「いい値」で売れるのであれば、世の中には売り手ばかりになる。市場を重視する社会ではそれはない。だがいくつかの世界で「いいね」が通用する。税金、保険料、公共料金…公権力の絡む世界だ。そして出版、新聞、NHK。これらは情報を遍く行き渡らせるという「民主主義に不可欠な」役割の公共性が評価され、「チェックすべき」相手の公権力から「いいね」特権が認められている(??)。しかし、出版物は公共料金とは違う。需要の減少には勝てないのだ。
E-Bookの価格における錯覚と感情
出版関係者にはなかなか理解してもらえないのだが、電書/アプリ(E-Book)と印刷本(P-Book)は根本的に異なる商品だ。実物と複製の違いに近く、神符とその写真の違いに近い。複製に利用価値がないことはないが、所有価値は大きく下がる。アマゾンがE-Bookを安く売るのは怪しからんという人は、例えばルノワールの傑作の複製が不当に安く、原作の価値を大きく損なっているとか、放送したらCDやライブのチケットが売れなくなると主張しているようなものなのである。主張するだけならいいが、権力まで巻き込もうとすると、いろいろ問題が複雑になってくる。借りが増えれば依頼心が生れる、それに(カネ以外の方法で)返さなければならない。それが問題なのだ。(写真は熊野牛王符)
同じコンテンツを出版しても、E-BookとP-Bookで違うのは、後者がモノとしての完全性、独立性を持った一人前の商品なのに対して、前者はデバイスを使ってはじめて「利用」できるサービスの一部だから、古本屋に持っていって売ることも出来ないということだ。それどころか、サービスが停止になれば未来永劫に使えなくなる可能性もある、じつに困った(ハイリスク)商品だ。また嫌味を言わせてもらえば、E-BookとP-Bookを同列に扱うのは、印刷・製本には何も価値がなく、一度でも読んだら、中身も価値がなくなると言っているようなものだ。雑誌の「袋とじ企画」のようなものか。一読で価値を損ずると自ら言っているようなものだ。読んで減るものはわざわざ読まなくていい。いやはや、こんな人たちが出版を担っているのかと思うと情けなくなる。
それに比べたら、「自分の2年間の辛苦の結晶が、たったコーヒー1杯分だなんて…」という米国のある作家のコメントは微笑ましい。彼は自作の価格が作品の評価と比例すべきで、読みたいと思う人は少なくともディナー1回分であるべきだと考えているわけだ。価格と中身の関係がないとは言えないが、価格と収入とは無関係であるとか、シェークスピアだって芥川だって、E-Bookではタダだということで納得してもらいたい。価値は価格(つまり商売)とは無関係に実証しなければならない。価値を主張するのはいいし、すべきなのだが、出版は権力的に市場の機能を制限すると必然的に歪が大きくなる。
E-Bookの価格決定法:オンラインマーケティングの世界
こうした笑い話とは別に、E-Bookをいったいいくらに設定すべきかが分からないという問題がある。とくにP-Bookを含めた出版プロジェクトにおいて、どんなバランスにしたらよいのかが問題だ。これが分からないから「紙の本の値段」を基準に考え、街の書店と同じように、売れようと売れまいと新しいものを流していくという姿勢になりやすい。しかしこれは最低最悪だ。インターネットでものを売るには物理的な店舗と異なる一定の法則がある。それを無視しても売れないのは当たり前だ。大型店なら売れるというものではない。
インターネットにはインターネットの売り方がある。データを集め、実証的に考える。時間をかけず、数理モデルをつくって先取り的に売りたいもの勧める。カンと経験で決めるには、インターネットは別世界だし、ダイナミックに過ぎる。新本と古本、E-Bookの3種を販売しているアマゾンは、最も豊富なデータを持っており、シミュレーションや実験を行って様々に解析している。一部の情報は出版社にも提供されることもあると思われるが、それはアマゾンのハイテクの結晶だ。
E-Bookの価格はどう決まるのかを前に考えておくべきことがある。
- E-Bookには変動費がない(いくら売ってもコストは一定)
- 売上を最大化することが課題となる(返本、在庫コストゼロなので)
- ダウンロード数はリアルタイムで追跡できる(→すべき)
- 価格を下げてダウンロード数(=ランキング)が上がれば売上げも伸びる
- 必要があれば、価格は毎週でも変えるのが常識
- ワンクリックの世界では消費者はより衝動的(impulsive)になる
- ランキングはDiscoverability(見つかりやすさ)の主要な要素
- 膨大な数から瞬時に判断するので、カテゴリーやジャンルが重要である
- 最適な価格設定は一定のアルゴリズムで設定できる
- 単独かシリーズ(の1冊)かの違いは非常に重要
実世界でも、値付けには「場」というものが重要なのだが、オンライン世界では独特のルールがある。アマゾンのように、これで15年以上やってきた会社のやることは、オンライン・マーケティングの素人から見ると異常で身勝手なものに映る可能性が高い。
最適価格:デジタル・スィートスポットを求めて
出版社に編集・製作ツールを提供するほか、自社でも出版を行い、複数のチャネルを通じて販売している、デジタル出版プロダクションのVookは、価格決定法についてのホワイトペーパーを公開しているが、同社の Vook Pricing Engineは、(1)カテゴリー、(2)タイトルの見つかりやすさ、(3)チャネル(リテイラー)、(4)シリーズ性の有無の4つのファクターで最適価格を割り出している(これについてはいずれ紹介したい)。それによれば、最適価格は個々のコンテンツによって異なる。E-Bookはオンライン世界の常識に従って、ダイナミックに設定・変更されるべきものであり、日本の場合は再販制の下で発達してこなかった(しかし古書店は持っている)価格に対する感度を磨く必要がある。
アマゾンは価格アルゴリズムのマスターだが、アマゾンの価格はあくまで同社にとっての最適価格であるかも知れない。出版社とリテイラーの利害は、ともに「売上げ最大化」ということで基本的には一致するのだが、出版社にとってのシリーズ性と、多くのコンテンツを扱うリテイラーにとってのジャンルの捉え方など、違いもある。リテイラーとのコミュニケーションが重要になってくると思われる。ともかく、本を市場で販売するのなら価格について知っていないと、「いいよう」にされてしまう。 (鎌田)