格調査会SC2専門委員会委員、日本電子出版協会 フェローなどとして、ITと言語文化の接点にあって国際標準化の現場で活躍。小学館では学年誌の編集、ジャストシステムでは製品・技術開発に携わったほ か、初期の電子書籍プロジェクト(電子書籍コンソーシアム)も経験している。主著『ユニコード戦記』(東京電機大学出版局、2011)