文学作品がデジタルで読まれるようになって、文学解析がかなり一般化した。これは日本の文芸批評を(たぶん良い方向に)変えていくものと思われる。もう一つ、方向性は定かではないが、デジタル・ストーリーテリング、あるいは「電子作話術」というテーマがある。XMLドキュメント管理ツールとこれらが、5年も前に結びついていたことを編集子は初めて知った。暇になったらジェームス・ジョイスやヴァージニア・ウルフでも解析してみたい。 [鎌田解題]
小林龍生の電子出版史談:(7)『藪の中』と山口さん
檜山正幸さんの構想をもとにジャストシステムが開発していたxfyは、今振り返っても画期的なシステムだった。なにしろ、xmlドキュメントをその執筆から表示、伝達、保存、検索まで、電子化ドキュメントのライフサイクルのあらゆる局面を統合的に、それもインタラクティヴにやってのけようとしたのだから。
残念ながら、このプロジェクトは、企業経営上必定のこととはいえ、xfyという名のみを継承するさまざまな異物を抱え込むことによって、結局は、ジャストシステムという企業そのものの命運を大きく変えることになってしまったけれど。
でも、檜山さんが構想したxfyのコアコンセプトは素晴らしかった。xfyが曲がりなりにもある程度安定して動き始めたころ、ぼくは、そのころxfyチームの一員だった山口琢さんと語らって、xfyの特徴を生かした応用事例を作ろうとした。
XMLドキュメント管理ツールで文学解析を行う
山口琢さんは、元日立製作所のばりばりのITエンジニアで、当時の浮川和宣社長のたっての招きでジャストシステムに移っていた。いまは、夫人の大場みち子さんが教授を務める公立はこだて未来大学で社会人大学院生として博士論文に取り組んでいる。
xfyを使って何か、と考えたとき、やはり一番最初に念頭に上ったのは、ハイパーバイブルだった。これを蘇らせることは出来ないか。原理的には至極簡単なはずだ。なにしろ、今は、HTMLやらXML関係のツールなら山ほどある。ちょっとやってみたら、すぐに出来た。ぼくがXHTMLでマークアップしたソーステキストを作り、山口さんがそれをxfyに読み込んで、適当なユーザーインタフェースを付けただけ。
これを情報処理学会のデジタルドキュメント研究会で発表しようと思った。しかし、聖書ではいかにも抹香臭くていけない。なにしろ、情報処理学会だから。
ふと思いついて、山口さんに、芥川龍之介の『藪の中』はどうだろう、と提案した。
山口さんは、即座に青空文庫からテキストをダウンロードしてきて、xfy上でさまざまな処理を始めた。ハイパーバイブルは、マルコ、マタイ、ルカの各福音書の対応個所を、横並びにして表示するいわば2次元の処理だけですむので比較的簡単なのだが、山口さんは、『藪の中』をさまざまな観点、例えば、場所であるとか時間の経過であるとか、主体であるとかで、まさに多次元軸で分析するツールの開発を目指していった。
『藪の中』は、何とも優れた実験素材だった。何しろ、話者がたくさんいる。その話者、特に、多襄丸、女、死霊は、それぞれの物語が互いに矛盾していて、まさに藪の中だ。
それを意味的なパラグラフ単位で分解し、主体や想定される時系列(前後関係)などで並び替えてみると、芥川が書いた一次元的な物語の流れを追っていくのではなかなか掴みにくい関係が見えてくる。
あるとき、山口さんが言った。
「小林さん、これちょっと見てください。どうも、多襄丸と女とで、証言の前後関係がひっくり返っているんですよ」
ぼくたちは、ホームズとワトソンではないけれど、xfyを駆使してまさにアームチェアー・ディテクティヴをきどって、さまざまな詮索に議論の花を咲かせた。
その結果、あるキーポイントが浮かび上がってきた。
視線。
主要な登場人物、多襄丸、女、死霊は、ほぼ同じタイミングで、それぞれに視線を交換する。
それぞれが、それぞれの視線に対して、それぞれの思いを抱く。その思いが、視線を送る側と、視線を受け取る側で、異なっている。視線の誤認。
そして、その視線の誤認を契機に、それぞれの物語が、藪の中に分け入っていく。異なる方向に向かって。
こんな議論の結果を、ぼくたちは、「Parallel Narratology」と題して情報処理学会デジタルドキュメント研究会(2007年7月27日に公立はこだて未来大学)で報告した。
ぼくたちには、何か素敵な鉱脈を掴んだ、という実感があった。しかし、確信が持てない。何しろ、山口さんもぼくも、文学研究に関しては、ずぶの素人もいいところなのだから。
たまたま、妻が例のフェリス女学院大学のオープンカレッジで、芥川作品の講読コースに出ていた。講師は芥川を専門とする才媛安藤公美さん。ちょっと話を聞いて欲しいと依頼したら、宮坂 覺学長が話を聞いてくださることになった。国際芥川龍之介学会会長だもんね。ご自身でも、パソコンのデータベースソフトを駆使して、岩波書店の芥川作品の語彙データベースを構築する力業の持ち主。技術的な問題も含めて、ぼくたちの企図をじつに的確に理解してくださった。
宮坂学長と安藤さんに評価によると、このような視点を軸とした作品解釈が出てきたのは、比較的近来のことで1980年代の半ばになってから。専門家の学術論文としてはまだまだ弱いが、大学院クラスのレポートとしてなら十分通用する。
で、次の夏、山口さん、ぼく、ぼくの妻という何とも奇妙な仲間は、宮坂学長が持っておられた東海大学大学院での集中講義に乱入して、すこぶる楽しい時を過ごしたのだった。
HTMLが登場した前後、世界のいたるところで、文学や哲学などの人文科学系研究者がハイパーテキストを巡る議論を繰り広げた。それは、文学の脱構築と読者による創造的な読みの可能性の議論と重なって非常に刺激的なものだった。しかし、そのような議論は、インターネットとWebの急速な普及とともに、いつのまにか些末な技術的な議論の中に埋もれてしまった。しかし、電子書籍ビジネスの開花が目前に迫っている今だからこそ、もう一度、書くことと読むことの根源的な意味について思いを致す必要があるのではないか。電子的な媒体で『藪の中』を読むとはどういうことなのか、と。
小林龍生(こばやし たつお)
1951 年生まれ。東京大学教養学部科学史科哲学分科卒。 Unicode Consortiumディレクター、IDPF理事、W3C日本語レイアウトTF議長、情報処理学会情報規格調査会SC2専門委員会委員、日本電子出版協会 フェローなどとして、ITと言語文化の接点にあって国際標準化の現場で活躍。小学館では学年誌の編集、ジャストシステムでは製品・技術開発に携わったほ か、初期の電子書籍プロジェクト(電子書籍コンソーシアム)も経験している。主著『ユニコード戦記』(東京電機大学出版局、2011)