前回の記事からだいぶ経ったが、連載をスタートする。出版産業終焉論を、筆者は出版再構築論として読んだ。希少性は時代によって異なるが、出版に関する希少性は、活字と紙とインク、生産・配送手段のような物理的資源ばかりではない。それらがネットによって情報化されても、出版による価値実現のためのプロセスと技術には希少性はあるはずで、それに対応したスキルの再定義が適切に行われれば産業として消滅することはない。
残り20%の真実:希少性と価値の再発見と再構築へ
前回紹介したクレイ・シャーキイ氏のテーゼのポイントは、出版を産業として成立させている経済的土台としての「希少性」が失われたということだった。情報の制作、販促、流通、販売のサプライチェーンがデジタル化され、デジタル技術の利用においても、データの処理、蓄積、通信サービスの希少性が(たとえば20年前に比べて)皆無に近くなったために、商品の価格形成における秩序が崩壊した。空気はビジネスにならない。社会性、商業性に関わるすべての属性が希少性と結びついており、希少性を外して客観的価値を訴求できない以上、もはや産業とはいえないということだ。
デジタルは破壊的である。これは14世紀に始まった世界観の革命の最終的到達点と言える。現実世界を定量的に把握する「数量化」が、科学と技術を今日のような形に再構築し、機械文明を築いたわけだが、デジタルはその機械文明をも脱構築した。構造とプロセスとして数量化されたバーチャル世界は、機械も人間も従わせることが出来る。数量化された情報を通じて。
インドや中国のような古代文明(つまり数千年にわたり複雑で多元的な社会システムを動かした知的エリート中心の社会)の伝統を持つ国々が、21世紀のデジタルパラダイムの恩恵を最大限に享受している。アップルも、アマゾンも、IBMも、成功している世界企業は、すべてこの2つの超大国に依拠している。人と組織に依存した日本のモノづくりは、リバースエンジニア(解析)され、より巧みに再構築される段階に入った。サプライチェーンのデジタル的再編は、一定の知識教育水準を背景に大組織を担う中産階級の職を奪い、伝統的な権力エリート、各種専門家を無力化することで、かつての先進国の社会に深刻な打撃を与えているのだ。
中世末期のヨーロッパもそうだったのかもしれないが、いまは21世紀だ。情報だけはかなり使えるようになっているから、考えれば答えはあるはずだ。しかし、答えが見つかろうと見つかるまいと、先に都合のよい答えを用意しておいて現実を歪めることだけはやめよう。それが悪い結果をもたらすことだけははっきりしている。
シャーキイ氏の議論は、おそらく80%までは正しい。しかしこの世界には残りの20%が重要なことがある。例えば空気の8割は窒素だが、人間は残り2割の酸素で生きている。高度1万メートルでも空気中の酸素の割合は変わらないが、気圧が低下するので酸素も薄い。また、大気中の微量の二酸化炭素が重要な意味を持つことは広く知られている。だから、われわれもこの正しい理論を鵜呑みにしたりパニックを起こしたりせず、出版の生態系における環境変化を仔細に検討してみたい。「希少性」についてもう少し深く追求すれば、21世紀には21世紀なりの希少性(への評価)が見つかると思う。社会はコミュニケーションによって進化するはずだからだ。出版ビジネスは高度順化をする必要があるのかもしれないが、人間社会が存続する限り、絶滅することはないだろう。
さて、この連載の目的は、産業がどうなるかではなく、職業としての出版がどう生き延び(何が継承され)、再び開花・発展に向かうかを考え、方向性を提起することにある。これまでの出版は「紙と活字」で成り立ってきた。これらには希少性があり、希少資源を扱うスキルもまた希少であった。出版編集技術は、相当な知識と経験を必要とし、短期での修得は不可能だった。デジタルは誰でも一見して「それらしい」ものは作れる。ルールさえ解明されれば自動処理が可能なデジタル組版は、この世界で飯を食ってきた多くの人を慄然とさせるほどのものだ。しかし、ルールでは不十分な世界、創造性を必要とする世界はつねに存在する。問題はそれを認識し、ソリューションを考えるスキル、そしてその有効期間だ。
出版企画やマーケティングも資源の希少性を前提にしている。企画のポイントは、つねに定価を幾らにして初版を何部刷るか、その組合せでいくら稼げるかだった。デジタルでは制作部数は無意味になっている。しかし、知識やコミュニケーションを希少なものと考え、価値ある企画を開発し、創造的なコミュニケーションを組織するスキルは時代を超えたものであり、技術的前提が変わったからといって、仕事の本質は変わらない。ただ、デジタル時代には才能と経験のほかに、理論と技法が必要なケースが増えるだろう。出版界にも人材育成のシステムが必要だと考えている。(→次ページに続く)