コンテンツが王様になるというのは幻想だった。あるいはそれはKindleのようなプラットフォーム・サービスの「助言と承認」のもとに王として振舞えるに過ぎなかった。
ビジネスとは代価を払ってくれる相手のために働く(=サーブする)ことだ。メーカーが少数で、チャネルが多数であった時代は、メーカーが優位にあり、メーカーが王として振舞えた。しかしいまやチャネルは絞られ、とくにネットの世界はそうだ。デジタルメディアの世界は供給側の独占が不可能なので、その分流通側が力を持つ。しかし流通にはメーカーが持つ正統性やブランドが欠けているので、そのままでは王として振舞うことはできない。アマゾンの「消費者の味方」は、そうした意味で最強の大義名分である。アマゾンがその力を消費者のために使っている(と信じさせることが出来る)限り、アマゾンはサプライチェーンの王、消費者の代理人として振舞うことが出来る。ベゾスCEOは、インターネットによってビジネスの三大要素である、モノとカネと情報の流れを把握できるようになることに早くから着眼していたのだろう。アマゾンの決済プラットフォームは、PayPalを持つeBayとともに最も強力だ。
繰り返すが、ビジネスとは金(を払ってくれる相手)のためにサービスすることだ。そのことにあまり真剣でない(筆者のような)人間は、ビジネスでは成功しない。長大なサプライチェーンの中にあって、クライアントは多くの場合企業であり、取引単位が大きいほど効率が良いとされてきた。メーカーのビジネスは企業を相手にする。消費者は仮想的存在だ。最近でこそ量販で力をつけたとはいえ、消費者を相手にする小売は「小」がつくくらいで、あまり尊重されてはいない。場に拘束され、お客をじっと待つしかないからだ。インターネット以前はそうだった。
1960年代の米国に始まった流通革命は、マスを相手にする小売業者を強大にしていった。出版市場でも書店チェーンが生まれ、それに最適化したペーパーバックやベストセラーが企画・制作されていった。流通が商品の形態に影響を与えたものだ。1990年代後半からのインターネット流通が何をもたらしたについては、改めて言うまでもない。アマゾンのオンラインストアとKindleは流通革命の総仕上げ、つまりビジネスにおける三要素(モノ、カネ、ヒト=情報)のシステム的統合によるサプライチェーン支配ということだ。これは最適化を通じて利益配分が任意に行えることを意味する。それこそがE-Bookの価格問題の本質であるといえる。
出版は変わった。21世紀の流通革命を、ほとんど単独で進める力を持ったスーパーリテイラーが、サプライチェーンを支配している。E-Bookは出版が様々な意味で「儲かる」ビジネスであることを示した。皮肉なことにアマゾンへの警戒心と敵愾心を強めている大手出版社も、E-Bookによってさらにアマゾン依存度を高め、かつ潤っている。アマゾンから支払いを受けている。大手版元も自主出版者も同じサプライヤー。しかし、儲けるための情報はアマゾンに集中しているのだ。出版界がこのエコシステムに安住していられることは、おそらくないだろう。 (鎌田、2012-03-27)